母の面影
美奈が日記を閉じると、すっかり夕暮れになっていた。
「美奈、こんな暗い部屋で何してんだ?」
父が驚きながら部屋の明かりをつけた。
「全然進んどらんな」
たくさんの段ボールが開けっ放しになっていて、一つも片付けられていない。
「ごめん、色々思い出に浸ってたら進まなくて・・・」
「別にええ。父さんも全然片付けられてないし」
そう言って恥ずかしそうに頭をかくと、美奈の隣に座った。
「母さんのこと、色々知れたか?」
父は日記に目をやった。
「うん」
美奈は古びた日記を優しく撫でた。
「母さんは真面目でいつも優しくて、穏やかな人やったけど、本当は胸に熱い思いを秘めてる人やった」
「私にはそんなとこ全然見せてくれなかったな。…そう言えば、お父さんはお母さんとどこで出会ったの?」
「出会いか・・・。最初は父さんが一方的に母さんのことを知っていただけでな」
「一方的に?」
「あぁ。母さんが演奏していたのを見ていた観客の1人だったからな」
「え、お父さん、お母さんが歌ってるのとか見たの?」
「あぁ。初めて見たのは星夜祭の日やったんじゃないかな」
そう言うと、父は部屋を出て行って、しばらくすると1枚の写真を持ってきた。
「大分色あせてるけど」
インスタントカメラで撮られた写真には、若かりし母と隣に男の人が演奏しているところが写っている。
「これが伸之さん・・・」
細身で顔はどちらかというと整っている。
想像していたよりイケメンだ。
「たまたまライブを見て写真を撮ったんだ。これが母さんだって付き合ってしばらくしてから気づいたんじゃけど。出会った時には随分雰囲気が変わっとったから」
「じゃあ、出会った時には音楽辞めてたんだ」
「あぁ。もう事務で仕事しとったなぁ」
写真の中の母は若くて、笑顔でキーボードを弾いている。
すごく生き生きしていて、楽しくてたまらないのが伝わって来る。
「どんな音楽だった?」
「それがなぁ・・・覚えてない。いい曲だって思ったのは覚えてるんだけどな」
父は寂しそうな顔をして、写真を見つめている。
「そうだ、あの母さんがバイトしてた喫茶店、まだあるはずだからそこに行けばわかるかもしれん」
「まだあるの?」
「年賀状が届いていたはずだ。店に行ったりはしていなかったようだけど、年賀状のやり取りだけは続いてるって母さんが言ってたからな」
「そうなんだ」
父が段ボールから年賀状を取り出した。
日付は昨年になっている。
どうやらあの喫茶店は本当にあるらしい。
母と伸之さんが再会した場所。
そこで二人は再会し、音楽活動を始めた。
「行ってみようかな」
「それは助かるよ。母さんが死んだこと、ずっと行きたがってたことをここのマスターに伝えないといけないと思ってたんだ」
父から年賀状を受け取ると、明日にでも向かうことにした。
翌日喫茶店に向かうと、本当に喫茶店は存在していた。
扉を開けると、昔ながらのカランコロンと音がする。
「いらっしゃいませ」
若い男性の店員に案内されて、奥の席に着いた。
(コーヒーが美味しいんだっけ)
母の日記にはマスターが淹れるコーヒーがおススメだと書かれていた。
ホットを注文して、辺りを見回すと、いかにも純喫茶という感じでレトロな雰囲気だ。
(ここで母は働いていたんだな)
カウンターを見ていると、先ほどの男性店員がコーヒーを淹れている。
どうやらマスターはいないようだ。
日記の内容から考えると、もうマスターは70を超えているはずだ。
さすがに引退していてもおかしくはない。
少し残念に思いつつも、ぼんやりとコーヒーを待っていた。
「お待たせしました」
コーヒーの香ばしい匂いがあたりに漂う。
「あ、あの」
「はい?」
「ここのマスターさんはいますか?」
「えっと・・・マスターというとお父さんのことかな」
そう言って店員はスマホを取り出すと、店員の父の写真を見せてくれた。
「ごめんなさい。実は私マスターの顔を知らなくて・・・ここで昔母がバイトしてたんですけど」
そういうと、男はハッとした顔をして、「ちょっと待っててください」と奥へ引っ込んでいった。
待つ間にコーヒーを一口飲んだが、かなり美味しい。
マスターの息子が技術を継承したのかと思うと、なんだか感慨深い。
しばらくして、店員は1枚の写真を持ってきた。
そこには母と伸之とマスターの3人が写っている。
「これ、母です」
「やっぱり!お客さんのことを見た時、どこかで見たと思ったら、お母様に似てらっしゃるからだったんですね」
この写真は休憩室に貼られているそうだ。
何気なく毎日目に入っていたから、まるで知り合いのように感じていたそうだ。
「来てくださって、すごく嬉しいです。話聞いてみたいなって思ってたんで。お母様はお元気ですか?」
「えっと・・実は先日亡くなりまして・・その報告に」
店員は戸惑いつつお悔やみの言葉を口にした。
「すいません・・・なんかテンション高く話しちゃって・・・」
「いえいえ、こちらが用件を言わなかったので…。それで、マスターとお話をしたいんですけど」
「父は今入院してて、明日定休日でお見舞いに行くつもりなんで一緒に行きますか?」
「いいんですか?出来ればお願いしたいです」
「もちろん、父も喜びます」
そう言って店員は笑った。
店員は芦田蒼汰と名乗った。2年ほど前に父親の後をついで、喫茶店で働いているとのことだった。
その時に、母や伸之さんの話をたくさん聞いたと言っていた。
「でもいつも話し終わると、寂し気な顔をするんですよね。きっと若い頃の楽しい話のはずなのに、最後は絶対寂し気な顔で『絶対やりたいことはやれ』って言うんですよ」
「母とは逆ですね。やりたいことというか・・・冒険はするなって堅実に生きろって感じで」
「本当に真逆だ」
「母も夢を追っていたはずなんですけどね、ここで」
喫茶店を見回した。
静かにジャズが流れている。
「明日父に色々聞いてみましょう」
蒼汰は明るい声を出すと、他の客に呼ばれて離れていった。
美奈は再びコーヒーを口にすると、鞄から日記を取り出した。
ゆっくりと日記を開いた。
鞄についたピアノのキーホルダーが揺れた。




