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世界が彼を魔王と呼ぶまで  作者: ぶん吉
第三章

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第039話 四人だった頃

 翌朝、宿場町の通りは日の出と一緒に動き始めていた。


 軒先では荷車の車輪が鳴り、道の端には麻袋や木箱が積まれていく。昨夜は食堂にいた商人たちも、今はそれぞれの荷を前に出発の支度をしていた。


 ハミルはその一台の横で、積み上げられた麻袋を眺めていた。


「これ、香辛料?」


「ああ。こっちは南から来たやつだ」


 荷台へ縄を掛けていた男が答える。


「少し売ってもらえる?」


「構わんが、朝飯にでも使うのか?」


「まあ、そんなところ」


 商人は首を傾げながらも、小さな紙袋へ香辛料を分けてくれた。代金を渡し、少し離れたところで口を開く。


 赤茶けた細かな欠片を、ハミルは掌の上へ少しだけ出した。


 指先で広げる。レグルも横から覗き込んだ。


「……ないな」


「うん」


 何度か返して確かめても、あの灰色の粒は見当たらない。


 ハミルは香辛料を袋へ戻すと、商人のところへ戻った。


「風の国から来るのも、この辺を通る?」


「物によるな。何だ、そっちの香辛料も探してるのか?」


「ちょっとね」


 曖昧に答えると、男はそれ以上追及せず、縄を強く引いた。


「向こうから来る荷なら、この先の町で見た方が早いかもしれんぞ」


「この先?」


「ああ。二日くらい行ったところだ。南北の道とぶつかるから、荷を分けたり積み替えたりする連中が多い」


 ハミルはレグルを見る。


「行ってみる?」


「他に当てもねえしな」


「じゃあ決まりだな!」


 背後からソルガルトが割り込んできた。片手には、いつの間に買ったのか焼きたてのパンが握られている。


 レグルがそれを見る。


「お前、何してた?」


「朝飯買ってた」


「聞き込みは?」


「腹減ってたからな」


「役に立てよ」


「パン屋のおっちゃんにも聞いたぞ。香辛料は扱ってないって」


「それ聞き込みに入るのか?」


「聞いたんだから入るだろ」


 少し離れたところでエルガが額を押さえていた。


 そのあとも、出発前の商人を何人か捕まえて話を聞いた。風の国から来る香辛料について尋ねる。


 返ってくる答えは少しずつ違ったが、この先の町の名前だけは何度か出てきた。


「やっぱり、そこか」


 最後の商人を見送りながら、レグルが言う。


「うん。行ってみよう」


 細い手掛かりだった。それでも、進む先は決まった。


 朝のうちに、五人は宿場町を後にした。


     *


 二日目の午後、街道の先に石造りの古い塔が見えた。半分ほど崩れた、見張り塔の跡だった。


 ハミルは足を止めた。


「どうした?」


 レグルが振り返る。


「……あれ、まだあるんだ」


「知ってんのか?」


「うん」


 塔の向こうには、低い城壁に囲まれた町が見える。大きな町ではない。風の国へ向かう街道と南北の道が交わるため、昔から旅人がよく立ち寄る中継地だった。


「十年前に来たことがある」


「十年前?」


 ソルガルトが横から顔を出す。


「随分前だな」


「うん。旅をし始めて、そんなに経ってない頃だったと思う」


 レグルだけが、その言葉に小さく頷いた。ソルガルトとエルガは特に気にした様子もない。


 口にしてから、思っていた以上に記憶が鮮明に戻ってくる。あの塔は当時から崩れていた。レイオスが「上まで登れる」と言い出して、マルテに止められた。メルクリオは止めるどころか「落ちたら置いていく」と言っていた。


 結局レイオスは途中まで登り、本当に石を一つ落として宿の主人に怒られた。十九歳だった自分は、その下で笑っていた。


「何笑ってんだ?」


 レグルの声で現在へ戻る。


「ちょっと思い出してた」


「ろくでもない顔してたぞ」


「失礼だな」


『ろくでもない記憶なのだろう』


『イルまで』


 当時のイルは、まだ自分たちが討つべき魔王だった。今は、ハミルに誰よりも近い存在で、ハミルが思い出すたび、その記憶の端に一緒に触れてくる。


「ここだったのか」


 レグルが町を見る。


「昨日の商人が言ってた町」


「うん。名前を聞いた時は気づかなかった」


 十年前にも通った町だ。けれど、旅の途中で立ち寄った土地の名をすべて覚えていたわけではない。塔と町並みを実際に目にして、ようやく記憶が繋がった。


 ソルガルトが楽しそうにハミルの顔を覗き込む。


「ちょうどいいじゃねえか。調べ物もできて、昔の町にも寄れる」


「そうだね」


 今度は、素直に頷けた。


     *


 町の中は、覚えていたものと少し違っていた。道幅は同じだったし、中央広場の古い噴水も残っている。けれど、以前は道具屋だった場所が菓子屋になり、広場の端には見覚えのない宿が建っていた。


「あれ、昔はパン屋だった」


「今は靴屋だな」


「うん」


「当たり前だろ。十年経ってんだから」


 レグルに言われ、ハミルは頷く。分かっていた。分かっていたはずなのに、実際に見ると少し不思議だった。


 ずいぶん昔のことのはずなのに、景色を前にすると記憶だけが妙に近い。けれど人の世界では、店がなくなり、子供が大人になり、人が入れ替わるだけの時間が過ぎている。


 ソルガルトはそんなハミルを急かさず、珍しく少し後ろを歩いていた。エルガも何も言わない。


 広場を抜けたところで、ハミルはまた足を止めた。一軒の食堂があった。木製の看板は新しくなり、入口も塗り直されている。それでも、建物の形には覚えがある。


「ここ」


「ここも来たのか?」


「うん。みんなで初めてちゃんと飯食った店」


 レグルが眉を上げる。


「それまで飯も食わずに旅してたのか」


「そういう意味じゃないよ。みんなで、ってこと」


 レイオスとは昔から一緒だった。だから旅が始まってからも、二人で話すことに困ったことはなかった。けれどメルクリオとマルテは違った。勇者として集まったばかりの頃は、互いに何を話せばいいのかもよく分からなかった。


 四人で動いているのに、レイオスとハミルが話し、メルクリオが必要なことだけ口を挟み、マルテは少し離れて聞いている。そんな時間がしばらく続いた。この町へ来るまでは。


「入る?」


 ハミルが尋ねるより先に、ソルガルトが扉へ手をかけた。


「せっかく来たんだ。食おうぜ!」


「さっき昼食べたばかりだろ」


「甘いものなら入る!」


「別腹、まだ生きてたんだ」


「当然だ!」


 その勢いに押されるように、五人は店へ入った。


     *


 店の中も、十年前とは少し変わっていた。卓は新しくなり、壁も塗り直されている。けれど奥の大きな暖炉だけは同じだった。そして、その横に見覚えのない額が飾られていた。


「……おい」


 レグルが先に気づいた。


「何?」


「あれ」


 指された先を見る。額の中には古びた紙が入っていた。


 四つの名前が並んでいる。


 火の勇者レイオス。


 風の勇者メルクリオ。


 水の勇者ハミル。


 地の勇者マルテ。


 その下には、それぞれの署名と四勇者来訪、と大きく書かれていた。


「……残ってるんだ」


「お前の名前あるぞ」


 レグルが紙とハミルを見比べた。


「やっぱり、水の勇者だったんだな」


「……そう言ってたでしょ」


「聞くのと、こういうのを見るのは別だ」


「――待て」


 ソルガルトの声が割って入った。


 さっきまで笑っていた顔が止まっている。額を見上げ、それからハミルを見て、もう一度額へ戻る。


「ハミルって……お前か?」


「うん」


「お前、勇者だったのか!?」


「声、大きい」


 ハミルは慌てて周囲を見回した。何人かの客がこちらを振り返っている。


「いや、だって聞いてないぞ」


「聞かれてないし」


「そういう問題か!?」


「しかも水の勇者って――」


「だから声」


 隣で、エルガは何も言わなかった。


 ただ額の四つの名を見つめている。その視線が、水の勇者ハミルのところで止まった。


「……お前が」


 低い声だった。


「イルを討った勇者の一人だったのか」


 ハミルは一瞬だけ黙る。


「……うん」


 エルガの目がハミルへ移る。驚きだけではない。理解しきれないものを見るような顔だった。


「討った相手を、今は自分の中に抱えているのか」


「まあ……そうなるね」


「意味が分からん」


「それは俺もたまに思う」


『余計なことを言うな』


 イルの声が内側で響いた。


 思わず口元が緩みそうになって、ハミルは咳払いで誤魔化した。


「とにかく、声小さくね」


 今のハミルは焦げ茶の髪と瞳に擬態している。名前だけなら、誰も目の前の男と結びつけない――はずだったが、これ以上騒がれればその保証もなくなる。


「兄ちゃんたち、勇者様が好きなのかい?」


 声をかけられ、ハミルは振り返った。厨房から出てきたのは、四十代くらいの女性だった。記憶にある店主とは違う。


「昔、来たことがあるって聞いて」


 ハミルが答えると、女性は嬉しそうに笑った。


「ああ。父から何度も聞かされたよ。まだ勇者様たちが旅を始めたばかりの頃だったって」


「お父さんが?」


「前の店主。もう引退してるけどね」


 十年前、料理を運んできた男の顔が浮かんだ。当時すでに五十を越えていたはずだ。


「四人でこの店に来て、大騒ぎだったらしいよ」


「大騒ぎ?」


 ソルガルトが楽しそうに食いつく。


「近くに出た魔物を退けた帰りだったんだって。それはもう見事な連携だったって、父が何度も話してたよ」


 ハミルは黙った。レグルが横目で見る。


「……違うのか?」


「かなり」


「どの辺が?」


「全部かな」


 実際は、レイオスが合図を待たずに飛び出した。核を砕くことには成功したが、飛び散った破片の一つを見失い、メルクリオが本気で怒った。マルテは初めての実戦で緊張していて、還元の直前に手順を確認し直した。ハミル自身も浄化に思った以上の時間がかかり、終わった頃には座り込んでいた。


 見事な連携とは程遠い。それでも、四人だけで最初から最後まで救済をやり遂げたのは、あれが初めてだった。


 その夜、この店で遅い夕食を食べた。レイオスが勝手にハミルの皿から肉を取り、メルクリオが「幼馴染ってみんなこんななの?」と呆れた。そしてマルテが、初めて声を上げて笑った。


 そこからだった気がする。四人が、役割だけで並んだ勇者ではなくなったのは。


「何か思い出したか?」


 レグルが聞く。


「うん」


「話せよ」


「長くなるよ」


「旅の途中だろ。時間ならある」


 ハミルは一瞬、言葉に詰まった。それから小さく笑う。


「じゃあ、飯食べながらね」


「甘いものも頼もうぜ!」


 ソルガルトがすぐに乗ってくる。


「お前はそれしかねえのか」


「思い出話には食いもんが必要だろ!」


「初めて聞いたぞ、そんな理屈」


 エルガが店主を呼び止め、人数分の飲み物を頼んだ。ハミルはもう一度、壁の四つの名前を見る。


 十年前。まだ四人とも、勇者になったばかりだった。レイオスとはそれよりずっと前から一緒だったけれど、メルクリオとマルテとは出会って間もなかった。


 あの頃は、この先ずっと四人で旅をすることになるなんて、考えてもいなかった。まして十年後、自分だけがこうして別の仲間たちと同じ店へ戻ってくることなど。


『懐かしいか』


 イルが静かに聞いた。


『うん』


 今度は迷わず答えた。


『かなり』


 店の奥で食器の触れ合う音がする。向かいではソルガルトとレグルが、どの菓子を頼むかで言い合っていた。


 昔とは違う声に囲まれながら、ハミルは十年前の四人を思い出していた。

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