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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第1章 レイという名
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積み重ねる日々

スターリットの森の奥にある小さな広場は、ユーマの稽古場になった。


古木が四方を囲み、枝葉の隙間からこぼれる光が、苔むした地面に淡い模様を描いている。

朝には白い霧が低く流れ、昼には木漏れ日が剣先に揺れた。

雨の日には土の匂いが濃くなり、晴れた日の午後には、葉の影がゆっくりと足元を移っていく。


季節が変わるたびに、森の色も少しずつ変わった。


春は若葉が光を弾き、夏は濃い緑が空を隠す。

秋には落ち葉が地面を柔らかく覆い、冬の朝には霜が苔の上で小さく白く光った。


その中で、ユーマは毎日、木剣を握った。


最初の頃は、数十回振るだけで息が上がった。

構えはすぐに崩れ、足はもつれ、木剣の先は思った場所から大きく外れる。


「腰を落とせ」


ガレンの声が飛ぶ。


「剣だけ前に出すな。体ごと運べ」


「やってるって……!」


「やれてねえから言ってる」


ユーマは歯を食いしばった。


木剣を握る手のひらが痛い。

腕は重く、肩は熱を持っている。


それでも、手は離さなかった。


最初に教えられたのは、派手な技ではない。


構える。

足を開く。

腰を落とす。

相手を見る。

狙って、突く。


それだけ。


けれど、その「それだけ」が、まるで思うようにできなかった。


「もう一回」


ガレンが言う。


息を整え、木剣を構え直す。


踏み込む。

突く。


木剣の先が、また少し横へ流れた。


「違う」


「分かってる」


「分かってるなら直せ」


「それができたら苦労しないだろ……」


ぼやきながらも、ユーマはもう一度足を開いた。


広場の端では、朝露を含んだ草が光っている。

白い花が風に揺れ、木の根元に小さな影を落としていた。


その静かな景色の中で、木剣だけが何度も空気を切った。


やがて、季節がひとつ巡った。


足取りは、少しずつ変わっていった。

最初は根につまずいていた森の道も、いつの間にか足元を見すぎずに歩けるようになった。


大きすぎた服は体に馴染み、靴の紐を結ぶ手つきも早くなる。

小屋では火の起こし方を覚えた。

干し肉の切り方を覚えた。

水場までの道を覚え、危ない草と食べられる木の実の違いも少しずつ覚えた。


剣だけではない。


この世界で生きるために必要なことが、毎日の中にあった。


「それは触るな」


森道で、ガレンが短く言った。


伸ばしかけた手が止まる。

赤い実が、小さな枝の先で艶やかに光っていた。


「食べられないの?」


「腹を壊す」


「見た目はうまそうなのに」


「見た目で決めるな。森はそういう場所だ」


ユーマは赤い実を見つめ、それから小さく頷いた。


「覚えた」


「忘れるな」


ガレンの言葉はいつも短い。

けれど、必要なことだけは必ず教えてくれた。


別の日には、鳥の声が急に途切れた。


ユーマが気づくより先に、ガレンは足を止めていた。


「止まれ」


息を殺す。


森の空気が、ほんの少し重くなっている。

木々の奥で、枝がかすかに揺れた。


「何かいるの?」


「いるかもしれねえ」


「かもしれない?」


「見えてからじゃ遅い」


低い声だった。


しばらくして、遠くで獣の影が木々のあいだを横切った。

こちらへ来ることはなかった。


ユーマは、胸の奥で小さく息を吐く。


森はきれいだ。

けれど、きれいなだけではない。


そのことを、少しずつ体で覚えていった。


稽古も続いた。


広場の古木には、丸い木の的が吊るされるようになった。

風が吹くたび、的はゆっくりと揺れる。


「狙った場所を、外すな」


ガレンは短く言った。


「動いてるんだけど」


「敵も止まってはくれねえ」


「それはそうだけどさ」


ユーマは木剣を構える。


目標は、揺れる的の中央。


踏み込む。

突く。


外れる。


的の端をかすめることすらできず、木剣は空を切った。


「もう一回」


ガレンが言う。


構え直す。


踏み込む。

突く。


また外れる。


汗が額から落ち、目に入った。

視界が滲む。

腕が重い。

足も痛い。

息も苦しい。


それでも、手は止めなかった。


何度も、何度も。


外して、直して、また外す。


的は風に揺れ続ける。

まるで、こちらの焦りを知っているように。


「力を入れすぎだ」


ガレンの声が飛ぶ。


「狙ってるんだよ」


「狙うのと固まるのは違う」


「……難しいな」


「だから稽古だ」


同じことを繰り返しているようで、ほんの少しずつ何かが変わっていく。


足の置き方。

肩の力。

剣先の揺れ。

息を吐くタイミング。


最初は何も分からなかったものが、少しずつ体の中に残っていった。


ある日の午後。


空は高く、木々の隙間から差し込む光がまっすぐだった。

風が吹き、的が揺れる。


ユーマは息を吸った。


足を開く。

腰を落とす。

相手を見る。


狙って、突く。


木剣の先が、揺れる的の中央を捉えた。


鈍い音が、広場に響く。

的が大きく揺れ、木の表面に浅い傷が刻まれた。


一瞬、動けなかった。


「……当たった」


自分で確かめるように呟く。


手のひらには、木剣を通して伝わってきた感触が残っている。


今度は外れなかった。

ちゃんと、狙った場所に届いた。


少し遅れて、胸の奥が熱くなる。


「当たった……!」


思わず振り返る。


ガレンは腕を組み、的を見ていた。

その目が、わずかに細まる。


「上出来だ」


短い一言。


それだけだった。

けれど、ユーマには十分だった。


「やった……!」


声が弾む。


もう一度、的を見る。


木に刻まれた小さな傷。

他の誰が見ても、大した跡ではないかもしれない。


けれどユーマには、そこにこれまでの日々が残っているように見えた。


ガレンは近づき、的の傷を指でなぞる。


「一度当たったくらいで浮かれるな」


「でも当たった」


「次も当てろ」


「当てる」


ユーマはすぐに木剣を構え直した。


腕はまだ疲れている。

手のひらも痛い。


けれど、さっきまでとは少し違っていた。


できないだけではない。

届くこともある。


その感触が、体の中に残っていた。


そこからさらに、時間は流れた。


ユーマの剣は、少しずつ形を持ち始めた。


まだ荒い。

力も足りない。

ガレンと向き合えば、簡単に崩される。


けれど、最初の頃のように、持っただけで振り回されることはなくなった。


足が先に動くようになった。

剣先が少しだけ安定するようになった。


森の道を歩くときも、音の変化に気づくことが増えた。


鳥が急に黙る。

風の向きが変わる。

草の揺れが不自然になる。


そうした小さな違和感を、少しずつ拾えるようになっていった。


ある朝の稽古の後。


ガレンはユーマを連れて、小川のほとりへ向かった。


透明な水が、石の間を静かに流れている。

朝露が草に残り、光を受けて小さく弾けていた。


ユーマは上着を脱ぎ、小川に足を踏み入れる。


冷たい水が、火照った足を包んだ。


「つめた……」


思わず声が漏れる。


けれど、すぐにその冷たさが心地よくなった。


水面に朝の光が揺れている。

小さな魚が石の影をすっと抜け、また流れの中に消えた。


両手で水をすくい、顔を洗う。

頬に残っていた汗が流れていった。


「はあ……気持ちいい」


肩の力が抜ける。


ガレンは岸辺の石に腰を下ろし、黙って小川を見ていた。


顔を拭いながら、ユーマは少しだけ迷った。

それから、振り返る。


「今日どうだった?」


ガレンは目だけを向ける。


「何がだ」


「剣。前より……少しは良くなってる?」


聞いてから、少しだけ視線を落とした。


答えを知りたい。

けれど、まだ足りないと言われる気もしていた。


ガレンはしばらく何も言わなかった。


小川の音だけが、二人の間を流れていく。

水面に揺れる光が、ガレンの革鎧に淡く映った。


「まだまだだ」


いつもの調子だった。


ユーマは、やっぱりな、と思う。


けれど、ガレンは続けた。


「だが……少しは様になってきたな」


一瞬、顔が上がる。


「……本当?」


「嘘を言ってどうする」


短い返事だった。


ユーマは言葉を噛みしめるように、小さく頷いた。


「そっか」


水の冷たさが、足元から静かに伝わってくる。

胸の奥に、じんわりとした熱が広がった。


ちゃんと積み重なっていた。


昨日より少し。

その前の日より、もう少し。


目に見えないくらい小さなものでも、消えてはいなかった。


ユーマは顔を上げる。


「じゃあ、もっとやれるな」


その声には、ほんの少しだけ力があった。


ガレンは静かに見ていた。

それから、小さく頷く。


「そう思えるなら、まだ伸びる」


短い言葉だった。


けれど、ユーマの足元を流れる水のように、すっと胸の中へ入ってきた。


しばらくして、ガレンが立ち上がる。


「汗も流したことだし、村に行くぞ」


「村?」


「干し肉と、革紐がいる」


ユーマの表情が少し明るくなる。


「いいね。ちょうど腹も減ってたし」


それから、少し考える。


「果物も買っていい?」


ガレンは歩き出しながら言った。


「自分で運ぶならな」


「運ぶ」


「なら買え」


「やった」


小川のせせらぎが、明るく響く。

水のきらめきが、二人の背を追うように揺れていた。


森の道を戻りながら、ユーマは軽やかに歩いた。


足元にはまだ木の根がある。

湿った石もある。

注意を怠れば、すぐにつまずく。


それでも、最初の頃とは違う。


どこに足を置けばいいか。

どの根を越えればいいか。

どの石が滑りやすいか。


少しずつ、体が覚えている。


積み重ねた日々は、まだ小さい。

けれど確かに、ユーマの中に残っていた。


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