懐かしい味
「わっ!」
美由紀は必死に手を伸ばしたが、次の瞬間にはお皿が割れる大きな音が店内に響いた。
一瞬店内のお客さんの視線がこちらに来るが、すぐにまた下に戻っていく。
やってしまった…。
「すいません」
昨日の疲れが出たのか手元が狂った。
働き始めてからこんなミスは初めてだ。
片付けようと腰をかがめようとした時、「おい!何してくれるんだ!」とお客さんの怒号が響き渡った。
「すいません!」
美由紀が顔を上げると、お客さんの白いズボンに小さなシミが出来ている。
割れた時に触れてしまったのかもしれない。
慌てて新しいふきんを持ってきたが、「落ちないじゃないか」と汚れが落ちないことでより怒りを増してしまっているようだった。
しかも客はガタイがよく、金髪に鼻ピアス、どうみても普通のサラリーマンではない。
「これ、どうしてくれるんだよ!ブランドものなんだぞ!」
「すいません!」
ブランド品と聞いて、身がさらに縮む。
お客さんの怒りももっともだ。
どうしたらいいのかわからず、ひたすらに「すいません、すいません」と謝るしかない。
「べ、弁償します」
涙が出そうになるが、ここで泣いたらダメだとなんとかこらえようとするが、視界がぼんやりしてくる。
「弁償したらいいって問題じゃないんだぞ!」
「すいません・・・」
美由紀が頭を下げていると、スッと隣に誰かがやってきた。
「お客様、従業員の不手際で大変申し訳ございません」
ちらっと横をみると、伸之が隣で頭を下げている。
「クリーニング代はこちらで負担いたします」
「綺麗になればいいっていう問題じゃないだろ?誠意を見せろって言ってんだよ」
「申し訳ございません。不勉強で申し訳ないのですが、誠意とはどのように見せればよいのでしょうか」
まさかの切り返しに、客は「それは考えたらわかるだろ?!」と再度声を張り上げた。
「申し訳ございません。不勉強なもので、教えていただけますか?」
伸之は謝りながらも不敵な笑みを浮かべている。
その顔に客は一瞬怯んで、周りからの視線に気づいた。
日曜の昼時で席は満席だ。
立ち上がった客に、他のお客さんの視線が突き刺さる。
「もういい!」
「ではこれだけでも」
そう言って、伸之は適当な金額をレジから取ると客に渡した。
客は恥ずかしくなったのか、お札を数えることなく店を出ていった。
「すいませんでした!」
伸之が他の客に謝ると、キッチンに戻っていく。
◇◆◇
「次から気を付けたら大丈夫だから」
美由紀が暗い気持ちで片付けをしていると、マスターは閉店作業をしながら美由紀に声をかけてきた。
「マスターが謝りに行ってくれたらよかったんですよ」
だるそうな伸之の声がキッチンから聞こえる。
「いやいや、もうマスターは歳だからね、あんな人の相手は出来ないよ」
「俺だってただのフリーターなんですけど」
不服そうにそういうと、「洗い物終わったんで、帰ります」とキッチンから伸之が出てきた。
「迷惑かけて、本当にごめん。助けくれてありがとう」
美由紀が頭を下げると、「別に。帰るぞ」と伸之は着替えにロッカーへ向かった。
「お疲れ様です」
店を出ると、いつものように二人で駅まで歩く。
二人でいることには慣れてきたはずなのに、今日はなんだか気まずい。
ちらりと伸之の顔を見ると、少し疲れた顔をしている。
今日は忙しかった上に、自分のせいで伸之に嫌な思いをさせてしまった。
母親によく美由紀は不器用だと言われた。
その度にそんなことないと反発する気持ちがあったが、あながち母の言うことは間違っていないのかもしれない。
美由紀は小さくため息をついた。
「気にしてんのか?」
美由紀が小さく頷くと、伸之はため息をついた。
「やっちまったもんは仕方ないだろ。一応謝ったし、納得して出ていったっぽいし、大丈夫だ」
「でも、店に損害が・・・あとでバイト代とかで払った方がいいかな?」
マスターには気にしなくていいと言われたが、どれくらいあのお客に支払ったのか美由紀は気がかりでならなかった。
「いや、でもあの人3000円しか持って言ってないしな」
「え?でも万札を持ってるように見えたけど」
「一万円札を模したメモ帳」
メモの一枚をポケットから取り出してひらひらと見せてきた。
レジ横に置いてある札束に見えるメモ帳だ。
「もしかして、それを渡したの?」
「あれが俺の誠意だ。クリーニング代として3000円は渡したしな」
「怒って来るんじゃ・・・?」
「さぁ・・・でもそうなりゃ恐喝だからな。次は警察呼べばいいだろ」
呑気にいうと、伸之が欠伸をした。
「だからまぁ気にすんな」
そう言って何かをホイっと投げてきた。
なんとか受け取って、よく見てみるとチョコだ。
「チョコだ」
「・・・好きだったろ?」
「うん」
チョコを口に入れると、懐かしい思い出が胸の中で広がっていく。
(そういえば、同じようなこともあったな。あれは高2の秋・・・)
美由紀は、懐かしいチョコの味を思い出そうと、目を閉じた。




