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世界が彼を魔王と呼ぶまで  作者: ぶん吉
第二章

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第031話 太陽のところへ

「お前たちは、何を知りたい」


 エルガはそう言ったものの、警戒を解いたわけではなかった。熱はまだ周囲に残っている。少しでも妙な動きをすれば、また飛んでくる。たぶん。


 ハミルは一度、息を整えた。


「この辺で魔物が増えてる理由が知りたい。北から穢れが流れてるのは分かったけど、その先が分からないんだ」


「……それだけか」


「今は。聞いてるうちに増えるかもしれないけど」


 エルガが露骨に眉を寄せた。


「……お前、妙に腹が立つな」


「まだそんなに喋ってないけどね」


「十分だ」


 横でレグルが小さく笑った。


「気が合いそうでよかったな」


「どこが?」


「黙れ、魔物」


「レグルだっつってんだろ」


 言い返したレグルを無視して、エルガは北を見た。


「魔物が増えた理由なら、俺にも分からない」


「じゃあ、何か起きてるのは知ってる?」


「……ああ」


 短い返事だった。ハミルは待った。さっきまでなら、続けて問いを重ねていたかもしれない。けれど、エルガの拳がまだ固く握られているのが見えた。


 話を聞くと言っただけだ。話すとは、まだ言っていない。


「周りの穢れは、北から流れてる」


 代わりに、自分たちが分かっていることを口にした。


「林にいた精霊も魔化しかけてたし、昨日は魔物も見た。俺たちを襲うより、何かから逃げてるみたいだったけど」


 エルガの眉がわずかに動く。


「……見たのか」


「うん。何か心当たりある?」


「そいつは……」


 そこで言葉が止まった。エルガは目を逸らす。


 その反応を見て、イルが低く言う。


「ソルガルトは」


 その名が出た途端、エルガの表情が歪んだ。


 握った拳に、さらに力が入る。


 怒っているようには見えなかった。何かを堪えている。そんな顔だった。


 ハミルは少し迷ってから尋ねた。


「……ソルガルトって、誰?」


 エルガがこちらを見る。すぐには答えなかった。


「知らないのか。なのに、ここまで来た?」


「魔物が増えてるって聞いたから。気になって」


 しばらく、エルガは何も言わなかった。


「……馬鹿なのか」


「よく言われる」


「褒めてねえぞ」


 レグルが横から言った。


 エルガは額を押さえた。張り詰めていたものを押し込めるように、ひとつ息を吐く。


「ソルガルト様は、太陽の精霊だ」


 ようやく落ちた言葉に、ハミルは瞬いた。


「太陽?」


『そうだ』


 イルが答える。


『我と同じ、高位の精霊だ』


「……イルと同じか」


 ハミルはエルガを見る。エルガはまだ迷っていた。それでも、一度口を開いたからか、今度は少しだけ続いた。


「少し前から、あの方の周りに穢れが溜まり始めた」


「ソルガルト本人に?」


「……ああ」


「それって、魔化しかけて――」


 熱が揺れた。


「その言い方をするな」


「ごめん。じゃあ……穢れに飲まれかけてる?」


「同じだろう」


「まあ、そうなんだけど」


「お前、本当に何なんだ」


「俺も知りたい」


 エルガは深く息を吐いた。


「……まだ、話せる。自分が誰かも分かっている。だが、日に日に穢れが増えている」


「それが周りにも流れてるのか?」


「分からない。俺には、どこまでがあの方のものか分からない。ただ、あの方の近くほど濃い。それだけだ」


 それなら、まだ何も決めつけられない。


「一度、会ってみたい」


「断る」


 即答だった。


「……早いな」


「当たり前だ。なぜお前をあの方のところへ連れていく」


「まあ、そうだよな」


「そこで納得するなよ」


 レグルが呆れたように言う。ハミルは頭を掻いた。


「じゃあ、どうしたら信用してもらえる?」


「信用するとは言っていない。話を聞くことと、あの方の前へ連れていくことは別だ」


「難しいな」


「お前が軽すぎるんだ」


 エルガの声は冷たい。けれど、もう熱は飛んでこなかった。


 そこでイルが言う。


「ハミルは、魔化しかけた精霊を戻したことがある」


 エルガの視線が、ハミルの右手へ落ちた。先ほど、自分の穢れをほんの少し引かれた手だ。


「……さっきの、あれか」


「あれより多く引き受けて、元に戻したことがある」


 エルガの顔から、初めて敵意が薄れた。代わりに浮かんだものを、ハミルは見逃さなかった。


 期待。


 けれど、それは一瞬で押し殺された。


「……あの方にも、できるのか」


 ハミルは右腕を押さえた。


「全部じゃないんだ。俺が抱えられる分だけだから。ソルガルトにもできる、とは言い切れない」


 エルガは黙ったまま、ハミルを凝視した。


「……やはり、妙だ。お前の気配は、人間のようで人間だけではない。魔物のようで、それとも違う」


 ハミルはレグルを見る。


「前にも誰かに同じこと言われたな。やっぱりそう見えるんだ」


「知らねえよ。俺に聞くな」


 エルガの視線が、今度はレグルへ移る。


「そいつにも、同じことをしているのか」


 レグルの表情が少しだけ変わった。


「……必要な時だけな」


「一度ではない?」


「まあな。俺だって、できるならやらせたくねえよ」


 その一言に、エルガが黙った。


「だから、できるかどうかを見るだけでも――」


「駄目だ」


 答えは変わらない。ただ、今度は即座に背を向けなかった。


 長い沈黙のあと、エルガがイルの声を発したハミルを見る。


「……お前が本当にイルなら、聞く。こいつを、あの方の前へ出していいと思うのか」


 イルもすぐには答えなかった。


「害するつもりはない」


「それは聞いた」


「ならば、それ以上は我にも保証できぬ。決めるのはお前だ」


 エルガの眉が寄る。


「……役に立たんな」


 しばらく黙り、それから小さく息を吐いた。


「その言い方だけは、昔と変わらん」


「お前に言われる筋合いはない」


 やがてエルガがハミルを見る。


「……勝手に近づくな。俺から離れるな。あの方に触れるな。何か妙なことをしたら、その場で焼く」


 ハミルは一拍遅れて意味を理解した。


「……連れてってくれるの?」


「信用したわけではない」


「分かってる」


「本当に分かっているのか、お前は」


「たぶん」


 レグルが何か言いたげにこちらを見たが、結局、口には出さなかった。エルガはまだ納得していない顔のまま、北へ身体を向けた。


「ついて来い」


     *


 エルガは、案内役としては最悪だった。


「速い。こっちは人間の足なんだよ」


「遅い。それに人間ではないだろう」


「そこ細かく突かなくていい」


 前を行くエルガは振り返りもしない。ソルガルトのいる場所は、人里からかなり離れているらしい。道はやがて消え、岩場と低木だけになった。進むほど、空気に熱が混じる。


 さっきエルガと戦った時の鋭い熱とは違う。もっと大きい。空そのものが近いような圧がある。


「ソルガルトって、昔からこんなところにいるの?」


「今だけだ。普段は世界中をふらついている」


『昔から変わらぬ』


 イルが内側で呟いた。


『会ってたの?』


『度々な』


 ハミルが少し笑う。


「イルが、昔から変わらないって」


 エルガが足を緩めた。


「……月は、あの方と会っていたものな」


 やがて、イルの声が外へ開く。


「度々な」


 エルガの肩がわずかに動いた。まだ疑っている。それでも、その声を聞くたびに迷いが増しているようだった。


「そういえば、レグルも知ってるの?」


 ハミルが隣へ尋ねる。


「ああ。何度かな」


『幼い頃にな』


「余計なこと言うなよ」


 レグルはイルの気配を感じたのか、即座に返した。


「何でそこ隠すんだよ」


「隠してねえ。言う必要がねえだけだ」


 エルガが振り返る。


「お前も、あの方を知っているのか」


「お前とは初対面だけどな。ソルガルトには何度か会ったことがある」


 レグルは肩をすくめた。エルガは少し意外そうにレグルを見たが、それ以上は聞かなかった。


     *


 昼前、岩陰で休憩を取った。正確には、ハミルが勝手に座った。


「休む。腹減った」


「まだ着いていないぞ」


 エルガが信じられないものを見る顔をした。レグルはもう荷物を下ろしている。


「諦めろ。こいつ、腹減ると露骨に動き悪くなるぞ」


「子どもか」


「身体は十九くらいだよ」


「余計面倒だな」


 ハミルは干し肉とパンを受け取った。


「ソルガルトも、人間の飯って食べるの?」


 何気なく聞くと、エルガの顔に微妙な疲れが浮かんだ。


「食べる。むしろ好んで食べる」


「俺が会った時も、飯の匂いにつられて勝手にどっか行ってたな」


 レグルが笑う。


「そんなに好きなの?」


「昔からだ。人間の祭りにも勝手に混ざる。我も何度か連れ出された」


 イルの声が外へ開いた。


「イルを祭りに?」


「断ったが、聞かぬ」


 ハミルは少し笑った。あのイルを無理やり祭りへ連れていく姿は、ちょっと見てみたかった。


 エルガが、ほんの少し口元を緩めた。


「……あの方も、よく月の話をしていた。無愛想で、呼んでも来ない。放っておけばもっと来ない、と」


「当たり前だ」


「あと、褒めると嫌そうな顔をするから面白い、と」


 イルが黙った。ハミルは吹き出した。


『今、嫌そうな顔してる?』


『見えぬことを幸運に思え』


 その返事は、ハミルにしか聞こえない。笑っているハミルを見て、レグルが察したように肩を揺らし、エルガも一瞬だけ息を漏らす。


 けれど、ハミルはそれを信用されたのだとは思わなかった。ただ、ソルガルトの話をしている時だけ、この精霊の声から棘が少し抜ける。それだけで、エルガにとってどれほど大事な相手なのかは十分伝わった。


     *


 午後になって、景色が変わった。木が消え、地面は赤茶けた岩と乾いた土だけになる。その先に、巨大な窪地があった。


 中心へ近づくほど、空気が霞んでいる。熱だけではない。


 黒い。


 薄い穢れが幾重にも重なり、遠くの景色を曇らせている。ハミルは息を呑んだ。これまで見ていたものとは規模が違う。森へ散っていた穢れは、ここから流れ出していたのだ。


「この中にソルガルトがいるのか」


 レグルの声から笑いが消える。


「ああ。ここ数日で急に悪くなった」


「本人は、まだ話せるんだよな?」


「……ああ。まだな」


 まだ。


 その言葉が重い。


 窪地へ足を踏み入れた瞬間、ハミルの右腕が熱を持った。周囲の穢れが、自分へ反応している。


『ハミル』


『分かってる。引かない』


 今ここで、周囲の穢れをまとめて抱える真似はしない。許容量が無限ではないことは、もう知っている。


 しばらく進んだところで、エルガの足が止まった。


 岩陰に、精霊が一体倒れている。


 すでに魔化していた。ときおり身体が小さく痙攣する。それでも、こちらへ襲いかかってくる気配はなかった。


「……またか」


 エルガの声が低く落ちる。


 その顔を見て、ハミルはようやく気づいた。エルガが言っていた「周りの精霊まで変わり始めた」というのは、こういうことだったのだ。


「この辺にいた精霊?」


「ああ。昨日までは、まだこいつも……」


 エルガは倒れた精霊から目を逸らさない。言葉はそこで途切れた。


 ハミルはしゃがみ込み、核を見る。黒く染まりきった核から漂う穢れは、この窪地を満たす靄と同じ気配をしていた。


 一体だけではないのだ。


 ソルガルトの周囲に溢れた穢れに、近くにいた精霊たちまで呑まれ始めている。


「……それで、ここまで離れたのか」


 エルガが小さく頷いた。


「昨日までは、もっと人里に近いところにいた。だが、周りの精霊まで変わり始めてしまった。だから、ここまで移った」


「昨日まで?」


「ああ」


 昨日。


 北の林で、真っ黒な人影を見たという男の話が脳裏をよぎる。顔は見えなかった。近くには魔物がいた。


 あの男が見たものは――。


 ハミルは先を見る。自分が異変の中心だと気づいて、人から離れた。王都から逃げた自分と、少し似ている。


 窪地の最奥。黒い靄の向こうに、大きな人影があった。岩へ背を預け、動かない。


 遠くからでも分かるほど巨大な核。そのほとんどが、深い穢れに覆われている。


 ハミルは足を止めた。


「……あれが」


 エルガが答える。


「太陽の精霊、ソルガルトだ」

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