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水門のガーディアン——Water Gate Guardian——  作者: 上部乱


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第9話 無力な避難所


全身がぐったりしていた。考えてみれば、俺たちは丸一日、眠っていない。


汗と砂埃と血の汚れが、皮膚や髪にこびりついて固まり、べたべたと塊になっている。


指で剥がすと、カラカラ、パキパキと音までしそうだった。


俺はその垢の塊をぽいと放り捨て、

危うくボールちゃんに当てかけた。


若い門番が二人。

一人は太め、もう一人はがっしり。


俺の姿を見るなり、不機嫌そうに武器を抜き、こちらへ向けてきた。


ボールちゃんが警戒して熱砂貫槍を構え、

俺の前に立つ。


「お前らがフェナリの手から逃げてきた連中なら、ここじゃ匿えねえ!」


がっしりしたほうの口調は、

野犬に餌をやったら噛み返された――

そんな苛立ちを含んでいた。


二人はボールちゃんを見下ろし、鼻で笑った。

あんな小さなもの、脅威じゃないと思っているらしい。


「違います……

私たちは、オアシスの村ワハから来ました」


シーリンが前に出て、まっすぐ告げる。


「そのボロボロの格好で誰が信じる?

フェナリから逃げた奴隷どもは、

みんな出自をでっち上げるんだよ」


「バチェラシュ港から来たとか、

デネシュムから来たとか……」


太った門番が、常習犯相手みたいに

大声を張り上げた。

がっしり門番も嘲るように続ける。


「昨日なんか『クレントラシュから来た』って言い張る頭のおかしい奴もいたぜ……今度はもっと南の地名か?俺を騙せると思ったか?」


「みすぼらしいのは、ガルパーイールと砂漠魚人に一日中追い回されたからで……」

俺は疲れ切った声で説明した。


俺に戦う気がないと見て、

ボールちゃんは槍を引っ込める。


すると二人の門番は腹を抱えて笑い、

俺の言葉を遮った。


「誰にウケると思ってんだ?

この季節にガルパーイールと砂漠魚人に追われて、しかも生きてここまで来れるわけねえだろ!」


シーリンも堪忍袋の緒が切れたらしく、

顔を引き締めた。


「アンレイシスを呼んで。伝えて。

シーリン・ビン・クルユウドが、

イェスィルへの入村を求めているって!」


二人は顔を見合わせ、急に腰が引けたようだった。


「お、お前……水門ガーディアンの名を出せば俺がビビると思ったのか?クルユウドなんて名は、生まれたての赤ん坊でも知ってる。

偽物かもしれねえだろ!」


太った門番が言い返す。


「水門ガーディアンの求めに応じる気があるなら、これで通してくれるよな?」


俺はクルーユドゥから預かった水門の鍵を取り出した。


二人は小声で相談する。


「ヒシマン、お前はここでこいつらを見張れ」


がっしり門番が太いほうへ命じた。


「お前ら、ここで待ってろ!」


そう言い捨てて、彼は村の中へ駆けていった。


「ふぅ……

これで今夜は寝床が確保できる、よな?」


俺は足から力が抜け、地面にどさりと座り込んだ。


「その……」


残された太った門番――ヒシマンが、

興味ありげに話しかけてくる。


「ん……?」


瞼が落ちそうで、自分の返事の態度が

まともかもわからない。


「本当に、ガルパーイールから逃げ切ったのか?」


「どうやったか知りたい?」


俺は後ろへ倒れ、目を閉じたまま笑った。


「うん!うん!」


声が近い。

たぶん俺の横にしゃがんだ。


「コツは――

ガルパーイールの『前』を走らないことだ」


嘘じゃないけど、我ながら真顔で

くだらないことを言っている。


俺はこっそり目を開けて、

ヒシマンの怒り顔を期待した。


ところが。


彼は宝物を得たみたいに、

その言葉を何度も反芻し始めた。


「ガルパーイールの前を走らない……

ガルパーイールの前を走らない……

ガルパーイールの前を走らない……」


「ありがとう!それなら多くの人が助かる!」


頼むから、

そんな真っ直ぐな顔で言わないでくれ。


俺は日光で溶けるヴァンパイアみたいに

居たたまれなくなった。



「シーリン!」


通りの向こうから、張りのある声が飛んできた。


「どうしてこんな時に、ここにいるんだ?」


「説明すると長くなります、アンレイシ村長」


シーリンは礼儀正しく頭を下げる。


俺は感心した。こいつ、まだ背筋を伸ばして喋れるのかよ……。


シーリンが頭を下げた先を見ると、体格のいい男が一人。

さっきのがっしり門番と一緒に歩いてきていた。


アンレイシ村長は、地面に寝そべる俺を見るなり心配そうに近づく。


「君……怪我をしているのか?」


「いえ、ただ疲れて立てないだけで……」


俺はだらりと右手を挙げた。


村長は安心したように笑い、

がっしり門番へ言う。


「グチル、現任の水門ガーディアンを支えてやってくれ」


「おう!」


グチルは口の端を歪めて笑い、俺の右手をぐいっと引っ張った。


まるで大魚でも釣り上げた漁師みたいに、

豪快に俺を肩へ担ぎ上げる。


俺は一気に目が覚めた。


「い、いや……下ろしてくれ!ほら、俺、そんなに疲れてなかったみたいだ!」


俺は気まずく笑った。


アンレイシスも笑う。


「君の父上が託した相手、面白い男だな!」


「ふふ、今はだいぶ柔らかいですけど、

手を出すと本当にすごいんですよ」


シーリンは弟自慢みたいに、気軽に俺の肩を叩く。


「……砂漠魚人のことか?焚風季の直後に砂漠を横断する胆力は、確かにただ者じゃない」


アンレイシは人材を見る目で俺を観察した。


「それだけじゃありません。フェナリがワハを襲わせた盗賊団も、全部この人が制圧しました」


シーリンは胸を張り、

数日前の出来事を誇らしげに語る。


もっと細部まで言いたそうだったが、

アンレイシは顔色を変えて遮った。


「まずは私の家へ。話は後だ」


俺たちはアンレイシの家へ向かった。

彼は妻と、年の近い二人の息子を起こす。


家族総出で部屋を一つ空け、体を拭くための陶器の大きなたらいまで用意してくれた。


俺は、その水と――たらいの縁に掛かった、

雑巾みたいに古いタオルを見てため息をついた。


わがままだと分かってる。

でも、シャワー浴びたい。

風呂に浸かりたい。


そりゃ異世界ものの主人公が、

どのルートでも最後に温泉掘り始めるわけだ……。


「先に洗って」


シーリンが気遣って言う。


俺は遠慮なく、まず頭から水に突っ込んだ。


俺が体を洗う間、シーリンはアンレイシと話し始める。


「二人とも、明日には出発するんだよな?」


俺は理解できなかった。


二人のやり取りを見る限り、アンレイシとシーリンには多少の縁がある。

なのに追い出すみたいな言い方だ。


「えー、私は村で少し取引もしたかったのに」


シーリンが残念そうに言う。


「今は無理だ。俺はまだ“フェナリがワハを攻めた”ことすら知らなかった。

しかも、最悪なのは――

お前たちがそれを守り切ったことだ」


「どうしてそんな言い方するの!」


シーリンが怒った。


「俺たちは、つい最近フェナリと和平協定を結んだ。

条件は一つ。

あいつのところから逃げた連中を匿わないこと。

それさえ守れば、手出しはしないと約束した」


「そんな……」


俺は髪を拭きながら、鼻で笑うように口を挟んだ。


「フェナリがワハを攻めたって分かってるならさ。周囲の小さな村を全部片付けたあと、

イェスィルだけ残すと思うか?」


俺の体から落ちた水滴が、ボールちゃんに落ちる。

一滴、また一滴。

砂に染み込むように吸われ、体質が少し変わっていく。

砂が泥に変わるような、妙な変化。


アンレイシは拳を握りしめ、黙り込んだ。


「分かった。一晩泊めてくれたことには感謝する。明日の朝、私たちはクレントラシュへ向かう」


シーリンの声は丁寧なのに冷たい。


「クレントラシュ……」


アンレイシの顔が、恐怖と苦痛で歪んだ。


「……そこは、避けてくれ」

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