彼の家族
「じゃあマネージャーは忙しいんで」
私が椅子に座ると、亜由美はそう言って、病室を出ていった。
「ほんといつも元気だよね」
「本当にな」
伸之はそう言って笑うと、ごろんとベッドに横になった。
「今はしんどくない?」
「全然大丈夫」
「良かった」
ふとベッドの横の棚を見ると、タオルや服など伸之の私物が置かれている。
「お母さんいらっしゃったの?」
「・・・叔母さんが来てくれたよ」
「そっか」
昔から伸之は家族のことを話したがらない。
両親と兄がいたはずだが、高校生の時から家族の話をほとんど聞いたことはない。
一度だけ、母親の妹の叔母さんの話を聞いたことがある。
きっと今回の叔母さんというのも、その人のことだろう。
「何か買ってきて欲しい物とかない?」
「買ってきて欲しいものはない。それよりギター持ってきてくれよ」
「病室でギターはダメでしょ」
「チッ」
伸之は舌打ちをすると、拗ねたように布団にくるまった。
「今度病院の外で散歩とかしてそこでなら出来るんじゃない?」
機嫌を取るように言ってみたが、動かない。
「もう仕方ないでしょ」
時計を見ると17時を過ぎている。
「面会時間終わりだから私も行くね」
そう言って立ち上がると、伸之の布団がごそごそと動いた。
「何?」
「・・・約束だからな」
伸之がスーッと布団から手を出してきた。
そこには鍵がある。
「伸之の家の鍵?」
「・・・そうだよ」
「わかった。じゃあギター明日取って来る。明日はバイトだから…明後日お見舞いに来るから看護師さんに確認してみよ」
返事はないが、反抗してこないのでそれでいいということなのだろう。
美由紀は子供みたいな伸之に呆れながらも、病室を出た。
クールで冷静な伸之が子供みたいなリアクションをして、よっぽど入院が嫌なようだ。
それでも美由紀にとっては伸之が生きている。
それだけで幸せだ。
医師がこのままだと危ないと言っていたが、きっと間違いなんだ。
鍵を自分の目の高さまで持ってきて、じっと見つめる。
「伸之の家の鍵・・」
夕日が差し込んできて、カギはオレンジに反射している。
美由紀はぎゅっとカギを握ると、スキップしたい気持ちを抑えて、帰路についた。
翌日には大学へ出席し、マスターに謝罪してアルバイトにも行った。
マスターは相当心配していたようで、半泣きで「来てくれてよかった」と言ってくれた。
そして早めにアルバイトを上がって、伸之の家に向かった。
手には渡されたアパートの鍵がある。
思わずにやけてしまいそうになる。
そんな気持ちを抑えながら、アパートの扉にカギを差した。
「あれ・・?」
家の中から音がする。
この家には誰もいないはずだ。
恐る恐る扉を開けてみると、中年の女性が立っていた。
女性の方も美由紀を見てかなり驚いている。
「あの・・・どちら様?」
女性に声をかけられて、我に返り「のぶ・・木下さんの友人です」と返事をした。
「伸之の・・・そう」
女性は安心したような顔をして、自分は伸之の叔母だと名乗った。
「私は田沼汐里と言います。あなたは?」
「私は平野美由紀です」
「伸之に頼まれてきたということは、彼女かしら?」
「いや、私は違います」
慌てて大袈裟に否定すると、なんだかこちらの心を見透かしたようにイタズラっぽく笑った。
「とりあえず、こっちに座って」
置かれた座布団の上に座ると「お茶を淹れるわね」と叔母さんはキッチンへ向かった。
伸之の年齢から考えて、年齢は40代前半くらいだろうか。
見た目だけでいうと、30代にしか見えない。
少しふくよかな体型だが、髪がつやつやで上品な化粧がされている。
きっと年齢より若く見られることが多いはずだ。
叔母さんはお茶を出すと、自分も向かい合うように座った。
「あの子に友達がいて良かったわ。最初は彼女さんなのかと思ったけど」
そういって笑う叔母さんは確かに伸之の笑顔に似ている。
「あの子から家族のこととか聞いてる?」
「いえ・・昔から家族の話は聞いたことないです」
「・・そう」
叔母さんはカップを両手で包むと、「そりゃそうよね」と呟いた。
「あの子には両親と兄がいるんだけど、反りがあわないみたいでね。姉の家族から伸之のことは私に一任されているのよ」
「・・・関係性があまりよくないということですか?」
気になっていたことを尋ねてみた。
叔母さんは少しためらったように見えたが、すぐに小さく頷いた。
「あの子は、真っすぐで真面目な子でしょう。姉夫婦やお兄ちゃんみたいにずる賢くはなれなかったのよね」
伸之の父親は大きな会社を経営しており、母親はお嬢様で父の会社にも融資していた。
母親は長男だけ跡継ぎとして可愛がり、伸之のことは最低限という感じだったそうだ。
「お兄ちゃんばっかり可愛がって、見ていて本当にかわいそうだったよ。いつも誤魔化すように私の前では笑っていたけど、相当傷ついたと思う。たまに伸之と二人で一緒に遊園地に行ったり、自分の子供も連れて遠くへ旅行に行ったりしたけど、親からもらえる愛情とは違うものね」
叔母さんは寂し気に微笑むと、ゆっくりとお茶に口をつけた。
そんなことがあったとは知らなかった。
伸之からは、付き合っている時も、辛いともしんどいとも、家族の愚痴も聞いたこともない。
自分の中で抱え、我慢し続けていたのだろう。
それを考えると、切ない思いが胸に込み上げてきた。
「カギを渡されるくらいだから、きっとあなたのことを信頼しているのよね。そんな人があの子に出来て本当に嬉しいわ」
叔母さんは嬉しそうに微笑んだ。
「私なんて、そんな」
叔母さんは首を横に振った。
「そんなこと言わないで。警戒心の強いあの子が鍵を渡したんだから相当信頼されてるわ」
「そうでしょうか…」
「そうだ!良ければ連絡先を交換してくれないかしら?あの子はいつも私には遠慮するから、伸之の様子で何かおかしいとか、気になることがあれば連絡してほしいの」
「わかりました」
家の電話番号とポケベルの番号を交換して、ギターを背負うと美由紀は家を後にした。




