第012話 パイプ椅子乱舞
『漆黒の玉座』ことパイプ椅子を『暗闇の間』に収納できるようになってから数ヶ月。
わたしは十二歳になり、ハニマル流道場での生活も五年目を迎えていた。
この道場では、年に数回、門下生の実力を測るための「定期昇級組み手会」が開かれる。
今日はその当日だ。
熱気に包まれた大練武場の中央。
わたしは生成りの道着の上に、動きやすいよう改造を加えたハーフスカートのようなものを巻き、対戦相手の前に立っていた。
「へへっ、まさか姐さんと組み手をする日が来るとはな。手加減はできませんよ?」
対面に立つのは、わたしと同じ上級クラス入りを狙う、中級クラス上位の実力者である兄弟子だ。
岩のような筋肉を誇示し、余裕の笑みを浮かべている。
彼はまだ、わたしのことを『ちょっと力が強くて生意気な可愛いお嬢様』程度に思っているらしい。
周りの門下生たちも、似たような雰囲気だ。
(……フフッ。良いわね、その油断。最高の餌だわ)
わたしはスカートの裾をつまみ、流れるようなカーテシーをしてみせた。
ただし、その口元には、鏡の前で何千回も練習した、最高の『悪役スマイル』を浮かべて。
「ええ、もちろん手加減は無用ですわ、兄弟子。……どうか後悔なさいませんように」
かつてこの道場に入門した日に言った台詞を、今度はわたしが受け止める側として返す番だった。
「いいか!? なンでもありだ! 始めィッ!!」
審判役の師範代の声が響く。
兄弟子は「まずは軽く挨拶だ」とばかりに、大振りの右フックを放ってきた。
速い。
だが、見える。
わたしは身体強化を発動させ、最小限の動きでそれを躱した。
そして、すれ違いざまに、オルガ先生直伝の『裏の技術』を発動する。
「――『影縫』」
わたしの影から伸びた魔力の棘が、兄弟子の影を地面に縫い止めた。
「ぬおっ!? 足が、動かねえ!?」
兄弟子がたたらを踏む。
その隙を見逃すほど、わたしは甘くない。
「――『闇霧』」
続けて放ったのは、視覚と平衡感覚を奪う精神干渉魔法だ。
兄弟子の顔を中心に、濃密な黒い霧が発生し、彼の視界を奪う。
「な、なんだ!? 何も見えねえ! くそっ、どこだ姐さん!」
兄弟子はパニックに陥り、見えない敵に向かって闇雲に拳を振り回す。
わたしはその死角――真後ろに、音もなく回り込んだ。
「ここですわよ、お兄様」
わたしは甘い声で囁きながら、彼の巨体を背後からロックした。
ぶっとい胴体に腕が回りきらないので絞め上げて無理矢理に胴をクラッチする。
ハニマル流体術と、前世のプロレス技の融合。
狙うは、ジャーマン・スープレックス。
「フンッ!!」
身体強化フルパワー。
わたしは自身の体重の倍以上はある兄弟子を、美しいブリッジの弧を描いて後方へと投げ飛ばした。
ドォォォォン!!
練武場の石畳に叩きつけられる轟音。
兄弟子は脳震盪を起こし、白目を剥いてピクリとも動かなくなった。
静まり返る道場。
だが、わたしの『悪役ショー』は、ここからが本番だ。
「……あら、もうおしまい? つまらないわね」
わたしは倒れた兄弟子を見下ろし、わざとらしくため息をついた。
そして、次の獲物を求めて視線を巡らせた。
「さあ、次はどなたがお相手してくださいますの? 束になってかかってきてもよろしくてよ?」
その挑発に、血気盛んな男たちが黙っているはずがない。
「ナメんじゃねえ!」
「お嬢! 遊びは終わりだ!」
「十秒以内に後悔させてやる!」
そう口々に言いながら、三人の兄弟子が同時に舞台に上がってきた。
「良いわね、その威勢。……まとめて歓迎してあげますわ!」
吠えながら瞬時に思考する。
(安全確認! 対戦相手の身体強化発動よし! 道場の結界よしッッ!!)
わたしはニヤリと笑い、右手を足元の影に突っ込んだ。
そして『暗闇の間』から、愛しの相棒を一気に引き抜いた。
ズヌゥッ……。
ジャキィィン!!
「……は? 椅子?」
先頭の男が、突然現れた奇妙な鉄塊を見て動きを止めた。
その一瞬の隙が、命取りとなる。
「ごきげんよう、クソ野郎ども!」
わたしは淑女らしからぬ罵倒と共に『漆黒の玉座』をフルスイングした。
ガゴォォォォン!!!
鈍く、重い打撃音が響き渡る。
男の側頭部に、超重量級の鉄塊がクリーンヒットした。
彼は悲鳴を上げる間もなく、回転しながら吹き飛んだ。
「なっ……!?」
「宣言もなしに武器を使うとは、卑怯だぞ!」
残りの二人が怯む。
「卑怯? 褒め言葉ですわね!」
わたしは笑いながら『玉座』を構え直した。
影縫で足を止め、闇霧で視界を奪い、混乱したところを、身体強化した肉体と鉄塊で一方的に蹂躙する。
それはもう、組み手というよりは、一方的な『処刑ショー』だった。
十分後。
舞台の上には、積み重なった男たちの山と、その頂上で『玉座』に優雅に腰掛け、扇子(これも鉄製だ)を広げて寛ぐわたしの姿があった。
「……ほかに、挑戦者はいらっしゃいます?」
わたしの問いかけに、数百人の門下生たちが整列し、一斉に敬礼した。
彼らの目には、もはや侮りや愛玩の色はない。
あるのは、底知れぬ恐怖と、畏敬の念だけだった。
壇上で見ていた総帥が、腹を抱えて爆笑した。
「ガハハハハ! 見たか! あれがワシの孫娘、ヴィータヴェンの悪魔じゃ!」
その隣で、オルガ先生が扇子で顔を覆いながら、深くため息をついた。
「……淑女の所作は完璧ですが、やっていることが野蛮すぎますわ。少し教育方針を間違えたかしら……」
この日を境に、道場内でのわたしの二つ名は『姐さん』から、より畏怖を込めたものへと変わった。
『北の撲殺令嬢』。
あるいは『微笑みの処刑人』。
それは、わたしが目指した『最強の悪役』としての、最初の輝かしい称号となったのだった。
◆◆◆
十四歳の冬。
ハニマル領に来て七度目の冬が巡ってきた。
わたしは、道場の中央に立っていた。
今日が、わたしの卒業試験だ。
「……準備は良いか、レヴィーネ」
対峙するのは、二人の師匠。
氷の微笑を浮かべ、扇子を構える『鉄の淑女』オルガ先生。
そして、全身から闘気を噴出させ、仁王立ちする『北天の獅子』総帥マラグ。
「ええ、いつでも。……お二人とも、本日は介護の準備はよろしくて?」
わたしはドレス(に見せかけた戦闘服)の裾をつまみ、余裕たっぷりに一礼して挑発した。
七年間の地獄で培った全てを、この二人にぶつける。
「試験開始ッ!」
師範代の合図と同時に、世界が凍りつく。
オルガ先生の氷魔法だ。
数瞬でも居着けば手足が凍りつくだろう。
加えて四方八方から、ダイヤモンドのように鋭利な氷の礫が襲いかかる。
その数は千か万か。
「甘いですわ、オルガ先生!」
わたしは身体強化で加速し、氷の嵐の中を舞うように回避する。
避けきれない礫は、ドレスの袖に仕込んだ鉄扇で優雅に弾き飛ばす。
淑女のたしなみ(物理)だ。
「フンッ! 小細工はそこまでだ!」
氷の嵐を突き破り、総帥が突っ込んでくる。
丸太のような腕が、わたしの首を狙って繰り出される。
極限まで身体強化を重ねた視力でさえも像が歪む速度だ。
かすっただけでも致命傷になる。
「――『影縫』!」
わたしは総帥の影を縫い止め、一瞬の隙を作る。
だが、総帥は筋肉の力だけで影の拘束を強引に引きちぎった。
(化け物め!)
「『闇霧』!」
すかさず視界と思考と感覚の一部を奪いにいく。
数年前から磨き続けてきた、わたしの黄金連係だ。
ただし総帥相手には、顔面七孔のいずれかからわずかでも闇が侵蝕できれば御の字。
総帥の動きが刹那ほど鈍った隙に、わたしは自分の影から総帥の影へと渡り、そのまま最大の魔力を込めて『暗闇の間』を開いた。
「喰らいなさい! わたしの七年間の愛をッ!!」
ジャキィィン!!!
召喚されたのは、わたしの相棒『漆黒の玉座』。
身体強化フルパワーで振り抜かれた鉄塊が、振り向きかけた総帥の横っ面に炸裂した。
ガゴォォォンッ!!!
道場が揺れるほどの衝撃音。
総帥の巨体が、数メートル横にスライドした。
「……カッカッカッ! 痛いではないか、クソガキが!」
総帥は頬をさすりながら、獰猛に笑った。
無傷ではない。
少しだけ、口の端が切れている。
あの速度でフルスイングされたあの質量を顔面受けしておいて、これだ。
あらためて思う。
化け物だと。
「淑女の所作は乱れていませんでしたね。……合格としましょう」
氷の嵐を収めたオルガ先生が、涼しい顔で扇子を閉じた。
師範代や上級門下生もいる手前、今日の試験では影魔法を使わなかっただけで、正直かなり手を緩めてくれたと思う。
本気を隠すのも、また淑女のたしなみということなのだろう。
わたしは肩で息をしながら、二人の師匠に向かって、これまでで一番深く、美しいカーテシーをした。
「――ご指導、ありがとうございました」
顔を上げると、窓の外には、極寒の地には不釣り合いなほど澄み渡った夜空が広がっていた。
明日には、この『獣の穴』を発つ。
十五歳になるわたしを待っているのは、帝都貴族院の領主科への入学。
帝国貴族の次代を担う者として、そして貴族令嬢としての学びを得る、新しい闘いの舞台だ。
(貴族院……騎士科じゃないのが残念。噂に聞く決闘場の華となる日は来ないでしょうね)
貴族院では互いの矜持や面子や利権をかけた決闘のエピソードに事欠かない。
揉め事に際し、領民を巻き込んだ戦争を起こすことなく、代表者として勝敗を決する。
それもまた貴族の義務であった。
だが、華々しい模擬戦も、正式な果たし合いの決闘も、本来は騎士科の生徒たちの領分だ。
領主科の生徒が決闘となった場合は、互いに代理人を立てるのが定跡であり、淑女教育を受けたわたしのような領主科の令嬢にとって、決闘場は、まるで無縁の場所のはずだ。
(……とはいえ)
わたしは小さく肩をすくめた。
(まあ、来る者は拒まずの精神でいきましょうか)
自分でも予想外なほど、その考えは自然に胸に馴染んだ。
わたしは満足げに、ふうと息を吐いた。
(……さて。帝都では、どんな『悪役』を演じてやろうかしら)
窓に映る自分の顔は、我ながら悪い笑みを浮かべていた。
【第2部 北の氷獄「獣の穴」修行編】、これにて完結です。
次章では帝都に戻り、学園を巻き込んだ洗脳騒ぎに「パイプ椅子」で決着をつけます。
面白いと思っていただけたら、ブックマークと、このページ下部の☆☆☆☆☆からの評価で応援いただけると励みになります。ご感想も一言から大歓迎です。
それではまた次の部でお会いしましょう。
押忍!!




