第040話 同じ道を行く
翌朝、宿を出てしばらく歩いたところで、ハミルは小さく欠伸を噛み殺した。
「眠いのか?」
隣を歩いていたレグルが横目で見る。
「ちょっとだけ」
「昨日、遅かったからな」
「誰のせいだと思ってるの」
「俺だけじゃねえだろ」
それはそうだった。
昨夜は結局、食事が終わってからもずいぶん長く話していた。最初に四人で救済した魔物のこと。レイオスがどれくらい勝手に動いたのか。メルクリオは本当に怒るとどうなるのか。マルテが初めて笑った時のこと。レグルに一つ答えれば、横からソルガルトが二つ聞いてくる。そうしているうちに、忘れていたと思っていた出来事まで、次々と浮かんできた。
「でも、お前も途中から結構楽しそうだったぞ」
「そうだった?」
「ああ。止めなきゃまだ喋ってたんじゃねえか」
ハミルは少し考えて、否定できずに笑った。
『随分楽しそうに話しておったな』
イルまで同じことを言う。
『……会いたいなとは思ったよ』
口にしてみると、思ったより素直に出た。
レイオスにも、メルクリオにも、マルテにも。
あのあと何をしていたのか聞きたい。自分の知らない十年の話も聞いてみたいし、こちらにも話したいことが山ほどある。
「ハミル、こっちで合ってるよな?」
前を歩いていたソルガルトが振り返った。その隣ではエルガが通りの先を見ている。
「うん。市場はこの先のはず」
答えて、ハミルは二人に追いつく。
昨夜、店主には使っている香辛料を見せてもらっていた。探している三本線の袋はなく、料理に使われていたものにも灰色の粒は見当たらなかった。
そのとき教えてもらったのが、町の南側にある市場だった。風の国から来る乾物や香辛料が、この町を通ることも多いらしい。
「何かあるといいけどな」
レグルが言う。
「なかったら、また次だね」
「気長だな」
「ここまで来たしね」
朝の通りには、昨日とは違う町の顔があった。店先へ木箱が運ばれ、荷車が行き交い、広場では露店の布が次々と張られていく。
十年前も、こんな朝だっただろうか。
そこまでは思い出せない。
『まだ考えておるのか』
イルが言った。
『少しね』
ハミルは前を歩く三人を見る。ソルガルトが朝から何かの匂いにつられて脇道を覗き込み、エルガに襟を掴まれた。レグルが呆れた顔でそれを見ている。
『忙しいな』
『何が?』
『話したい相手が増えた』
ハミルは一瞬だけ目を瞬いた。
『……そうかも』
イルはそれ以上何も言わなかった。
*
市場は、町の南側に広がっていた。
通りへ入った途端、乾いた香草の匂いが鼻をくすぐる。軒先から吊るされた束、樽に詰められた木の実、色の違う粉を並べた小瓶。食べ物だけではなく、布や革、旅道具まで雑多に並んでいる。
「広いな」
レグルが辺りを見回す。
「昨日より人多くない?」
「朝だからだろ」
「とりあえず香辛料だな」
ソルガルトが張り切って言った。
「食べるためではありませんよ」
「分かってるって!」
エルガに釘を刺されながらも、真っ先に香辛料を扱う露店へ向かう。
ハミルたちもその後を追った。
一軒目には、三本線の印はなかった。
二軒目で、レグルが足を止めた。
「ハミル」
「うん」
店先に積まれた麻袋の一つ。その隅に、見覚えのある三本線が描かれていた。
ハミルはしゃがみ込む。
「これ、見てもいいですか?」
店番の男がこちらを見た。
「買うならな」
「少しでいいんですけど」
「なら銅貨二枚」
代金を払い、小さな紙包みに分けてもらう。
中身は乾燥させた葉だった。指先で崩しながら広げてみる。レグルも隣から覗き込んだ。
灰色の粒はない。
「この袋、どこから来たんですか?」
「さあな。俺が買ったのは北の市場町だ」
「作ったところは?」
「そこまでは知らんよ。向こうから来た荷にゃ、その印が付いてるのをよく見るがな」
「向こう?」
「風の国の方だよ」
ハミルは袋の三本線をもう一度見る。
印があるからといって、中身すべてに灰色の粒が混じっているわけではないらしい。
「次、行こう」
店を離れ、さらに奥へ進む。
そのあと二つ、同じ印の袋を見つけた。一つは干した果実、もう一つは香辛料だった。どちらにも灰色の粒はない。
売り手に聞いても、答えは似ていた。
風の国側から来た荷によく付いている。途中の市場で仕入れた。どこで最初に袋詰めされたのかまでは知らない。
四軒目を離れたところで、レグルが息を吐いた。
「この町でこれ以上追うのは厳しそうだな」
「うん」
ハミルは手元の紙包みを見る。
「でも、この印が一つの店だけのものじゃないのは分かった」
「風の国側から流れてくる荷に、まとめて使われてる可能性があるか」
「たぶん。もう少し上流で見た方がよさそう」
「上流って川じゃねえぞ」
横からソルガルトが言う。
「分かってるよ」
「ならいい」
「何でお前が確認するんだよ」
レグルが呆れる。
ハミルは笑いながら、通りの先を見た。
「昨日、店主が言ってたよね。この先にも大きな市場町があるって」
「ああ。風の国から来る荷も、そこで一度集まるって話だったな」
「じゃあ、次はそこかな」
「異論はねえ」
「決まりだな」
ソルガルトが言った直後、腹が鳴った。
エルガが無言で見る。
「……朝から歩いたからな」
「まだ何も言っていません」
「その目が言ってる!」
「被害妄想です」
「絶対違う!」
言い合いながら市場を抜けたところで、前方から声が飛んできた。
「おい、煮込みの兄ちゃん!」
ソルガルトが振り返る。
「俺か?」
「他に誰がいる」
昨日、食堂で同じ卓を囲んだ旅商人だった。今日は二台の荷車を連れ、町の西門へ向かうところらしい。荷台には布をかけた木箱や麻袋が積まれている。
「お前らも西へ行くんだろ?」
「ああ。風の国の方までな」
「なら途中まで一緒に行くか? この先、分かれ道が多いぞ。初めてなら一本間違えると半日潰す」
ソルガルトが即座に振り返った。
「だってよ!」
「何でお前が決める顔してんだ」
レグルが言う。ハミルは商人を見る。
「どこまで行くんですか?」
「俺たちは次の大きな市場町までだ。その先は別の隊商に荷を渡すからな。風の国から来る荷も、そこで結構集まるぞ」
さっき決めたばかりの行き先だった。
ハミルとレグルが顔を見合わせる。
「お願いします」
「決まりだな」
商人は気さくに笑った。
*
商人はガルドと名乗った。もう一人は弟分のニコで、二人で地の国と風の国の間を行き来しているらしい。もっとも、国境を越えて端から端まで一つの荷を運ぶわけではない。
「俺らはこの辺までを行き来してる」
荷車の横を歩きながら、ガルドが説明する。
「風の国から来た荷は向こうの商人が市場町まで持ってくる。そこで俺らが買うか、預かるかして、途中の町に下ろしてくんだ。逆にこっちの品を向こうへ渡すこともあるけどな」
「じゃあ、一つの商品でも何人かの商人を通るんですね」
「それも珍しくはないな。保存の利く乾物なんかは特にそうだ」
市場で聞いた話とも繋がる。
何人もの手を渡ってくるなら、あの香辛料がどこで袋詰めされたのかを辿るのは簡単ではない。けれど、荷が集まる場所を一つずつ遡っていけば、近づけるかもしれない。
ハミルが考えていると、ガルドがこちらを見た。
「兄ちゃん、商売に興味あるのか?」
「いや、ちょっと探してる荷があって」
「へえ」
詳しく聞かれるかと思ったが、ガルドはそれ以上踏み込まなかった。代わりにソルガルトが荷台を覗き込む。
「食いもんある?」
「お前は昨日からそればっかりだな」
「旅の楽しみだろ」
「干し果実ならあるぞ。商品だからもちろん金取るけどな」
「買う!」
「ソルガルト様」
「ちゃんと金払うって」
「そういう話ではありません」
ガルドが笑った。
「仲いいな、お前ら」
「そう見える?」
ハミルが聞く。
「見える見える。兄弟か何かか?」
一瞬、全員が黙った。人間ですらない者が大半を占める一行に向かって、ずいぶん難しい質問をする。
「まあ、似たようなもんだな」
ソルガルトが勝手に答えた。
「雑すぎるだろ」
レグルが突っ込む。
「いいじゃねえか。説明すんの面倒だろ?」
「それはそうだけど」
ハミルが言うと、エルガが小さくため息をついた。ガルドは特に気にした様子もなく、手綱を握り直した。
「旅してりゃ、そういう連中もいるわな」
その一言で話は終わった。
ハミルは、少し前を歩く三人を見る。
昔も、最初から仲が良かったわけではない。勇者として集められて、同じ役目を与えられて、仕方なく同じ道を歩き始めた。
いつから変わったのかは、今でもよく分からない。
気づけば一緒に飯を食べ、くだらないことで言い合い、隣にいることを当たり前だと思うようになっていた。
目の前で、ソルガルトが買ったばかりの干し果実へ手を伸ばしたレグルを大袈裟に追い払っている。エルガが呆れながら二人の間に入り、結局一つずつ分けていた。
『いい顔をしている』
イルが言った。
『俺?』
『他に誰がいる』
『ソルガルトかと思った』
『あれは干し果実しか見ておらぬ』
見ると、本当にソルガルトは取り戻した袋の中身を数えていた。
『……そうだね』
ハミルは笑った。
*
昼休憩は街道脇の広い草地で取った。ガルドたちが荷馬を休ませている間、ハミルたちも木陰へ腰を下ろす。ソルガルトは早速ガルドたちの輪へ入り、いつの間にか旅先の祭りの話をしていた。
「山沿いの町なら、もう少し先で祭りがあるぞ」
「どこの?」
「街道を北へ少し外れたところだ。山の守り神を祀る祭りだったかな。最近また盛大になったらしい」
ソルガルトの手が止まった。
「……山の守り神?」
「ああ。知ってるのか?」
「いや」
否定したわりに、ソルガルトは妙な顔をしている。ハミルはそれを見た。
『イル』
『聞こえている』
『知ってる場所?』
すぐには返事がなかった。やがて、少し低い声が返る。
『名を聞かねば分からぬ』
それ以上は言わない。ソルガルトもガルドへ町の名前を尋ねようとして、ちょうどニコに呼ばれたガルドが荷車の方へ立ってしまった。
「後で聞けばいいか」
ソルガルトが呟く。エルガがその横顔を見ていた。
「お心当たりが?」
「たぶんな。昔、似た祭りに行ったことがある」
「一人で?」
「イルと」
ハミルは思わず内側へ意識を向けた。
『一緒に行ってるじゃん』
『……黙れ』
今度こそ笑った。
「何だよ?」
「何でもない」
「絶対何か言われただろ!」
ソルガルトが食いついてくる。レグルが呆れたように水を飲み、エルガは小さく笑っていた。
風が草を揺らす。まだ見えない山の向こうへ、街道は続いている。
灰色の粒を追って歩き始めた道だった。けれど、その途中にはハミルの知らない町があり、知っていた町があり、イルたちが昔歩いた土地もある。急いで通り過ぎていたら、きっと知らないままだった。
「そろそろ行くぞー!」
荷車の方からガルドが声を上げた。
「おう!」
ソルガルトが誰より先に返事をする。ハミルたちも立ち上がった。
この先の道で何が起こるのかは、まだ誰も知らない。ただ今は、同じ方向へ向かう二台の荷車と一緒に、五人はまた歩き始めた。




