彼の歌
公園の芝生広場にポロンとギターの音が響く。
「では、次の曲聞いてください」
いつもと違った落ち着いた優しい声だ。
伸之の指がギターを弾き始めると、暖かい音がメロディを奏で始める。
一音一音が綺麗で、不思議と胸に響いてくる。
気づいたら目を閉じていた。
伸之がすぅっと息を吸うと、歌い始めた。
美由紀は、思わず息を飲んだ。
伸之の声が、綺麗な透明感のある声が高く美しく、時には低く響き、歌詞の情景が浮かびあがらせていく。
(嘘でしょ・・・)
いつものバイト仲間でも元カレではなく、アーティストとしての伸之がいた。
歌い終わると、聞いていたお客さんから大きな拍手が起きた。
その後も2曲ほどこっそりと聞くと、バレないように家路についた。
(伸之があんなに歌上手いなんて知らなかった)
伸之とは1年以上付き合っていたはずなのに、知らないことばかりだ。
あんなに歌が上手くて、曲も作れるなんて知らなかった。
高3のあの時、伸之が就職でもなく、大学に行くでもなく、夢を追いかけると言った時、叶うはずのない夢を追いかけるなんて愚かだと思った。
伸之の歌も気持ちも何も知ろうとせずに、全てを否定して美由紀は伸之の元を去った。
「愚かなのは私じゃない」
美由紀は自分の机の引き出しを開けた。
そこには古びた小さなノートが入っている、伸之の曲がメモされたノートだ。
そっと持ち上げて開く。
鼻歌で歌ってみる。
なんとなく右手の指がピアノを弾くように動いていく。
指が踊るように跳ねるように動くと、頭の中で音楽が流れていく。
思わず、押し入れの方まで言って、ふすまに手をかけた。
「美由紀―!早くお風呂入んなさい!」
母の声でぴたっと指が止まる。
「わかったー!」
美由紀は再びノートを閉じると、そっと引き出しにしまった。
「何?」
伸之が怪訝な顔でこちらを見ている。
「さっきからこっちをチラチラ見てんだろ?」
「いや、見てないけど?勘違いじゃないの?」
美由紀が誤魔化すように、ふんと鼻を鳴らして視線をそらした。
「じゃあ、さっさと運べよ」
伸之はそういうと、早くコーヒーを運べと顎で指示をしてくる。
仕方なく「わかったわよ」とコーヒーをおぼんへ乗せた。
(どうして素直になれないんだろう)
伸之にはどうしても素直になれなくて意地をはってしまう。
そっとポケットに触れると、あのノートの感触がある。
(返さなきゃ・・だよね)
伸之の歌は本当に素晴らしかった。
それは自分の言葉では表せないくらい感動したし、心が跳ねた。
何より伸之の歌をもっと聞きたいと思ってしまった。
実際に歌手として売れるというのは、簡単なことではないだろう。
それは、絶対そうなのだが―
もし、あの時美由紀の話を聞いて、大学へ進学したり、就職をしたら、あの音楽を聴くことは出来なかった。
楽器を弾いて、歌を歌って、輝いていた伸之もいなかったのだ。
音楽を伸之から奪うところだった。
改めてそう考えると、伸之が音楽の道を選んでくれて良かったとホッとしてしまう。
キッチンの方を見ると、真剣に伸之がフライパンを振ってオムライスを作っている。
(何なのよ)
整理できない自分の感情にモヤモヤしつつもその日のアルバイトを終えた。
普段は昼から夜までアルバイトに入っているが、今日は朝から昼までのシフトだ。
午後から眠たい大学の講義が待っている。
アルバイトをしている方がよっぽど楽しいが、単位が取れないと困るので行くしかない。
アルバイトを終えると、重たい足取りで大学へ向かうが、いつもの友人に会うと、楽しくてあっという間に時間は過ぎていく。
「ねぇ、美由紀」
「ん?」
結子はニヤニヤ笑いながら、つついてくる。
大学構内のカフェで講義終わりに一緒にコーヒーを飲んでいると、あっちと結子が指を差している。
そちらを見ると、坂東先輩が友人たちと歩いている。
坂東先輩は少し日に焼けて健康的な小麦色の肌をしている。今日は、Tシャツにジーパンというシンプルなスタイルなのに、整った顔とスタイルの良さで周りの目を引いている。
「最近、どうなの?」
「どうなのって?」
「もう!坂東先輩と付き合ったりしてないの?」
「してないけど?」
「えぇー、良い感じだと思うんだけどなぁ」
結子とは大学に入学した時からの友達で、二人で話し合ってサークルに入ったので、当然坂東先輩のことは知っている。
結子は別の大学の先輩と付き合っているので、美由紀も彼氏を作ってほしいと最近は妙に付き合うように勧めてくるのだ。
大半がそれを口実にした惚気話を聞かされるだけだが、あまりにも幸せそうで私はニコニコ頷くしかない。
「坂東先輩ってイケメンだし、性格もいいしさ。結構優良物件だと思うけどな」
確かに坂東先輩はかっこよくて周りからの信頼も厚く、モテるタイプだ。
そして私のどこを気に入ったのか、なぜか坂東先輩はよくご飯や遊びに誘ってくれる。
誘ってもらってまんざらでもない気がしていたのだが、最近はどうも気が進まない。
なんとなくポケットの上から小さな例のノートをなぞった。
ノートの角が指に触れて、ここにいるぞと存在を主張しているようだった。




