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見えない未来

1992年8月5日―


美由紀みゆきはキーボードの前で何回目かのため息をついた。


「ダメだぁ・・・」


何度やっても納得いくものに仕上がらない。

未来を考えれば考えるほど、ぼんやりとして、どうアレンジしていいかわからなくなる。


時計を見ると、16時を回っている。


そろそろ家を出ないとライブに間に合わない。

慌てて、キーボードを袋に詰める。

親にバレないようにコソコソと気配を察しながら家を出る。


その度になんだか申し訳ない気持ちになって、ため息が出る。


親に隠している後ろ暗さなのか。

それとも堂々と話してもらえないキーボードになのか。

それは、わからないー


17時を告げる音が街に響く。

このままだと本当に遅刻してしまう。

美由紀は急いで歩き始めた。


いつもの場所に着くと、伸之のぶゆきはもうすでに来ていてライブの準備をしていた。

少し口角が上がっていて、指でリズムを取っている。


「よ」

伸之は美由紀に気づくと、軽く手を挙げた。


「よ」

同じように手を挙げると、キーボードの準備を始める。


「なんかいいことあったの?」

「歌詞が書けたんだ」


言いたくてたまらなかったようで、美由紀が言い終わる前に被せるように伸之は声を上げた。


「もう書けたの!?」

「未来を考えたらワクワクしてきて、気づいたら書き上げてたよ」


(ワクワク…)


伸之にとって未来は、ワクワクして明るいイメージなのか。

美由紀の胸を何かがざわめかせていく。


そんな美由紀に気づかず、ニカっと伸之は笑った。


高校生の時と何も変わらない笑顔だ。

伸之は普段はあまり表情豊かではない。

でもたまに子供のように笑うことがある。

その笑顔は特別で付き合っている時は、彼女だけの特権なんて思っていたのに、その笑顔から目を逸らした。


「アレンジは?」

「えっと…まだ。どんなイメージでやるか悩んじゃって…」

「じゃあ一旦歌ってみるから聞いてみろよ」


伸之は歌いたくてたまらなかったのか、すぐにギターを握った。

美由紀は黙って少し離れてしゃがんだ。

弦を弾く指が流れるように動き続ける。

ポップで疾走感のあるメロディだ。

スゥっと伸之は息を吸うと歌い始めた。


子供が大人になっていく。

その過程で失われていく可能性と夢への強い憧れ、諦めない心が描かれている。


真剣にギターを見つめながら歌う伸之を見ていると、また胸がざわついてくる。


ワクワクとした、まっすぐな夢―


演奏を終えると、伸之はすぐに感想を尋ねてきた。


いい曲だし、いい歌詞だとは思う。

思うけど、あまりにも綺麗で輝かしくて、ドラマのようで、他人事だ。


「どうだ?」

答えない美由紀を急かすように、目の前にしゃがんだ。


「いいと思うよ」


そう言った瞬間、伸之の眉間に皺がよった。


「ちゃんと思ったことを言え」


「だから、よかったって言ってるじゃない」

「思ってねぇだろう?」

「そんなこと…」


「…ったくさ、お前はわかりやすいんだよ。顔に書いてあるぞ」


思わず美由紀は自分の顔に触れた。

伸之は美由紀の前にしゃがんだ。


「ほら、自覚あるんだろ?俺はちゃんと美由紀の感想を聞きたいんだ」


「…私には綺麗すぎて」


「綺麗?」

「未来が眩しすぎて、綺麗すぎて…辛いっていうか」


伸之の視線が痛くて下を向いてしまう。

上手く話そうと思ってもどう表現すべきかわからない。


「ごめん、うまく言えなくて。意味わかんないよね」

伸之はしゃがんだまま、膝に肘をついた。


「…確かに人生ってそう上手くいかないよなぁ」


あの小さなノートを取り出して、ペラペラとめくった。


「あの、曲が悪いってわけじゃなくて、私の問題かもしれないっていうか」


「…俺も同じだよ」


伸之は空を見上げた。

今日は晴天で夕方なのにまだ綺麗な青空が広がっている。


「これくらい心も未来も晴れたらいいよな」


そう言った伸之の横顔は儚げで、ずっと遠くを見ているようにみえた。

伸之はまた歌詞を考え直すと言って、とりあえず今日の路上ライブを頑張ろうと立ち上がった。


路上ライブはいつも通りに終わり、片付けていると、ぽつっと冷たいものが触れた。


「雨だ」


美由紀の声と共に本格的に降り始めた。

慌てて楽器をまとめると、近くの公衆トイレへ走った。


「通り雨だろうけど、まぁまぁ降ってるな」


伸之は外を見ながら、ギターケースを拭いている。

真っ黒な雲に覆われているが、ずっと先には青空が見えている。

しばらくすれば、晴れそうだ。


「美由紀は、未来が来るのが怖いか?」


美由紀は少し考えて、正直に「怖い」と答えた。


学生だった頃は、進むべき道はだいたい決まっている。


小学校を卒業すれば中学校へ進学するし、中学を卒業すれば高校へ進学する。

高校を卒業すれば大学へ進学すればいい。

でも、大学を出た先は突然道がなくなる。

自分で切り開き、社会に進まねばならない。

しかも、進みたい道が見つかってもそこの道へ進めるかはわからない。


その先は真っ暗で、谷底のように感じられる。

美由紀はその場にしゃがむと真っ黒な空を見上げた。

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