回廊での再会
祭壇の内陣を出ると、昼の光が回廊に満ちていた。
朝の冷たさは、もうほとんど残っていない。
結界の外へ出た瞬間、遠くの祈りの声が戻ってくる。
人の気配。
外の風。
神殿のどこかで鳴る、小さな鐘の余韻。
それを聞いて、レイはようやく戻ってきたのだと思った。
けれど、胸の奥にはまだ光が残っている。
母の声。
崩れた広間。
届かなかった手。
そして、ルミナスの光が告げた言葉。
――君が来るのを、待っていた。
その響きは、まだ消えていなかった。
「レイ!」
声がした。
顔を上げると、回廊の先からリアが駆け寄ってくる。
その姿を見た瞬間、胸が小さく軋んだ。
白い衣。
弱くなった髪飾りの光。
崩れた広間で、こちらを見ていた瞳。
光承の儀の中で見たリアの姿が、一瞬だけ目の前の彼女に重なる。
「……っ」
息が止まりかけた。
けれど、次の瞬間には、リアはもう目の前にいた。
傷ついていない。
消えかけてもいない。
昼の光の中で、ちゃんとそこにいる。
リアは迷わず、レイの手を取った。
両手で、ぎゅっと握る。
「……よかった」
声が震えていた。
「本当に……無事で」
その温もりに触れた瞬間、レイの中で張り詰めていたものが少しだけほどけた。
祭壇の光でもない。
儀式の幻でもない。
今、目の前にいるリアの手の温もりだった。
「大丈夫」
レイは少しだけ笑った。
「ちゃんと戻ってきたよ」
いつも通りに言ったつもりだった。
けれど、リアはすぐには手を離さなかった。
本当に戻ってきたのかを確かめるように、指先に少しだけ力を込めている。
少し遅れて、ミラが歩み寄ってきた。
レイの顔を覗き込むなり、目を細める。
「……で?」
「で、って何だよ」
「何見たの?」
あまりにも真っ直ぐな問いに、レイは一瞬だけ詰まった。
ミラは胸に抱えたガイの手帳を軽く叩く。
「だって、光承の儀でしょ? 星の涙の祭壇で、神官長様が直々に見てたわけでしょ?」
言葉が少し早くなる。
「水晶の反応は? 中では時間の感覚あった? 過去? 未来? それとも象徴みたいな――」
「ミラさん」
リアがそっと声をかけた。
ミラはそこで、はっとしたようにレイを見る。
レイは笑おうとしていた。
けれど、たぶんうまく笑えていなかった。
ミラは口を閉じる。
それから、気まずそうに頬をかいた。
「……ごめん。今聞くことじゃなかった」
「いや、ミラらしいけど」
レイがそう言うと、ミラは小さく肩をすくめた。
いつもの調子に戻りかけて、けれどそれ以上は踏み込まない。
「落ち着いたら、聞かせて」
ミラの目が、少しだけ真面目になる。
「レイが見たもの、たぶん大事なことだから」
レイは胸元へ手をやった。
服の下にあるペンダントは、静かに温かい。
「……ああ」
短く答える。
「話せるところは、そのうち話す」
「うん。今はそれでいい」
ミラはそう言って頷き、それ以上は聞かなかった。
リアはレイの手を握ったまま、静かに尋ねる。
「レイ」
「うん?」
「無理、していませんか?」
柔らかい声だった。
けれど、見逃さない声でもあった。
レイは一瞬だけ視線を落とす。
見たものを、全部話すことはできない。
まだ、自分の中でも整理できていない。
でも、嘘はつきたくなかった。
「疲れた」
リアの指先が、わずかに強張る。
レイはすぐに笑った。
「でも、大丈夫。立ててるし、問題ないよ」
リアはその顔を見つめる。
しばらくして、ようやく小さく頷いた。
「……なら、よかったです」
そう言いながらも、手はまだ離さない。
その温もりが、レイの足元を確かめてくれているようだった。
「で、これからどうするの?」
ミラが声を落ち着けて尋ねる。
「神官長様のところに行くんだよね?」
「ああ」
レイは頷いた。
「話しておきたいことがある」
リアとミラの表情が、わずかに引き締まる。
レイはそれを見て、少しだけ笑った。
「そんな顔するなって。」
「でもけっこう、顔色悪いよ」
「……そんなに?」
「私が心配するぐらいに」
その言葉に、レイは少しだけ黙った。
ミラなりに、ちゃんと見てくれているのだと分かる声だった。
リアの手にも、少しだけ力がこもる。
レイは小さく息を吐き、苦笑した。
「……じゃあ、無理はしないようにする」
「それでよし」
短いやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
その時だった。
回廊の奥から、静かな足音が響いた。
三人の視線がそちらへ向く。
神官長タニヤだった。
濃紺のローブを揺らし、ゆっくりと歩いてくる。
その眼差しは、まっすぐレイを捉えていた。
一瞬だけ、タニヤの視線がレイの胸元に落ちる。
「レイ」
低く、落ち着いた声だった。
タニヤはレイの顔色を見るように、わずかに目を細める。
「体は動くか」
レイは一瞬だけ戸惑い、それから頷いた。
「はい。少し疲れましたけど、大丈夫です」
「ならば来なさい」
短い言葉だった。
けれど、先ほどよりもわずかに柔らかかった。
レイはリアとミラを見る。
リアは名残惜しそうに手を離し、胸の前で指を重ねた。
「行ってきてください」
その声は、レイを止めるものではなかった。
ミラも、今度はしっかりと頷く。
「後で話、ちゃんと聞かせてよ」
「ああ、もちろん」
レイは軽く手を上げて応えた。
それから、タニヤの方へ歩き出す。
回廊の光が、その背を静かに照らしていた。
ルミナスが何を待っていたのか。
自分が何を見たのか。
母の言葉が、誰に向けられたものなのか。
まだ、すべては分からない。
それでも、足取りは止まらなかった。




