表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

見つかってしまった

黒い鳥が、一羽、石台の上に降りた。


いつの間にいたのか、誰もわからなかった。


鳥は赤い目で、リディアを見た。


今度は、まっすぐに。


見られている。


逃げ場がないほど、まっすぐ。


鳥のくちばしが開いた。


「いた」


人の声だった。


乾いた木を折るような声。


「そこにいたのか」


黒い鳥の体が、霧のようにふくらんだ。


羽がほどける。

 影が伸びる。

 人の形になる。


黒い外套。

 白い手。

 顔のない影。


胸元には、角のある王冠の紋章があった。


歴史の授業で見たことがある。

 魔王の紋章。


「コレーの環の中に、隠れていたのか」


影が笑った。


リディアは動けなかった。


コレーの環。


知らない言葉なのに、床に落ちた黒い石のことだとわかった。


影の視線が、リディアをなめるように見る。


「大魔法使いの血。願いの核。第三の器」


言葉の意味はわからない。


でも、自分のことを言われている。


それだけはわかった。


ユアンが剣を拾い、立ち上がろうとする。


「リディアから離れろ」


影が指を動かした。


ユアンの体が壁に叩きつけられる。


「ユアン!」


リディアは叫んだ。


その声と同時に、迷宮の壁にまた魔法陣が広がった。


リディアは何も唱えていない。

 何もしていない。


ただ、ユアンを助けたいと思っただけだった。


白い光が影へ向かって走る。


影は後ろへ跳んだ。


「制御していないのに、この力」


その声に、喜びが混じっていた。


「冥王は、正しかった」


影が両手を広げる。


「器はここにあった」


リディアは首を横に振った。


「違う」


何が違うのか、自分でもわからなかった。


でも、違うと言いたかった。


私は器じゃない。

 私は、何かを入れるためのものじゃない。


そう言いたかった。


けれど声にならなかった。


黒い影が近づく。


リディアの中の力が、また勝手に膨らむ。


だめ。


そう思った。


これ以上出したら、何かが壊れる。


迷宮かもしれない。

 仲間かもしれない。

 自分かもしれない。


止まって。


止まって。


でも、止まらない。


白い魔法陣が床を埋める。

 壁を登る。

 天井まで広がる。


ネリが泣きそうな声で言った。


「リディアちゃん、怖いよ」


その声で、リディアははっとした。


ネリが怖がっている。


自分の力を。


リディアは、初めて自分の力を怖いと思った。


その瞬間、迷宮の天井が割れた。


白い光が、外から降ってきた。


リディアの魔力とは違う。


もっと静かで、もっと強い。


空そのものが、誰かの命令に従ったような光だった。


黒い影が後ずさる。


「この魔力……」


壁が崩れた。


粉塵の向こうに、ひとりの女性が立っていた。


灰色の髪を後ろで束ねた、細い人。

 古い外套。

 薬草の匂いがする手。


朝、リディアにパンを持たせてくれた人。

 寝ぐせを直しながら、忘れ物はないかと聞いてくれた人。


母だった。


「リディア」


母は、迷わずリディアを見た。


いつものように。

 世界中がリディアを見失っても、母だけは最初からそこにいると知っていたみたいに。


けれど次の瞬間、母の目が床に落ちた黒い石を見つけた。


母の顔から、血の気が引いた。


「誰が外したの」


声が震えていた。


リディアは答えようとした。


でも喉が動かなかった。


母は、すぐにリディアの前へ立った。


黒い影が笑う。


「久しいな、白暁の魔女」


ユアンが壁にもたれたまま、目を見開く。


「白暁の……」


影は続けた。


「勇者一行の大魔法使い、エレノア・アークライト」


リディアは母の背中を見ていた。


知らない背中だった。


いつも台所でスープをかき混ぜていた母の背中。

 小さな薬屋で、乾いた薬草を瓶に詰めていた母の背中。


それが今は、迷宮の闇を押し返している。


母は杖を持っていなかった。


ただ右手を上げた。


足元に巨大な魔法陣が咲いた。


リディアの暴発した光が、嵐なら。

 母の光は、静かな湖だった。


深く、広く、底が見えない。


黒い影が言った。


「エレノア。お前たちは、まだ平和を信じているのか」


母は答えない。


影は笑った。


「しかしお前たちは平和を作ったのではない」


迷宮の空気が冷える。


「平和に見える場所と、苦しみを押し込める場所を分けただけだ」


その言葉が、石壁に染みるように響いた。


リディアには意味がわからなかった。


でも母の背中が、ほんの少しだけ揺れた。


その言葉が、母を刺したのだとわかった。


「黙りなさい」


母の声は静かだった。


魔法陣が回る。


白い光が、黒い影を包む。


悲鳴が上がった。

 人の声なのか、鳥の声なのかわからない。


黒い外套がほどける。

 赤い目が消える。

 最後に、黒い羽が一枚だけ残った。


母は最後まで目をそらさなかった。


やがて、迷宮に静けさが戻った。



母はすぐに黒い石を拾った。


切れた鎖を、指先でなぞる。


その手は震えていた。


「お母さん」


リディアはようやく声を出した。


「今の、何?」


母は答えなかった。


黒い石をリディアの胸元へ戻す。

 切れた鎖を、魔法でつなぐ。

 首飾りが、再びリディアの肌に触れた。


その瞬間。


世界が、急に遠くなった。


さっきまで大きすぎるほど見えていた魔力の流れが、壁の向こうへ消える。

 音が鈍くなる。

 体が重くなる。


そして、もっと嫌な感覚がした。


自分の輪郭が、少し削れたような感覚。


ユアンがゆっくり立ち上がった。


「おい、あの……」


彼はリディアを見た。


でも名前が出てこない。


「お前、名前……」


リディアの胸が冷たくなった。


ネリも、口元を押さえている。


「私も、今、一瞬……」


テオだけが、顔色を変えずにリディアを見ていた。


「首飾りが戻ったせいじゃない」


リディアはテオを見る。


テオは言った。


「外れた反動だ。たぶん」


ユアンが青ざめる。


「悪い。今、なんで忘れた」


リディアは笑おうとした。


いつものように。


大丈夫と言おうとした。


でも、うまく笑えなかった。


「リディアだよ」


声が震えた。


「私の名前は、リディア」


ユアンは歯を食いしばった。


「悪い」


「いいよ」


よくない。


本当は、よくなかった。


でも、そう言うしかなかった。


母はリディアを見ていた。


その目には、後悔があった。


それから母は、リディアを抱きしめた。


強く。

 苦しいくらいに。


「ごめんね」


母が言った。


「何が?」


「ごめんね、リディア」


「お母さん、これ、何なの」


母は答えなかった。


代わりに、リディアの首飾りをもう一度強く握った。


「もう外してはだめ」


「でも、勝手に切れたの」


「それでも」


母の声は、祈りに近かった。


「何があっても、外してはだめ」


リディアは、母の背中に手を回せなかった。


母が何かを知っている。

 自分に何かをつけていた。

 自分の中にある何かを、ずっと隠していた。


そう思うと、母の腕が温かいのに、少し怖かった。


床に落ちていた黒い羽が、灰になって崩れた。


その灰の中から、小さな声が聞こえた。


「一日目」


リディアの背筋が冷たくなった。


→ 次話「私抜きで決めないで」。ブックマーク・★評価で続きが届きやすくなります

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ