第047話 村にあるもの
山を下りきった頃には、昼を少し過ぎていた。
祭りの翌日の村は、昨日までとは別の場所のように静かだった。
広場では何人かが長机を片づけ、軒先の色布も少しずつ外されている。地面には踏み潰された花飾りや木の皿が残り、消えた焚き火の跡から細い煙が上がっていた。
「終わると寂しいな」
ソルガルトが言う。
「昨日あれだけ食ったのに、まだ祭りの心配してんのか」
レグルが呆れる。
「そういう話じゃねえよ。祭りってのは終わった後が寂しいだろ」
「意外とまともなこと言うね」
ハミルが言うと、ソルガルトが振り返った。
「お前、俺を何だと思ってんだ?」
「よく食べる人」
「それだけかよ!」
エルガが小さく息を吐く。
いつものやり取りに少しだけ笑いながらも、ハミルは村を見ていた。
山から戻ってみると、昨日まで気になっていたものが前より見えやすい。
薄い穢れはまだ村全体にある。
ただ、どこも同じ濃さではなかった。
広場のように人が集まる場所には、昨日の名残が薄く漂っている。一方で、家々の間にはほとんど感じない場所もある。
そして時折、妙に濃いところがあった。
「レグル」
呼びかけると、レグルがこちらを見る。
「昨日より、濃いところが分かりやすく見える」
「どの辺だ?」
ハミルは家々の間へ目を向けた。
「広場だけじゃない。ところどころ、妙に残ってる」
「山へ流れてるやつとは別か?」
「元は同じだと思う。でも……」
ハミルは言葉を切った。
村人から滲む穢れは、昨日の祈りの時ほど分かりやすくない。
恐れている人間のそばほど、少し濃く残っているように見える。
それが人から人へ移るように広がり、最後には山へ向かっていく。
なら、濃いところを見て回れば、何を恐れているのか分かるかもしれない。
「何から調べる?」
ソルガルトが聞く。
「聞き込みかな」
「普通だな」
「普通でいいでしょ」
「もっとこう、穢れを辿って一発で見つけたりできねえのか?」
「できたらもうやってるよ」
「そりゃそうか」
素直に納得するソルガルトを見て、レグルが笑った。
*
最初に話を聞いたのは、宿の女主人だった。
戻ってきたハミルたちを見るなり、彼女は腰へ手を当てた。
「あんたたち、どこまで行ってたんだい」
「ちょっと奥まで」
「道から外れないって言わなかった?」
「それは言われました」
「言われただけかい」
「すみません」
ハミルが素直に頭を下げると、女主人は呆れたように息を吐いた。
「まあ、全員戻ったならいいけどね」
「心配してくれたんですか?」
「宿に泊めた客が山で死んだら寝覚めが悪いだろ」
どこかで聞いた言い方に、ハミルは思わず笑った。
「何がおかしいんだい」
「なんでもないです」
女主人は怪訝そうにしたが、追及はしなかった。
ハミルたちは食堂の隅の卓を借りた。
祭りの片づけで忙しいらしく、女主人も立ったままだ。
「昨日、いろいろ重なったって言ってましたよね」
ハミルが切り出すと、女主人の顔から少しだけ笑みが消えた。
「覚えてたのかい」
「昨日も、山で魔物を見たので。少し気になって」
「……あんたたち、本当に奥まで行ってたんだね」
「すみません」
「そこで謝るのかい」
女主人は呆れたようだった。
それでも、すぐに話を切り上げはしなかった。
「魔物が増えた、それだけでも十分嫌な話だよ。そこへ第二の魔王なんて噂まで来た」
「うん」
「それで皆、神経質になった。山へ行くな、夜に出歩くな、子どもから目を離すなってね」
女主人は腕を組んだ。
「最初はそれだけだったんだけど」
また、そこで言葉が止まる。
「その後、何かあったんですか?」
「……体調を崩す人が出たんだ」
ハミルはレグルを見る。
「どんな?」
「熱が出たり、身体が重いって寝込んだり。食欲がなくなった人もいる」
「何人くらい?」
「最初は二、三人だったよ。今はもう少しいるかもしれないね」
「流行病ですかね?」
「皆そう思ってる」
「思ってる?」
女主人の口が閉じる。
ハミルは急かさず待った。
やがて彼女は声を落とした。
「病気じゃないんじゃないかって噂もある……」
ソルガルトの表情が変わった。
「どういう意味だ?」
「知らないよ。私だって見たわけじゃない」
女主人はすぐに否定する。
「ただ、最近は魔物が増えてるだろ。それで、水の国では身体がおかしくなった人間までいるって噂だ。こっちでも、一人だけ魔物に憑かれたんじゃないかなんて言う奴まで出てきた」
「魔物?」
「妙なことを口走るようになったとか、そんな話さ。私だって見たわけじゃないよ」
女主人は苛立ったように布巾を握った。
「馬鹿な話さ。具合の悪い人間を怖がったって治るわけじゃない」
その言葉には、村人たちへ向けたものとは別の棘があった。
「具合の悪い人は、どこにいるんですか?」
「家で休んでるよ。大したことはできないけど、薬師が診てる」
ハミルは頷いた。
「ありがとう」
「余計なことはするんじゃないよ」
「気をつけます」
「それ、気をつける気のない人の返事だね」
女主人はそう言って、片づけへ戻っていった。
「どうする?」
レグルが聞く。
「薬師に会ってみよう」
「病気だと思うか?」
「分からない。でも、時期が重なってるのは気になる」
「……灰色の粒は?」
レグルの声がさらに低くなる。
ハミルも考えていた。
王都で見た人間の魔化。
擬似核。
幻聴から始まり、核の周囲へ異変が現れた。
「まだ決めつけない方がいい」
「だな」
ソルガルトが二人を見比べた。
「王都の時と似てるってことか?」
「まだ分からない」
ハミルが答える。
「熱が出たとか、食べられないとか、それだけなら普通の病気でもある。でも、時期が重なってるのは気になるね」
「灰色の粒まで出てきたら、さすがに笑えねえな」
「うん。だから、まずは何が起きてるのか確かめたい」
声を潜めて話していたつもりだったが、宿の奥から女主人の「話が済んだなら片づけの邪魔しないでおくれ!」が飛んできた。
「ほら、行くぞ」
レグルが立ち上がる。
「怒られたね」
「お前が長居するからだろ」
「俺か?」
ソルガルトまで立ち上がり、三人で食堂を出た。
*
村の薬師は、広場から少し離れた家にいた。小さな看板に薬草の束が描かれている。
宿を出る前、女主人には「山で少し体調を崩したから、旅用の薬を見てもらいたい」とだけ伝え、場所を教えてもらった。
戸を叩くと、痩せた老人が顔を出した。
「何だ」
「旅の者です。宿の人に、薬師がいるって聞いて」
老人はハミルたちを一度見回した。
「誰が悪いんだ」
「俺が山で少し具合悪くなって。今は大丈夫なんですけど、念のため見てもらえたらと思って」
「今は大丈夫なら、何を見れば良いって言うんだ」
「熱とか、身体が重い時に使うものってありますか?」
「症状も分からんのに薬は出せん」
当然の返事だった。ハミルは少しだけ視線を落とし、それから続けた。
「じゃあ、最近この辺で多い症状ってあります? 旅の途中で同じものをもらうと困るので」
老人の手が止まった。
「……宿で何を聞いた」
「熱が出たり、食べられなくなった人がいるって。それと、一人だけ様子がおかしい人がいるって噂も」
老人の目が細くなる。
「余計な詮索はするな」
声が低くなった。
「すみません。ただ、妙なことを口走るっていうのが少し気になって。前に、似たような様子の人を見たことがあるんです」
「どこで」
ハミルは一瞬迷った。
「水の国の王都近くで」
老人の顔色が変わり、戸にかかった手へ力が入った。
「……帰れ」
「何か――」
「ハミル」
レグルが止めた。老人の手が僅かに震えている。怒っているだけではない。怖がっていた。
「今日は帰ろう」
ハミルは少し迷ったが、頷いた。
「……分かりました。すみません」
今度こそ戸が閉まった。しばらく誰も喋らなかった。
最初に口を開いたのはソルガルトだった。
「何か知ってるな、あれ」
「うん」
ハミルは閉じた戸を見る。
「でも、王都のことを知ってるとは限らない」
「じゃあ何であんな反応したんだよ」
「似た症状って言ったからかも」
レグルが腕を組む。
「少なくとも、ただの熱だけじゃなさそうだな」
「そうだね」
歩き出そうとした時だった。道の向こうから、二人の男が歩いてくる。話し声が聞こえた。
「まだ出すなって村長が言ってる」
「でも祭りも終わっただろ」
「関係ない。あれを見られたら、また騒ぎになる」
「母親が限界だぞ」
「仕方ないだろ。もし他にも移ったらどうする」
二人はハミルたちに気づくと、ぴたりと口を閉じ、そのまま足早に通り過ぎていく。ハミルは振り返った。男たちの向かった先は、村の端だった。
「……今の」
レグルが声を落とす。
「うん」
出すな。見られたら騒ぎになる。他にも移ったら。
病人の話だとすれば意味は通る。そして、薬師も何かを隠していた。
ハミルは遠ざかる二人の背中を見る。
「追おう」
ソルガルトが目を瞬く。
「声かけんのか?」
「今声かけても、たぶん誤魔化されるよ」
ハミルは二人との距離を確かめる。
「見失わないように行こう」
レグルが小さく頷いた。
二人の姿が、村の端へ続く角を曲がる。ハミルたちは少し間を置いて、その後を追った。




