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水門のガーディアン——Water Gate Guardian——  作者: 上部乱


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第34話 フェナリ現る


盗賊団による第一波の猛攻は正午過ぎに瓦解したが、戦闘後のワハーに歓喜の声が上がることはなかった。


舞い上がった黄砂がゆっくりと降り積もっしていく中、辺りにはいまだに血の臭いと金属が焼けたような淡い異臭が漂っている。


死線を越えて戻ってきた俺たちは、誰もが魂を抜かれたかのように重い足取りで村の境界を彷徨っていた。


顔に流れる汗が幾筋もの溝を作り、そこに細かい砂礫が入り込んで肌をチクチクと突き刺す。


ベイの正規軍は極めて高い軍紀を保っていた。

疲労困憊でありながらも小隊編成を維持し、秩序立って食料と飲料水を分配している。


俺は村の入り口にある土の塊の上に腰を下ろした。両手が微かに震えている。

長時間シャムシールを握り続けたことによる筋肉の痙攣だ。


ボールはすでに丸い形態に戻り、俺の足元で静かに丸まっていた。コアで点滅していた赤色の戦闘ランプは消え、代わりに平穏な待機状態の微光が灯っている。


「水を飲んで。唇がガサガサよ」

 後ろからシーリンの声が聞こえた。


彼女は負傷した兵士たちの間を縫うようにして歩み寄り、水袋と清潔な布に包まれたナツメヤシの果実を差し出してくれた。


彼女の顔も土埃に汚れ、服の裾は所々破れている。先ほど防御物資の運搬を手伝っていた時に付いた傷跡だろう。


俺は水袋を受け取り、大きく一口煽った。ぬるい水が喉を通り抜けるのを感じ、ようやく自分が生き返ったような心地がした。


「賊を追い払ったんだ、景気よく祝おうじゃないか」


近くに座っていた村人の一人が、不思議そうにこちらを見て言った。

その瞳には、九死に一生を得た者の根拠のない幸運感が浮かんでいる。


「まだ開けていない酒が数樽あるんだ。みんなリラックスすべきだよ」


俺はシーリンがくれたデーツを噛み締めた。

濃厚な甘みが口の中に広がるが、胸の内の焦燥感を拭い去ることはできない。俺は食べ物を無理やり飲み込み、手の残渣を払った。


「まだ終わっていない」

俺は顔を上げ、いまだに落ち着きのない黄砂の地平線を見つめた。


「さっきの二千人は前座にすぎない。

昨夜偵察した際、奴らには第二のキャンプがあることが分かった。そこには俺の知らない何かがまだ潜んでいる。

今のうちに腹を満たして休んでくれ。次の攻撃を耐え抜くための体力が必要だ」


俺の言葉に、周囲の緩みかけていた空気が一瞬で凍りついた。


村人たちの顔に失望の色が走り、それがすぐさま深い恐怖へと変わる。


俺がガーディアンであり、彼らを守る役目を負っていることを彼らは知っている。

そんな俺が、こんな場面で冗談を言うはずがないのだ。


シーリンは静かに俺の隣に座り、そっと俺の手の甲に自分の手を重ねた。

彼女の体温が、この冷えゆく夕暮れ時における唯一の救いだった。


「あなたも休んで」

彼女は囁くように言った。

「目が血走っているわ」


俺は頷いたが、その視線が遠くの景色から外れることはなかった。


夜が訪れた。

今夜は月明かりのない朔月だ。

砂漠の夜は本来、満天の星々に彩られるはずだが、今夜のワハーの上空は、巨大な鉄鍋を被せられたかのように暗い。

星一つ見えず、一筋の星光すら届かない。


風は強く、天高くにある雲は狂ったようにのたうち回っている。まるで絡まり合った巨大な黒蛇の群れのようだ。


村全体が死のような静寂に包まれ、土壁や拒馬を通り抜ける風の低い鳴き声だけが響いている。


「おかしいな」

隣に立つクルユウドが、常に剣の柄に手をかけたまま言った。

「斥候が戻ってくる時間をとっくに過ぎている」


心臓が締め付けられる。

斥候が捕らえられて殺されたか、さもなくば敵が何か人知を超えた方法で移動してきているかだ。


その時、風に乗って冷ややかな気配が俺たちの顔を撫でた。


骨の髄まで凍りつくような、腐敗の臭いを孕んだ陰湿な冷気だ。


遠方の砂漠の大地に、いつの間にか紫色の光を放つ霧が立ち込め始めていた。


霧は重苦しく大地を這い、紫色の微光は暗夜の中で揺らめいている。

まるで燃え盛る燐火の群れだ。


「来たか……」

俺は低く呟いた。

「間違いなく、フェナリだ」


紫色の霧の向こうから、漆黒の軍勢がじわじわとその姿を現し始めた。

鬨の声も、整然とした足音もない。兵器がぶつかり合う音さえ微かだ。


奴らはただ一歩、また一歩と、音もなく村へと進撃してくる。


「構え! 放てッ!」

クルユウドは躊躇わなかった。防衛線にベイの兵士たちを配置し、号令を下す。


千を超える矢が火を灯して闇を切り裂き、密集した火の網となって、緩慢に動く紫色の軍勢へと降り注いだ。


俺たちは土壁の上からその様子を観察していた。


矢の雨は正確に敵陣を捉え、火光が倒れゆく無数の影を照らし出す。


通常の軍隊であれば、これほど濃密な遠距離攻撃を受ければ、突撃の勢いは削がれ、混乱が生じるはずだ。


だが、目の前の光景に俺たちは息を呑んだ。


確かに矢を受けて倒れる兵士はいる。

だが、後続の者たちは一瞥もくれず、同胞の死体を踏みつけて前進を続けていた。


恐怖の感情が微塵も感じられない。

動きは硬く緩慢で、まるでプログラムされた仕掛け人形のようだ。


「放て! 撃ち続けろ!」

クルユウドが怒号を上げる。


さらに多くの敵が倒れ、戦場の最前線には死体の山が築かれた。

しかし、どういうわけか軍勢の数は減っているようには見えない。


紫の霧が近づくにつれ、重苦しい圧迫感だけが増していく。


やがて、その不気味な兵士たちが肉眼ではっきりと見える距離まで近づいてきた。


薄紫色の魔光が、膜のように兵士たちの全身を覆っている。


その光に照らされて、俺はようやく彼らの「顔」を拝むことができた。


それは、戦士が持つべき顔ではなかった。


彼らはひどく……無気力に見えた。

いや、そんな言葉では生ぬるい。


フェナリの兵士たちの顔には一切の表情がなく、筋肉は弛緩し、瞳は空洞のように虚ろだ。


口を開け、目を見開いたまま、全身の力を抜いてふらふらと歩いている。

その四肢は不自然な方向に折れ曲がり、まるで肉体を支える骨格がすでに砕けているかのようだ。


さらに吐き気を催すのは、彼らの顔や体が液体で濡れそぼっていることだ。


涙、唾液が混じり合った汚物、さらには鼻や目から流れるどす黒い鼻血や血涙。


胸に三、四本の矢が突き刺さり、歩くたびに羽が揺れているというのに、当の本人は痛みを感じていないかのように足を引きずり、進軍を止めていない。


一見すればアンデッドのようだが、この数日間で嫌というほど死者を見てきた俺には分かる。

彼らからは、微かではあるが、混濁した苦痛に満ちた「生者」の気配が漂っているのだ。


これは死霊術ではない。

「あの兵士たち、普通じゃねえぞ……」

サハギンの偉大なる戦士、グルルが困惑したように唸った。


彼は巨大な戦槌を握り締め、不安からかエラ蓋を激しく動かしている。


「勇敢さなんて微塵も感じねえ。なのに、なんで矢を食らっても止まらねえんだ?」

敵軍が防衛線へと突入すると同時に、その不気味な違和感は頂点に達した。


ついに両軍の最前線が激突した。


俺たちの側からは地を揺るがすような怒号が上がり、ベイの兵士たちが叫びながら斬りかかる。

盾が肉体を叩く鈍い音が至る所で響いた。


しかし、戦場のもう半分は、不気味なほどに静まり返っていた。


フェナリの兵士たちの戦い方は稚拙で、技術と呼べるものは皆無に等しかった。


動きは鈍く、寝起きか酔っ払いのようだ。

精鋭揃いの正規軍を相手にすれば、一方的に蹂躙されて終わるはずの相手だ。


だが、実際には防衛側の方が崩壊し始めていた。


この軍勢は、負傷を全く恐れていないのだ。


ベイの兵士が放った剣が敵の腹部を貫く。

だが、刺された男は麻木した表情を崩さず、眉一つ動かさない。

そのまま剣を肉体ごと押し通して前進し、手にした錆びた鉈を兵士の肩へと叩きつけた。


 戦吼と怒りの咆哮は俺たちの側からしか聞こえず、苦悶の悲鳴もまた……俺たちの側からしか上がらなかった。


「傷を負わせれば止まると思うな!」

クルユウドが表情のない首を撥ね飛ばし、周囲へ警告を飛ばす。

「手足を断つか、首を落とせッ! 心臓を貫かれても数歩は向かってくるぞ! 腕を落とせば、刀を振ることはできん!」


俺は防衛線から飛び降り、手にしたシャムシールを横一文字に振るった。

肉を断つ感触が鮮明に伝わり、熱い返り血が顔に飛ぶ。鼻を突く生臭い鉄の臭いだ。


この感触が物語っている。

こいつらは死人じゃない。


自我を奪われ、肉の塊と化した生きた人間だ。


死霊ではないのなら、その数は確実に減っていくはずだ。


俺は一抹の希望を抱き、目の前の霧を切り裂きながら戦場の中央を見やった。


確かに敵の数は減り、地面には死体の山が築かれている。


しかし、そこで異様な光景が目に入った。

地に伏した死者たち——敵兵だけでなく、不幸にも命を落とした味方の兵士たちからも、その肉体から淡い紫色の微光が漏れ始めていた。


その光はまるで巨大な磁石に吸い寄せられるかのように、死体から強引に引き抜かれ、一箇所に集まって敵陣の最深部へと流れ込んでいく。


俺はその光の行き先を追った。

黒い砂漠の奥深く、無数の硬直した兵士たちの背後に、純白のローブを纏った一人の青年がいた。


彼は静かに佇み、両手を僅かに広げていた。

まるで陽光を浴びるかのように、うっとりとした表情で死者から抽出された紫の光華を受け止めている。


その妖しい光に照らされた彼の顔は極めて端正で、現実味がないほどに美しい。


だがその美貌の裏には、背筋が凍るような邪悪な気配が渦巻いていた。


彼は周囲の凄惨な殺し合いを歯牙にもかけず、足元の血の海にも無関心だった。


ただそこに立ち、死の森の中で花の開花を待つ庭師のように。


この男が——間違いなくフェナリだ。


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