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初めて触れた日


(いる・・・) 


部屋の中から音がする。

ほっと胸をなでおろすと、インターホンを押した。

なかなか出てこない。


まさか倒れてるー


「ちょっと、伸之のぶゆき!開けて!大丈夫なの!?」

ドアを強めに叩くと、ゆっくり扉が開いた。

伸之が疲れた顔をして立っていた。

「何してんのよ!」

安心して思わず涙がこぼれそうになる。

そんな美由紀みゆきを見ても顔色ひとつかえない。

「…別に」

「なんで勝手に病院抜け出したの!」

今度は怒りになってつい強めに言葉が出てしまう。

伸之は「うっせー」と小さく言うと、ベッドに腰かけた。


「どうしたの?」

「・・・俺は退院する」

「退院するってお医者さんは良いって言ったの?」

「・・・言われてない」

「じゃあまだ入院・・・」

「うるせーよ!俺はもう退院すんだよ」

大きな声を上げると、こちらに背を向けて、ベッドに横になってしまった。

こんな子供みたいなことを伸之がするなんて、少しびっくりしてしまった。


「どうしたの?」

美由紀はベッドに腰かけると、伸之に優しく声をかけた。

「もう入院はコリゴリだ。あんなとこいたくない」

「…それはまゆちゃんのことがあったから?」

「・・・」

伸之は何も答えない。

つまりそれは肯定ということだろう。

「まゆちゃんのことは確かに辛い事だったけど、だからこそ伸之は元気にならないといけないんじゃないの?」


「・・・元気になるのか?」


「え・・・」

「俺はこのまま病院にいたら元気になるのか?」


弱々しい震えるような声。

伸之の弱気なところなんて初めて見た気がした。

美由紀はそっと伸之の背中に手を置いた。


「大丈夫、元気になる」

「お前に何がわかるんだよ」

「病気のことはわかんないけど、伸之のことはわかる」

「俺の何が・・・」

「伸之は、こんなことでへこたれたりしない。だから大丈夫」

「なんだよ・・・それ」

伸之がゆっくりと起き上がった。


「怖いんだよ」


「何が怖い?」

「何の病気かわかるのが怖いんだ。もし治らない病気だったら?もし余命を言われたら?そんなことばかり頭に浮かんで・・・」

「伸之・・・」

伸之の背中を気づいたら抱きしめていた。


伸之は、ずっと不安の中で強がっていた。

それが麻友子の件で限界が来たのだろう。

どうして気づいてあげられなかったのか。


「私、ずっとそばにいるよ。伸之の苦しみを全て理解することはできないと思う。でも少しでも伸之の気持ちが軽くなるなら、ずっとそばにいる」


伸之の背中が小さく震えている。

美由紀はその背中をぎゅっと抱きしめ続けた。


どれくらいだっただろう。

二人で泣きつかれてベッドで横になっていた。

目を覚ますと、隣で伸之がこっちを見ている。

「ふぁ、あっ!」

顔が近くて思わず離れようとして、ベッドから転げ落ちた。

「痛っ・・・」

「朝からよく暴れるな」

「う、うるさいわね」

「顔もすっぴんですごいことなってんぞ」

「あのね、あんたが病院からいなくなったって電話を受けて、急いで家を出たんだからね!」

「別に急がなくてもいいのによ」

「あのね、ちょっとは素直になってもいいんじゃないの?」

伸之はごろんと寝返りを打って、美由紀に背を向けた。


「・・・感謝してる」


「え?」

思わす頬が緩む。

「何でもねーよ」

「さっき何か言ったじゃない?なんて言ったの?」

わざと繰り返し聞くと、「言ってねぇ」と意地になってこっちを見ようとしない。

「こっち見なさいよ」

「ヤダね」

「もう素直じゃないな」

伸之をこっちに向かそうと伸之の身体を掴むと、逆にぐっと引っ張られて態勢が崩れる。

「わっ・・・」

パッと目を開くと目の前に伸之の顔がある。

「あ・・・えっと・・・」

気づいたら伸之の顔がもっとアップになって、そっと唇に触れた。

驚いて固まっていると、伸之がパッと起き上がった。


「さ、病院帰るか」

伸之は何事もないように、ササっと荷物をまとめていく。

「美由紀、お前も行くぞ」

「あの・・・あ、うん」

美由紀は顔を赤くしたまま、伸之の後ろについて部屋を出た。



そっと指に唇を触れてみる。

(伸之の顔が近づいてきて・・・)

あの時のことを思い出すと、顔が赤くなってくる。

高校生で付き合ってる時は、手を繋ぐで止まっていた。

まさか進展するとは、また口元が緩んでしまう。


「美由紀ちゃん?ほら、お客さん呼んでるよ」

マスターに言われて我に返ると、お客さんが手を挙げて呼んでいる。


「はーい」


慌てて注文を取りに走った。


あれから数日たったが、伸之は吹っ切れたのかいつもの調子に戻っていた。

そしてあの日の夜のことを伸之から何も触れられることもなく、関係は以前とは何も変わらない。

美由紀だけが意識してるようで、なんだか悔しい気もする。


カラン、コロンー


喫茶店のドアが開く音がし、「いらっしゃいませ」とお客さんの顔を見ると、なんだか既視感を覚えた。

どこかで会った気がする。

背はスラリと高く、スーツに少し切れ長の目に眼鏡をかけている。

いかにも出来るサラリーマンという感じだ。


「こちらへどうぞ」


笑顔で案内しながら、頭をフル回転させるが誰だか思いだせそうにない。

メニューを渡し、厨房前まで引き下がった。

遠くから眺めていると、誰かに似ている気がしてくる。

目が疲れているのか、眼鏡をはずし、眉間を抑えている。


「・・・あ!」

思わず声を上げて、マスターが驚いた顔でこっちを見ている。


「すいません」


(あのお客さん・・・伸之のお兄ちゃんだ)


伸之の兄はしばらくメニューを眺め、注文を決めたのか呼ばれた。


「はい、お伺いします」

「ホットのブレンドでお願いします」

「はい、では少々お待ちください」

頭を下げて席から離れようとすると、「あの」と声をかけられた。


「はい」

「あの、あなたは美由紀さん・・ですか?」

「はい、美由紀ですけど・・・」

そういうと、男は安心したように少し微笑んだ。

「私は木下伸之の兄の雅之まさゆきです。弟のことで少し時間をいただけませんか?」


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