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世界が彼を魔王と呼ぶまで  作者: ぶん吉
第三章

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第044話 祈る祭り

 翌朝、目を覚ました時には、外からもう人の声が聞こえていた。


 窓を開けると、昨日とは違う匂いが入ってくる。焼いた肉と甘い菓子、それに薪の煙。広場へ続く道には色布が増え、軒先には山の形を編んだ飾りが吊るされていた。


「祭りらしくなったな」


 隣の窓からソルガルトが顔を出す。


「朝から元気だね」


「祭りだからな」


「昨日も元気だっただろ」


 後ろでレグルが欠伸をした。


 昨夜は二部屋に分かれ、ハミルとレグル、ソルガルトとエルガがそれぞれ使った。


 朝食を終えて外へ出ると、村の空気は昨日よりずっと賑やかだった。


 広場には露店が並び、子どもたちが木彫りの笛を鳴らして走り回っている。大鍋から湯気が上がり、焼き台では肉の脂が弾けていた。


「お、あれ何だ?」


 ソルガルトが早速足を止める。


「朝飯食ったばっかりだろ」


「祭りの飯は別だ」


「その理屈、昨日の干し果実でも聞いた気がする」


「昨日は旅の飯だ」


「何が違うんだよ」


 レグルが呆れている間に、ソルガルトはもう露店の前にいた。


 売っていたのは、薄く伸ばした生地で刻んだ肉と山菜を包み、鉄板で焼いたものだった。ソルガルトが四つ買い、当然のように一つをエルガへ渡す。


「ハミルも食うか?」


「一口だけ」


「一個食え」


「朝ご飯食べたばっかりだって」


「祭りの飯は別だぞ」


「その理屈はもう聞いた」


 結局半分押しつけられ、ハミルは包みを受け取った。


 熱い。けれど香草の匂いが強く、思ったよりあっさりしている。


「おいしい」


「だろ?」


「お前が作ったわけじゃねえだろ」


 レグルが言う。


 そんなやり取りをしながら広場を歩いていると、昨日感じた重さが少しだけ遠のいた。


 祭りを楽しんでいる人は、ちゃんといる。


 昨日言い争っていた男二人も、今日は同じ台を運びながら何か話していた。桶をぶつけた女たちは別々の露店で忙しく働いている。


 子どもたちは、大人の事情など知らないように笑っている。


「前もこんな感じだった?」


 ハミルが聞くと、ソルガルトは広場を見回した。


「もっと騒がしかった気はするな」


『朝から酒を飲んでいる者も多かった』


『それは祭りの違いじゃなくて、時代の違いじゃない?』


『十年で人の酒好きが変わるものか』


『知らないけど』


 思わず笑うと、レグルが横から覗き込んだ。


「何だよ」


「イルが、昔は朝から酒飲んでる人が多かったって」


「それで笑ってたのか」


「うん」


「……お前ら、たまに二人だけで楽しそうだよな」


「気になる?」


「別に」


 言いながら少し不満そうなので、ハミルは笑った。


 その時、広場の中央で鐘が鳴った。


 一度。


 二度。


 三度。


 露店の呼び声が少しずつ止まり、人々が山側へ顔を向ける。


 広場の奥には、昨日は人に隠れてよく見えなかった石段があった。その先に小さな祠があり、背後の山へ向けて開かれている。


「始まるみたいだな」


 ソルガルトが包みの最後を口へ放り込んだ。


 村人たちは広場から祠の前へ集まり始めた。


 ハミルたちも邪魔にならないよう、少し離れた場所へ移る。


 石段の上に立ったのは、白髪の男だった。


 昨日、村へ入った時にも見かけた気がする。周囲の人間が自然と道を空けているところを見ると、村長か、それに近い立場なのだろう。


「今年もこの日を迎えられたこと、山の守り神様へ感謝申し上げる」


 よく通る声だった。


「この山より水をいただき、木をいただき、獣をいただき、我らはここで暮らしてきた。今日一日、いただいた恵みに感謝し、皆で祝い――」


 そこまでは、ハミルが想像していた祭りと同じだった。


 けれど村長は、一度言葉を切った。


 集まった人々の間に、微かなざわめきが走る。


「……そして今、各地で魔物が増えている。第二の魔王が現れたとの報せも届いている」


 ハミルの指先が、わずかに止まった。


 隣でレグルがこちらを見る。


 視線だけで大丈夫だと返した。


「昨日も、この村の近くで魔物が確認された。我らだけではどうにもならぬこともあるだろう」


 村長は祠へ向き直った。


「どうか今年も、我らをお守りください」


 深く頭を下げる。


 村人たちも続いた。


「お守りください」


 最初は、まばらな声だった。


 それが重なっていく。


「どうか、魔物が村へ入りませんように」


「子どもたちに何もありませんように」


「第二の魔王が、こちらへ来ませんように」


「どうか、お守りください」


 願いが一つ増えるたび、ハミルの胸の奥が重くなった。


 祈りそのものが悪いわけではない。


 誰だって、怖ければ助けを求める。


 まして実際に魔物が増えているのなら、何も恐れるなという方が無理だ。


 けれど――。


『見えるか』


 イルの声が低くなる。


『うん』


 頭を下げた人々の間から、黒い靄のようなものが滲んでいた。


 一人から出ているものは薄い。


 昨日の街道に漂っていたものより、ずっと薄い。


 だが、人数が違う。


 何十人もの恐れが、同じ言葉を口にし、同じものへ向かっている。


 ハミルは祠の向こうを見た。


 靄はそこで消えているわけではない。


 細い糸のように伸びている。


 山へ。


「……ハミル」


 レグルが、こちらの顔を覗き込む。


「何かあるのか」


 声を潜めて聞かれ、ハミルは山へ伸びていく細い靄を目で追った。


「……穢れが、山の方へ流れてる」


 レグルの表情がわずかに険しくなる。


 エルガは祠ではなく、その向こうの山を見ていた。


 ソルガルトからも、さっきまでの笑顔が消えている。


「前は、こんなんじゃなかった」


 小さな声だった。


「祈りが?」


「祭りがだ」


 ソルガルトは眉を寄せた。


「礼を言って、食って、飲んで、騒いでた。神頼みする奴がいなかったわけじゃねえ。でも……こんなふうに、みんなして縋ってなかった」


 祈りが終わる。


 村長が顔を上げ、再び祭りの始まりを告げた。


 鐘が鳴る。


 途端に、止まっていた露店の呼び声が戻った。


 子どもたちが走り出し、楽器の音が広場に響く。


 さっきまで頭を下げていた人々も、それぞれの家族や友人のもとへ散っていった。


 表面だけを見れば、祭りは元へ戻った。


 ソルガルトも、少しして子どもに引っ張られた輪投げへ参加している。


「おっちゃん、そこから投げるんだぞ!」


「おっちゃんじゃねえ!」


「じゃあ兄ちゃん!」


「よし!」


「そこは簡単に機嫌直るんだな」


 レグルが呆れる。


 エルガはその横で、渡された木の輪をじっと見ていた。


「エルガもやる?」


「……私がですか」


「うん」


「必要ありません」


「祭りに必要かどうかで考えたら、ほとんど何もできなくない?」


 ハミルが言うと、エルガは少し黙った。


 その間にソルガルトが輪を一本押しつける。


「投げてみろ。案外難しいぞ」


「ソルガルト様が二本とも外したからでは」


「言うようになったな!」


 結局エルガが投げた輪は、三つ並んだ杭の真ん中へ綺麗に入った。


「……入った」


 本人が一番意外そうだった。


 ハミルは笑いながら拍手する。


 祭りは楽しい。


 きっと、この村の人たちにとっても本来はそうなのだ。


 だからこそ、その底に沈んでいるものが気になった。


     *


 昼を過ぎる頃、広場の端で休んでいると、昨日宿を貸してくれた女主人が温かい飲み物を持ってきた。


「楽しんでる?」


「はい。食べすぎてる人もいますけど」


「祭りだからな」


 ソルガルトが即座に答える。


 女主人は笑った。


「それくらいがいいよ。最近はみんな、何かっていうと山へお願いしてばっかりだから」


「前は違ったんですよね」


 ハミルが聞く。


「そりゃあね。守り神様には昔から世話になってるけど、何でも叶えてくれる神様ってわけじゃない」


「世話になってる?」


「山で迷った子が帰ってきたとか、大雨の前に獣が山を下りてきて気づけたとか。そういう話はいくらでもあるよ。本当かどうかは知らないけどね」


 女主人は湯気の向こうで山を見た。


「だから昔は、今年もありがとうって祭りだった」


「それが、魔物が増えてから変わった?」


「それもある」


 答えが少しだけ濁った。


 ハミルは女主人を見る。


「それも?」


「……まあ、いろいろ重なったのさ」


 女主人はすぐに笑い直した。


「旅の人に話すようなことじゃないよ。ほら、せっかく来たんだから楽しんでおいで」


 それ以上聞かせるつもりはないらしい。


 ハミルも追わなかった。


 ただ、その言葉は引っかかった。


 魔物が増えた。


 第二の魔王の噂が流れた。


 それだけではない。


 何かが重なった。


「ハミル」


 女主人が離れたあと、レグルが呼ぶ。


「うん」


「……気になるのか?」


 ハミルは祠の向こうへ目を向けた。


 朝の祈りが終わってからも、村人は時折そこへ立っている。


 手を合わせ、頭を下げ、何かを願って帰っていく。


 そのたびに、薄い穢れが山へ伸びる。


 けれど今朝のように大勢が一度に祈っていないせいか、その流れは細い。


「そういえば、ソルガルトは守り神と知り合いなんだっけ」


 ハミルが振り向くと、ソルガルトは少しだけ目を瞬いた。


「まあな。昔、何度か会った」


「じゃあ……様子、見に行く?」


 ソルガルトは山を見上げた。


 さっきまで祭りの食べ物に向けていた顔とは違う。考えるように目を細めている。


「気にならねえって言ったら嘘になるな」


「なら行こうか」


 そう言ってから、ハミルも山を見上げた。


 日が傾き始めている。ここから山へ入るなら、戻る頃には暗くなるだろう。


 レグルも同じことを考えたらしい。


「今から入るのは危なくねえか」


「だよね」


 ハミルは頷く。


「じゃあ、明日にしよう。今日はもう少し村の様子も見ておきたいし」


 ソルガルトも異論はないようだった。


「それでいい。今すぐどうこうって気配でもねえ」


『我も同意見だ』


 イルが続ける。


 なら、明日の朝に向かえばいい。


 ハミルは広場を見た。


 子どもが笑っている。


 料理を売る声が飛ぶ。


 楽器の音に合わせて手を叩く人もいる。


 そのすぐ横で、祠へ向かって祈る人がいる。


 明るさと恐れが、同じ場所に混ざっていた。


 ハミルは残っていた飲み物を口にする。


 少し甘かった。


「じゃあ今日は祭りを見ようか」


「おう」


 ソルガルトがすぐに答える。


「お前はそれが目的になってねえか?」


「何言ってんだ。祭りをちゃんと見るのも調査だろ」


「さっき四軒目の飯食ってた奴が言うな」


「味も調査だ」


「便利な言葉だな、調査」


 レグルが呆れ、エルガが小さく息を吐いた。


 ハミルは笑った。


 それでも視界の端では、山へ伸びていく黒い糸が消えなかった。

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