彼の最期
広いステージの上で伸之が、こちらを見て頷く。
美由紀も笑顔で応えると、「準備してくる」と急いでステージを降りた。
「どうして…」
誰もいない部屋の奥で美由紀は声を押し殺して泣いた。
初めてのステージで、久々に伸之と演奏できてこんなに嬉しいことはないはずなのに、涙が抑えられない。
こんなに頑張ってきたのにこれが最期かもしれないなんてどうしてなのか。
ポケットをぎゅっと握る。
あの日のピアノのキーホルダーが小さな音を立てた。
しばらくして落ち着いて、楽屋に入ると仁王立ちで亜由美が待っていた。
「もう!目が腫れるじゃないの!」
文句を言いながら、化粧をする亜由美の目も真っ赤だ。
いよいよ本番が近づいている。
「最高のライブにしましょうね」
津島も事情はある程度知っているはずだが、まるで知らないかのように明るい声を出した。
そうだ、どんな状況でも最高のライブを届けるだけだ。
◇◆◇
「お客さん入ってるのかな」
私が亜由美に声をかけると、亜由美はニヤッと笑った。
「ま、それはステージに上がってからのお楽しみよ」
亜由美はそれ以上は何も言わず、じゃあ頑張ってね、ひらひらと手を振って客席へ向かった。
「お客さんゼロとかないよね」
「それはナイっすよ。俺がいるんで」
「津島さんって・・・幸せな性格だよね」
「そうすっか??」
?マークを頭に浮かべる津島の向こうで、伸之はギターの練習を繰り返している。
ライブが決まってから少しは練習したものの、体調が悪い日もあって十分に練習が出来たとは言えない。
「伸之、大丈夫?」
「大丈夫に決まってんだろ」
伸之の隣に座ってじっと横顔を見てみる。
「まつ毛長いね」
「なんだよ、急に」
「見てたら思ったんだもの」
「そんなじっと見るなよ」
「ごめんって」
目を逸らして、手元の水に目をやる。
「・・・ありがとな」
「え?」
「俺がここまでこれたのも、今日ステージに立てたのも、美由紀のおかげだからさ」
「・・・急に素直で怖いんだけど」
「なんで病気になんだよって神様のこと恨んだりもしたけど、俺、今幸せだよ」
「ライブできるから?」
「それもある。でも何より夢を追いかけられて幸せなんだ、例え命がけだとしても」
「命はかけないでよ」
「夢を追いかけるってそれくらいの覚悟が必要だと俺は思う。それに逆にそれだけ必死の方が生きてるって感じられる」
「夢のために死んでもいいってこと?」
伸之は首を横に振った。
「夢があるから生きてんだよ」
伸之の横顔が、妙に大人びていて、おいていかれるような感覚になる。
「伸之、あのさ」
美由紀が話そうとしたところで、「ステージに」とスタッフの人に声をかけられた。
「美由紀、やるぞ」
伸之が立ち上がると、津島も「やりましょーう!」と大きく声を上げた。
ステージのそでに立った。
ここから出ればライブが始まる。
始まってしまえば、終わりが来てしまう。
まるで人生みたいだ。
「行くぞ」
伸之の掛け声で、私たちはステージに上がった。
大きな歓声に包まれて、私たちはステージに立った。
そこにはたくさんの人たちが待っていた。
マスターや吉田さん、喫茶店の常連さん、高校の同級生、病院の人たち―
これまで関わってきた人たちが迎えてくれていた。
端の方には雅之と叔母さん、伸之の母も立っている。
(来てくれたんだ)
雅之は笑顔でこちらに手を振っている。
(お父さん・・・!)
父と母も中央の方でこちらを見ている。
まだ始まってもいないのに涙がでそうだ。
「今日はありがとうございます!俺らの歌聞いてください!」
そう言って伸之が曲紹介をして演奏が始まる。
キーボードに手をゆっくり置いた。
(今日もお願い)
美由紀の指が軽やかに動き始めた。
伸之の歌もギターもブランクを感じさせないほど、素晴らしいものだった。
入院中なんて感じさせないほどパワフルだ。
この時間が永遠に続けばいい―
美由紀はそんな思いの中で自分の出来る最高の演奏をし続けた。
「それでは最後の曲になります」
伸之の声が響き渡った。
「この曲は俺の大事な人に向けた歌です。その人はずっと俺の背中を押してくれました。ここまで夢を追いかけることが出来たのはその人のおかげです。その人の夢も、みんなの夢もずっと続きますように、そんな思いを込めて歌います。夢の音、聞いてください」
これまで何者でもなく、親の言いなりだった自分が、こんなところに立っている。
大事な人と一緒に。
零れそうになる涙をこらえながら必死で指を動かし続けた。
どうか終わらないで―
最後に大きな拍手をもらってステージを降りた。
本当に最後の力を振り絞ったのだろう。
そこから伸之の病状は、一気に悪化した。
ライブで体力を消耗したのも良くなかったのかもしれない。
意識もない日が増え、会いに行っても隣に座って話しかけることしかできない。
そっと伸之の手を握る。
なんの反応もない。
「ねぇ、夢を追いかけなきゃさ・・・こんなことならなかった?」
伸之は何も言わず、静かに横たわったままだ。
「私が夢を追いかけさしちゃったから?」
アルバイトで再会した日
初めて一緒にライブした日
初めてステージに立った日
でも何より二人でくだらないこと話している時間が宝物だった。
「・・・そんなわけねーだろって言いなさいよ」
窓に雨が当たる音がする。
梅雨の時期に入ってよく雨が降る。
そんな6月に伸之は遠くへ行ってしまった。




