↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
31/52

だれかが、いた

朝になっても、ユアンの肩は腫れていた。


 ネリが夜のあいだ、何度も光を当てた。切れた傷はふさがったが、骨の奥の痛みは、光では引かなかった。ユアンは左の腕を、肩の高さまでしか上げられなかった。


 「剣は、振れる」ユアンは言った。「上からは無理だ。けど、横からなら」


 「無理、しないで」リディアは言った。


 「無理はするさ」ユアンは、腫れた肩をゆっくりまわした。顔をしかめて、それでも笑った。「十秒、稼ぐって言ったろ」


 ガルドが、掘り場の縁に腰を下ろしていた。ゆうべ折った枝の残りを、火にくべていた。


 「稼ぐ場所は、足もとじゃねえ」ガルドは言った。「ゆうべ言ったな」


 「あいつの、腹」リディアは言った。


 リディアは、地面にしゃがんだ。土に指で、大きな円を描いた。グレイヴのかたち。その真ん中に、点を一つ打った。


 「ここに、行く」リディアは言った。「いちばん奥。最後の日が、いっぱいある、あそこ」


 テオが、しゃがんで円をのぞきこんだ。


 「行ったら」テオは言った。「戻れる?」


 リディアは、すぐには答えられなかった。


 ゆうべは、広がっただけで、ばらばらになりかけた。人の最後の日が何枚も体を通り抜けて、自分のかたちがどこからどこまでか、わからなくなった。あそこへ、もっと奥へ、自分から入っていく。戻れる、とは言えなかった。


 「わからない」リディアは言った。「でも、行かないと、届かない」


 テオは、それ以上聞かなかった。かわりに、高い石を見上げた。


 「役を、決めなおす」テオは言った。淡々と。「ユアンは、リディアが奥に届いて、戻ってくるまでを稼ぐ。足もとの的じゃない。長い」


 「長くていい」ユアンは言った。「そのために来た」


 「ネリは、ユアンを見る。前しか見ないやつだから。傷を、本人が気づく前に」


 「うん」ネリの手は、もう握られていた。「見てる。ちゃんと」


 「僕は、上から数える。リディアがどこまで行ったか。──姿が消えても。声が届かなくても」テオは、いつもの調子で言った。「どこまで行ったかは、忘れない」


 「わたしは」ネリが言った。声が、細かった。「リディアちゃんが、見えなくなるんだよね。薄くなって。どこにいるか、わからなくなって」


 「うん」リディアは言った。


 「そのとき」ネリは、握った手を、もっと握った。「わたしが、呼ぶ。ここだよって。手を、こっちに出して、待ってる。……それで、合ってる?」


 「合ってる」テオが言った。「戻る道は、声だ。きみの声が、いちばん近い」


 ネリは、こわい顔のまま、うなずいた。「じゃあ、離さない。手も、声も」


 リディアは、円の真ん中の点を、指で押さえた。


 「わたしは、あそこに、火を置く」リディアは言った。「消す火じゃない」


 ガルドが、火から目を上げた。


 「消す火じゃ、ねえのか」


 「消したら」リディアは言った。「あの村が、ぜんぶ、なくなる。グレイヴの抱えてる村が」


 言いながら、少しずつ、わかってきた。


 「消すんじゃなくて。……いる、ってわかる、火。くらいところに、一つ」


 ガルドは、しばらく枝を折る手を止めていた。それから、火に一本くべた。


 「わかった」ガルドは言った。「行ってこい。糸の端は、そいつが持ってる」


 テオが、うなずいた。


     *


 坑道の口の奥で、重いものが、動いた。


 四人が近づくと、それは、ゆうべとおなじように出てきた。背を丸め、黒い槍を引きずって。近づくだけで、空気が重くなる。リディアの薄さが、奥へ引かれた。


 グレイヴの、底のない目が、四人を見た。それから、リディアの胸の石で止まった。


 「また来たか」グレイヴは言った。「懲りねえな。閉じる側は」


 「来た」リディアは言った。


 「きょうも、外さねえのか」


 「外さない」


 グレイヴの腹のあたりが、ぐらりと揺れた。ゆうべとおなじ、においが来る。焼けた木。崩れた土。途中で途切れた煙。


 けれど、きょうは、逃げなかった。


 「ユアン」リディアは言った。


 「おう」


 ユアンが、前に出た。腫れた肩をかばって、剣を横に構えた。グレイヴの一歩めを、刃の腹で受け流す。受けきれずに、後ろへ滑る。それでも、足は止めた。


 「行け」ユアンは、振り返らずに言った。「十でも、二十でも、稼ぐ」


 リディアは、広がった。


     *


 薄くなって、空気にまじる。ゆうべは、ここで戻ろうとした。きょうは、戻らなかった。


 流れこんでくる最後の日に、逆らわなかった。


 焼けた村。崩れた砦。倒れた者の、いちばん終わりの声。それが、いっぺんに来る。ゆうべは、これに押されてばらばらになった。きょうは、押されるまま、その流れの上流へ、自分から昇っていった。


 においが濃くなる。人の声が近くなる。子どもを呼ぶ声。返事のない声。


 一枚、また一枚と、通り抜けていく。逃げ遅れた足。閉じていく門。土をかく指。どれも、よその誰かの、生きていた最後の日だった。上へ昇るほど、日は古くなり、重くなった。


 ばらばらになりそうだった。指の先が、煙にとけていく。


 外せば、と、いつかの声がした。外せば、こんな奥まで来なくていい。指を向けて、消して、と思うだけで。


 けれど、リディアは、もう鎖に手をやらなかった。


 外したら、この村が消える。いま昇ってきた、この最後の日が、まるごと消える。それは、間に合うことでも、勝つことでもなかった。ただ、なかったことにするだけだった。


 昇りつづけた。


 「まだ行ける」テオの声が、遠くから降ってきた。「もっと奥。いちばん、上まで」


 声をたぐった。ゆうべ、稽古でおぼえたやり方だった。どこまでが土で、どこからが自分か、わからなくなったら、テオの声を糸にして戻る。きょうは、戻るのでなく、その糸をたどって、もっと奥へ昇った。


 いちばん上に、一枚の最後の日があった。


 いちばん古くて、いちばん重い日だった。線を引かれて、中に人がいたまま閉じられた、はじめの村。焼ける前の、まだ人のいた村のにおいがした。煮炊きの煙。干した草。だれかの笑い声。


 その村に、ひとりだけ、逃げた子どもがいた。


 小さな背中が、燃える村を振り返らずに、走っていた。振り返ったら、動けなくなるのを、知っているみたいに。


 その子が、まだ、そこにいた。ずっと、走っていた。たったひとりで、ずいぶん長いあいだ。


     *


 リディアは、その小さな背中の、すぐそばに、火を置いた。


 消す火ではなかった。蝋燭ひとつぶんの、弱い明かりだった。燃やしもしない。焼きもしない。ただ、くらいところに、一つ、ともった。


 だれかが、いた。


 その明かりは、そう言っているだけの火だった。焼けた村に、崩れた砦に、返事のない声に。あなたは、なかったことじゃない。ここに、いた。


 流れが、止まった。


 いっぺんに来ていた最後の日が、明かりのまわりで、ふっと、しずまった。ちぎれそうになっていた記憶が、一枚ずつ、置き場所に戻るように、静かになった。


 グレイヴの、大きな体が、止まった。


     *


 「テオ」リディアの声が、薄いまま、外へ届いた。「いま」


 グレイヴの腹の流れが止まったあいだ、グレイヴは、ひとつのことしか、できなかった。


 十のあいだに、十のことをしていた相手が、いまは、一つ。


 「右」テオが、上から数えた。「グレイヴ、右手だけ。槍を上げる。ユアン、左があく」


 ユアンが、左へ踏みこんだ。腫れた肩では、上からは打てない。だから、下から、すくいあげるように、剣をグレイヴの膝の裏へ入れた。


 大きな体が、片膝をついた。


 「ネリ」テオが言った。


 ネリが、走った。けれど、きょうは、ユアンの傷にではなかった。リディアのいた場所へ。薄くなって、どこにいるかわからなくなったリディアの、その空気のあたりへ、両手を差し出した。


 「こっち」ネリが、ふるえる声で言った。「もう、戻ってきて。ここにいるよ。手、ここ」


 リディアは、明かりをいちばん上の最後の日に残したまま、その声のほうへ、体を集めはじめた。


 流れが止まっているのは、長くはもたない。明かりは、蝋燭ひとつぶん。じきに、また、最後の日が動きだす。


 でも、それだけあれば、足りた。


     *


 グレイヴは、片膝をついたまま、動かなかった。


 腹のなかの明かりを、見ているようだった。底のない目が、はじめて、四人でも、リディアの石でもない、どこか遠いところを見ていた。


 「──だれが」グレイヴは言った。低い声だった。「だれが、ともした」


 リディアは、ネリの手のなかで、半分だけ体を集めながら、答えた。


 「わたし」


 「消さなかった」


 「消せなかった」リディアは言った。「あの子が、まだ、いたから」


 グレイヴは、長いあいだ、黙っていた。腹の明かりは、まだ、ともっていた。


 やがて、片膝を立てて、体を起こした。槍を引きずって、坑道の口へ、一歩、下がった。


 「奪われた者に」グレイヴは言った。「行儀よく待て、と言うな」


 「言わない」リディアは言った。


 「お前は、閉じる側だ。胸に、蓋をつけている」


 「うん」


 「なのに、腹に、火を置いた」グレイヴは、また一歩下がった。「閉じる側の火じゃ、なかった」


 リディアは、なにも言わなかった。自分でも、どちら側の火なのか、わからなかった。閉じる側にも、あの村の側にも、立てなかった。ただ、あの子が、まだそこにいたから、明かりを置いた。それだけだった。


 「お前は、いつか、扉の前に立つ」グレイヴは、暗がりへ、退きながら言った。「閉じるのでも、破るのでもない立ち方を、探すつもりか。──そんなものは、ない」


 「まだ、ない」リディアは言った。「けど、探す」


 「探して、見つからなかったら」グレイヴは言った。


 「それでも」リディアは、ネリの手のなかで言った。「あの子が、走ってたこと、忘れない」


 グレイヴの、退く足が、ほんの少し、止まった。


 「──あの子は」グレイヴは、低く言った。「もう、走らなくていい村を、探してただけだ」


 「うん」リディアは言った。


 グレイヴの底のない目が、リディアを、もう一度だけ見た。


 それから、坑道の暗がりに、体を沈めていった。倒れたのではなかった。逃げたのでもなかった。押し返されて、退いた。きょうは、四人の四つが、グレイヴの一つに、届いた。


     *


 夜になった。


 四人は、ちいさな火を囲んで座っていた。勝った、はずだった。グレイヴを、坑道の奥へ退けた。外さずに。石の力でなく、稽古でおぼえた技と、四人の手で。


 なのに、胸の奥は、重かった。


 ユアンの肩は、まだ腫れていた。勝っても、腫れは引かなかった。ネリが何度光を当てても、骨の痛みは、時間しか治せなかった。


 「腹の火は」リディアは、ガルドに聞いた。「もう、消えた?」


 「消えたろうな」ガルドは、火を見たまま言った。「蝋燭一本だ。あいつの腹には、村がいくつもある。ひとつに明かりが点いても、ほかは、まだ暗ぇ」


 「じゃあ、グレイヴの怒りは」


 「消えねえ」ガルドは言った。「村は、戻らねえからな。お前が消さなかったってことは、村が、まだそこにあるってことだ。──怒りも、いっしょに」


 リディアは、うなずいた。


 消していたら、村ごとなくなって、グレイヴは、たぶん、二度と来ない。消さなかったから、村は残った。怒りも残った。グレイヴは、また来る。


 倒しきらないほうを、選んだ。だから、終わらなかった。リディアは、それでよかったのか、まだ、わからなかった。


 「でも」テオが、火の向こうで言った。「グレイヴ、最後、こっちを見て、下がった。ゆうべは、『見せに来ただけだ』って、自分から帰った。きょうは、ちがう」テオは、指で、ひとつ数えた。「押されて、下がった。それは、覚えとく」


 ユアンが、腫れた肩を押さえて、笑った。


 「十秒」ユアンは言った。「きょうは、稼げた」


 リディアも、少しだけ、笑った。


 そのとき、坑道の口の、ずっと奥のほうから、風が来た。


 ゆうべの、怒りのような冷たい風ではなかった。もっと遠い、もっと大きなところから来る風だった。土のにおいがした。地の底の、いちばん下の土のにおい。リディアが、地の底の最深房で嗅いだ、あのにおい。


 ガルドが、火から顔を上げた。掘り場の土に、耳を当てた。しばらく、動かなかった。


 「──踏んでる」ガルドは、低く言った。「地の底を。重いのが、いくつも。グレイヴどころじゃねえ。もっと大きいのが、動きはじめた」


 リディアは、胸の石に、手を当てた。


 石は、冷たかった。ただ、冷たかった。鐘と呼び合うときの、あの脈は、なかった。これは、鐘とはちがうものだった。名前も知らない、もっと下の、もっと大きなものが、地の底の底で、こちらへ足を向けていた。


 グレイヴを、退けたばかりだった。


 なのに、その足音は、グレイヴよりも、ずっと重かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。