また会いたい
人生色んなことがある。
美由紀は病院へ向かいながら、昨日の母とのことを思い返していた。
結婚、子供がすべてじゃないんだ。
父親には本当に呆れる気持ちがした。
あれだけ女の子は結婚して子供産んだら幸せなんて言ってたのに、妻のことを全く幸せに出来ていなかったのだ。
私はそんな結婚なんてごめんだ。
歩く度にギターが揺れて重みが肩に触れる。
私は仲良く辛い時にお互いを支えられる関係がいい。
両親も最初はそうだったのかもしれない。
母と父も仲のいい時代はあったろうし、幼い頃は父も私に優しかった。
時は流れ、人は変わっていく。
今この瞬間はもう戻ってはこない。
この幸せな時間も永遠ではない。
麻友子が必死に生きている中で、私たちの音楽を聴きたいと思ってくれているのなら、全力を尽くさないと失礼だ。
過去や今を嘆いても何も生まれない。
未来のために一歩を踏み出したい。
美由紀は心にかかった靄がクリアになるのを感じた。
「やるぞ!」
ギョッと周りの人が振り返る。
心の声が漏れてしまったようだ。
恥ずかしさで小さくなりながら、美由紀は駅へ向かった。
1993年4月3日―
桜の花の蕾が大きく膨らみ始めている。
中庭の花壇のチューリップの蕾も色づき始めている。
「今日は遊びじゃないからな。麻友子のためのライブだ」
伸之の声に美由紀と亜由美は頷いた。
「今やれる最高の音楽を演奏する」
美由紀がそういうと、伸之は満足げに頷くとギターを握った。
立ち上がると、麻友子がやってきた。
母親の押す車いすに乗って、酸素がつけられて痛々しい。
可愛い瞳も閉じたままだ。
心を強く持っていたつもりだったが、それでも胸がきゅっとつままれたような気持になる。
「まゆちゃん」
声をかけるが、そこにいつもの明るい笑顔はない。
泣きそうになる私を遮るように、伸之は麻友子の前にしゃがんだ。
「麻友子、今日は麻友子のためにライブをするからな」
伸之がいつものように声をかけ、ぎゅっと手を握った。
美由紀は気合を入れ直すと、キーボードの前に立っていつものように手を置いた。
(今日はまゆちゃんのためによろしくね)
美由紀は麻友子への思いを込めて、指を動かし始めた。
初めて会った時の嬉しそうな笑顔
ギターを不思議そうに見つめるクリクリとした瞳
私たちを好きだった言ってくれた可愛い口
これから産まれてくる兄弟のために歌う綺麗な声
どうかもう一度まゆちゃんに会いたい。
演奏をしている間、麻友子が目を開けることはなかった。
でもなんとなく表情が穏やかなように見えた。
楽しいライブはあっという間に2曲目となり、気づいたらたくさんの患者さんに囲まれ、拍手をもらってライブを終えた。
「今日はありがとうございました」
麻友子の母は何度も頭を下げて、きっと苦しいはずなのに笑顔だった。
麻友子の前では泣かないと決めているのかもしれない。
「まゆちゃん、また中庭で待ってるからね」
美由紀はそっと麻友子の手を握った。
小さくて柔らかい手が愛おしい。
「麻友子、一緒に歌う約束忘れるなよ。お前の弟か妹もお姉ちゃんの歌待ってるぞ」
伸之は頭を撫でた。
ほんの少し、麻友子が笑ったように見えた。
その日が麻友子と会った最期だった。
伸之は相当ごねたが外出許可は出ず、麻友子のお葬式には美由紀と亜由美で出席した。
二人して号泣してしまい、笑顔で見送ることは出来なかった。
麻友子は穏やかな顔で眠っているようだった。
「まゆちゃん、またきっと会おうね。その時はまた歌おうね」
葬儀場から出ると、泣けるくらい空は綺麗な青だ。
(まゆちゃん、見守っていてね)
麻友子がきっと私たちを見ている。
それに恥じないように私たちは生きていかないといけない。
美由紀は気を引き締め、葬儀場を後にした。
ぼんやりとベッドに腰をかけながら、外を見ると綺麗に星が見える。
時計を見ると、2時を指している。
眠れそうにない。
麻友子のことを思い出すと、胸がギュッとつままれたような痛みが走る。
あれから伸之は考え込むことが多く、ほとんど口も聞いてくれない。
父もまだ戻って来ていない。
母が気にせず元気にしてくれていることが、唯一の救いだ。
「はぁ・・」
ため息をつくと、電話が鳴りだした。
こんな夜中に電話なんてと少し怖さを感じつつも、自室を出た。
冬の廊下は冷たい。
ヒヤッと足元から冷えていくのを感じながら、少し急いで歩くと、母を起こさない内にでようと電話をつかんだ。
「もしもし」
「もしもし、美由紀ちゃん」
電話の相手は伸之の叔母さんだった。
焦ったような声をしている。色々想像して鼓動が速くなる。
「こんな夜中にごめんなさいね」
「それは大丈夫です。それよりどうしました?」
「実は伸之が病院を抜け出したみたいで・・・」
「病院を!?」
「そうなのよ。きっと自分の一人暮らしの部屋に行ったと思うんだけど、今からだと電車もないから・・・美由紀ちゃんの家がもし近かったらと思って」
「行きます、すぐに見に行きます」
早々に「また連絡する」といって電話を切ると、急いで家を出た。
麻友子が亡くなったと聞いた時、伸之の表情は暗かった。
落ち込むのは当然なのだが、その日からほとんど口も聞かず、食事も摂らなかった。
明らかに様子はおかしかったのだが、病院を抜け出すとは思わなかった。
伸之の住んでいるアパートは1駅先にある。
近いとは言えないが、走っていけない距離ではない。
息を切らせながら、なんとかアパートの前まで走った。
(確か…あの部屋)
伸之の部屋の明かりがついていた。




