第043話 祭りの村
市場町が見えてきたのは、昼を少し回った頃だった。
街道の先に石造りの門が現れ、その向こうには大小の屋根が幾重にも重なっている。荷車の往来も急に増え、道の脇には順番を待つ商人たちが列を作っていた。
「やっと着いた……」
ニコが大きく息を吐いた。ここまで何度も気にしていた二台目の車輪へ目をやり、ようやく肩の力を抜く。
「ちゃんと持ったな」
「だから大丈夫だって言ったのに」
「市場町までは、な。職人には見せる」
「それがいいと思う」
ガルドが笑い、荷車を門の列へ進める。
そんなやり取りをしながら、ほどなく一行は門を抜けた。
ガルドたちはここで荷を下ろし、一部を別の商人へ渡すらしい。門を抜けた先で荷車を止めると、ガルドが振り返った。
「お前らは、このまま風の国へ向かうんだよな?」
「うん。そのつもり」
「なら北西の門から出ろ。山沿いを行けば、風の国へ抜ける街道に繋がる」
ガルドは指で町の奥を示したあと、少し考えて付け足した。
「ただ、祭りへ行くなら途中で一本外れるぞ」
「山の守り神の?」
「そう。ここからなら歩いて半日もかからん。明日が本祭だったはずだ」
ソルガルトの顔がぱっと明るくなる。
「ちょうどいいな!」
「昨日から楽しみにしてたもんな」
ハミルが笑うと、レグルが肩をすくめた。
「こいつの場合、祭りがあるって聞いた時点で行く気だっただろ」
「当然だろ!」
「何が当然なんだよ」
ガルドが声を上げて笑った。
「最後まで賑やかな連中だな」
「世話になりました」
ハミルが頭を下げる。
「こっちの台詞だ。荷車まで直してもらったし、昨日は魔物も追い払ってもらった」
「干し果実もう一袋買っていいか?」
「お前は最後までそれか」
ガルドが呆れながらも袋を一つ投げる。ソルガルトが受け取り、代金を渡した。
「次会ったら少しくらいまけてくれよ」
「次も買う気かよ」
「うまかったからな」
「商人としてはありがたい客だな、お前」
ニコも荷車の横から手を上げた。
「じゃあな。山道で迷うなよ」
「それはレグルに任せる」
「最初から俺に投げんなって言っただろ」
同じやり取りに、ニコが吹き出した。
荷車の軋む音が人混みの中へ消えていくまで見送ってから、ハミルたちは町の奥へ向かった。
*
市場町は、これまで通ってきた宿場町よりずっと大きかった。
広場には荷が積み上げられ、通りを一本入るたびに扱う品が変わる。乾物、布、木材、鉱石。聞き慣れない言葉で値段を交渉する商人もいる。
ここなら三本線の袋について、もう少し詳しく追えるかもしれない。
そう思ったものの、今日は長居をしないことにした。
祭りが明日なら、先に村へ着いておきたい。香辛料の流れは、この町へ戻るか、風の国へ向かう途中でも追える。
必要な食料だけを買い足し、北西の門へ向かう。
町を出る頃には、空が少し傾き始めていた。
そこから先の道は、昨日までの街道より細い。
山へ近づくにつれ、畑が増えた。収穫を終えた畑の脇には藁束が積まれ、道端には祭りのためなのか、色布を結んだ細い杭が等間隔に立てられている。
「これ、前にもあったな」
ソルガルトが一本を指差した。
「覚えてるの?」
「形は違うけどな。道沿いに飾りを出すのは同じだ」
『昔は赤と黄が多かった』
イルが言う。
『今は青もあるね』
風に揺れる布を眺めながら、ハミルは返した。
祭りというものは、十年あれば少しくらい変わるのだろう。
それでも続いていること自体は、少し嬉しかった。
やがて道の先に家々が見え始めた。
山の裾に沿うように広がる、小さな村だった。
入口には木で組んだ門が立ち、そこにも何本もの色布が下がっている。子どもが描いたらしい山の絵や、丸い太陽のような印も飾られていた。
「ちゃんと祭りっぽいな」
レグルが言う。
「だね」
ハミルも頷く。
けれど、村へ一歩入ったところで、その印象が少し揺らいだ。
人はいる。
祭り前なのだから当然だった。
家の軒先へ飾りをつける者。広場へ長机を運ぶ者。大きな鍋を洗う者。子どもたちも何人か走り回っている。
それなのに、妙に静かだった。
「そこ、もっときつく結べ!」
「分かってるよ!」
近くで男二人が飾り紐を張っていた。
「昨日も緩んでたじゃねえか」
「風が強かったんだから仕方ないだろ」
「だから最初からきつくしろって言ってんだ!」
「うるさいな、だったら自分でやれよ!」
言葉が必要以上に尖っている。
少し先では、桶を運んでいた女が別の女と肩をぶつけた。
「気をつけてよ」
「そっちが急に止まるからでしょ」
「何、その言い方」
二人ともすぐに離れたが、互いに振り返ろうとはしなかった。
「……祭り前って、こんな感じだったか?」
ソルガルトが小さく言う。
「俺に聞くなよ」
レグルが返す。
ハミルは村の奥を見る。
飾りはある。食べ物の匂いもする。祭りを楽しみにしている子どもの声だって聞こえる。
なのに、その隙間へ薄い棘のようなものが挟まっていた。
昨日の街道で感じたものと、よく似ている。
『ここにもある』
イルが言った。
『うん』
穢れだ。
濃く固まっているわけではない。誰か一人から強く漏れているわけでもない。
村全体へ、薄く広がっている。
「宿、探すか」
レグルが周囲を見ながら言った。
「そうだね。暗くなる前に」
祭りの日だけ旅人へ部屋を貸す家があると、入口近くにいた老人が教えてくれた。言われた通り広場を抜け、山側へ少し上ったところで、小さな看板を出した家を見つける。
戸を叩くと、五十ほどの女が顔を出した。
「旅の人?」
「はい。明日の祭りを見に来たんですけど、泊まれますか?」
「四人?」
女は一行を見回した。
ハミルの焦げ茶の髪、レグル、エルガ、ソルガルト。
「はい、四人です」
「部屋は二つしかないけど、それでよければ」
「大丈夫です」
「夕飯は?」
「お願いできますか?」
「祭り前だから簡単なものになるよ」
女はそう言って戸を開けた。
中へ入ろうとした時、広場の方から大きな声が聞こえた。
「また出たって!」
ハミルたちが振り返る。
村の入口から、若い男が駆け込んできていた。
「西の畑だ! 柵の向こうに魔物がいた!」
広場にいた人々の手が止まる。
さっきまで言い争っていた男たちも、桶を運んでいた女たちも、一斉に顔を上げた。
「村には入ってきてないのか?」
「まだだ。でも昨日も北側に出ただろ!」
「見張りは何してたんだ」
「山へ知らせた方がいいんじゃないか」
「明日まで待てるか?」
「祭りの前だぞ」
声が次々に重なる。
その中で、一人の老女が胸の前で手を組んだ。
「守り神様……」
それをきっかけにしたように、何人かが山を見た。
「どうか、お守りください」
老女の祈るような声に、広場のざわめきが一瞬だけ弱まった。
だが、その静けさの中から、誰かがぽつりと呟く。
「第二の魔王が現れたっていうし……」
「やめろよ、そんなこと言うな」
すぐに別の男が遮った。けれど否定する声にも、どこか怯えが滲んでいる。
「でも魔物が増えてるのは本当だろ」
誰かが山を見上げた。それにつられるように、いくつもの視線が山の方へ向く。
「だからってここまで来るとは限らない」
「もう来てるじゃないか!」
押し返すような声に、せっかく静まりかけた広場がまたざわついた。
宿の女主人が小さく舌打ちした。
「また始まった」
ハミルは彼女を見る。
「最近、ずっとこんな感じなんですか?」
「魔物が増えてからね」
女は疲れたように息を吐いた。
「前は祭りの準備なんて、もっと馬鹿みたいに騒いでやってたんだけど」
「山の守り神にお願いする祭りなんですよね?」
「お願いするっていうか、感謝する祭りだったんだけどねえ」
女は山を見た。
「今年はみんな、お願いばっかりだよ」
広場では、まだ言い争う声が続いている。
その向こうに山がそびえていた。
ハミルはしばらく、その山と村人たちを交互に見た。
『イル』
『ああ』
村に漂う穢れが、さっきよりわずかに濃くなっていた。
魔物が出たという知らせが届いた、その直後から。




