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世界が彼を魔王と呼ぶまで  作者: ぶん吉
第三章

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第041話 旅の途中

 町を出てから、しばらくは荷車の軋む音が途切れなかった。


 二台とも、見た目以上に荷を積んでいるらしい。舗装の薄い道へ入るたび、車輪が石を噛んで鈍い音を立てる。そのたびに前を歩くガルドが振り返り、荷崩れしていないかを確かめていた。


「市場町まで、どれくらい?」


 ハミルが尋ねると、ガルドは空を見上げた。


「順調なら二日半ってとこだな。途中で一泊できる集落がある。明日は街道沿いで野宿だ」


「二日半か」


「近いと思ったか?」


「いや。二日半なら、結構あるなって」


 少し後ろでは、ソルガルトがニコの荷車の横を歩きながら、さっき買った干し果実を齧っていた。


「これうまいな!」


「商品だって言っただろ。食い尽くすなよ」


「金は払った」


「一袋分な」


「じゃあもう一袋」


「ソルガルト様」


 エルガの声が飛ぶ。


「分かってる!ちゃんと買うって」


 返事だけは妙に早い。


 レグルが隣でため息をついた。


「旅に出てから、あいつ食ってばっかりじゃねえか」


「元気そうでいいんじゃない?」


「お前は甘い」


「そうかな」


「そうだよ」


 言いながらも、ハミルの視線も一度だけソルガルトへ向いた。


 穢れを大きく引いてから、ソルガルトの様子は落ち着いている。少なくとも、今のところは。


 だからハミルも、必要以上にそこばかりを見るのはやめていた。


 今は一緒に歩いている。


 それでいい。


『随分、馴染んだな』


 イルが言った。


『誰が?』


『全員だ』


 ハミルは前を見る。


 商人二人と荷車二台。その横を歩くレグル、エルガ、ソルガルト。


 少し前までなら、この組み合わせで街道を歩くことなど想像もしなかった。


『そうだね』


 返したところで、前方からガルドの声が飛んだ。


「そこの分かれ道、右な!」


「左は?」


 ソルガルトが聞く。


「行き止まりじゃないが、山越えになる。半日どころじゃ済まねえぞ」


「じゃあ右だな」


「だから最初からそう言ってる」


 ニコが呆れた。


 街道はそこから少し細くなった。


 左右には低い林が続き、ところどころで視界が開ける。遠くに山の稜線が見えた。風の国へ近づくほど、あの山々を越える道が増えていくらしい。


 ガルドたちは慣れたもので、分かれ道へ来るたび迷いなく進んでいく。


 道標はある。ただ、文字が薄れていたり、枝道が増えていたり、書いてある距離が当てにならなかったりする。


「これ、俺たちだけだったら普通に間違えてたね」


 ハミルが言う。


「お前なら間違えてから気づくだろ」


「レグルがいるから大丈夫じゃない?」


「最初から俺に投げんな」


「頼りにしてる」


「そういう言い方すればいいと思ってんだろ」


「駄目?」


「……駄目ではねえけど」


 少し前を歩いていたガルドが振り返った。


「本当に兄弟じゃないのか?」


「違う」


 レグルが即答した。


「早いな」


「違うもんは違う」


「じゃあ昔からの連れ?」


 今度はハミルが少し考える。


「それも、ちょっと違うかな」


「面倒な関係だな」


「俺もそう思う」


「おい」


 レグルが睨む。


 ガルドは笑いながら前へ戻った。


     *


 昼を少し過ぎた頃、街道脇の開けた場所で休憩を取った。


 荷車を木陰へ寄せ、馬に水を飲ませる。ハミルたちも適当な石へ腰を下ろした。


 ニコが干し肉と硬いパンを配り、ソルガルトだけが明らかに嬉しそうな顔をする。


「旅人っぽいな!」


「今まで何だと思ってたんだよ」


 レグルが言う。


「いや、俺たちだけで歩いてる時って、何かこう……好きに止まって好きに食ってただろ」


「それはそうだけど」


「こうやって商人と同じ道歩いて、同じところで休むと、ちゃんと旅してる感じするからな」


 ハミルはパンを齧りながら、少しだけ分かる気がした。


 自分たちだけなら、疲れたら止まり、暗くなる前に寝る場所を探す。けれど荷車があれば馬の都合がある。荷の重さもある。次の集落までの距離を考え、日が落ちる時刻から逆算する。


 人間の旅は、思ったより細かい。


「前はどうだったんだ?」


 ニコが聞いた。


「前?」


「旅してたことあるんだろ。昨日も昔の店の話してたし」


「ああ」


 ハミルは少し考えてから頷いた。


「歩くことが多かったかな。町に着いたら宿を探して、道中は野営して。今とそんなに変わらないよ」


「へえ。じゃあ慣れてるんだな」


「まあ、それなりに」


「その割には道分かってなかったけどな」


 レグルが横から言う。


「昔通った道を全部覚えてるわけじゃないよ」


「そりゃそうか」


 ニコはあっさり納得すると、干し肉を噛みながら今度はガルドへ話を振った。


 それで話題は、道中で泊まって酷かった宿や、逆に飯だけは妙にうまかった宿の話へ移っていった。


 ハミルも時々そこへ混ざった。


 昔の旅について、何もかも隠す必要はない。


 どこで眠ったとか、何を食べたとか、道に迷ったとか。そういう話なら、ただの旅人の昔話として笑える。


 それくらいが、今はちょうどよかった。


     *


 午後になって、空が曇り始めた。


 雨が降るほどではない。ただ風が少し強くなり、ガルドが何度か空を見ている。


「降る?」


「夕方に少し来るかもな」


「急いだ方がいい?」


「いや。この辺で急がせる方が危ない」


 道が緩い下り坂になっていた。片側は林、反対側は浅い斜面。荷車が速度を出せば、止める方が大変になる。


 ガルドは馬の手綱を少し短く持った。


 その時だった。


 後ろから、木の割れるような音がした。


「止めろ!」


 ニコが声を上げる。


 二台目の荷車が傾いていた。右側の車輪が不自然に外へ開き、荷の重みで車体がじわじわと斜面側へ寄っていく。


「ニコ、馬を!」


「分かってる!」


 ニコが手綱を掴む。だが、驚いた馬が身体を振り、荷車がさらに大きく傾いた。


「まずい!」


 ガルドが駆け寄る。


 その横を、ソルガルトが抜けた。


「任せろ!」


 傾いた荷台へ肩を入れる。


 ずるりと落ちかけた車体が、そこで止まった。


「お前、何て力してんだ!?」


「早く馬を落ち着かせろ。抑えてるから」


 ガルドが目を丸くしたまま、すぐに動いた。


 ハミルは車輪の横へしゃがみ込む。


 軸を留める金具が外れかけていた。完全に割れたわけではない。長く揺さぶられたせいで留めが緩み、車輪がずれたらしい。


「ハミル?」


 レグルが覗き込む。


「直せそう」


「分かるのか?」


「前にも似たのやったことある」


 アバドの荷車を直した時と、壊れ方はそう変わらない。


「ガルド、工具ある?」


「あ、ああ。荷台の前だ」


「借りるよ」


 レグルが工具袋を取ってくる間に、ハミルは車軸の泥を払った。


「ソルガルト、もう少しだけそのまま」


「おう!」


「エルガ、反対側を見てて。傾いたら教えて」


「分かった」


 工具を受け取り、緩んだ金具を外す。歪みを確かめ、車輪を元の位置へ戻してから噛み合わせ直す。


 手順は身体が覚えていた。


 ガルドが隣へしゃがみ込んだ頃には、ハミルはもう最後の留めを締めていた。


「……兄ちゃん、修理もできるのか」


「こういうのは割と好きなんだよね」


「好きでできるようになるもんか?」


「壊れるものが身近に多かったから」


 森の小屋も、道具も、荷車も。誰かを呼べない場所で暮らしていれば、自分で直すしかなかった。


 ハミルは車輪を両手で揺らし、がたつきがないことを確かめる。


「これなら市場町までは持つと思う。ただ、街に着いたらちゃんとした職人に見せた方がいいね」


 どこかで言った覚えのある言葉に、自分で少しだけ笑った。


「もう離していいか?」


 ソルガルトが聞く。


「ゆっくりね」


 肩が離れる。


 荷車は一度軋んだものの、まっすぐ立ったままだった。


「よし」


 ハミルが立ち上がる。


 ガルドは荷車とソルガルト、それからハミルを順に見た。


「……お前ら、やるな」


「だろ?」


 なぜかソルガルトが胸を張る。


「お前は力任せだっただろ」


 レグルが言う。


「最初に止めたの俺だぞ」


「それは助かったけどな」


 ガルドが笑う。


「本当に助かった。あのまま倒れてたら、荷だけじゃ済まなかった」


「困ったときはお互いさまだからな」


 ソルガルトはそれだけ言って笑った。


 見返りを求めるでもなく、理由をつけるでもない。


 人が困っていたから助けた。


 ハミルは泥のついた工具を拭きながら、その横顔を見る。


 豪快で、よく食べて、声が大きい。でもたぶん、それだけではない。


 人間の食事が好きなのも、祭りが好きなのも、昔イルとあちこち歩いたのも。


 根っこのところでは、人の営みそのものが好きなのかもしれない。


『太陽らしい』


 イルが言った。


『昔から?』


『ああ』


『じゃあ変わってないんだ』


 少し間があった。


『変わらぬものもある』


 イルの声は静かだった。


 ハミルはそれ以上聞かなかった。


     *


 再び歩き出した頃には、細い雨が落ち始めていた。


 修理した荷車は問題なく進んでいる。それでもガルドは何度か車輪を気にしていたが、そのたびにハミルが「大丈夫」と言うと、少しずつ振り返る回数が減っていった。


 速度は朝より少し遅い。


 その分、話す時間は増えた。


 商売のこと。風の国へ入る荷がどこで受け渡されるのか。街道沿いの町や祭り。雨季には使えなくなる道。


 ソルガルトは知らない土地の話が出るたびに口を挟み、エルガに何度も窘められていた。


「そういや、お前ら、市場町の祭りにも行くんだって?」


 ガルドが思い出したように言った。


「え?」


 ハミルは目を瞬いた。


「いや、まだ行くって決めたわけじゃ――」


「行くぞ!」


 少し前を歩いていたソルガルトが、間髪入れずに振り返った。


「……決まったみたいだね」


「最初からそのつもりだったんだろ」


 レグルが呆れたように言う。


「祭りがあるなら行くだろ!」


「その理屈は初めて聞いたよ」


 ガルドが声を上げて笑った。


「じゃあ、祭りのあと山の方へ寄るんだな。ならこの道で合ってる。市場町を出たあと北へ分かれる道があるから、そこだけ見落とすなよ」


「分かりにくい?」


「ちょっとな。古い石標が立ってる。雨の後だと草に隠れてることもある」


「それは聞いといてよかった」


「お前、本当に道は駄目だな」


 レグルが笑う。


「だから頼りにしてるって言ったじゃん」


「はいはい」


 前方では、ニコが今夜の野営地まであとどれくらいかをガルドに聞いている。


 雨脚はまだ弱い。


 濡れた街道の向こうに、山並みがぼんやりと霞んでいた。


 あのどこかに、イルとソルガルトが昔訪れた場所がある。


 それはもう知っている。


 だから今度は、どんな場所だったのかを見に行けばいい。


 ハミルは隣を歩くレグルと、少し先でニコの荷車を覗き込んでいるソルガルトを見た。


 急ぐ旅ではない。


 少しくらい寄り道をしてもいい。


 雨の中、二台の荷車と五人は、同じ速さで次の市場町へ向かって歩いていった。

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