赤灰の谷へ
フェルナの門を抜けた隊商は、そのまま南へ続く街道を進んだ。朝のうちはまだ、振り返ればフェルナの赤い外壁が見えていた。町の向こうでは何本もの煙が空へ伸びている。
けれど、道を進むにつれて町は少しずつ小さくなり、やがて低い岩山の向こうへ姿を消した。炉の煙の匂いもなくなり、代わりに風が運んでくるのは、乾いた土と草の匂いだった。
レイは隊列の脇を歩きながら、辺りを見渡す。道の両側には赤茶けた草がまばらに生え、その向こうには風に削られた低い岩が点々と続いている。ノースライトとも、灰域とも違う景色だった。
「フェルナを出ると、すぐ景色が変わるんだね」
「この先は赤土の多い地域だと記録にありました」
隣を歩くセレスが答える。
「やっぱり調べてたんだ」
「任務ですから」
「すごいな。セレスって、ほんと頼りになるよ」
まっすぐにそう言われ、セレスは一瞬返事に詰まった。
「……当然のことをしているだけです」
わずかに顔をそらして答える。不意に褒められたことが、思っていた以上に照れくさかった。
レイはそんなセレスの様子には気づかず、再び街道の先へ目を向けた。先を行く荷車が石を踏み、車輪が大きく揺れる。
八台の荷車は一定の間隔を保ちながら進んでいた。護衛たちは隊列の前後と左右に散り、時折岩場へ目を向けている。バルドも先頭にいるだけではなく、何度か隊列の後方まで歩いてきては、馬や荷の様子を確かめていた。
後ろの補給車では、ミラとリアが並んで座っている。舗装されていない道を進むたび、荷台が小刻みに揺れた。ミラが荷箱へ手をつき、身体を支える。
「思ったより揺れるわね」
「私は、少し慣れてきました」
「もう? 私は歩いてる方が楽かも」
「でも、今日は乗っていてください」
「分かってるって」
ミラは苦笑したあと、ふと思い出したように荷物へ手を伸ばした。
「そういえば昨日、ガイの手帳を見てたら、カルナについて書いてあるところがあったの」
リアが顔を向ける。
「カルナのことが?」
「うん。見てみる?」
ミラは荷物の中から、使い込まれた革表紙の手帳を取り出した。
「はい」
リアが少し身体を寄せる。ミラは揺れる荷台の上で頁をめくり、昨日見つけた場所を探した。世界各地を歩いたガイが、その土地で見たものや聞いたことを書き留めた手帳だった。
何枚か頁をめくったところで、ミラの指が止まる。
「あった。ここ」
二人で手帳をのぞき込む。そこには、カルナの街についての短い記述と、街の中心にある巨大な炉のことが書かれていた。
「巨大な炉……」
リアが文字を追いながら呟く。
「どれくらい大きいんでしょう」
「さあ。でも、ガイがわざわざ書いてるくらいだから、相当なんじゃない?」
ミラは手帳の文字を見つめた。ガイも、この先にある町を歩いた。そして、その炉を実際に見たのだろう。
「もうすぐ、私たちも見ることになるのね」
「楽しみですね」
リアが微笑む。
ミラは小さく頷き、もう一度手帳へ目を落とした。まだ見たことのないカルナの町が、さっきより少しだけ近く感じられた。
朝の日差しは少しずつ強くなり、赤い大地の上に隊商の長い影を落としていた。しばらく進むと、会話も自然と減っていく。聞こえるのは馬の蹄、車輪の軋み、時折吹く風の音。
レイも最初こそ周囲の景色を眺めていたが、やがて一定の歩調で進むことに慣れてきた。太陽が高くなるにつれ、空気も暖かくなっていく。
やがて街道脇に、小さな石造りのものが見えてきた。高さは人の腰ほどで、上部には四方へ開いた小さな窓がある。その内側は煤で黒く染まっていた。
バルドが片手を上げる。
「ここで止まる。水を飲んどけ。長くは休まんぞ」
前から順に荷車が止まった。商人や作業員たちは慣れた様子で馬に水を与えたり、荷車の陰へ入ったりしている。
レイとセレスも道端へ移動した。補給車からは、ミラが真っ先に降りてくる。
「やっと立てた」
両腕を上げ、大きく身体を伸ばす。続いてリアもゆっくり荷台から降りた。
「そんなに辛かったですか?」
「辛いっていうより、ずっと同じ姿勢なのがね」
「私はかなり助かっています」
「なら、乗ってて正解だったわね」
ミラはそう言いながら腰を軽く伸ばした。
レイは水袋の栓を外して口をつける。
「ぬるくなってる」
「この日差しですからね」
セレスも水を飲む。
その時、レイが街道脇の石造りのものへ目を向けた。
「……あれ、なんだろう」
気になったように近づいていく。リアとミラもその声に気づき、あとを追った。セレスも水袋をしまって三人のところへ向かう。
四人で囲むようにして眺めると、リアが少し首を傾げた。
「祈り柱に、少し似ていますね」
「でも、中が黒いわよ」
ミラが上部の窓をのぞき込む。レイも横から中を見ると、底には燃え残った炭が少し残っていた。
「火を使うものみたいだけど……」
その時、後ろから声がした。
「気になるか?」
振り返ると、護衛の一人がこちらへ歩いてきていた。
「ああ、はい。これ、何なんですか?」
レイが尋ねると、護衛は石造りの台の前へしゃがみ込んだ。
「旅火の灯り台だ」
腰の小袋から火打ち石を取り出し、中に残った炭へ新しい燃料を足す。
「旅火?」
「この街道を通る時に、火を灯して道中の無事を願うんだ。火の土地じゃ昔からある」
何度か火花を散らす。やがて炭へ火が移り、小さな炎が上がった。
リアがその炎を見つめる。
「旅の無事を願うための火なんですね」
「ああ。隊商なら誰か一人が代表して灯す。今回は俺の番だ」
護衛は火が安定するのを確かめてから立ち上がった。
レイは石の窓の中で揺れる炎を見る。
「だから昼間でも灯すんだ」
「そういうことだ。夜道を照らすためだけのもんじゃない」
小さな炎は風を受けても消えず、静かに揺れていた。フェルナでは炉の火が人を迎え、街道では旅人の無事を願って火を灯す。同じ火でも、この土地ではいろいろな形で人の暮らしに寄り添っているようだった。
「そろそろ出るぞ!」
バルドの声が飛んだ。
「じゃあな。火の守りがあるうちに進むぞ」
護衛がそう言って隊列へ戻っていく。四人もそれぞれの場所へ戻った。
休憩は短かった。一行は再び街道を南へ進み始める。背後では、旅火の小さな炎がまだ揺れていた。
昼を過ぎるころには、周囲の草が少なくなっていた。土の赤みはさらに濃くなり、ところどころに黒っぽい岩が混じる。風も朝より乾いていた。時折、道の端に溜まった細かな灰が吹き上げられ、足元を横切っていく。
レイがそれを見下ろす。
「灰が増えてきた」
「赤灰の谷が近いのでしょう」
セレスは前方を見ながら答える。
「谷の周辺では、風で灰が流れてくることがあるそうです」
「灰風ってやつ?」
「おそらく」
レイは少し先を行く護衛たちへ目を向けた。朝よりも周囲を見る回数が増えている。バルドも時折立ち止まっては、道や空を確認していた。
さらに進むにつれ、街道の左右にある岩は少しずつ高くなっていく。緩やかだった道も、ところどころ曲がるようになった。
補給車の上では、リアが口元を布で軽く覆っていた。
「少し灰っぽいですね」
「口に入ると嫌ね」
午後になると、隊商の進む速度が少し落ちた。街道の先に、灰色の霞が見え始めたからだった。最初は遠くに薄く浮かんでいるだけだったが、進むほどにその輪郭がはっきりしていく。
そして、その向こうに巨大な岩壁が姿を現した。赤褐色の岩が左右からそそり立ち、その間に細い道が続いている。
レイは思わず足を緩めた。
「……あれ?」
セレスも前を見る。
隊列の先頭で、バルドが立ち止まった。
「見えてきたな」
レイが近づく。
「あれが赤灰の谷?」
「ああ」
バルドは谷の方を見たまま答えた。
「ここから先は風向きが変わりやすい。今日は入口まで進む」
谷の上を灰が薄く流れている。遠くから見るだけでも、これまで歩いてきた街道とは空気が違って見えた。
後方の補給車でも、リアとミラが同じ景色を見ている。
「大きいですね……」
「思ったより深そう」
ミラが岩壁の上まで目を向ける。
谷の入口はまだ少し先だった。バルドが再び歩き出す。
「日が落ちる前に入口へ着くぞ!」
隊商の者たちが応じた。赤い鳥の印を掲げた八台の荷車が、再び動き始める。
夕方が近づくにつれ、太陽は岩壁の向こうへ傾いていった。赤い大地の色も少しずつ暗くなり、長く伸びた隊商の影が街道を横切っている。
やがて、左右の岩壁が大きく迫った。その間から、灰に覆われた道が奥へ続いている。
赤灰の谷の入口だった。
バルドが手を上げる。
「今日はここまでだ!」
荷車が次々に止まる。
レイは谷の奥を見つめた。ここから先は、これまでの街道とは明らかに違う。左右を高い岩壁に挟まれた細い道。その奥には、灰色の霞が静かに漂っている。
明日は、この谷へ入る。
レイはしばらくその景色を眺めていた。




