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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第7章 火の位相へ
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交易都市アルヴァ

門をくぐると、町の空気が一気に近くなった。


石畳を行き交う荷車の音。


商人たちの呼び声。


荷を運ぶ人々の足音。


焼きたてのパンと、乾いた香草の匂い。


アルヴァは、神殿の町とは違っていた。


白い石壁や低い屋根の並びには、まだルミナスの加護を受ける土地らしい穏やかさがある。けれど道の両側には露店が並び、布地、乾燥果実、旅具、工具、香草の束が所狭しと置かれていた。


神殿に近い町の静けさとは違う。


ここには、人と物が行き交うことで生まれる熱があった。


レイは思わず周囲を見回した。


「すごいな……」


「交易都市ですからね」


セレスが前を見たまま答える。


「神殿から来る荷も、南西から戻る隊商も、いったんここに集まります」


リアは通りの一角に立つ白い石柱に目を向けた。


細かな星紋が刻まれ、その足元には小さな祈り花が供えられている。


「祈り柱も、きちんと手入れされています」


「アルヴァまでは巡礼路が保たれていますから」


セレスは短くうなずいた。


「ここはまだ、ルミナス様の加護下です」


その言葉を聞きながら、レイは白い石柱を見上げた。


確かに、空気の奥には神殿に近い穏やかな光が残っている。


けれど同時に、その光の中へ、外の土地の匂いが少しずつ混じっているようにも感じた。


広場へ向かう途中、ひとりの騎士が通りの向こうから歩いてきた。


三十代半ばほどの、日に焼けた顔立ちの男だった。きちんと整えられた装備の肩には、アルヴァ駐留隊を示す紋がある。


男はセレスの前で足を止め、背筋を正した。


「セレス殿。アルヴァ駐留隊隊長、ハルトです」


セレスも静かに視線を返す。


「到着の報告は門で済ませました。短期滞在となります」


「承知しております」


ハルトは一礼した。


「宿と補給の手配はすぐに整えます。南西街道についても、昨夜までの報告をまとめてあります」


「聞かせてください」


「街道そのものに大きな異常はありません。ただ、古い監視塔を越えたあたりから、最近は乾いた熱風が吹くことが増えています」


ミラの目が、わずかに動いた。


「熱風?」


「ええ」


ハルトはうなずく。


「まだ異常と断じるほどではありません。ですが、隊商の中には、獣の群れが少し落ち着きを失っていると話す者もいます。小型のものが、妙に人里近くまで寄ることがあるようです」


セレスの表情は変わらなかった。


「被害は?」


「今のところ、軽傷が数件です。荷を荒らされた隊商もありますが、命に関わるものはありません」


「分かりました。引き続き警戒を」


「はっ」


ハルトはもう一度深く頭を下げた。


そのやり取りを見ながら、レイはアルヴァがただ賑やかなだけの町ではないのだと感じた。


ここは、神殿の加護が届く場所。


けれど同時に、その外側から来る変化を最初に受け止める場所でもある。


四人はまず宿を確保し、荷を下ろした。


その後、セレスの案内で補給のために広場へ向かった。


厚手の水袋。


乾燥肉。


保存の利く豆。


火打石。


結び紐。


野営用の薄布。


応急用の薬草。


セレスは品をひとつずつ確かめながら選んでいく。


「アルヴァを出れば、次の補給まで間が空きます」


「水は多めですか?」


リアが尋ねる。


「ええ。ここから先は乾いた土地が増えます。重くなりすぎない範囲で持ちましょう」


リアはうなずき、薬草や包帯を丁寧に確かめた。


「傷薬も少し増やしておきます」


「お願いします」


その隣で、ミラは別の露店の前に足を止めていた。


古い紙片や木板、写し書きされた地図が乱雑に積まれている。


「……これ、南西街道の古図?」


店主の老人が顔を上げた。


「おや、分かるのかい」


「今の街道じゃないわね。線が古い」


ミラは紙面を覗き込む。


羊皮紙には、現在の街道よりもさらに古い道筋がいくつも描かれていた。


途中には、小さな印がある。


監視塔。


中継所。


崩れた石造りの施設。


レイも横から覗き込んだ。


「これ、今も残ってるのか?」


老人は肩をすくめた。


「残ってるものもあれば、崩れたものもある。昔はもっと南まで人の行き来があったらしいが、今じゃ使われなくなった道も多い」


ミラは古図から目を離さなかった。


「星刻文明の頃の道かもしれない」


その声には、いつもの軽さとは違う熱があった。


禁書庫で見た巨大な都市。


導管。


星の涙のレプリカ。


あれほど遠い記録だと思っていたものが、こうして街道の上にも痕跡を残している。


ミラはしばらく考え、それから顔を上げた。


「これ、譲ってもらえる?」


老人は少し笑った。


「旅に持っていくには、あまり役に立たん古図だぞ」


「そうでもないわ」


ミラは即座に答えた。


「古いものほど、今の道にはないものを教えてくれることがあるから」


老人は目を細めた。


「なら、持っていきな」


ミラは礼を言い、古図を買い取った。


レイはその横顔を見ながら、少しだけ笑った。


「楽しそうだな」


「そりゃそうよ」


ミラは古図を筒状に巻きながら言った。


「千年前の道が、今の街道の下に残ってるかもしれないのよ。気にならない方がおかしいでしょ」


「そういうものか」


「そういうもの」


きっぱりと言い切るミラに、レイは思わず笑った。


昼を少し過ぎたころ、四人は広場の端にある小さな食堂へ入った。


石壁の中は外よりひんやりとしていて、旅人や隊商の者たちが低い声で言葉を交わしている。


運ばれてきたのは、香草を入れて煮込んだ豆のスープと、焼きたての平たいパンだった。


湯気が立ち上り、歩き続けた体にじんわりと染みる。


「おいしい」


レイが素直に言うと、ミラが得意げに笑った。


「こういう町の食堂って、外れが少ないのよ」


「なぜですか?」


リアが少し首を傾げる。


「旅人が多いから。まずい店はすぐ噂になるもの」


「なるほど……」


リアが妙に真面目にうなずいたので、レイは少し笑いそうになった。


そのとき、店の奥から笑い声が聞こえた。


隊商の男たちが数人、荷を下ろして食事を取っている。


そのうちのひとりが、ふと顔を上げた。


黒に近い赤褐色の髪。


陽に焼けた肌。


そして、光の角度で揺れる瞳。


虹彩の奥に、赤金の細い光が走った。


ミラの視線が止まる。


ほんの一瞬だった。


けれど、その色を見た瞬間、胸の奥に小さな熱が灯った気がした。


禁書庫で火の位相が開示されたとき、瞳の奥に残ったあの熱。


それと少し似ている。


「ミラ?」


レイが小さく声をかける。


ミラはすぐに視線を戻した。


「ううん。なんでもない」


そう言いながらも、その瞳の色だけが妙に心に残った。


赤金。


火の奥で揺れるような光。


理由は分からない。


けれど、見覚えがないはずなのに、まったく知らないものとも思えなかった。


食事を終えたあと、リアは広場の祈り柱へ向かった。


旅人たちが出発前に短く祈りを捧げる場所らしく、白い石柱の周囲には小さな花や布片が供えられている。


リアはその前で静かに手を重ねた。


レイは少し離れて見守った。


朝夕の祈りを欠かさないこと。


タニヤの言葉を、リアはきちんと守っている。


けれどその横顔には、神殿にいるときとは少し違う緊張があった。


ここはまだルミナスの加護下。


それでも、神殿そのものではない。


リアもまた、外の土地で自分の祈りを確かめているのかもしれない。


夕方近く、ミラは広場の露店をひとりで見て回っていた。


古い書板、割れた陶片、旅の護符、隊商が持ち帰った小物。


その中に、焼けたような赤い紋が刻まれた木板があった。


炎にも見える。


だが、ただ燃え上がる形ではない。


ゆっくりと内側で揺らぐ熱のような紋。


ミラは思わず足を止めた。


「それ、南の守り印だよ」


店番の老女が言った。


ミラは木板から目を離さずに尋ねる。


「南の?」


「赤灰の谷の向こうで使われている古い印さ。隊商の中には、谷へ入る前に持っていく者もいる」


「赤灰の谷……」


ミラは小さく繰り返す。


老女は、皺の深い目を細めた。


「あのあたりには、火の精霊フレイラにまつわる話が残っている」


その名を聞いた瞬間、ミラの胸の奥がかすかに熱を帯びた。


「……フレイラ」


「熱の底に眠る、古い火の守り手さ」


老女の声は、まるで昔話を語るように低かった。


「南を行く者は、無事に戻れるようにその名を口にする。もっとも、今の若い者は、ただの古い言い伝えだと言うけどね」


ミラはしばらく木板を見つめていた。


フレイラ。


初めて聞く名のはずなのに、なぜかすぐには離れていかない。


「これも、買える?」


「もちろん」


老女は小さく笑った。


「気になるなら持っておいき。古い印は、必要な者のところへ行くものだ」


ミラは代金を払い、木板を受け取った。


手のひらに乗るほどの小さなものだった。


ただの木片だ。


そう思おうとした。


けれど、指でなぞった赤い紋は、ほんのわずかに温かい気がした。


夜になり、四人は宿の一室に集まった。


窓の外では、まだ町のざわめきがかすかに残っている。


ミラが昼に買った古図を広げた。


「南西街道はこのまま続く。ここから先は、いくつか古い中継跡があるみたい」


セレスが地図を覗き込む。


「ハルト隊長の報告にあった監視塔も、このあたりでしょう」


「この印、今の地図には載ってないわね」


ミラが指先で古図の一点を示す。


「使われなくなった施設かもしれない」


レイはその印を見つめた。


禁書庫で見た記録。


それが今、古図の小さな印として目の前にある。


不思議な感じがした。


「明日は早く出ましょう」


セレスが言った。


「アルヴァを越えれば、光の位相の外へ出ます。水と食料の確認も済ませておきます」


リアがうなずく。


「アルヴァから先は、もう光の位相の外へ出ていくのですね」


「ええ」


セレスは静かに答えた。


「ここから先は緩衝地帯です。ルミナス様の加護も、祈り柱も少しずつ薄くなっていきます」


その言葉に、部屋の空気が少しだけ静かになった。


レイは窓の外へ目を向けた。


アルヴァの夜は穏やかだった。


まだルミナスの加護は、この町を包んでいる。


けれど、その穏やかさの向こうから、乾いた風が近づいている。


火の位相。


赤灰の谷。


フレイラ。


今日知ったばかりの名が、夜の静けさの中でゆっくりと重なっていく。


ミラは古図の端を押さえたまま、黙って小さな木板を見つめていた。


赤い紋は、灯火の揺れに合わせて、ほんの少しだけ色を深めたように見えた。


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