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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第3章 ノースライト地方と星の涙のレプリカ
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星の涙のレプリカ

静寂が戻った。


さっきまで地下空間を満たしていた重い圧は、嘘のように薄れている。残るのは、水滴が石を打つ音と、青白い光が床の溝をかすかに照らす揺らぎだけだった。


レイは、ゆっくりと剣を下ろした。


呼吸は荒く、腕も重い。それでも、視線だけはまだ落ちなかった。


身体の奥に、さっきまでの感覚がかすかに残っている。


踏み込んだとき。


振り抜いたとき。


胸元から腕へ、腕から剣へ、光が流れた感触。


ほんのわずかに、まだ指先が覚えていた。


「……レイ」


ミラの声がした。彼女もまた呼吸を乱していた。


「今の、何?」


「今の?」


「最後と、その前に斬り込んだ時。剣に光が走ってた。それに……胸元も光ってた」


レイは無意識に胸元を押さえた。


服の下に隠しているペンダント。


ガレンの声が、ふいに頭をよぎる。――あまり人に見せるな。いいな。


けれど今は、隠したままでは説明できない気がした。


少し迷ってから、服の内側へ手を入れる。


「……これ」


胸元から、青い石のペンダントを取り出した。


ミラの目が大きく見開かれた。


「……それが、さっき光ってたもの?」


いつもの軽やかな雰囲気が、わずかに薄れた。


「母さんからもらったんだ。お守りみたいなものかな」


「お守り、ね」


ミラは小さく呟いた。


その視線は、もうただの装飾品を見るものではなかった。青い石の奥に、何かを探すような目だった。


レイは自分の剣を見た。今はただの鉄剣に戻っている。そこに光は残っていない。


「……俺にも、よく分からない」


「自分でやったんじゃないの?」


「たぶん、違う。いや……使ったのは俺なんだけど」


言葉にしようとして、うまくまとまらない。


あの時、胸元のペンダントが脈打ち、身体が動き、剣に光が走った。


そのどれもが、自分の意志だけで起きたものではない気がした。けれど、完全に勝手に動かされたわけでもない。


「引っ張られた、っていうか……でも、最後は自分で踏み込んだ……」


レイはゆっくりと言った。


「この光が、剣についてきた感じだった」


「触ってもいい?」


ここまで見せた以上、隠しても仕方がない。


「……うん」


ミラは指先で、そっとペンダントの縁に触れた。


その瞬間、青い石の奥で、かすかな光が揺れた。


ミラの指が止まる。


「……うーん」


「何か分かる?」


「よく分からないけど、普通の術具とは違う気がする」


ミラはペンダントから指を離し、祭壇の結晶へ視線を向けた。


「さっきの反応、この結晶だけじゃない。たぶん、これとあんたのペンダントが呼び合った」


「呼び合った……?」


母から受け取った青い石。


アストラリス神殿の星の涙に反応したもの。


そして今、古代の聖堂の地下で、剣に光を走らせたもの。


「可能性の話だけど」


ミラは少しだけ声を落とした。


「星の涙と同じような力を持っているのかもしれない」


母から受け取った青い石が、星の涙とどこかでつながっている。そう考えた瞬間、胸の奥が小さくざわついた。


「……これが?」


それ以上、言葉は続かなかった。


その時、レイはふと周囲の違和感に気づいた。さっきまで倒れていたはずの黒ローブたちの姿がない。床には、黒い靄の跡がわずかに残っているだけだった。


「……いない」


ミラは目を細めた。


「退いたみたいだね」


影の教団。


その名を口にした時のミラの声が、レイの耳にまだ残っている。彼女にとって、あの黒いローブの集団は、ただの敵ではないのだろう。


レイは聞きかけて、口を閉じた。


ミラはもう周囲を見ていた。


壁の刻印。床に残る黒い靄の跡。祭壇へ続く細い溝。そして中央の結晶。


レイも自然と祭壇へ目を向ける。青く輝く結晶は、先ほどまでとは違い、今は静かに光を湛えているだけだった。


ミラが祭壇に近づき、結晶を覗き込んだ。


「……本物じゃないね」


レイは一歩近づく。


「本物じゃない?」


「たぶんね」


ミラは腰のポーチから、古びた手帳を取り出した。


ガイの手帳。


何度も開かれたのか、革の表紙は擦れ、角は丸くなっている。


ミラは素早くページをめくり、刻まれた図と目の前の結晶を見比べた。


「星の涙を真似たもの。ガイは、こういうのを“レプリカ”って書いてる」


「星の涙の……レプリカ」


レイは結晶を見つめる。あれほどの反応があったものが、偽物。その言葉が、すぐには噛み合わなかった。


ミラは指先で手帳の図をなぞる。


「形は似せられる。でも、本物みたいに世界を巡る流れには組み込めない」


「世界を巡る流れ?」


「ガイの言い方だと、《みなもと》の循環。星の涙は、その流れの核みたいなものらしい」


ミラは床へ視線を落とした。祭壇へ向かって集まる細い溝。その奥に、乾ききった跡のような青黒い筋がかすかに残っている。


「レプリカには、その流れを自然には作れなかった。だから足りない分を、外から巡らせてたんだと思う」


「外から……?」


「蒼い液体」


ミラは短く言った。


「手帳では、蒼の神髄って書いてある。星の涙から抽出した、高濃度の《みなもと》液……らしい」


レイは思わず、床の溝を見た。


「じゃあ、この溝は……」


「たぶん、その蒼の神髄を流すためのもの」


ミラの声は、いつものように軽くなかった。


「本物の星の涙を真似て作ったものを動かすために、本物の星の涙から奪った力を流していた。そういう仕組みだったんだと思う」


地下の青白い光が、静かに揺れた。


レイは言葉を失う。


綺麗に見えていた結晶が、少しだけ違うものに見えた。


美しい。けれど、どこか痛々しい。


「……そんなことまでして、これを作ったのか」


「昔の人たちが何を考えてたのかは分からない」


ミラは手帳を閉じる。


「でも、ガイはこれを危険なものとして扱ってた」


「危険……」


「本物ほど安定してない。けど、似た反応は起こせる。さっきみたいに」


レイはペンダントを見つめる。


「じゃあ、俺のこれが反応したのは……」


「そっちは、もっと分からない」


ミラは祭壇の結晶へ視線を戻す。


「ただ、無関係じゃないと思う」


無関係じゃない。その言葉が、胸の奥に沈む。


レイはペンダントを服の内側へ戻した。


偽物。


レプリカ。


そう言われても、あの瞬間に走った感覚だけは消えない。ペンダントと結晶が、確かに何かを交わした。その余韻だけが、胸の奥に残っていた。


ミラは祭壇から離れた。


「さて、長居しない方がいいよね」


「え? もう調べなくていいの?」


「調べたいよ。でも、やつらが、また来るかもしれない」


ミラは手帳をしまう。


「それに、今のあんた、かなり無理してるでしょ」


言われて、レイはようやく自分の手が震えていることに気づいた。腕だけではない。身体の芯まで、重くだるかった。


「……ちょっとだけな」


「ちょっとの顔じゃないよ」


ミラは軽く怒った顔をして言う。けれど、責める声ではなかった。


レイは最後にもう一度、結晶を見る。


青白い光が、静かに揺れている。戦いの激しさを、何も知らないかのように。それなのに、胸元のペンダントには、まだ微かな熱が残っていた。


聖堂の外へ出ると、冷たい空気が一気に頬を打った。


地下に満ちていた青白い静けさが背後へ遠ざかり、レイは思わず大きく息を吸う。白い息が、雪の混じる風にほどけた。


だが、安心する間もなかった。


突然、足元の石畳が、ぐにゃりと沈むように揺れた。


「な、何だ――」


空気が歪んでいる。


聖堂の入口から広がる石畳の継ぎ目に、赤黒い光が細く走った。


「これは……まさか……!」


ミラの声が鋭く跳ねた。


「走って!」


考えるより先に、腕を掴まれる。


聖堂の入口から続く石畳が、背後から波打つように崩れていく。


石の継ぎ目に赤黒い光が走り、足元の影がひび割れた。


レイは歯を食いしばり、ミラと一緒に駆け出した。


外套が風に煽られる。


ブーツが凍った石を蹴る。


背後で、石柱の一本が音もなく傾いた。


「石畳を抜けて!」


ミラが叫ぶ。


聖堂の周りに敷かれている石畳の先に、雪をかぶった土の地面が見える。


あと少し。


そう思った瞬間、二人の足元で石畳が大きく沈んだ。


「っ……!」


ミラの身体が横へ傾く。


レイも足を滑らせ、視界がぐらりと揺れた。


間に合わない。


そう脳裏をよぎった瞬間、服の下でペンダントが強く熱を持った。


考えるより先に、身体が動く。


胸元から淡い光が広がり、薄い膜のようにレイの身体を包んだ。


「ミラ!」


レイは崩れかけた体勢のまま踏み込み、ミラの身体を横抱きに抱え上げた。


「ちょ、レイ!?」


驚いた声が耳元で弾ける。


その瞬間、レイを包んでいた光の膜が、腕の中のミラへも広がった。


守るように。


二人をひとつの淡い光で包み込むように。


レイは奥歯を噛みしめ、残っている力を全部足に込めた。


凍った石畳を蹴る。


視界が跳ねた。


背後で、石の床が赤黒い光に割れていく。


ほんの一瞬、身体が宙に浮いた。


外套が風に広がり、ミラの髪が頬をかすめる。


次の瞬間、レイは雪をかぶった土の上へ転がり込んだ。


腕の中のミラをかばうように肩から落ち、息が詰まる。


薄い光の膜が、一度だけ揺れて、砕けるようにほどけた。


それでも、石畳の外へ出られた。


土の冷たさが、頬に触れている。


その直後、背後で空間が裂けた。


音ではない。


世界そのものが破れるような、低く深い震えだった。


レイは顔を上げる。


聖堂の中央から、黒い裂け目が開いていた。


それはただの闇ではない。青白い光を呑み込みながら、赤黒い筋を星形に広げ、石柱も、階段も、入口も、ゆっくりと内側へ引きずり込んでいく。


「……これが…星の裂け目」


ミラが息を呑むように呟いた。


その声には、はっきりとした震えがあった。


「ガイの手帳にあった。星刻文明の遺構が、裂け目に呑まれたり、別の場所に流れ着いたりすることがあるって」


レイは何も言えなかった。


青白い光が、聖堂の奥で一度だけ強く瞬く。


次の瞬間、建物の輪郭がずれた。


石の壁が薄くなり、柱の影が引き伸ばされ、祭壇へ続く入口の奥が黒く沈んでいく。


そして――


聖堂が、呑まれた。


崩れ落ちたのではない。


そこにあったはずのものが、裂け目の内側へ折り畳まれるように消えていった。


後に残ったのは、雪に埋もれた石柱の欠片と、黒く焦げたような地面だけだった。


レイはしばらく動けなかった。


胸の奥が熱い。


けれど、その熱はもう力ではなく、身体の奥に残った疲れのようだった。


「……レイ」


ミラが身を起こし、すぐにレイの顔を覗き込んだ。


「大丈夫?」


「……大丈夫」


そう答えたつもりだったが、声は思ったよりかすれていた。


立ち上がろうとして、足に力が入らない。


ミラは短く息を吐くと、近くの岩を指した。


「少し座って。今のは、さすがに無理しすぎ」


「……うん」


レイは素直に頷いた。


ミラに支えられながら岩まで歩き、そこに腰を下ろす。冷たい石の感触が、外套越しに身体へ伝わってきた。


しばらく、二人とも言葉を発しなかった。


風の音だけが、聖堂の消えた丘を通り抜けていく。


「……消えた」


ようやく、レイが呟いた。


「うん……」


ミラは、黒く焦げた地面を見つめたまま小さく息を吐いた。


「一度呑まれた場所は、こっちに長く留まれないってことか」


「じゃあ、あのレプリカも……」


「影の教団からも、私たちからも、手の届かないところへ行った」


「でも、見た」


ミラが言う。


「レプリカがあった。影の教団も来ていた。あんたのペンダントは反応した」


少しだけ間を置いて、彼女は続ける。


「それだけでも、十分すぎる手がかりだよ」


レイは小さく頷いた。


考えようとしても、頭がうまく回らない。


今はただ、息を整えるだけで精一杯だった。


やがて、ミラが立ち上がる。


「戻ろう。ここに長くいるのはよくない」


そう言ってから、ミラはレイを見た。


「……立てそう?」


「ああ」


立とうとして、少しふらついた。


ミラはすぐに隣へ戻り、肩を貸す。


「無理しない。村まで、私が支えるから」


「……悪い」


「さっき抱えて飛んだ分、これで貸し借りなしってことで」


ミラはそう言って、少しだけ笑った。


それから、ほんの少し視線をそらす。


「……それと、助けてくれてありがと」


その声は、いつもの調子より少しだけ小さかった。


レイもかすかに笑い返し、彼女の肩を借りながら山道へ足を向ける。


道はゆるやかに下っていき、やがて遠くに、ハルム村の灯りが見え始めた。


雪の中に滲む小さな明かりが、今はひどくありがたく見える。


白い息が、夜の冷気にほどけていく。


二人の影は寄り添うように、静かな雪道を進んでいった。


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