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不穏の足音

「今日は一段と冷えるなぁ」


中庭に出ると、地面から寒さが伝わって来る。

花壇の植物も少ししおれていて、寒さに負けているようだ。

伸之のぶゆきは「寒い」とウダウダしながらも、中庭にはやってくる。

ここでしかギターを弾けないからだ。

最初は入院中は作曲に集中できるとか言って、楽しそうにしていたが、最近は長引く入院生活にイライラしているようだった。

はっきりした病名がわからないこと、何よりライブが出来ないことがストレスの様だった。

それでも麻友子まゆこがやってくると、少し表情が緩む。


「来ないな・・・」

時計を見ると、15時半を回っている。

いつもなら麻友子がとっくに来ている時間だ。

「どうしたんだろうね」

元気そうに見えてはいたが、麻友子は入院患者だ。

嫌でも想像したくないことが頭の中を過る。

しばらく弾いていると、大きなお腹の女の人と看護師さんがやってきた。


「あの、麻友子がいつもお世話になっています」


女の人は麻友子の母親だった。

母親は深々と頭を下げた。

お腹が今にも生まれそうなほど大きく、しんどそうだ。

ベンチの隣に座らせて話を聞くと、麻友子の弟か妹は双子らしい。

これだけお腹が大きいのも頷ける。

「なかなかあの子を見てあげれなくて」

多胎児のため母親の体調がなかなか良くないらしかった。


「まゆちゃんは?」

「調子があまり良くないみたいで、今はベッドで寝てます」


ひとまず麻友子が無事とわかって、ほっと胸をなでおろした。


「実は、今日はお二人にお願いがありまして」

「お願い?」

「実は麻友子の誕生日が、来週なんです。そこで麻友子に歌をうたってほしくて」


母親から麻友子がいつも伸之と美由紀のことを楽しそうに話してくれ、歌が素敵だと言ってくれていたこと、麻友子の夢がアイドルであることを聞いた。


「麻友子は歌って踊れるアイドルになるって、その思いだけで今病気と闘っていて」


母親の声が揺れる。

母親はこらえるように「お二人のおかげです」と言って笑った。


「勝手なお願いだとは思います。伸之さんは入院されていますし、なのにこんなことをお願いして申し訳ないんですが」

「歌わせてください」

伸之は母親に深く頭をさげた。


「俺にとって麻友子ちゃんは大事なファンで、仲間で、友達です。なので、麻友子ちゃんの誕生日を俺に祝わせてください」


美由紀みゆきも慌てて隣で頭をさげた。


「・・・ありがとう」


こうして次回のライブは麻友子のために中庭で開催することになった。

長くはできない。

ここは病院。

聞く人も入院患者がほとんどだ。

歌えて2曲か3曲だろう。

それでもライブができることに伸之は嬉しいようだった。


「やるぞ」

そう言って伸之は中庭で毎日のように練習をした。

美由紀も大学やアルバイトがない日は急いでギターを背負って、病院へ通った。

ライブの練習は楽しい、楽しいはずなのに、美由紀は不安がぬぐえなかった。

母親の揺れる声が頭の中で再生される。


(今日もまゆちゃんいない・・・)


あの日から麻友子は中庭に来なくなった。

何も連絡がないということは、生きてはいる。


生きてはいるけどー


美由紀の頭は嫌なことばかりを想像させて来る。


「美由紀、集中しろよ」

そんな思いが見透かされているのか、練習中に伸之に注意されてしまった。


伸之だって、バカじゃない。

きっと同じようなことを考えている。

でも、今は麻友子を喜ばせるそこだけに意識を持って行っている。


伸之のようになりたい。

でも、どうしても麻友子のことが気になる。

美由紀は、伸之の病室を出ると、小児病棟へ向かった。

中に入ると、たくさんの小さな子たちが入院している。

こんなに病と闘う子供がいるのかと思うと胸が痛む。

そしてその子供の傍らには母親や父親がいる。


(この中で、まゆちゃんは一人で過ごしていたのか)


自分だけ一人でいることはつらかったろうなと想像して、涙がこぼれそうになる。

病室の名札に“園村麻友子”と書かれているのを見つけた。


(ここか―)


美由紀はこっそり扉を開けると、覗きこんで様子を伺った。

ベッドはカーテンで囲まれているようだ。

ピーピーという機械音に、シュ―という空気を送り込むような音―

美由紀は静かに扉を閉めた。


(見ない方がいい)


状況が察せられて、本能的に見てはいけないと感じた。

きっと見てしまったら、立ち直れなくなる。

美由紀は静かに病室を離れた。


落ち着かない気持ちのままアルバイトを終え、家へ帰ると、母が珍しく起きていた。

母はかなり朝早く起きて父親のお弁当や朝食を作るので、母はいつもかなり早く寝ていた。

こんな時間に起きているのを見るのは、久しぶりだ。


「ただいま」

「おかえり」

母はコタツに入りながら、テレビを見ていたようだ。

「珍しいね。こんな時間まで起きてるなんて」

「なんか久しぶりに夜更かししたくなっちゃって」

母は子供のように無邪気に笑った。


「お父さんに怒られるんじゃない?」


「大丈夫よ、出ていったもの」


母はあっけらかんというと、テレビの芸人のギャグに声をあげて笑った。


「何があったの?」


「・・・父さんがお弁当を鞄から出さなかったのよ」


父はいつもお弁当を鞄から出して母に差し出す。

水につけることも、洗うこともしない。


「お弁当出してくださいって言ったら、それはお前の仕事だって言ったのよ。どうしてかな、その瞬間この人いらないなって思ったのよ。家事は何一つせず、文句だけ言うのよ。稼いでくるお金も高いわけじゃない。私がパートして今の生活が出来てるのよ?何が結婚が女の幸せよ、私は結婚してからいつだって不幸だった」


母は早口でそう言うと、強くこぶしを握り締めている。

どれだけこの手は我慢してきたんだ。

母の隣に座ると、母の手を両手で包んだ。


「父さんは最後に言ったわ、俺がいなきゃ困るだろ?って。困らないと思ったから、“困らない”って言ってやったの。そしたら怒って出ていったのよ」


今まで従順だった母の怒りに父もびっくりしだだろう。

母の背中を優しく撫でた。


「お母さん、頑張ったね」

そういうと、母から大粒の涙がこぼれた。


「母さんは今54でしょう?人生まだまだこれからじゃない。今から一緒に楽しいことして生きて行こう」


美由紀がそういうと、母は目を丸くしたかと思うと、すぐに泣きながら笑った。


「私ね、結婚は不幸だったけど、美由紀を産んだことだけは幸運なことだったと思ってる」


美由紀は母親が落ち着くまで優しく背中を撫でた。

結局父はその日は帰らなかった。

翌朝、夜更かしして元気になった母は「清々する」と言って腫れた目で笑っていた。

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