図書館が開くまで
翌朝。
レイは、窓から差し込む光で目を覚ました。
木の天井。
白い布のかかった窓。
遠くから聞こえる人の声。
少し遅れて、昨夜シルヴィの宿に泊まったことを思い出す。
身体を起こすと、昨日よりずっと軽かった。
完全に疲れが抜けたわけではない。
それでも、歩き出すには十分だった。
窓を開けると、朝の風が白いカーテンを揺らした。
白い石壁の家々に光が乗り、窓辺の花鉢が小さく揺れている。
坂道の向こうでは、アストラリス神殿の尖塔が、空へ溶けるように淡く光っていた。
宿の食堂で簡単な朝食を済ませると、レイとミラは町の人に道を聞きながら、神殿図書館へ向かった。
朝のシルヴィは、昨日の夕方より明るかった。
店先では果物を並べる商人たちが声をかけ合い、水路には朝の光がきらきらと散っている。
石橋の上を、子どもたちが笑いながら駆けていった。
やがて二人は、神殿の本殿へ続く石段の近くまで来た。
そこから少し外れた場所に、古い石造りの建物が静かに建っている。
大きくはないが、長い年月を感じさせる佇まいで、入口のアーチにはルミナスの紋章が刻まれていた。
「ここだね」
「ガイは、ここで調べてたんだよな」
「手帳に名前が出てくる。何度か来たのだと思う」
「何か残ってるかな」
「探そう」
ミラは短く言った。
二人は入口へ向かった。
けれど、扉は閉じられていた。
入口の脇には、小さな木の案内板が立てかけられている。
――閲覧は、昼過ぎより受け付けます。
「昼過ぎからか」
レイが呟くと、ミラも案内板を覗き込んだ。
「朝から開いてると思ってたけど、仕方ないね」
「昼までどうする?」
「せっかくだし、少し町を見て回らない?」
「観光ってことか?」
「そう。図書館だけで終わるのも、もったいないでしょ」
ミラは少しだけ楽しそうに笑いながら町へと歩き出す。
「そういえば、レイっていくつ?」
「十六だけど」
「じゃあ、私の方が一つ上だね」
「そうなんだ」
「うん。十七」
ミラは少し得意げに胸を張った。
「というわけで、年上の私が案内してあげたいところだけど……私もシルヴィをちゃんと歩いたことないのよね」
「それ、案内にならないだろ」
「そうね。じゃあ、一緒に見て回りましょ」
そう言われると、悪くない気がした。
「図書館は昼過ぎに戻ってこよう」
「決まり」
二人は図書館を離れ、白い石畳の坂道を下った。
市場の近くでは、焼き菓子の露店が出ていた。
丸く焼かれた菓子の表面には薄く砂糖がまぶされ、ところどころに干した果実がのぞいている。
ミラが足を止めた。
「これ、ハンナが持たせてくれたのに少し似てる」
「買う?」
「一つだけ……いや、二つ。レイも食べるでしょ」
「うん」
二人は焼き菓子をひとつずつ買い、石段の脇に腰を下ろした。
外側は少し硬い。
けれど、噛むほどに麦の香ばしさと、干した果実の酸味が広がっていく。
「おいしいな」
「うん。こういうの、旅の途中だと余計においしく感じる」
ミラは焼き菓子を見下ろし、少しだけ目を細めた。
「ハンナの焼き菓子も、ありがたかったね」
「そうだな」
「アレクとハンナにも、また会いに行けたらいいね」
「うん。また、ゆっくり行けたらいいな」
「アレクに釣りでも習おうかな」
「いいね、それ」
二人は小さく笑った。
それから、二人は水路沿いの道を歩いた。
細い水路には朝の光が揺れ、白い石橋の影が水面に落ちている。
橋の欄干には小さな花鉢が並び、淡い青の花が風にそっと揺れていた。
ミラは足を止め、花を覗き込む。
「シルヴィって、花が多いね」
「ルミナスの花も、この町ではよく見る」
「そうなんだ」
ミラは花弁に触れないよう、少しだけ顔を近づけた。
「綺麗。神殿の町って感じがする」
「そうだな。白い石と花が多いからかな」
「うん。でも、思っていたよりずっと親しみやすい町なんだね」
レイは水路の向こうに続く白い町並みを見た。
「俺も、最初に来たときは驚いた。全部が明るく見えて」
「今は?」
「……前より、人の暮らしが見える気がする」
ミラは少しだけ頷いた。
「それ、分かるかも」
市場の声。
水路の光。
白い壁に揺れる花。
ここには、ノースライトの冷たい風とは違う時間が流れている。
裂け目の記憶は消えない。
けれど、こうして町を歩いていると、少しだけ心が軽くなった。
「こういう町なんだな、シルヴィって」
レイが呟くと、ミラは隣で笑った。
「案内、できてるじゃない」
「今のは案内なのか?」
「うん。たぶん」
「たぶんか」
「でも、楽しいよ」
ミラはそう言って、軽く笑った。
その笑顔は、水路の光と一緒に、レイの胸に少しだけ残った。
やがて昼近くになると、二人は小さな食堂に入った。
香草をのせた白身魚の蒸し焼きと、豆の煮込み、それに柔らかな丸パン。
簡単な食事だったが、朝から歩いた身体には十分だった。
食事を終えるころには、太陽が少し高くなっていた。
「よし。今度こそ図書館だね」
「うん」
レイは頷いた。
坂道を上り直すと、神殿図書館の扉は開いていた。
入口のアーチに刻まれたルミナスの紋章が、昼の光を淡く返している。
「行こう」
レイが言うと、ミラは手帳を胸元に抱え直した。
「うん。今度こそ」
二人は並んで、神殿図書館の中へ足を踏み入れた。




