第048話 隠されたもの
二人の男は、村の中心から離れるように歩いていった。
ハミルたちは少し距離を空け、その背を追う。
「近づきすぎるなよ」
レグルが声を潜めると、ハミルは前を見たまま答えた。
「分かってる」
「本当か?」
「何で疑うの」
「今までの積み重ねだ」
すぐ横でソルガルトが吹き出しかけ、エルガに肘で小さく止められた。
祭りの片づけが続く広場を抜けると、人通りは急に減った。家と家の間が広くなり、道も土のままになる。畑と家畜小屋が増え、昨日まであれほど村中にあった色布や飾りも、ここまでは届いていない。
二人は時折後ろを振り返った。そのたびにハミルたちは物陰に隠れる。
「これ、結構怪しくない?」
「今さらだろ」
レグルが小さく返した。
やがて二人は、村外れの林に近い一角へ入っていった。古い納屋や作業小屋が幾つか並んでいる。人の気配は薄く、村の中にあるのに、そこだけ切り離されたように静かだった。
その奥に、一軒だけ小さな建物がある。家というより、作業小屋を少し大きくしたような造りだ。窓は閉じられ、扉の前には細い縄が張られている。
二人の男はその前で足を止めた。
近くの木陰にいた別の男が出てきて、何か短く話す。内容までは聞こえないが、三人とも周囲を気にしていた。
「……あそこだな」
ソルガルトの声から、いつもの軽さが消える。ハミルも頷いた。
山から戻ってから、村の中にはところどころ穢れの濃い場所があった。ここは、その中でも明らかに濃い。
周囲に漂っているだけではない。一か所へ集まるように、建物の中へ沈んでいる。
「中に誰かいる」
ハミルが呟くと、エルガが小さく目を細めた。
「私にも、少し分かる」
「病人を置いてるのか?」
レグルが聞く。
「たぶんね」
その時、さっきの二人のうち一人がこちらを向いた。
「戻ろう」
ハミルはすぐに踵を返す。
「え、見に行かねえの?」
ソルガルトが小声で聞くと、ハミルは歩調を緩めないまま答えた。
「今行ったら、追ってきたのがばれるよ」
「もう結構ばれてないか?」
「そんなことないと信じたいけど、確定させない方がいいでしょ」
レグルが頷く。
「中にいる相手が病人なら、余計にな」
四人はそのまま来た道を戻った。背中へ視線を感じたが、振り返らなかった。
*
宿へ戻ってからも、ハミルはあの建物のことを考えていた。薬師の反応に、男たちの会話。そして村外れの小屋と、その中に集まっていた穢れ。
「王都の時のこと、気にしてるのか?」
部屋へ戻る途中、レグルが聞いた。
「少しね」
ハミルは少し考えてから続けた。
「今のところ同じだって言えるものはないよ。でも、ただの病気なら、あんなふうに隠すかな」
「移ると思ってるなら隔離はするだろ」
ソルガルトが言う。
「うん。だから、それだけなら変じゃない。でも『見られたら騒ぎになる』って言ってた」
単なる流行病なら、祭りの最中に伏せておきたい事情はあるかもしれない。けれど、それだけでは薬師の怯え方と繋がらない。
何より、あの小屋の中には穢れがあった。一人の中に溜まるような、まとまった気配が。
「夜になったら人気も無くなるだろうし、見に行く?」
ハミルが言うと、レグルがすぐに眉を寄せた。
「お前は簡単そうに言うな」
「でも昼は無理でしょ」
「俺が先に様子を見る」
その言葉に、ハミルがレグルを見る。
「影で?」
「ああ。見張りの数と、中に入れそうな場所くらいは確認できるはずだ」
「じゃあお願い」
すぐに頷いたハミルへ、レグルは念を押すように言った。
「お前は出るなよ」
「分かってるよ」
「絶対だぞ」
「信用ないなあ」
「今までの積み重ねだ」
さっきと同じことを言われて、ハミルは少しだけ不満そうに口を閉じた。
*
その夜。夕食を終え、宿の部屋で時間を待っていた。
「見張りが減るのは、もう少し後かな」
ハミルが窓の外を見る。村はもう暗く、祭りが終わったせいか、昨日までより灯りが少なかった。
「そろそろ見に行ってみるか」
レグルが窓際へ寄った、その時だった。
控えめに戸が叩かれ、四人の動きが止まる。宿の女主人なら、こんな叩き方はしない。
「誰だ?」
レグルが声を落とす。
「さあ」
もう一度、小さな音がした。
ハミルが戸へ近づこうとすると、開ける前にレグルが腕を掴んだ。
「俺が開ける」
「大丈夫だと思うけど」
「いいから」
レグルが少しだけ戸を開ける。
立っていたのは、三十ほどの女だった。頭から布を被り、顔を隠すように俯いている。
「あの……昼間、薬師様のところにいた方たちですよね」
声が震えていた。
レグルは答えず、ハミルを見る。
「そうです」
ハミルが代わりに答えると、女は周囲を確認してから、さらに声を落とした。
「王都で、似たような人を見たことがあるって」
ハミルの表情が変わる。
「誰から聞いたんですか?」
「薬師様からです。……旅の方が泊まっている宿も、教えてもらいました」
「薬師さんが?」
「私が頼んだんです。何か知ってる人がいたら教えてって」
女の手が、布の端を強く握る。
「それで……本当に、似たような人を見たことがあるんですか」
「あります」
ハミルが答えると、女は息を詰めた。
「何か、分かることはありませんか」
「症状を聞かないと、何とも言えません。どんな状態なんですか?」
女はためらうように一度俯いた。
「……うちの子なんです」
「子ども?」
「はい。最初は熱だけだった。でも、だんだん……」
言葉が続かない。
ハミルは急かさず、その先を待った。
「どんなふうに?」
やがて女は顔を上げた。目が赤い。
「腕に、鱗みたいなものが出てきたんです」
ハミルは息を呑んだ。
鱗。
薬師から聞いた話で、王都の時と同じような幻聴や幻覚を想像していた。けれど、これは違う。もう身体そのものに変化が出ている。
「……鱗が?」
思わず聞き返すと、女は小さく頷いた。
レグルがハミルを見る。ソルガルトからも、さっきまでの軽さが消えていた。
ハミルは戸惑いを押し込むように一度息を吐いた。
「その子、もしよければ直接会わせてもらえませんか」
女が目を見開く。
「……会うんですか?」
「見ないと分からないことが多いので」
女はしばらく迷ってから、小さく頷いた。
「村の外れにいます」
やはり、あの小屋だ。
「他にも同じ症状の人は?」
「いません」
「さっき、体調を崩してる人が何人かいるって聞いたけど」
「あの人たちは熱だけです。もう良くなった人もいる。でも、うちの子だけ……」
女の声が震える。
「村長は、何て?」
その瞬間、女の顔が強張った。
「……外へ出すなって」
「病気が移るから?」
「最初はそう言ってました」
「最初は?」
女はしばらく黙った。やがて、絞り出すように言った。
「今は、あの子が魔物を呼んでるんじゃないかって」
ソルガルトが眉を寄せる。
「子どもが?」
「身体が変わり始めてから、そう言う人が増えたんです」
「そんなわけ――」
ソルガルトが声を上げかけ、エルガが腕を掴んだ。女が怯えたように肩を震わせる。
「すまん」
ソルガルトが珍しくすぐ謝った。
ハミルは女を見る。
「あなたはどう思ってるんですか?」
「分かりません」
答えた途端、涙が落ちた。
「分からないんです。私だって怖い。でも、あの子は私の子です」
女は唇を噛み、それでも続けた。
「熱が出る前まで普通だった。祭りを楽しみにして、山へ行きたいって言ってた。それなのに、急に悪いものになったなんて……そんなの」
声が途切れた。ハミルは何も言わず待った。
「薬師様は、誰にも見せるなって。村長も、祭りが終わるまでは絶対に外へ出すなって言いました」
「祭りが終わったら?」
「……まだ、何も」
そこで、レグルが低く言う。
「追い出すつもりなのか?」
女は答えなかった。それで十分だった。
女は四人を見回したあと、戸の向こうを気にするように振り返る。
「……今なら、見張りがいません」
「今?」
「夜になると交代するんです。交代の時だけ、見張りがいなくなることがあって。だから私もここまで来られました」
レグルが窓の外へ目を向ける。
「その時間は長くない?」
「はい」
ハミルは立ち上がった。
「じゃあ、今行きましょう」
女が不安そうにハミルを見る。
「本当に……何か分かりますか」
「見ないと分かりません」
ハミルは正直に答えた。
「でも、見れば分かることはあると思います」
女は唇を結び、それから頷いた。
「……お願いします」
窓の外には、夜の村がある。その向こう、村外れへ溜まった穢れが、暗闇の中でもはっきり見えた。
今度は、その中心へ行く。




