第051話 次に追うもの
リノが村へ戻るのを見届けてから、ハミルたちは一度宿へ戻った。
少し休み、昼前になって再び外へ出る。宿を出たハミルは、広場の方へ目を向けたまま足を止めた。
「……何してんだ?」
後ろから出てきたレグルが、隣へ並ぶ。
「見てる」
「何を」
レグルに聞き返され、ハミルは視線を広場へ向けたまま答える。
「村の様子」
「それは見りゃ分かる」
呆れた声に、ハミルは少し笑った。
祭りは終わったが、広場ではまだ片づけが続いている。家々からは炊事の煙が上がり、井戸の周りには人の姿があった。
一見すれば、昨日までと変わらない村だ。
けれど、広場の端では数人の男たちが縄や長い棒を持って集まっている。少し離れたところで、村長が紙を広げながら何かを話していた。
「見回りか」
レグルが言う。
「ああ。さっき、少し話し合ってな」
近くにいた男が会話を拾った。手にしていた縄をまとめながら、広場に集まった面々へ目を向ける。
「あの子のことも、結局は誰も自分の目で確かめないまま騒いでただろ。山のことだって同じじゃないかって話になったんだ」
「それで、見に行くの?」
「怖いのは怖いけどな。何がいるのかも分からないまま、ずっと近づかないってわけにもいかないだろ」
男は少し気まずそうに頭を掻いた。
集まった者たちも、誰もが勇ましい顔をしているわけではない。それでも、昨日までのように山を遠巻きにしているだけではなかった。
「村長、ちゃんとしてるんじゃない?」
ハミルが小さく言うと、レグルが横目で見る。
「お前、さっきあれだけ食ってかかってたのに」
「食ってかかってないよ」
「十分やってた」
「話しただけなのにな」
「お前の『話しただけ』は信用ならねえ」
言い返そうと口を開いたところで、広場の方から大きな声が飛んできた。
「おーい!」
ソルガルトだった。
なぜか、すでに男たちの輪の中にいる。隣にはエルガまでいた。
「お前ら遅えぞ!」
「何でソルガルトがいるの」
「休んでる間にいなくなったぞ、あいつ」
二人で近づくと、ソルガルトは一本の棒を肩へ担いだ。
「山の様子見に行くんだと。俺も行く」
「遊びじゃないんだぞ」
レグルが言う。
「分かってるって。何か出たら俺が――」
「最初から全部手を出さない方がいいんじゃないかな」
ハミルが遮る。
「村の人が見回るんでしょ。危なかったら助ければいいけど、最初からソルガルトが片づけてたら意味ないじゃん」
そう言われても納得できないらしく、ソルガルトは肩に担いだ棒を揺らした。
「それもそうか。つまんねえな」
「本当に何しに行くつもりだったんだよ」
レグルがため息をつく。
近くで聞いていた男が笑った。
「いてくれるだけでも助かるよ。昨日までなら、山に入ろうなんて言い出す奴もいなかったからな」
全員が平然としているわけではない。山を見る顔には、まだ緊張が残っている。
それでも、誰かが守ってくれるのを待つだけではなく、自分たちで見に行こうとしている。
「俺たちも行く?」
ハミルがレグルへ聞くと、村長がこちらを見た。
「いや。お前たちには、薬師のところへ行ってほしい」
「薬師さん?」
「さっき言われた通り、体調を崩している者を改めて診せた。まだ寝込んでいる者が四人いるらしい」
ハミルの表情が少し変わる。
「リノみたいな症状は?」
「今のところないと聞いている。ただ、家族が不安がっているからな」
「分かりました。見に行きます」
「ハミル」
横からレグルが低く呼ぶ。何を言われるか察して、ハミルは先に口を開いた。
「見るだけだよ」
「そうだな。見るだけだからな」
それでもレグルの目は疑わしそうなままだ。
「昨日も似たようなこと言ってた」
「昨日は必要だったでしょ」
「そうだけどな」
レグルはまだ言いたげだったが、結局一緒に来るらしい。
ソルガルトへ視線を向けると、エルガが先に口を開いた。
「こちらは私が見ています」
「俺は見られる側なのか?」
「当然です」
「即答すんなよ!」
昼前の広場に響く声に、何人かが笑った。
*
寝込んでいた四人に、リノと同じ異変はなかった。
祭りの準備で無理をした老人。食事をほとんど取らずにいた若い男。残りの二人も、熱と疲労が中心だった。
ハミルには、人の身体に本来ない輪も見えない。
最後の家を出たところで、ようやく息を吐いた。
「リノだけみたいだね」
「今のところはな」
隣を歩くレグルが答える。
薬師も一緒だった。老人は少し考え込むように歩いたあと、不意に口を開いた。
「今朝聞いた香辛料の話だが」
ハミルが振り向く。
「他に買った家は二軒あった。どちらも、ほとんど使っておらん」
「残ってました?」
「ああ。食わせるなとは言ってある」
「ありがとうございます」
ハミルが頭を下げると、薬師は「礼を言われることではない」と返し、そこで一度足を止めた。
「だが、あの粒が何なのかは気になる」
「俺もです」
老人はハミルの顔を窺うように目を細める。
「さっきの話だが」
「はい」
「王都でも、似たような症状があったと言っていたな」
「はい。向こうでも、普通なら人の身体にはないものができてました」
薬師は少し考え込むように眉を寄せる。
「それで、薬に灰色の粒が混じっていたと」
「そうです」
「リノの場合は、香辛料が原因か」
「可能性はあると思ってます」
断言はしない。
王都で見た薬にも灰色の粒があった。道中の町で調べた香辛料にも、同じものが入っていた。そして、リノが食べた香辛料にも。
三つが無関係だとは思いにくい。
けれど、粒を口にしたから必ず擬核ができる、とまではまだ言えない。
「昨日の袋、どこで買ったか分かりますか?」
ハミルが尋ねると、薬師は眉を寄せた。
「母親に聞いた方が早いだろう」
「ですよね」
素直に頷いたハミルを、薬師はしばらく見つめた。
「そこまで気になるのか」
「はい」
迷わず返すと、老人は短く息を吐いた。
「なら行け。私は残りの者をもう一度見て回る」
「お願いします」
歩き出した薬師の背を見送ってから、レグルが横目で見る。
「最初からそれ聞きたかったんだろ」
「まあでも、病人の様子が気になったのが一番だよ?」
「お優しいこって」
*
リノは家の前にいた。
昨日まで閉じ込められていた反動なのか、外へ出たくて仕方がないらしい。母親に「走るな」と言われながら、家の前で木の枝を振り回していた。
「兄ちゃん!」
ハミルに気づくなり、リノは枝を持ったまま駆け寄ってきた。
「走ってるじゃん。お母さんに怒られるよ」
「もう怒られた」
「じゃあやめなよ」
悪びれない返事に、後ろから母親のため息が聞こえた。
「何度言っても聞かなくて」
「元気そうで良かったです」
ハミルが笑うと、母親も少しだけ笑った。
「香辛料のことで、もう少し聞きたいんですけど」
「はい」
「売ってた商人、覚えてますか?」
母親は少し考える。
「村の人ではありません。祭りの少し前に来た人で……荷車でいろいろ売っていました」
「一人でした?」
「ええ。たしか」
「どっちから来たか、分かります?」
「そこまでは……」
困ったように眉を寄せた母親の横で、リノが口を挟む。
「風の国の方から来たって言ってた」
三人の視線が一斉にリノへ向いた。本人は何でもないことのように枝を振っている。
「覚えてるの?」
「うん。あの辛いやつ、向こうでは普通に食うって言ってたから」
「それで食べたくなったの?」
「うん」
即答され、ハミルは思わず笑った。
「そういうの、よく覚えてるね」
「大事だろ」
何が大事なのかは分からないが、今は助かる。
「他に何か言ってなかった?」
リノは枝を持ったまま考え込んだ。
「次はもっと大きい町に行くって言ってた」
「大きい町?」
「うん。祭りじゃないとここじゃ売れないって」
母親が思い出したように頷く。
「そういえば、そんなことを言っていたかもしれません。この村のあと、南の街道へ戻るようなことを」
「南……」
ハミルはレグルを見る。
ここまで来る道でも、風の国側から来る商人の流れを追ってきた。
リノへ売られたものも、その線上にある可能性が高い。
「荷車に何か印とかありました?」
「袋に変な線ついてたよ」
またリノだった。
「本当に?」
ハミルの胸が僅かに跳ねる。
「どんな?」
リノは地面へしゃがみ込み、枝の先で土をなぞった。並んで伸び、その先が少し流れるように曲がった三本の線。見覚えがある。前の町で調べた香辛料の紙札に描かれていたものと、よく似ていた。
「これ?」
ハミルが記憶を頼りに、少し形を足す。
「あ、それ」
リノがすぐ頷いた。
レグルの表情も変わる。
「同じ荷かもしれねえな」
「うん」
前の町から、ここまで。同じ印を持つ香辛料に、同じ灰色の粒が混じっている。偶然で片づけるには、少し重なりすぎていた。
「その商人、いつ来たか分かります?」
母親は祭りの日を指折り数えた。
「五日ほど前です」
「今から追って追いつくかな」
「歩きなら厳しいだろ」
レグルが言う。
「でも、行き先の手掛かりはある」
「南の街道か」
「うん」
ハミルは、土に描かれた三本の線を見下ろした。
王都の薬、道中の香辛料、そしてリノ。ばらばらに見えていたものが、ようやく一本の道になり始めている。
「兄ちゃん、もう行くの?」
リノが聞いた。
「まだ今日すぐじゃないよ」
「じゃあ遊べる?」
「安静って言われてたでしょ」
「もう元気だって」
「そう言う人ほど無茶するんだよ」
もっともらしく言った途端、横でレグルが吹き出した。
「お前が言うのか」
「……何」
「そっくりだぞ。無茶しても平気だって言い張るところ」
レグルがリノを顎で示す。
ハミルは一瞬黙った。
「俺はちゃんと加減してるよ」
「どの口が言ってんだ」
「……ほら、リノ。今日は大人しくしといた方がいいよ」
「誤魔化すな」
リノが声を上げて笑う。
ハミルは聞こえなかったふりをして、土に描かれた印へもう一度目を落とした。
*
午後も半ばを過ぎた頃、山へ見回りに出ていた一団が戻ってきた。
先頭の男の服には泥がつき、その後ろではソルガルトがやけに楽しそうに笑っている。
「何かあった?」
「お目当てのもんが出たぞ!」
真っ先に答えたソルガルトの声が、妙に弾んでいる。
「嬉しそうに言うことじゃないでしょ」
「小せえのが一匹だけだけどな」
横の男が苦笑した。
「茂みから出てきて、こっちも驚いたが、棒を鳴らして皆で声を出したら逃げていった」
「ソルガルトは?」
「何もしてねえよ」
胸を張るソルガルトに、ハミルは素直に頷いた。
「偉い」
「おいおい、褒め方がおかしいだろ」
エルガも静かに頷く。
「今日は、よくできていました」
「お前まで!?」
抗議する声に、周りから笑いが起きた。
その日の午後、村では見回りの当番を決める話が始まった。薬師は体調を崩している者の家を回り、村長は外から入ってきた食べ物や薬で変わったものがあれば知らせるよう触れて回っていた。
昨日までの不安が全部消えたわけではない。山へ入るのを嫌がる者もいるし、守り神に任せればいいと言う者もいた。それでも、誰かが何かを言えば別の誰かが返す。少なくとも、話がそこで終わることはなくなっていた。
夕方、広場の端へ座りながら、ソルガルトが村を見回した。
「何か、俺たちいらなくなってきたな」
「それでいいんじゃない?」
ハミルが答えると、ソルガルトは意外そうに眉を上げた。
「寂しくねえか?」
「何で」
「あんま助けた感じしねえだろ」
ハミルは少し考え、動き始めた村人たちへ目を向ける。
「俺は、こっちの方が好きかも」
「そうか?」
「うん。俺たちがいなくなっても続くから」
ソルガルトは何も返さず、同じように広場を眺めた。
広場の向こうでは、リノが同じくらいの年の子どもと何か言い合っていた。母親は少し離れたところから見ている。まだ心配そうではあるが、もう家へ連れ戻そうとはしていない。
『悪くない』
イルの声に、ハミルも小さく頷く。
『うん』
村に漂っていた穢れは昨日より薄い。全部が消えたわけではなく、山へ続く黒い流れも残っている。それでも、それとは別に、今は追うべきものがあった。
「さっき、リノに商人のことを聞いたんだ」
ハミルが言うと、ソルガルトだけでなくエルガもこちらを見る。
「何か分かったのか?」
「香辛料の袋に、前の町で見たのと同じ印があったって」
エルガの表情が引き締まった。
「同じ流通か」
「たぶん。商人は南の街道へ戻ったみたい」
少し考えるように腕を組んでいたソルガルトが、やがて頷く。
「なら、そっちを追うか」
「うん」
心配じゃない、と言えば嘘になる。ただ、ここにはもう見えないものを恐れるだけで無く、自分たちでどうにかしようとする人たちがいて、体調を崩した者を診る薬師もいる。異変があれば知らせると、村長も決めた。だからこそ、村を離れる前に一度だけ、自分たちの目でも確かめておきたかった。
「その前に、山だけ見に行こうか」
ハミルが言うと、レグルはすぐに頷いた。
「守り神のところか」
「うん。村の方は落ち着いてきたけど、山がどうなってるかは見てないから」
今日の見回りで大きな異変はなかった。それでも、あの山へ流れ込んでいた穢れまでどうなったかは分からない。
「じゃあ、明日それ見てから出るか」
「そうしよう」
行き先はもう決まっている。灰色の粒がどこから来たのか。誰が、何のために混ぜているのか。まだ何一つ分からないが、ようやく追える足跡が見え始めていた。
ハミルは広場の向こう、村を抜けて南へ続く道を見る。
その前に、もう一度だけ山へ行く。
ここを離れても大丈夫なのか。それを確かめてから、次へ進みたかった。




