↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界が彼を魔王と呼ぶまで  作者: ぶん吉
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/60

第023話 救えなかったもの

 翌朝、ハミルはようやく寝台から出る許可をもらった。


「家の中だけだ。外仕事はまだなし」


「分かったよ」


 素直に答えると、レグルが一度こちらを見た。


「……昨日よりは学習したらしいな」


「昨日一日でだいぶ言われたからね」


 ハミルは苦笑しながら、卓の椅子へ腰を下ろした。


 昨日より身体は軽い。右腕の痺れも、意識しなければ忘れる程度まで引いていた。立って歩いても息は上がらない。ただ、長く動けばまだ身体の芯が重くなる。


 回復している。そう実感できるだけでも、ずいぶん気分が違った。


 レグルは朝食の片づけをしている。木皿を重ね、水を張った桶へ入れた。その後ろ姿を、ハミルは何となく眺める。


 十年前、同じ相手を見た記憶がある。けれど、あのとき目の前にいたのは、人の姿でもなければ、皿を洗うような存在でもなかった。


 黒い影。刃のように伸びる腕。床も壁も関係なく這い回り、こちらの死角へ入り込む魔物。


 何度斬っても輪郭が崩れるだけで、止まらなかった。レイオスの炎を纏った剣が核へ届くまで、何度足を取られたか分からない。


「……何だよ。さっきから見すぎだ」


 レグルが振り返った。


「いや、昔と違うなと思って」


「そりゃ十年もありゃ変わる。……そういう意味じゃねえんだろうけどな」


「分かってるじゃん」


 レグルは皿の水を切り、布で拭き始めた。少し迷ってから、ハミルは聞く。


「昨日の話、続きを聞いてもいい? 十年前、俺たちが救済しきれなかった後のこと」


 手が止まった。レグルはしばらくハミルを見た。体調を測るような目だった。


「今なら途中で寝ねえか」


「たぶん大丈夫」


「たぶんかよ」


「絶対って言うと怒るだろ」


「そこは学習したか」


 イルは口を挟まなかったが、胸の奥に妙な間があった。


「……イル、今なんか言いたそうだった?」


『別に』


「それ絶対あるやつだろ」


 レグルが鼻で笑う。それから拭き終えた皿を棚へ戻し、向かいの椅子へ座った。


「で、どこまで覚えてる」


「レイオスが核を砕いて、メルクリオが破片を集めた。でも回廊が崩れ始めて、全部は拾えなかった。俺も浄化をかけたけど、途中で奥へ進むしかなくなった」


 言葉にすると、あのときの感触まで戻ってくる。崩れ落ちる石。怒号と熱。視界を塞ぐ砂埃。集めきれない破片へ水を通しながら、頭上では回廊が沈んでいった。


 あの場に留まれば、自分たちまで崩落に巻き込まれる。そのさらに奥には、まだイルがいた。地へ還すところまで辿り着けないまま、ハミルたちは奥へ進んだ。


「……あれで、死んだと思ってた」


「普通はそう思う。俺も最初はそう思った」


「自分で?」


「ああ」


 その答えに、ハミルは眉を寄せる。レグルは卓へ肘をついた。


「次に意識が戻ったとき、身体なんてほとんどなかった。核は砕けてる。残った破片もばらばら。影だけが、あちこちに薄く残ってた」


 ハミルは黙って聞く。


「目もねえ、耳もねえ、手も足もねえ。今みたいに考えられてたわけでもない」


「それでも、意識はあった?」


「意識って呼べるほど立派なもんじゃねえよ。腹が減ったとか、寒いとか、そういうのですらない。ただ――」


 レグルは少し考えた。


「消えたくねえって感じだけは残ってた」


 消えたくない。その言葉が、妙に胸へ残った。


「そこから、残った破片が少しずつ集まった。時間をかけてな」


「……そんなことができるのか」


「できたから俺がいる」


「いや、それはそうなんだけど」


『だからこそ、破片は一つ残らず集める必要がある』


 イルの声が入る。知識として知っていた救済の意味が、急に生々しくなる。工程を一つ欠けば終わらない。その結果が、今、目の前に座っている。


「じゃあ、俺たちは……レグルを殺しきれなかったんじゃなくて」


 ハミルは無意識に右手を握る。言い方を探す。


「救いきれなかった」


 レグルが眉を上げた。


「まあ、そうなるな」


 胸の奥が沈む。


 あの頃は、救済が正しいと思っていた。今も、それ自体は間違いだとは思わない。魔物のまま放置すれば、周囲を傷つける。穢れに呑まれた精霊を、そのままにしておくことが救いになるとも思えない。


 それでも。


 途中まで壊して、途中まで浄化して、世界へ還せず置き去りにした。その結果が、目の前にいる。


「だから、そんな顔すんなって言ってんだろ」


 レグルが言った。


「……また出てた?」


「出てる。分かりやすいんだよ、お前」


『気配でも分かる』


「あー……イルにまで分かるなら、相当か」


『お前が分かりやすいだけだ』


 少しだけ空気が緩む。レグルは椅子の背へもたれた。


「お前らが失敗したのは事実だ。俺がそのせいで、ろくでもねえ状態で長いこと這いずったのもな」


「……うん」


「だが、勘違いすんなよ。俺は被害者じゃねえ」


 ハミルは顔を上げる。


「魔王城でお前らを殺そうとしてたのは俺だ。あの回廊で何人仕留める気だったかなんて、今さら数える気もねえ。城に来る前だって同じだ」


 淡々とした声音だった。


「魔物になってから、何もしてませんでしたなんて顔するつもりはない」


「……覚えてるのか」


「全部じゃねえ。でも、戻ってきた記憶はある。人を襲った。殺した。イルの敵だと思えば、ためらいもしなかった」


 胸の内側で、イルの気配がわずかに沈んだ。レグルはそちらへ気づいたように目を細める。


「お前もだ、イル。そこで全部自分のせいみたいに黙り込むな」


『……余計な世話だ』


「そういうところは変わらねえな」


 一瞬だけ空気が緩む。けれど、レグルはすぐにハミルへ視線を戻した。


「俺があいつのそばに残ったのも、最後まで離れなかったのも俺が決めた。魔化してからやったことまで、お前らが救済をしくじったせいにするな」


 ハミルはしばらく黙った。


「……分かってるよ。俺たちも、お前を倒すつもりで戦った。そこを後悔してるわけじゃない」


 十年前の影を思い出す。足を絡め取られた。喉元を裂くために伸びてきた黒い刃を、何度も水で逸らした。あれは脅しではなかった。本気で殺し合っていた。


「あの時のお前を放っておく選択肢なんてなかったと思ってる。でも、それと救済を途中で終わらせたことは別だろ」


 ハミルは右手を握り直す。


「始めたなら、最後までやるべきだった。できなかった事情があったとしても、結果としてお前が長く苦しんだことまで、なかったことにはできないよ」


「だから全部背負うなって言ってんだ」


「全部じゃないよ」


 ハミルは首を振った。


「お前がやったことはお前のもの。俺たちがやりきれなかったことは、俺たちのものだ」


 レグルが少し目を見開いた。それから、呆れたように息を吐く。


「……面倒くせえ分け方するな」


「混ぜた方がもっと面倒だろ」


 少し間があって、レグルが鼻で笑った。


「まあ、それなら好きにしろ」


 その言葉に、ハミルは少しだけ肩の力を抜いた。けれど、まだ胸の奥に残るものはある。


「俺が生き残ったのは、お前らが救済しきれなかったからだ。最後までやれてたら、俺は世界へ還ってた」


「……そうだな」


 レグルはそこで、ふっと口の端を上げた。


「だったら、失敗して正解だったかもな。お前、俺がいなかったら川底で死んでただろ」


 ハミルは口を開きかけて、閉じた。


「……あー、それは否定しづらいな」


「十年前にお前が俺を救い損ねて、今度は俺がお前を拾った。帳尻合ってんじゃねえか」


「そんな雑な帳尻ある?」


「あることにしとけ。面倒だから」


「そこ面倒くさがるところじゃないだろ」


 レグルが鼻で笑う。


 そんな簡単な話ではない。そう思う。救済をやりきれなかった事実も、その後レグルが長く苦しんだことも、軽口一つで消えるわけではない。


 けれど、当の本人がこう言うのなら、今ここで何度も謝るのも違う気がした。


「……じゃあ、借り一つ返したってことで」


「一つじゃ足りねえな。飯も寝床も出してる」


「急に細かいな」


「現実は細けえんだよ」


 胸の奥で、イルの気配がわずかに揺れた。


「……イルも否定しないのかよ」


 レグルが小さく笑った。その笑いが消えてから、ハミルはもう一つ聞く。


「戻っていったのは、身体だけ?」


「いや。最初は、本当に獣みたいなもんだった」


「魔化してた頃より?」


「比べ方が難しいな」


 指先で卓を軽く叩く。


「あの頃は穢れに食われてた。それでも、魔物としての形はあった。命令も分かったし、殺す相手も分かった」


 イルが黙る。レグルはそれに気づいているのか、いないのか。視線だけを少し落とした。


「核を砕かれた後は、そういうのすらなかった。考えも形も、全部ばらばらだ。そこから今みたいになるまで、何年もかかった」


 何年。それ以上の具体的な数字は言わなかった。ハミルも聞かなかった。


「最初に戻ったのは、たぶん嫌悪だった」


「嫌悪?」


「ああ。何かが嫌だ、って感覚。光かもしれねえし、音かもしれねえ。自分かもしれねえ」


 そこで一度言葉を切った。


「そのうち腹が立つようになった。面倒だと思うようになった。……誰かの声を懐かしいと思うようになった」


 最後の一言だけ、少し静かだった。ハミルは胸の内側の気配を意識する。イルは何も言わない。


「それで、昔の記憶も少しずつ戻った?」


「ああ」


「イルのことも」


 少し間があった。


「ああ」


 短い返事。けれど、そこには簡単には触れられない何かがある気がした。


 ハミルは追わなかった。それはきっと、今日聞く話ではない。


「水の浄化が途中まで入ってたのも、関係あると思う?」


 ハミルが聞くと、レグルは少し考えた。


「あるんじゃねえか」


「じゃあ……俺がやったことにも、意味はあった?」


「何だ。そこ聞きたかったのか」


「いや、そういうわけじゃ……ないとも言い切れないけど」


 レグルはしばらくハミルを見ていたが、今度は茶化さなかった。


「意味はあった」


 はっきりと言った。


「全部じゃねえ。十分でもねえ。俺は今も魔物だし、元の精霊に戻ったわけでもない」


 そこで、自分の胸へ手を置く。


「それでも、あのとき浄化された部分は残った。穢れが全部を埋めたままだったら、たぶん今の俺にはなってねえ」


 ハミルは息を止める。


「……そうか」


 胸の奥の重さが、少しだけ形を変えた。軽くなったわけではない。失敗は失敗だ。救済は未完だった。レグルが苦しんだ時間も消えない。


 けれど、何もできなかったわけでもない。その両方が、同時に残る。


「納得したか」


「うーん……半分くらい」


「面倒くせえな」


「全部納得したって言ったら嘘になるだろ」


「そこは正直なんだな」


「成長したんだよ」


 そこで初めてイルが口を挟んだ。


『昨日からか』


「もっと前からだよ」


『疑わしい』


「お前、最近俺に厳しくない?」


『昔からだ』


「それ言えば何でも通ると思ってるだろ」


 レグルが噴き出した。


「お前ら本当に長い付き合いなんだな」


 何気ない言葉だった。ハミルは一瞬だけ、返事に迷った。


「まあね」


 それだけにする。正確な時間を説明するつもりはなかった。イルも何も言わない。


 レグルは深く追及せず、椅子から立ち上がった。


「話は終わりだ。今日はここまでにしろ」


「え、まだ聞きたいことあるんだけど」


「一日一個」


「少なすぎるだろ。せめて二個」


 少し間を置いて、イルが言った。


『二個ならよかろう』


 ハミルは口元を上げた。


「ほら、イルも二個」


「お前、自分を票に入れて二対一とか言うなよ」


「……まだ言ってないのに」


「考えてることが分かりやすすぎるんだよ」


 いつもの調子に戻りながら、レグルが棚へ手を伸ばす。


 そのときだった。


 袖が少しずれた。左手首。人の皮膚に擬態しているはずのそこへ、ほんの一瞬だけ黒い筋が浮かんだ。


 影ではない。細く、脈打つような黒。


 ハミルは目を止めた。すぐに消える。


「レグル。今、手――」


「何でもねえ」


 早かった。返答が。


 レグルは袖を下ろす。さっきまでとは違う、話を終わらせる声だった。


「今日はもう座ってろ。昼になったら飯にする」


「でも――」


「ハミル」


 名前を呼ばれる。強くはない。けれど、踏み込むなという響きがあった。


 ハミルは口を閉じる。代わりに胸の内へ問いかけた。


『イル。……今の、見えた?』


 返事は、すぐには来なかった。


『見えた』


『何だと思う?』


 長い沈黙。


『残っている』


 それだけだった。


『……何が』


 イルは答えなかった。


 目の前では、レグルが何事もなかったように昼の支度を始めている。包丁の音。鍋へ水を入れる音。昨日と同じ、普通の生活の音。


 けれど今は、その背中の向こうに別のものが見える気がした。


 救済は、終わっていない。


 十年前に途中で途切れたものが。


 今もまだ、レグルの中に残っている。

「続きが気になる」「面白い」と感じていただけましたら、

【ブックマーク追加】 や 【★★★★★評価】 をポチッと押していただけると、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。