一本のテープ
「寒い・・」
思わず小さな声が出た。
美奈は駅の改札前で立っていた。
「おはよ」
高校生くらいの男の子が手を挙げて、それを見た女の子が駆け寄っていく。
「おはよ」
そう言って男の子の腕にしがみついた。
仲良さそうに手をつないで歩いていく。
(いいなぁ・・・)
美奈はふと蒼汰の笑顔を浮かべた。
優しく柔和な顔立ちー
「いやいやいや」
首をブンブン振って変な考えを吹き飛ばした。
私は大翔と婚約しているのだ。
今は上手くいっているとは言えないけど、こんな事考えるなんて。
「おはようございます」
「わぁっ!」
振り返ると、蒼汰が立っていた。
「ごめんなさい、びっくりさせちゃいましたね」
「いえ、おはようございます」
二人で並んで歩く。
後ろから陽が当たって、二人の影が並んでいる。
なんだかダメだと思いつつ、胸がきゅっとなってくる。
「吉田さんの家なんですけど、ここなんで…大体歩いて15分くらいです」
スマホの地図を指差しながら、丁寧に蒼汰が教えてくれる。
私の用事なのに調べてくれる優しさがなんだか胸に沁みる。
(大翔はいつでも私に任せっぱなしだったよなぁ)
二人で歩いていると、少しポカポカしてくる。
「お母さんの弾いてた曲が聞けるといいですね」
「はい。母が人前で歌ったり、ピアノ弾いてたなんて想像できないですけど」
「どんな人だったんですか?お母さん」
「そうですね」
母はいつも笑顔で話を聞いてくれて、美味しいご飯を作ってくれた。
でも時々寂しそうな顔をすることがあった。
子供の頃、眠れなくて夜中に母が一人寂しそうに座っているのを見たことがある。
そして、何かノートを開いて涙を流し始めたのを見て、私は家が貧乏なのだと思ってショックを受けたことがある。
家計簿を見て、涙を流すようなドラマを見たことがあったので、お金がなくて泣いているように見えたのだ。
でも今思えば、あれは昔の日記を読んでいたのかもしれない。
母は自分の弱さや悲しみを顔に出さない人だった。
「強いお母さんだったんですね」
「はい。私とは全然違うタイプです」
「そうですか?」
「私なんて弱っちくて・・・」
婚約者にすら本音を言うことも出来ない臆病者だ。
夢に向かっていくことも出来なかった。
「そんなことないと思いますよ。お母さんのことを知りたいって色んな人に会いに行って、すごいことだと思いますよ?行動力があって、強い人だなって思います」
「そうですかね」
褒められるなんて久しぶりでなんだかくすぐったい。
「お母さんに似たんですね」
母に似ているなんて思ったことはないけど、素直に嬉しい。
「あ、ここだ」
色々話している内にあっという間に亜由美さんが暮らす吉田さんの家に着いた。
吉田、津島という表札が並んでいる。
インターホンを鳴らすと、高校生くらいの女の子が出てきた。
用件を話すと、「どうぞ」と家の中へ入れてくれた。
見た目からして大きなお家だが、もちろん家の中も広い。
応接室に通されてソファに腰かけた。
「母はもうすぐきますので」
どうやら亜由美の娘らしい。
部屋を見回すと、お洒落でいくつか絵画が飾ってある。
結構高いんだろうなと下世話なことを考えてしまう。
「お待たせしました」
上品なグレーのワンピースを着た女性が車いすで入ってきた。
もうすぐ50代のはずだが、30代後半と言われても頷けるような見た目をしている。
「まぁ、美由紀にそっくり」
亜由美は嬉しそうに目を細めた。
「そうですか?」
「えぇ。目元がそっくりだわ」
亜由美は、母を思い出したのかすぐに寂し気な顔になった。
「・・・美由紀、亡くなったのよね。お通夜もお葬式も行けなくてごめんなさいね」
辛そうに足を撫でた。
「この足じゃなきゃ行ったんだけど」
「いえ、弔電もいただきましたし、お気持ちだけで」
「・・・ありがとう」
亜由美は交通事故で3年前から車いすになっていた。
それをきっかけにこちらに帰ってきたそうだ。
この家は先代も足を悪くしたことがあり、バリアフリーになっていて都合がいいらしい。
「で、こちらの男性は?彼氏かしら?」
「ち、違います!」
恥ずかしさと焦りで思いっきり否定してしまった。
失礼なことしたと思ったが、蒼汰は笑顔で「僕はマスターの息子です」と言った。
「あのマスターの!?」
亜由美は驚いて目を丸くして、まじまじと蒼汰の顔を見た。
「でも確かにマスターに似てるとこもあるかも。マスターはお元気?」
「入院してますけど、何とか生きてます」
「そう。近々お見舞いに行かせてもらうわ」
「ありがとうございます。父も喜びます」
「で、今日はどうされたの?」
「母のことを色々聞きたくて来ました」
母の日記を読んで、母の過去のことが気になって調べていることを説明した。
亜由美は頷きながら聞いて、伸之さんの話をすると目を少し潤ませていた。
「可能であれば、母の演奏している映像や音声があれば聞かせていただきたいのですが」
亜由美は「そうねぇ」と少し考えた後、「ちょっと待ってね」と部屋を出ていった。
「夢乃」と娘を呼び寄せる声がした。
娘さんは夢乃さんというらしい。
良い名前だ。
しばらくして、夢乃に車いすを押されながら部屋に戻ってきた。
「これ、再生できるかわからないけど」
そういって一本のビデオを差し出した。




