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世界が彼を魔王と呼ぶまで  作者: ぶん吉
第二章

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第036話 風の国へ

 食堂を出たあと、ハミルたちはすぐには宿へ戻らなかった。


 ソルガルトに付き合って町を少し回り、露店を覗いたり、必要なものを買い足したりしてから帰ることになった。


 その間も、ハミルは行き交う人々をそれとなく目で追っていた。


 気になっていたのは、弧だ。


 食堂で見た香辛料の中には、王都で見たものによく似た黒い反応があった。もし同じものなら、すでに影響を受けている人がいてもおかしくない。


 けれど、少なくとも目につく範囲に、弧が浮かんでいる人はいなかった。


 それで安心できるわけではない。それでも、今すぐ目の前で何かが起きている様子がないことに、ハミルはわずかに息をついた。


 宿へ戻る頃には、すっかり日が傾いていた。


 部屋へ入ると、ハミルは食堂でもらった紙包みを取り出す。


「ちょっと、これを確かめたいんだけど」


 そう言うと、ソルガルトが紙包みを見る。


「さっきもらってた香辛料か?」


「うん。王都で見た薬に、これと似た灰色の粒が入ってたんだ」


 ハミルは窓際の卓へ紙包みを置いた。


「おかしなことに、飲んでた人にだんだん核みたいなものができてさ。そこに穢れが溜まって……最後は魔化した」


「……は?」


 ソルガルトが固まった。


「人間が?」


「うん」


「いや、待て。そういう噂は聞いたことあるぞ。王都に新しい魔王が出て、人間まで魔物にしたとか何とか。でも、あれ本当だったのかよ。てっきり誰かが話盛ってるんだと思ってたぞ」


「人間が魔化したのは本当だよ」


 ハミルが答えると、ソルガルトが眉を寄せた。


「……何でお前、そんな詳しいんだ?」


「何でって」


 ソルガルトはハミルの顔をじっと見る。


 今は焦げ茶に擬態している髪と瞳。その視線が髪から目へ動き、何かを確かめるようにもう一度戻った。


「お前、最初に会った時は黒髪黒目だったよな」


「そうだけど」


「今は擬態してる」


「うん」


「王都にいた」


「いたね」


 ソルガルトの目が見開かれた。


「……お前が魔王か!」


「俺にはそんな気ないんだけどね」


「じゃあ何でそんなことになってんだよ!」


「それは俺も聞きたい」


 レグルが呆れたように息を吐く。


「こいつが人間を魔物にしたんじゃねえよ。逆だ」


「逆?」


「魔化した人間を、こいつが戻した」


 ソルガルトはハミルとレグルを交互に見た。


「……話が全然違うじゃねえか」


「事実だ。我もその場にいた」


 イルの声が部屋へ響く。


 ソルガルトがしばらく黙ったあと、頭を掻いた。


「何でそれで魔王になるんだよ……」


「だから俺も分からないって」


 ハミルは苦笑して、紙包みへ視線を戻した。


「それで、その時の薬に入ってたのが、この灰色の粒。あの香辛料にも同じようなものが見えたから、確かめたくてもらってきたんだ」


「いや、おい、ちょっと待て。話が多すぎる!」


 ソルガルトが両手を上げた。


「王都の話が全然違うのもそうだけど、その怪しい粒が、何で俺がいつも食ってる飯に混じってんだよ!」


「それを今から確かめたいんだよ」


「そうじゃなくてだな……!」


 ソルガルトは頭を抱えるように髪を掻いた。


 エルガも先ほどまでとは違う目で、包みを見ている。


「王都の事件と、関係があるかもしれないんだな」


「うん」


 レグルが向かいの椅子を引く。


「じゃあ見てみるか」


 ソルガルトとエルガも卓を囲んだ。


 紙包みの中には、食堂でもらった赤褐色の香辛料がひと匙ほど入っている。


 ハミルはそれを少しずつ指先で分けていった。


 粉末の中に、ごく小さな固い粒が混じっている。


 赤や茶色の欠片に紛れていて、気にして見なければまず分からない。その中に、色の違うものがあった。


 灰色だ。


 ひとつ。ふたつ。さらにもうひとつ。


 その周囲には、ごく薄い黒い反応が絡んでいる。


「これだ」


 ハミルが指先で示すと、レグルが目を細めた。


「これが王都の薬に入ってたやつか?」


「見た目も、反応もよく似てる」


 ハミルは水を入れた小さな器を用意した。


 香辛料を少し落とすと、赤い粉は水へ触れて色を広げ、ゆっくり沈んでいく。


 灰色の粒だけが違った。


 水を弾く。


 形を崩さず、表面へ浮いた。


 王都の薬で見たものと同じ反応だった。


「水まで弾くのか」


 レグルが浮いた粒を覗き込む。


「王都のもそうだった」


 ハミルには、粒の周囲へまとわりつく黒い反応も見えている。右腕の奥が、微かにざわついた。


 見た目だけではない。水への反応も、黒いもののまとわり方も同じだった。


 ソルガルトは椅子へ座ったまま、器を覗き込んでいた。いつもの大声はない。


「俺、これ食ってたんだな」


「最近の仕入れに変わってからも、あの料理食べてた?」


「ああ。何度か食ってる」


 エルガが静かに視線を落とした。


 継続して口にしていた。


 そして、ソルガルトは魔化した。


 それだけで原因だと決めつけることはできない。だが、王都で起きたことを考えれば、無関係とも思えなかった。


 ハミルは灰色の粒を見つめたまま、食堂にいた客たちを思い出す。


「あの料理、他の人も食べてたよね」


「そりゃ店の料理だからな」


 ソルガルトが答えてから、少し遅れて意味に気づいたように眉を寄せる。


 同じ香辛料を口にしている人間が他にもいる。


 さっき町を歩いている間、目につく範囲では弧のある者はいなかった。だが、町中の人間を見たわけではない。


「店には言った方がいいな」


 レグルが言う。


「うん。これは使わないでもらった方がいい」


 エルガが灰色の粒へ視線を向けたまま尋ねる。


「誰かが意図的に混入したものなのか」


「それが知りたいんだよね」


 ハミルは紙包みの横に置いていた紙札を見る。


 三本の線が、風を受けて流れるように描かれている。


 食堂の店主は、風の国側から来る乾物によく付いている印だと言っていた。


「これ、風の国の方から来る荷に多い印なんだって」


 ソルガルトが紙札を摘まみ上げる。


「じゃあ、そっちの方から来たのか?」


「荷はね。粒がいつ入ったかは別だけど」


 レグルが紙札を覗き込んだ。


「まず店に聞くか。仕入れた時からその袋だったのか」


「うん。どこから来た荷なのか、もう少し分かるかもしれない」


「なら明日だな」


 ソルガルトが札を卓へ戻す。


 風の国という行き先だけが、先に決まったわけではない。


 ただ、この香辛料が来た道を辿れば、少なくとも次に見るべき場所は見えてくる。


「俺も行くぞ」


 ソルガルトが言った。


「うん」


「……止めねえのか? もっとこう、病み上がりだから休めとか」


「それ、あんたが言うのか」


 レグルが呆れた声を挟んだ。


「あんたの穢れ引き受けて、昨日ぶっ倒れてたのこいつだぞ」


「……そういやそうだった」


「忘れんな」


「いや、忘れてたわけじゃねえ!」


 ハミルは苦笑しながら、ソルガルトの核を見る。穢れは残っている。だが昨日引いた後から、大きく悪化してはいない。意識も安定している。


「今の状態なら、一緒にいた方が何か変わった時に分かるからね。それに、一人で置いとく方が心配だし」


「何でだ!」


「日頃の行いです」


 エルガが即答した。


 ソルガルトが勢いよく振り返る。


「お前まで!」


「私は当然同行します」


「エルガも?」


「ソルガルト様だけを行かせる選択肢はないからな」


「おい、それどういう意味だ」


「そのままの意味です」


 エルガは平然と言い切った。


 レグルが椅子の背へもたれる。


「人数増えたな」


「レグルに拾われた時はイルと二人だったのにね」


 ソルガルトが笑う。


「賑やかになって楽しいじゃねえか!」


「騒がしいの間違いかもしれねえけどな」


 レグルが言う。


 ソルガルトは指を折りながら、卓を囲む顔ぶれを数え始めた。


「俺とエルガが増えて……五人か」


 そこで、ソルガルトの指が止まった。


「……いや、待て。お前はどこに入るんだ?」


「俺?」


「人間でも精霊でもないんだろ?」


 ハミルは少し考えて、自分の手を見る。


「そう言われると、どこだろうね」


「また面倒くせえな!」


 ソルガルトは少し考え、それからあっさり笑った。


「じゃあハミルでいいな!」


「そこだけ別枠?」


「いいだろ。五人は五人だ! 名前があるんだから十分だろ!」


 一瞬、返す言葉がなかった。


 人間でもない。精霊でもない。魔物でもない。


 けれど、ハミルでいい。


 妙に単純な言葉が、少しだけ胸へ残った。


「……そうかもね」


「だろ!」


「調子乗るな」


 レグルが横から言う。


     *


 翌朝。


 町を出る前に、ハミルたちは昨日の食堂へ立ち寄った。


 開店前の店内では、店主が卓を拭いているところだった。四人で戻ってきたのを見て、不思議そうに眉を上げる。


「どうした。忘れ物か?」


「昨日もらった香辛料のことで、少し話があって」


 ハミルは持ってきた紙包みを卓へ置いた。


「調べてみたら、香辛料じゃないものが混じってました。無理強いはできないけど、しばらくこれ使わないでもらえませんか?」


 店主が眉をひそめる。


「昨日、だからあんなに気にしてたのか?」


「はい。昨日は可能性でしかなかったんですけど」


「でも昨日、お前らも食ってただろ」


「だから気づいたんです」


 店主は腕を組み、紙包みを睨む。


 すぐに信じろという方が無理な話だった。それでも、隣に立つソルガルトが珍しく真面目な顔で口を開く。


「俺もやめといた方がいいと思う。しばらく別の香辛料使えよ」


「お前に真顔で言われると気味悪いな」


「何でだよ!」


 店主は少しだけ笑ってから、長く息を吐いた。


「分かった。お前にそこまで言われたらな。仕入れ元に確認するまでは使わねえ」


「助かります」


「こっちの台詞になるかもしれねえだろ」


 そう言って、店主は厨房の棚から例の袋を取り出し、別の場所へ仕舞い込んだ。


「これ、仕入れた時からこの袋でしたか?中身を移し替えたりしてません?」


 ハミルが尋ねると、店主は頷いた。


「ああ。俺が詰め替えたわけじゃねえよ。いつもの商人から、袋ごと買った」


「その商人はどこの方ですか?」


「風の国から乾物を運んでくる奴だ。途中でいくつか町を回って、ここにも寄る」


 レグルがハミルを見る。


 食堂へ届く前から、この袋に入っていたらしい。


「その人が通る道、知ってます?」


「大体ならな。西の街道からいつも来る。途中の町にも荷を下ろしてるはずだ」


 店主はそう言って、いくつか町の名前を挙げた。


 風の国へ続く道と重なっている。


 ハミルはレグルと顔を見合わせた。


「順に見ていこうか」


「ああ。途中で何か見つかるかもしれねえしな」


「ありがとう。助かりました」


「仕入れ元には俺からも聞いとく。何か分かったら、次に来た時に教える」


「頼む」


 ソルガルトが答えた。


 店を出ると、朝の通りには昨日と同じように人が行き交っていた。


 ハミルはその様子を見ながら、少しだけ足を止める。


 昨日見た範囲では、弧のある者はいなかった。


 けれど、それで町の全員が無事だと分かったわけではない。


 そして今は、辿るべき道がひとつ見えた。


「行くぞ」


 レグルに呼ばれて、ハミルは頷いた。


 町の門を出る頃には、空が高く晴れていた。西へ続く街道。その先に風の国がある。


 ハミルは外套の内側へ、灰色の粒を入れた小瓶と、三本線の印が付いた紙札をしまった。


 レグルが横から確認する。


「忘れ物ないか。薬、水、食料」


「全部持った」


「無茶しない心は?」


「それ売ってる?」


 レグルは呆れた顔でハミルを見る。


「今から買ってこい」


「もう門出ちゃったよ」


 後ろから豪快な笑い声がする。


「お前ら面白えな!」


「ソルガルト様、荷物を私へ押し付けないでください」


「重くねえだろ!」


「重さではなく、自分で持ってください」


 エルガが荷物を押し返す。


「細けえなあ!」


「当然です」


 ソルガルトが渋々肩へ掛け直し、レグルがそれを見て笑っている。ハミルも笑った。


 数日前まで、自分は魔王と呼ばれて逃げていた。今も、その状況が消えたわけではない。追手に見つかれば、また逃げる必要がある。身体の中には、王都とレグルとソルガルトから引き受けた穢れが残っている。


 それでも今は、行き先がある。確かめるものがある。そして、一緒に歩く相手がいる。


『ハミル』


『何?』


『前を見ろ』


 言われて顔を上げる。西から吹いた風が、焦げ茶に擬態した髪を揺らした。


 道は長い。でも、もう逃げるための道ではなかった。


「行こうか」


「ああ」


「おう!」


「行こう」


 それぞれ違う声が返る。


 ハミルは風の国へ続く街道へ、一歩踏み出した。


 今度は、原因を見つけるために。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!次回から第三章になります。

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