第011話 打ち直し
そうして始まったのは、常識外れの『椅子の打ち直し』だった。
わたしは魔導炉に接続された魔力供給装置を握りしめ、ありったけの魔力を注ぎ込んだ。
ゴオォォォォォッ!!
炉の中で、蒼白い炎が狂ったように吹き上がる。
「もっとだ! もっと温度を上げろ! まだ表面が温まった程度だぞ!」
親方がハンマーを構えながら怒鳴る。
「はいはい、注文が多いですわね! ……いきますわよ……それッ!」
わたしはリミッターを外し、さらに魔力を流し込む。
規格外と言われた「魔王級」の魔力が、奔流となって炉に流れ込む。
工房内の気温が急上昇し、鉄の焼ける匂いが充満する。
だが――。
「なんてこった、もう古代龍のブレス以上の温度だってのに、ちっとも変わらねえ! お嬢、こいつは無理だ!」
「いいえ?! ちっともよ! ここからは全力の全力で行くわ!!!」
ドクンッ!!
わたしは丹田の奥底に眠る、さらに深い魔力の泉を開放した。
前世の執念、今世の渇望。
それら全てを熱量に変えて叩き込む。
「あああぁぁあああッッ!!! ぜんぶッ!! もってけぇええ!!! 」
カッッッ!!
炉の中が太陽のように輝き、ついに「黒鋼」が赤く脈動し始めた。
「――今だッ! 叩けぇぇぇッ!!」
親方が炉からパイプ椅子を引っ張り出すや金床に据えて、アダマンタイトのハンマーを振り下ろす。
カンッ! カンッ! カンッ!
魂を打つような音が響き渡る。
種族を超えた、汗と魔力と筋肉のセッション。
数時間後。
そこには、歪み一つなく、黒い光沢を放つ完全な形の『パイプ椅子』が鎮座していた。
「……できたな。とんでもねえ化け物だよ、アンタは」
親方がへたり込みながら、清々しい顔で笑った。
「いいえ、親方のおかげですわ――最高の仕上がりになりました」
わたしは荒い息を吐きながら、愛おしい『相棒』を撫でた。
ただ修理されただけではない。
わたしの膨大な魔力を吸い込み、焼き入れられたこの椅子は、わたしの魔力と完全に同調する、わたしだけの命具――「専用装備」へと進化していたのだ。
わたしはこいつに名前をつけた。
わたしの悪役人生を共に歩む、最高の座席。
「――『漆黒の玉座』」
こうしてわたしは最強の鈍器を手に入れた。
しかし、ここで新たな問題が発生した。
素材の密度が戻ったせいか、この椅子、修理前よりも遥かに重くなっていたのだ。
「……これ、常に持ち歩くのはさすがに骨が折れるわね」
そこでわたしは、その日の夜の淑女教育の時間に、オルガ先生に相談を持ちかけることにした。
影の中に、こいつを収納するために。
◆◆◆
「具体的には、影の中に物体を収納し、出し入れする術……『暗闇の間』を習得したく存じます」
「……あら、以前教えた時は『難しそうだし、まだいい』と仰っていたのに。急にどうされたのです?」
「実は、どうしても常に持ち歩きたい『相棒』ができたのですが……少々、重すぎて持ち運びに不便しておりまして」
わたしは『大帝国全史』全四十巻を頭上に載せたまま事情を説明すると、先生を屋敷の裏手まで案内した。
そして先生は、そこに威風堂々と鎮座する『漆黒の玉座』を一目見て、扇子を閉じ、こめかみを揉んだ。
「……黒鋼。それも、異常な密度の。ただの鉄塊かと思いましたが、これは『魔剣』の類ですね。それも、使い手の魔力を貪欲に吸い上げる、極めて質の悪い」
「『聖剣』と呼んでいただきたいですわね。わたしの可愛い相棒ですもの」
「……はぁ。やはり貴女は規格外です」
先生は深くため息をついた。
「わかりました。『暗闇の間』の習得を許可しましょう。……というより、こんな危険物をその辺に放置されては、屋敷の防犯上も問題です」
先生はわたしの目を見据えた。
「ただし、条件があります。その頭の上の『全史』を一度も落とさず、いえ揺らすこともなく、朝まで影魔法の制御訓練を行うこと。……よろしいですね?」
「望むところですわ、オルガ先生!」
わたしはニヤリと笑い、頭上に積んだ『大帝国全史』全四十巻のバランスを正した。
こうして『暗闇の間』の習得が始まったが、現実は非情だった。
ドワーフの秘法で生まれ変わり、わたしの魔力を限界まで吸った玉座は、以前とは比べ物にならないほどの『存在感(質量と魔力密度)』を持っていたのだ。
影の亜空間に収納しようとしても、その圧倒的な存在感に影が悲鳴を上げ、弾き出されてしまう。
収納できる容量は、術者の『魔力量』と『制御力』に比例する。
魔力量は十分。
つまり、圧倒的に制御力が足りていないのだ。
そこから、制御のための猛特訓が始まった。
小石から木の枝、流木から大岩へと徐々に質量を増やし、最終的には狩った魔獣そのものを収納する訓練へと移行した。
『暗闇の間』の最大の欠点は、術者の集中が途切れた瞬間に中身が亜空間の彼方へ消滅する『消失』だ。
ある日の狩りの最中、仕留めたばかりの巨大な猪を前に、わたしは脂汗を流していた。
(……くっ、重い。物理的な重さじゃなくて、情報の密度が! 意識が……霞む……!)
収納物の認識が薄れかけた、その時。
ガッ!!
わたしは迷わず、自分の腕に強く噛みついた。
鋭い痛みが脳を貫き、意識を現実に引き戻す。
(忘れるな……! わたしが奪った命を、骨の髄まで利用し尽くす。それが勝者の責任であり、敗者への礼儀だ!)
痛みで自身を鼓舞し、命の重みを脳に刻み込む。
そうして血の滲むような努力の末に、わたしは少しずつ『器』を広げていった。
◆◆◆
そんな修行の日々が続いたある夜。
「……随分と、影の扱いが馴染んできましたね」
月明かりの下、オルガ先生が満足げに頷いた。
「レヴィーネ様。貴女は影魔法の本質をどう捉えていますか?」
「え? ……不意打ちや隠密に便利な、暗殺者向けの魔法、でしょうか?」
「半分正解です。影魔法の深奥は、全ての影を支配下に置くこと。それは即ち、光の当たるもの全ての影を操ることでもあります」
そう言うと、先生の姿がかき消えた。
「――『影渡』」
声は背後からした。
振り返ると、先生はいつの間にか屋敷の壁の影に立っていた。
瞬きする間もない移動だ。
「ですが、この深奥はあくまでも表向きのもの。……影魔法の、真なる最奥は」
先生の双眸が、月光を受けて妖しく光った。
「――『夜』を統べることにあります」
その言葉と共に、オルガ先生の輪郭が崩れた。
影に沈んだのではない。
先生という存在そのものが、夜の闇に溶け出したのだ。
フッ……と、世界から『オルガ・ヴァローナ』という個人の気配が消滅した。
代わりに、裏庭の全ての闇、木々の影、建物の影、そして夜空そのものから、濃密な気配が立ち昇る。
「――ッ!?」
わたしは戦慄した。
今、この空間にある『闇』の全てが、オルガ先生なのだ。
どこにでも気配がある。
逃げ場がない。
彼女はどこにも存在せず、どこにでも存在した。
(ああ……! 夜に! 夜に食われてしまう!!!)
混乱の極地に達し、わたしがへたり込みそうになった瞬間。
スゥッ……。
圧倒的な気配が収束し、目の前にいつもの涼やかなオルガ先生の姿が戻った。
「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
わたしは地面に膝をつき、荒い息を繰り返した。
全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。
「まだ年若い貴女にここまでできるようになれ、とは申しません。ですが、だからこそ真の最奥をお見せしたのです。慢心することなく歩み続ければ、いつかは貴女も『夜』の一部になれるでしょう」
その言葉は、恐怖よりも大きな希望として、わたしの胸に響いた。
すごい。
この人は、魔法使いという枠を超えている。
ふと、疑問が浮かんだ。
亡き祖母の親友であり、母の師匠であり、騎士引退後は帝妃直属の影だったという経歴を持つ先生は、肌に張りがあり、どう見ても四十代……いや、若く見積もれば三十代後半にも見える美貌の持ち主だ。
「せ、先生はその、大変失礼とは存じますが……その、今おいくつでいらっしゃるのですか……?」
先生は扇子を広げ、口元を隠して、茶目っ気たっぷりにウインクした。
「あら、レディに年齢を聞くなんてマナー違反ですよ? ……ですが、可愛い弟子には特別に教えて差し上げましょう。先日、六十を二つほど超えました」
「……は?」
ろくじゅう、に……?
「えええええええええええッ!!??」
わたしの絶叫が、夜のハニマル領に響き渡った。
転生してから一番の驚きだったかもしれない。
(この人、還暦過ぎてるの!? もしかして『夜』と同化すると老化が止まるの!?)
最強の椅子を手に入れた夜。
わたしは、世界にはまだまだ未知の強者(と美魔女)がいることを思い知らされたのだった。




