神殿図書館の再会
中へ入ると、紙と革の匂いがした。
高窓から差し込む昼の光が、空気に浮かぶ細かな塵を照らしている。
棚には厚い革装の本や巻物が並び、読書机では数人の神官や町の人が静かに頁をめくっていた。
入口には、受付の巫女が一人座っている。
「お名前をお願いします」
差し出された帳簿に、レイとミラはそれぞれ名を書いた。
巫女は帳簿を確認し、静かに一礼する。
「古い書物もございます。閲覧の際は、丁寧に扱いください」
「分かりました」
レイが答えると、巫女は奥の棚へ視線を向けた。
「お探しの分野があれば、お声がけください」
「ありがとう」
二人は奥へ進んだ。
図書館は、それほど大きくはない。
けれど、奥へ進むほど、外の町の音が遠ざかっていくようだった。
ミラはガイの手帳を開き、棚の表示と見比べていく。
「古代遺構……神殿史……古い街道記録……」
小さく呟きながら、背表紙を追う。
レイも隣で棚を見上げた。
文字は読める。
けれど、古い記録になるほど言い回しが難しく、すぐには意味が取れない。
何冊か手に取ってみても、星刻文明や裂け目に直接触れているものは見つからなかった。
「やっぱり、普通の棚にはないのかな」
レイが小さく言うと、ミラは手帳から顔を上げた。
「たぶんね。あっても、かなり遠回しに書かれてるか、神殿側で伏せられてるか」
「伏せられてる?」
「星刻文明そのものは、ただの昔話なんだけど、レプリカとか、蒼の神機とか、裂け目に近い話は……隠されててもおかしくない……」
その時、後ろから呼びかけられた。
「レイ?」
聞き覚えのある声だった。
振り向くと、リアが立っていた。
栗色の髪を整え、白い衣に淡い金の刺繍をまとっている。
銀の髪飾りが昼の光を受けて、小さく光った。
レイは一瞬、言葉を忘れた。
「リア」
名前を呼ぶと、胸の奥にあった緊張が少しだけほどけた。
リアも、小さく微笑んだ。
「お久しぶりです、レイ」
「うん。久しぶり」
「また来てくださったんですね」
その声は静かだった。
けれど、少しだけ嬉しそうでもあった。
「調べたいことがあって」
レイがそう言うと、リアの視線が隣のミラへ向いた。
ほんの一瞬だけ、微笑みが薄くなる。
「……ご一緒の方は?」
丁寧な声だった。
けれど、どこか確かめるような響きがあった。
ミラは軽く頭を下げた。
「ミラよ。レイとはノースライト地方へ行く道で会ったの」
「ノースライト地方……」
リアの声が少しだけ低くなる。
「道中で助けてもらったんだ。それから、一緒にいろいろ見てる」
「そうなんですか……」
リアはもう一度ミラへ向き直り、静かに頭を下げた。
「はじめまして。私はリア。アストラリス神殿の巫女です」
リアは少しだけ表情をやわらげた。
「よろしく、リア」
ミラはそのまま、手帳を閉じた。
「それで、その調べたいことなんだけど、星刻文明と、蒼の神機。それから……レプリカについて」
リアは一瞬言葉に詰まり、慌てたように周囲へ視線を走らせた。
誰もこちらを見てはいない。
リアはほっとしたように小さく息をつき、声を落とした。
「ここでは、あまりその名前を出さない方がいいと思います」
柔らかい声だった。
それでも、そこにははっきりした警戒があった。
ミラはすぐに頷く。
「場所を変えた方がいい?」
「そうですね。では、中庭へ。あそこなら、少しは話せます」
レイはリアを見る。
「大丈夫?」
リアは少しだけ迷った。
けれど、すぐに頷く。
「私にできる範囲なら」
図書館の脇の扉を抜けると、小さな中庭に出た。
石壁に囲まれた静かな空間だった。
外の町の音はほとんど届かない。
中央には小さな水盤があり、その傍にルミナスの花が咲いている。
淡く青白い花弁が、昼の光を受けて静かに揺れていた。
「ここなら、大丈夫です」
リアが声を落とす。
ミラは手帳を両手で持ち直した。
「じゃあ、まず何があったか説明させてね」
ミラはそう言ってから、手帳を抱え直した。
「シルヴィで、噂話を聞いたの」
リアが顔を上げる。
「噂、ですか?」
「湖の北東に、石柱と聖堂みたいな建物が現れたっていう噂。私たちはそれを確かめるために、ハルム村まで行った。それから湖の北東の丘へ向かったら、本当に聖堂があったの。何もなかったはずの丘に、突然現れたみたいに」
「突然……」
「中には星刻文明のものらしい紋様があった。地下には青白い結晶もあった」
ミラはそこで一度、レイを見た。
「私は、それが星の涙を真似たレプリカかもしれないと思ってる」
リアの表情が強張る。
「レプリカ……」
「そこで、影の教団と出くわした」
その名を聞いた瞬間、リアの指先が白い袖をそっと握った。
「黒いローブの連中。あいつらは、その結晶を調べてた。たぶん、回収しようとしてたんだと思う」
ミラはそこで、抱えていた手帳へ視線を落とした。
「それと、この手帳のことも関係してる」
「手帳、ですか?」
「ガイの手帳。私を育ててくれた人のもの」
リアの視線が、古びた手帳へ落ちる。
「ガイは星刻文明を追っていたの。蒼の神機とか、裂け目とか、そういうものを調べてた。でも、今は行方不明」
ミラの声から、いつもの軽さが少しだけ消えた。
「ガイが行方不明になったのも、影の教団に襲われた後なの。だから、今回のこととも無関係だとは思えない」
中庭に、短い沈黙が落ちた。
リアは手帳とレイの顔を見比べ、それから静かに息を吸った。
「……星刻文明の詳細についての記録は、神殿でも扱いが難しいものです」
「やっぱり、普通には見られない?」
ミラが聞く。
リアは小さく頷いた。
「一般に開かれている記録もあります。けれど、あなたたちが探しているものは、おそらくここにはありません」
水盤の表面が、風もないのにかすかに揺れた。
リアは言葉を選ぶように続ける。
「そうしたものに関わる記録は、簡単には触れられない場所にあります」
「封じられている、ってこと?」
「はい。神官でも、自由に見ることはできません」
レイは息を呑む。
やはり、普通の本棚に答えはない。
レイは、服の下にあるペンダントを意識する。
聖堂の地下で、あの結晶は反応した。
影の教団も、この石の光を見ていた。
隠したままでは、もう進めない。
レイはゆっくりと息を吐いた。
「リア」
「はい」
「その地下の結晶に、これが反応したんだ」
そう言って、服の下からペンダントを取り出した。
青い石が昼の光を受ける。
深い水底のような色。
その奥に、かすかな光が揺れていた。
水盤の上に、青い反射がひとつ落ちる。
リアの目が、静かに見開かれた。
「……それは」
声が、ほんの少しだけ震えていた。
レイは手のひらにペンダントを乗せる。
「十歳のころから持ってる。ずっと、お守りだと思ってた」
少しだけ間を置く。
「でも、アストラリス神殿の星の涙にも反応した」
レイは青い石を見下ろした。
「それに、聖堂で影の教団と戦ったとき、あいつらがこの光を見て言ったんだ。星の涙か、って」
リアの表情が、わずかに強張る。
ミラが静かに補足する。
「私は、星の涙と同じような力を持っているのかもしれないと思ってる。けれど、まだ確かなことは分からない。だから、ここに来た」
リアはペンダントを見つめたまま、小さく息を吸った。
「……影の教団がそれに気づいているなら、神殿にお伝えした方がいいと思います」
ふと、ポーチの中で淡い光が揺れた。
レイは、ポーチを開く。中に入っているのは、ルミナスの花。淡い青白い光を帯びたまま、花は静かに咲いている。
「これ……前にもらった花」
レイはそっと花を取り出した。
リアの目が、静かに見開かれる。
「え……あの時の?」
リアは花を見つめたまま、小さく息をのんだ。
「綺麗なままですね……」
「うん。枯れないんだ。このままで」
リアの表情が、やわらかく揺れた。
「……ずっと、持っていてくれたんですね」
その声は小さかった。
けれど、嬉しそうだった。
中庭の水盤に、花の光が映っていた。
青白い反射が水面にほどけ、白い石床へ淡く揺れる。
リアはそっと花へ指を伸ばした。
触れた瞬間、花弁の光がほんの少し強くなる。
「……レイの光が、この花に宿っています…」
リアは静かに手を引いた。
「この花も、ペンダントも、私だけでは判断できません」
リアは声を落とす。
「神官様に相談しましょう」
「神官様?」
「はい。私が信頼している方です。まずはその方にお話しします」
レイはルミナスの花をポーチへ戻した。
知らないままでは進めない。
ノースライトで見た聖堂。
地下の青白い結晶。
影の教団。
そして、手の中の青い石。
ひとつひとつが、ばらばらではない気がしていた。
「うん。行こう」
レイが言うと、リアは小さく頷いた。
「では、こちらです」
ミラも手帳をしまい、肩にかけた荷を直した。
「ここまで来たら、ちゃんと話した方がいいね」
三人は中庭を出た。
図書館の中へ戻ると、昼の光は変わらず静かに棚を照らしていた。
読書机では神官たちが頁をめくり、受付の巫女が帳簿に目を落としている。
リアは受付の巫女へ短く声をかける。
「少し、本殿へ行ってまいります」
巫女はリアの表情を見て、静かに頷いた。
「お気をつけて」
図書館を出ると、白い石畳の向こうに本殿へ続く石段が見えた。
昼の光を受けたアストラリス神殿は、遠くから見上げたときよりもずっと大きく見える。
レイは一度だけ息を整えた。
リアが先に歩き出す。
その後ろを、レイとミラが並んで続いた。
石段の上から、神殿の鐘が静かに響いた。




