第013話 凱旋
翌日。
道場の前には、数百人の門下生たちが整列していた。
全員、目から男泣きの涙を流している。
「姐さん! 行かないでくだせえ!」
「俺たち、これから誰に投げ飛ばされればいいんですか!」
暑苦しい別れの言葉の数々。
わたしは苦笑しながら、彼らに手を振った。
「泣くんじゃないわよ、暑苦しいし、見苦しい。……わたしがいつ帰ってきてもいいように、せいぜい腕を磨いておくことね」
オルガ先生が、一冊の分厚い書物を手渡してくれた。
表紙には『上級淑女の心得』とあるが、中身は宮廷での暗闘術や毒の見分け方などが記された、とんでもない代物だ。
この人はわたしになにをさせたいのだろう。
「帝都の貴族院は、ここよりもずっと陰湿な戦場です。それでも……貴女なら、美しく支配できるでしょう」
先生の言葉に、わたしはニヤリと笑って頷いた。
最後に、総帥がわたしの肩をバシッと叩いた。
「よくぞ生き残った。お前はワシの自慢の孫であり、ハニマル流の最強の弟子だ。……行ってこい。お前の『覇道』を見せてみろ」
「はい、総帥! ……行ってきます!」
わたしは七年間過ごした氷獄の地に別れを告げ、ヴィータヴェン領への帰路についた。
◆◆◆
数週間の旅路を経て、懐かしいヴィータヴェンの屋敷が見えてきた。
門の前には、父ユリス、母イリーザ、執事のバルド、乳母のマール、そして使用人一同が並んで待っていた。
馬車が止まり、わたしはゆっくりと扉を開けた。
十五歳を目前にしたわたしは、七年前とは別人だった。
背は伸び、体つきは女性らしく、しかししなやかな筋肉に覆われている。
オルガ先生仕込みの完璧な所作で、馬車から降り立った。
「……レヴィーネ?」
父が、信じられないものを見るような目でわたしを見つめた。
わたしの姿――美しく成長し、どこか冷ややかで、それでいて圧倒的な存在感を放つ姿に、皆が息を呑んでいるのがわかった。
「ただいま戻りました。お父様、お母様」
わたしが優雅に微笑むと、父の目から涙が溢れ出した。
「レヴィーネ……! ああ、ぼくらの天使ちゃん! よく生きて帰ってきてくれたね!」
父は感極まって、わたしに抱きつこうと駆け出した。
その瞬間。
シュンッ。
わたしの体が勝手に反応した。
七年間の過酷な修行で染み付いた、対接近戦の反射動作。
父の抱擁を『攻撃』と認識したわたしは、流れるような動作で父の腕を取り、関節を極めながら、投げの体勢に入ってしまった。
「――ッ!?」
寸前で気がつき、わたしは動きを止めた。
父は、わたしの腕の中で、目を白黒させて固まっている。
「あ……ご、ごめんなさい、お父様。つい、体が勝手に……」
わたしが慌てて手を離すと、父はへなへなとその場に崩れ落ちた。
母イリーザが、引きつった笑顔でつぶやいた。
「……あなた、今、お父様を投げ飛ばそうとしなかった?」
「き、気のせいですわ、お母様! オホホホ……!」
わたしは鉄製の扇子で口元を隠し、高笑いで誤魔化した。
使用人たちが、再会の感動から一転、戦慄の表情でわたしを見つめていた。
バルドが眼鏡の位置を直し、マールが口元を押さえている。
(……ま、まあいいわ)
わたしは心の中で舌を出した。
天使ちゃんは、もういない。
帰ってきたのは、氷獄で鍛え上げられた、最強の『悪役』令嬢なのだから。
ハニマル領からヴィータヴェン領への帰還、そこからさらに数週かけて帝都へと向かう。
わたしの「覇道」は、まだ始まったばかりだ。
◆◆◆
北の絶対的な氷獄、ハニマル領『獣の穴』。
そこで七年間に及ぶ地獄――否、わたしにとっては魂の故郷とも言える鍛錬の日々を終え、ヴィータヴェン領に戻って数ヶ月。
わたしたちを乗せたヴィータヴェン家の馬車は、ついにガルディア帝国の心臓部、帝都へと到着した。
窓の外には、隙間なく綺麗に舗装された石畳の街道と、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような煌びやかな街並みが広がっている。
行き交う人々も皆、洗練された(と彼らが信じ込んでいる)衣装に身を包み、どこか浮足立った空気が漂っていた。
「へえ……。これが帝都。聞いてはいたけれど、本当に無駄にキラキラしていますのね」
わたしは頬杖をつきながら、車窓の景色を値踏みした。
視界に入るもの全てが、辺境の基準から見れば『軟弱』の一言に尽きる。
同乗している父ユリスが、誇らしげに頷く。
彼は愛娘の晴れ舞台である入学式のために、領地の仕事を全て部下に丸投げして張り切ってついてきたのだ。
「ああ! ここが我がガルディア帝国の文化と政治の中心地だよ。どうだいレヴィーネ、気に入ったかい?」
「ええ、まあまあですわね。……ただ、あの城壁、薄すぎませんこと? 北の大型魔獣――たとえばギガント・ベアのスタンピードが来たら、三分もたずに決壊しますわよ」
わたしの指摘に、父の笑顔が引きつった。
「……レヴィーネ、そういう物騒な視点で見るのはやめなさい。ここは帝都だ。魔獣なんて滅多に出ないよ」
「油断大敵ですわ、お父様。『平和ボケ』は最大の隙を生みますもの。それに、魔獣より怖い人間だって、ここには沢山いるのでしょう?」
どうやらわたしの感性は、七年間の極寒サバイバルと修行生活ですっかり『実用性こそが美』『強さこそが正義』という脳筋思考に染まってしまっているらしい。
この煌びやかな街並みも、わたしには「燃えやすそう」「壊れやすそう」にしか見えないのだ。
馬車は貴族街を進み、やがて巨大な正門が見えてきた。
この国の将来を担う貴族子弟が通う最高学府、帝国立貴族院だ。
正門前は、入学式を控えた新入生たちの馬車で長蛇の列ができていた。
どの馬車も、家紋をこれ見よがしに金銀で縁取り、ピカピカに磨き上げられている。
競い合うように施された過剰な装飾は、見ているだけで胃もたれしそうだった。
対して、我がヴィータヴェン家の馬車は、長旅の汚れと、北の氷獄に比べればまだ暮らしやすいが、それでも十分に過酷な環境である東の辺境産の質実剛健な作り――悪く言えば無骨で埃だらけだ。
周囲の馬車から向けられる視線には、隠そうともしない侮蔑の色が混じっている。
「……ふふッ。アウェイ感満載ね。燃えてきたわ」
わたしが鉄製の扇子で口元を隠してほくそ笑んでいると、馬車が急停車した。
馬がいななき、外で御者と誰かが言い争う怒声が聞こえる。
「おい、そこの薄汚い馬車! 止まれと言っているのが聞こえないのか! 我がグレビル伯爵家の馬車が先だぞ!」
どうやら、強引な割り込みをしようとした別の馬車が、こちらの進路を塞いだらしい。
父が眉をひそめる。
「何事だ? 我々は学院側から、辺境伯家としての優先入場の許可証をもらっているはずだが……」
ヴィータヴェン辺境伯家は、長年の国境防衛の功績により、宮廷内では侯爵家と同等の扱いを受けている。
そのため、こうした場でも上位貴族としての優先権があるのだ。
だが、帝都の法服貴族の中には、それを面白く思わない連中も多い。
わたしは父を制し、ニヤリと笑った。
「お父様、ここはわたしにお任せください。……さっそく、帝都の『洗礼』を授けてくださる、面白いお客様がいらっしゃったようですわ」
「れ、レヴィーネ? お願いだから穏便にね!? パパ、心臓がもたないよ!?」
父の悲痛な叫びを背に、わたしは馬車の扉を開け、オルガ先生直伝の完璧に優雅なステップで石畳に降り立った。
目の前に立ち塞がっていたのは、過剰なフリルと宝石で飾られたデコレーションケーキのような馬車と、その前に立つ、これまた過剰に着飾った赤毛の少年だった。
年の頃はわたしと同じくらい、おそらく新入生だろう。
彼は、わたしの姿――埃だらけの馬車から降りてきた、一分の隙もない所作の美少女(自分で言うのもなんだけど、今のわたしは客観的に見てもかなり仕上がっている)を見て、一瞬鼻白んだ。
だが、すぐに気を取り直し、尊大な態度で胸を反らした。
「なんだ、貴様は。どこの田舎貴族だか知らんが、この中央の法服貴族、グレビル伯爵家の馬車の前を横切ろうとは、身の程知らずにも程があるぞ!」
グレビル伯爵家。
確か、帝都で書類仕事と派閥争いだけが得意な、典型的な『虎の威を借る狐』タイプの家柄だったはずだ。
(あー、はいはい。来たわね、テンプレの噛ませ犬くん!)
わたしは内心で快哉を叫んだ。
入学早々、こんな分かりやすい『餌』が向こうから飛び込んでくるとは。
帝都も捨てたものではない。
わたしは表面上は完璧な淑女の笑みを浮かべ、鉄扇を優雅に広げながらカーテシーを披露した。
本日より【第3部 帝都貴族院・学園無双編】がスタートです。
学園を舞台にした洗脳騒ぎに、悪役令嬢が真正面から殴り込みます。
それでは、ここから先もどうぞよろしくお願いします。
押忍!




