↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/52

弱い火を、散らす

穴は、埋まらなかった。


 朝のうちに、探索者たちが土を運んで戻した。何度も戻した。けれど夜のあいだに、土はまた少し沈んでいた。詰めたぶんが向こうへ吸われていくようだった。


 「言ったろ」


 添え木をした足を引きずって、ロウが坑道の口に座っていた。掘りには出られない。それでも、見にだけは来ていた。


 「向こうとつながった穴は、埋まらん。土が足りなくなるんじゃない。向こうが、こっちの土をほしがるんだ」


 リディアは土を入れた籠を運んだ。きのうまでの自分のぶんと、ロウのぶん。二つ。肩がすぐに痛くなった。それでも運んだ。


 穴のそばを通るたび、乾いた風がほおに当たった。坑道のいちばん奥、決まった線より掘りすぎたところに、その口は開いていた。塞ごうとして塞げない、暗い口だった。昼は、ただの裂け目に見えた。


 夜になると、ちがう、とロウは言った。


 「夜は、あすこから、名なしが来る」


     *


 昼の飯のあと、ガルドはリディアを坑道の奥へ連れていった。


 穴の手前に、二人で立った。ガルドはその口をしばらく見ていた。それから足もとの石を三つ拾った。


 「きのうの続きだ」


 ひとつを暗がりへほうった。かちん、と鳴った。リディアは落ちる場所にさきに火を置いた。火は石のすこし手前を照らした。当たらなかったが、近かった。


 「置けるようになったな」ガルドは言った。ほめてはいなかった。「一点なら」


 残りの二つを、ガルドは左右へいっぺんに投げた。


 リディアは右へ火を置いた。左の石は暗がりにひとりで落ちた。火の届かないところで、かちん、と鳴った。


 「左は、どうした」


 「……間に合いませんでした」


 「ひとつしか置けねえからだ」ガルドは言った。「お前、ゆうべ自分で気づいたろ。一点で待ってちゃ、ほかのぜんぶを見のがすって。坑道で岩が落ちた場所も、待ってた場所のとなりだった」


 リディアはうなずいた。テオに言われるより先に、自分で気づいたことだった。ひとつの火では足りなかった。


 ガルドは暗がりの奥を顎で示した。穴の、開いた口を。


 「あすこから夜、来る。どこから来るかは向こうが決める。お前は選べん。一点で待ってちゃ、外したときもう間に合わん」


 「だったら」リディアは言った。「どうすれば」


 「火を、散らせ」


 ガルドは手のひらを暗がりいちめんに広げてみせた。


 「強い一発を一か所に置くんじゃない。弱い火をいくつも、広く置く。来る場所をさきに読まなくていい。どの火が揺れるか。それでわかる。火は当てる道具じゃない。どこに来たかを教える目だ」


 目。リディアはその言葉を口のなかで繰り返した。


 火を、目にする。当てるためでなく、感じるために。


 「やってみろ」


 リディアは手のひらに火をつくった。いつもの、ひとつの火。それを散らそうとした。


 いくつにも分けようとした。


 火は散らばった。けれど、ひとつひとつが弱すぎた。生まれたそばから消えていった。手のひらを離れる前に、ほとんどがただの煙になった。三つ、暗がりに置けた。けれど、どれも息で消えるほど小さかった。これでは石が当たっても、揺れもしないだろう。


 「弱い」ガルドは言った。


 「散らすと、ひとつが弱くなって」


 「だろうな」ガルドは言った。「だが、強くまとめようとするな。お前は、まとめるのがいちばん苦手だ」


 リディアは顔を上げた。


 まとめるのが苦手。学校でも聖域でも、何度もそう言われた。魔法がまとまらない。散る。狙ったところへ行かない。直さなければならない欠点だと、ずっと思ってきた。


 「まとまらないのは」リディアは言った。「だめなこと、じゃないんですか」


 ガルドは鼻を鳴らした。


 「まとめたいやつは、まとめりゃいい。それが向いてるやつはな。お前はちがう。お前の力は、もともと広がりたがってる。押さえこんで一点に集めて、それで遅いんだ。広げるほうへ、手伝ってやれ。逆らうな」


     *


 その日、リディアは何度も散らした。


 働く合間に籠を置いて、暗がりへ火を投げた。広く、広く。けれど広げるほど、ひとつひとつは弱くなった。弱い火はすぐ消えた。強くしようとすると、まとまって、また一点に戻った。


 いちばん困ったのは、火が自分の思ったところへ行かないことだった。


 散らそうとすると、手もとがぶれた。火が横へそれた。一度は、すぐ後ろにいたテオのほうへ火の粉が飛んだ。テオは黙ってよけた。けれど、リディアの背すじが冷えた。


 ずっと前のことを思い出した。地下の訓練場。狙いの乱れた火球が味方の足もとに落ちた。ユアンが体勢を崩した。あのときの、焦げた匂い。


 散らすというのは、狙わないということでもあった。狙わなければ、火はどこへでも行く。弱い火でも、いくつもいっぺんに乱れれば、誰かのほうへ向く。


 散らすほど、危うかった。


 「テオ」リディアは火を消した。「離れてて。あっちで見てて」


 テオは、すこし考えてから、坑道の口のほうへ下がった。


 「君は」テオは言った。下がりながら。「自分のほうに来るのを、いちばんこわがるね」


 リディアは答えなかった。図星だった。ばらまいた火が、誰かへ向く。その誰かのなかに、自分も入っていた。


     *


 その夜、月はなかった。


 雲が出ていた。境に近い土地の暗がりは、王都の夜より、ずっと濃かった。


 探索者たちは穴のことを知っていたから、坑道には近づかなかった。けれどその夜は、ひとり、忘れ物を取りに奥へ入った男がいた。ヤン、という名の若い掘り手だった。昼に、リディアへ椀をよそってくれた手の持ち主だった。


 リディアは小屋の裏で、火を散らす稽古をしていた。


 乾いた風が、坑道の口から流れてきた。


 あの匂いだった。地の底ですぐ耳もとまで来た、あの乾いた気配。名前をほしがる気配。それが穴をくぐって、外へ出てきていた。


 どこから来るか、わからなかった。


 暗くて、見えなかった。テオは小屋のなかにいた。ここには、来る場所を読んでくれる耳がない。乾いた気配は、坑道のほうからとも崩れた石壁のほうからともつかなかった。あちこちでいっぺんに、かさ、と鳴った気がした。一点では、待てなかった。


 散らせ。


 ガルドの声が、頭のなかでした。


 リディアは手のひらの火を散らした。広く。空き地のいちめんに。弱くていい。消えてもいい。たくさん。来る場所を読まなくていい。どの火が揺れるか。それだけ見ればいい。


 火は散った。十、二十。ほとんどが生まれてすぐ消えた。けれど、いくつかは暗がりに残った。ちいさく、頼りなく。


 リディアは息を止めて待った。


 ひとつの火が、揺れた。


 坑道の口の、すぐ右。そこの火が、吸われるように横に流れた。


 来た。そこに、いる。


 わかった。読んだのではなかった。見たのでもなかった。火が教えてくれた。ひとつの目では見えなかったものが、いくつもの目を広く置いたから、見えた。


 「ヤンさん!」リディアは叫んだ。坑道の奥に人がいるのを思い出した。「出て! そっちに、いる!」


 けれど、声は薄かった。坑道の奥までは届かなかった。


 乾いた気配は、揺れた火をよけた。火のないところを選んで、奥へ流れた。リディアの散らした火は、まだあいだがひろすぎた。網の目があらすぎた。気配は、その目のあいだをすり抜けた。


 とっさに、リディアは火をもっと散らそうとした。あいだを埋めようとした。


 手もとが、ぶれた。


 いくつもの弱い火が、いっぺんに乱れた。ひとつが横へ大きくそれた。坑道の口のほうへ。そこには、テオがいつのまにか出てきていた。


 火が、テオの手の甲をかすめた。


 「っ」


 テオが手を引いた。リディアはぜんぶの火を消した。暗がりが戻った。


 「テオ、ごめん、わたし」


 「大丈夫」テオは手の甲を、もう片方の手で押さえた。声は、いつもどおり淡々としていた。「すこし焼けただけ」


 大丈夫では、なかった。リディアの火がテオを焼いた。守るために散らした火が、いちばん近くにいた子へ向いた。


 坑道の奥から、ヤンが出てきた。何ごともなかったように。忘れ物を手に持っていた。乾いた気配は、もう退いていた。


 けれど、翌朝にわかった。


     *


 朝、門の帳面の前で、声が上がった。


 帳面をつける男が、ひとつの行を指でなぞっていた。きのうヤンと組んでいた、年かさの探索者だった。


 「思い出せん」男は言った。「ゆうべ、いっしょに飯を食った。顔はわかる。あいつが、おれの椀に麦をよそってくれた。なのに名前がない。出てこない」


 ヤンは、すぐ横に立っていた。


 その男の顔を見ていた。何か言いたそうに口を動かして、けれど、何も言わなかった。自分の名前がいま、目の前の仲間のなかから消えたのを、ヤン自身はわからなかった。


 リディアは、その帳面の、罫線だけになった一行を見た。


 忘れたんじゃない。テオが小さく言った。リディアにだけ聞こえる声で。奪われたんだ。戻らない。あの乾いた気配が、火の目のあいだをすり抜けて、坑道の奥で、ヤンの名前をひとつもぎ取っていた。


 間に合わなかった。火は来た場所を教えた。けれど、奪う手を止められなかった。網の目があらすぎた。声は薄すぎた。


 来た場所は、わかった。それでも、奪われるのは止められなかった。きのう、岩の落ちる場所を読めたのに、ロウの足を守れなかったのと、おなじだった。読むことと、間に合うことは、ちがった。


 ガルドが帳面のそばに来た。罫線だけの一行をひとめ見た。それから、リディアの手の甲のすり傷を見た。ゆうべ、消すのが遅れて、自分でこしらえた傷だった。


 「散らせたか」ガルドは言った。


 「火が教えてくれました。来た場所を」リディアは言った。「でも、止められなかった。あいだをすり抜けられた。それに……テオの手も、焼いた」


 「網があらいんだ」ガルドは言った。けなしては、いなかった。「目を、こまかくしろ。もっとたくさん。もっと弱く。お前の力はまとまらん。なら、まとまらんまま、いちめんに敷け。穴のないくらい、こまかくな。当てなくていい。一個も逃さず揺れを拾えるようになりゃ、それで目だ」


 「テオの手は」


 「焼いたな」ガルドは、そこはごまかさなかった。「散らす力は、味方も焼く。それもぜんぶこみで、技だ。よけられん場所に、人を立たせるな。立たせたなら、お前がよける道を空けとけ。火を散らすってのは、味方の居場所まで勘定に入れるってことだ」


 リディアはテオを見た。テオの手の甲には、細い赤い線が一本、走っていた。


     *


 その夜も、リディアは空き地に出た。


 テオが、焼けていないほうの手に布を巻きながら、ついてきた。


 「離れてて」リディアは言った。


 「いや」テオは、すこし離れたところに座った。「見てる。どっちにそれるか、僕が言う。よける」


 リディアは火を散らした。きのうより、たくさん。きのうより、弱く。手のひらから、いちめんに。十、二十、三十。ほとんどが消えた。けれど、消えたあとも散らしつづけた。消えるそばから、また置いた。穴のないように。あいだのないように。


 石を暗がりへ投げた。火のあいだに落ちた。


 ひとつの火が、揺れた。


 もうひとつ投げた。べつの火が、揺れた。


 二つとも、わかった。どこに落ちたか。読まなくても、わかった。火が目になっていた。いちめんの、ちいさな目が。


 できた、と思った。それから、すぐに、まだだ、と思い直した。石はわかる。石は火をよけない。けれど、あの乾いた気配はよける。火のないところを選んで通る。石を拾えても、奪う手は拾えなかった。


 なぜだろう、と思った。


 火は、石の落ちた場所で揺れる。けれど、乾いた気配は、火のあいだを、火に触れずに通る。火に映らないのだ。


 火で見えないなら。


 リディアは目を閉じた。


 火を散らすのとおなじように、自分を散らしてみた。気配を。薄く。広く。空き地のいちめんに。火の届かない、火に映らないものを、自分の薄さで感じ取れないか。


 地の底でためしたことだった。あのときは、何も起きなかった。ひとりでは、何も起きなかった。


 いまも、すぐには何も起きなかった。


 けれど、ほんの一瞬――空き地のいちめんに、自分が薄く広がった気がした。火の置けないところまで。風の通るところまで。そのとき、ひやりとした。自分の輪郭が、どこまでが自分か、わからなくなった。広がりすぎて、薄くなりすぎて、戻ってこられなくなりそうな、こわさ。


 ずっと、こわかったことだった。薄くなること。消えること。誰にも見つけてもらえなくなること。


 リディアは目を開けた。輪郭が戻った。手のなかに、石が一つ、残っていた。


 「いま、君」テオが暗がりから言った。「すこしのあいだ、ほんとにいなくなった。足音も、息も、聞こえなくなった。……あんなの、はじめてだ」


 リディアは自分の手を見た。震えていた。火を散らすより、ずっとこわかった。


 けれど、火に映らないものを感じ取れるとしたら。それは火ではなく、この薄さのほうだった。ずっと欠点だった、消えてしまう、この薄さの。


 ヤンの名前は、戻らない。テオの手には、赤い線が残った。今日も、半分だけだった。


 それでも、リディアはもう一度、目を閉じようとした。薄く広がって、そのまま、戻ってこられる場所まで。火の目では届かない、暗い口の、その奥まで。


 「もう一回」リディアは言った。「すぐ戻る。戻れなかったら、呼んで」


 テオは、しばらく黙ってから、布を巻いた手を軽く上げた。


 「呼ぶ」テオは言った。「足音が聞こえなくなったら、すぐ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。