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彼の母

美由紀みゆきは病室に入って、椅子に腰掛けた。

伸之のぶゆきは眠っているようだ。


伸之の病状は明らかに進行している。


食べる量も減り、見た目も痩せてきたように見える。

熱を出すことも多く、前まではそんな自分に怒ったりもしていたが、怒る元気もない日も多い。

それでも毎日のように音楽制作用のノートを開き、何かを書いていようだった。

少しでも休んでほしいとも思うが、真剣な眼差しに何も言えない。

ギターを弾く機会もほとんどなくなったが、伸之の頭の中には音楽がいつもあるのだ。


音楽が生きる力になっている。


だからこそライブをすれば、兄弟仲が戻るだけでなく、伸之の生きる気力につながるかもしれない。

それがもしかしたら病気を治す奇跡を起こすかもしれない。

そんな都合のいいことを考えて、でももしかしたら・・・と美由紀の気持ちは振り子のように揺れ動いた。


そんな迷いの中で、美由紀は毎日病室へ通った。

大学とアルバイトと病院を回る日々。

マスターには悪いがアルバイトの回数も減らしていた。


「支えてあげて。二人が帰ってくるのを待ってるから」


マスターはそう言って、シフトの都合も聞いてくれた。

忙しい日々の中で、キーボードに触れない日も多くなっていた。

そんな時に亜由美あゆみが病室に飛び込んできた。


「ライブ会場予約したわよ!」

大きな声で入ってきて、伸之に一枚の紙を渡した。

「前に話したライブハウスで予約したわ。ある程度はこちらの都合も聞いてくれるってさ」

伸之は震える手でチラシを見ている。


「俺、人生で初めてライブ観たのここなんだよ。それがきっかけで歌手になることに決めたんだ」


「縁があるね」

私がそういうと、伸之は大きく頷いた。


「でも、外出許可がとれるかどうか・・・練習も必要だろうし」

美由紀がそういうと、伸之はぐっと拳を握りしめた。


「・・・俺はここで歌いたい」


伸之をステージに立たせてあげたい。

でも現実は―


「私が交渉してあげるわよ」

振り返ると、伸之のおばさんが立っていた。


「叔母さん」

「主治医には私から頼んでみる。その代わり、ちゃんとご飯食べて、しっかり寝なさいよ」

叔母さんがそう言って伸之の頭を小突いた。

「わかってる」

「それなら良し。あ、ちょっと美由紀ちゃん、売店に買い物に行きたいんだけど付き合ってくれない?」

「はい、わかりました」

私は亜由美と伸之を病室において、叔母さんについていった。

亜由美とすれ違った時、亜由美の頬が赤く染まっていた。


「美由紀ちゃん、ごめんね」

「いえ、大丈夫です」

「あなたに話をしておきたかったものだから・・・」

「伸之の病状・・ですか?」

「えぇ」

叔母さんは廊下の窓際のベンチに座った。

小さくため息をついて、うつむいてぐっと手を握っている。

私は隣に座り、ぐっと拳を握った。


「やっぱり、薬が効いてなくてね・・・」

「そう・・・ですか。じゃあ薬を変えるんですか?」

叔母さんはゆっくり首を横に振った。

「どうしてあの子がこんな辛い思いをしないといけないのかしら・・・」

私は答えることが出来ず、叔母さんの涙が消えるまで静かに隣で座っていた。


病室に戻ると亜由美はもういなかった。

「亜由美は?」

「・・・帰った」

伸之はそういうと、こちらと目を合わせようとしない。

「なんかあった?」

「何もねぇよ」

「何もないって顔じゃないでしょ?」

「いいだろ、別に」

そういうと、その後は何も話してくれず、仕方なくその日は帰った。


すぐに叔母さんが動いてくれて、伸之の外出許可がでた。

そこからは亜由美がライブの告知をするチラシを作成し、私はすぐに津島に連絡を取った。


「都合はどうですか?」

「全然OK!何か予定あってもキャンセルしていくよ。その前に色々打ち合わせしたいし、病院にいくね」

津島はそういって嬉しそうに話すと、一方的に電話を切ってしまった。


「マイペースな人だな」

思わず笑みがこぼれる。


これで練習さえできれば最高のステージになるはずだ。


あとは―

美由紀は叔母さんにもらったメモ用紙を広げた。

「・・・明日行くか」


翌日美由紀は、“木下”の表札がかかっている家の前に立っていた。


「スー、ハー」


深呼吸して心を整える。

インターフォンを押すと、「ピーンポーン」と大きく響いた。

そして「どなた?」という女性の声が聞こえた。


「伸之さんの友人の平野美由紀です」

「・・・伸之ならここにいないわ」

「知ってます。今日は伸之さんのことでお話があってきたんです」

しばらく沈黙があった後、玄関のオートロックが開く音がした。

美由紀は息を整えながら、中へ入った。


伸之の母親も綺麗な人だった。

叔母さんとどことなく顔が似ている。姉妹なのだから当たり前だ。

でも、纏っている雰囲気は違う。

叔母さんは温かい優しいオーラだったが、伸之の母親はクールで真面目なオーラだ。

居間に通されソファに座った。


「お茶持ってくるから」

そう言って席を外すと、しばらくして紅茶を持ってもどってきた。


「それで、伸之の話というのは」

「今伸之さんが入院されているのはご存じでしょうか」

「えぇ、まぁ・・・妹から聞いてますけど」

知っているのにお見舞いにも来ていないのかと思うと、腹が立つがグッとこらえる。


「まだ退院は出来ないんですが、一時的に外出許可が出まして、ライブをすることになったんです」

「ライブ・・・。あの子は病気になってもそんなことを?本当にあの子は」

母親はバカにしたように吐き捨てた。


(伸之はどんな思いで音楽を続けてきたのか知らないくせに)


「伸之さんにとって音楽は・・・唯一の生きがいですから」


腹が立つ気持ちと悔しい気持ちでぐちゃぐちゃになってくる。


「それで、ライブに来いとでもおっしゃるの?」

「はい」

「そういうことなら申し訳ないですけど、行けそうにもないわ」

そう言って母親は帰れとでも言うように立ち上がった。


「最後かもしれないんです!」


自分でも驚くほどの大きな声が出た。


「あなた、母親なんでしょ!母親なら一度くらい息子の頑張る姿を見たっていいじゃない!・・・伸之さんにとって最後のライブかもしれないんです」


「そんなこと言われても・・・」


「母さん、もうやめてくれよ!」

「雅之」

居間の扉が開くと、雅之まさゆきが立っていた。


「何で弟を認めてやらない!?あいつは本当にすごい奴だよ。一人で曲作って、歌って・・・聞きに来たお客さんを笑顔にしてさ。俺なんかよりよっぽどあいつの方がすげぇんだよ!学歴とか仕事とかそんなもんに縛られて、バカじゃねぇの!」


母親は雅之の勢いに飲まれて何も言えずに立ち尽くしていた。

そんな母親を見限るように、雅之は美由紀の手を取ると家を出た。


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