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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第3章 ノースライト地方と星の涙のレプリカ
19/60

影の教団と黒き咆哮

階段を抜けた先は、広い地下空間だった。


壁と床を満たす青白い光が、水面のように揺れている。石床には細い溝が走り、それらは中央の祭壇へ向かって集まっていた。


中央には、石の祭壇がある。


その上に、青く輝く結晶が浮かんでいた。


見た瞬間、レイの息が止まった。


星の涙――?


一瞬、そう思った。


形も、光も、アストラリス神殿で見たものに似ている。


けれど、すぐに違和感が追いついた。


あの星の涙の光は、静かで、深くて、どこか見守るようだった。


目の前の結晶は違う。


美しい。


けれど、整いすぎている。


自然に生まれたものというより、誰かが星の涙を真似て、形だけを丁寧になぞったもののように見えた。


胸元の青い石が、服の下でかすかに熱を持つ。


レイは息を呑んだ。


「……反応してる」


ミラは祭壇を見つめたまま、床の溝へ視線を落とした。


「普通の遺跡じゃないね」


「分かるのか?」


「まだはっきりしないけど、この溝……ただの模様じゃない」


ミラはしゃがみ込み、指先で石床の細い溝をなぞった。


「何かを流してた跡に見える」


「流してた?」


「たぶん。ガイの手帳にも、似た図があった。蒼い液体を巡らせる流路……みたいなもの」


「蒼い液体?」


「うん。この溝はその液体を流していたんじゃないかな」


ミラは祭壇の結晶へ視線を戻した。


「ガイなら、絶対に食いついてたと思う」


その声には、いつもの軽さが少しだけ残っていた。


けれど、目は笑っていない。


その時だった。


階段の方から、複数の足音が響いた。


重く、揃った足音。


石を踏むたび、地下の空気がわずかに軋む。


レイとミラは目を合わせ、近くの石柱の影へ身を潜めた。


黒いローブの集団が現れる。


顔は深いフードに隠れていた。手には、奇妙な杖や短剣。普通の旅人でも、村人でもない。


レイの背筋が冷える。


シルヴィの夜に見た、フードの人物。


同じかどうかは分からない。


けれど、頭の奥の感覚がはっきりと告げていた。


近づけてはいけない。


隣で、ミラが小さく息を吐いた。


「……影の教団」


その声は低かった。


いつもの軽さはない。


奥歯を噛むような、押し殺した怒りが混じっている。


「影の、教団……?」


レイは黒いローブの集団を見つめた。


ガレンが口にしていた影。


シルヴィの夜に見た、フードの人物。


それらが、目の前の黒い衣とようやく結びつく。


こいつらが、影の教団。


リーダー格らしい男が、祭壇へ歩み寄った。


杖の先に、黒い靄が集まり始める。


その靄が、青く輝く結晶へ細く伸びていく。


レイの頭の奥を、鋭い違和感が走った。


あれを触れさせてはいけない。


「……止めないと」


思わず声が漏れる。


その瞬間、足元の苔に靴が滑った。


「っ――!」


膝が石床に触れ、乾いた音が響く。


静寂が裂けた。


黒ローブたちの視線が、一斉にこちらへ向く。


「……誰だ」


低い声。


殺気が地下空間を満たした。


レイはすぐに立ち上がり、鉄剣を構える。


ミラも同時に柱の影から出た。


「見つかったなら、仕方ないね」


言葉は短い。


けれど、その目にはさきほどの怒りが残っていた。


「ごめん」


「謝るのはあと。来るよ」


レイの胸元で、青い石が淡く光った。


身体の奥が、少しだけ研ぎ澄まされる。


戦うしかない。


黒い靄が伸びた。


いや、靄というより、黒い淀みが形を持ったものに近かった。


杖の先から滲み出したそれは、煙のように散らず、細い帯のように床を這ってくる。石床を撫で、柱の影を伝い、にゅうっとこちらへ手を伸ばす。


ただの煙ではない。


触れればまずい。


理由より先に、頭の奥の感覚がそう告げていた。


黒い帯が、レイの足元へ絡みかける。


その瞬間、胸元の青い石が淡く熱を持った。


肌のすぐ外側に、薄い光の膜が張られる。


黒い靄がその膜に触れ、音もなくほどけた。


「……っ」


守られた。


そう思うより早く、ミラが横を駆け抜ける。


ミラは黒い靄に触れない。踏み込む直前で足を返し、床を這う黒い帯を跳び越え、柱を回り込むようにして敵の懐へ入っていく。


速い。


触れてはいけないものだと、本能で分かっている。


ミラの短剣が閃き、黒ローブの腕を弾いた。


その瞬間、レイの身体も一歩早く動いた。


意識して出した動きではない。


街道で盗賊に囲まれたときも、湖畔の道で異獣と向き合ったときも。


危うい気配に触れるたび、この感覚はレイの身体を先に動かしてきた。


けれど今は、それが以前よりはっきりしている。


短剣が飛ぶ。


レイは一拍早く踏み込み、軌道を外した。


刃が肩口をかすめ、背後の石床に跳ねる。


次に、黒い矢のようなものが来た。


術なのか、道具なのかは分からない。


レイは視線を切らず、半歩だけ位置をずらす。


矢は外套を裂き、背後の柱に溶けるように消えた。


「レイ、右!」


ミラの声。


考えるより先に、身体が動いた。


右から迫るローブの腕を弾き、踏み込む。


鉄剣が振るわれ、黒い布が裂ける。


相手が倒れた。


ミラはその横をすり抜けるように動き、別の敵の膝を払う。体勢が崩れたところへ、柄で顎を打った。


速い。


無駄がない。


相手を倒すために必要な場所だけを、正確に選んでいる。


「そっち、二人!」


「分かった!」


レイは足を踏み替える。


ガレンの声がよみがえった。


――剣だけ振るな。足を動かせ。


足が止まれば、次が死ぬ。


レイは踏み込んだ。


黒い帯のあいだで刃が交わる。


金属音。


息づかい。


石床を蹴る音。


青白い光と黒い靄が混ざり合い、地下の空間が不安定に揺れている。


リーダー格の男が杖を掲げた。


「その光……」


低い声が、靄の奥から響く。


「まさか……星の涙か!?」


レイの胸元の青い石が、一瞬だけ強く光った。


服の下から漏れた青白い光が、呼吸のように脈打つ。


次の瞬間、その光がレイの腕を伝うように伸びた。


熱ではない。


けれど、指先の感覚が冴えていく。


握った鉄剣の柄が、かすかに震えた。


刃の根元に淡い光が灯り、細い水脈のように刃先へ走る。


鈍く光る鉄の刃に、青白い線がすっと走った。


強い輝きではない。


けれど、黒い靄の中で、その刃だけが澄んで見えた。


レイは息を呑む。


だが、驚いて止まる余裕はない。


使えるなら、使う。


踏み込む。


避ける。


斬る。


考えるより先に、積み重ねた動きが身体をつないでいく。


黒い靄の中、光を帯びた刃の軌道だけが、はっきりと見えた。


一閃。


リーダー格の男の体勢が崩れる。


「いいね、それ」


ミラが横から別の敵を蹴り飛ばしながら言った。


「あとで聞く」


「俺も聞きたい!」


戦況が、少しずつ崩れ始めた。


だが、その時。


祭壇の結晶が、大きく脈打った。


青白い光に、赤黒い揺らぎが混じる。


空気が変わった。


地下の冷気が押しのけられ、重く粘つくような圧が満ちる。


床が低く震えた。


ミラの表情が変わる。


「まずい。離れて!」


祭壇の奥の影が、裂ける。


空間そのものが破れたように、黒い筋が走った。


そこから、ゆっくりと何かが這い出してくる。


巨大な異獣。


黒い鱗に覆われた体躯。


獅子のような前肢。


蛇の尾。


背には歪な翼。


その姿は、一つの獣というより、複数の獣の輪郭を無理やり縫い合わせたもののようだった。


赤い双眸が、地下空間の青白い光を歪ませる。


マンティコア。


そう呼ばれる異獣の姿に近い。


けれど、目の前にいるそれは、ただの異獣ではなかった。


身体の周囲に、黒い靄が幾重にもまとわりついている。


鱗の隙間から黒い澱みが滲み、輪郭そのものが闇に溶けるように揺らいでいた。翼の骨は不自然にねじれ、蛇の尾は別の生き物のように床を這う。獅子に似た顔の奥には、獣のものとは違う、底のない怨みのような赤い光が宿っていた。


咆哮が響く。


その奥に混じっていたのは、ただの獣の声ではない。


低く、濁った、人の呻きにも似た音だった。


ミラの声が低く落ちる。


「……普通の異獣じゃない」


その声には、はっきりとした震えが混じっていた。


レイは横目でミラを見る。


いつも軽く笑って、敵の懐へ滑り込むように戦う彼女が、ほんの一瞬、足を止めていた。


二本の短剣を構えてはいる。


けれど、その指先に力が入りすぎているのが分かった。


「レイ」


ミラが、喉の奥から絞るように言った。


「これ……やばくない?」


冗談ではない。


軽口でもない。


本気で、そう感じている声だった。


レイも、分かっていた。


目の前の異獣は、これまでの相手とは違う。


ただ大きいだけではない。


ただ強いだけでもない。


黒い靄の奥から、こちらの心ごと押し潰してくるようなものがある。


それでも。


レイの胸元で、青い石が静かに脈打っていた。


頭の奥に、かすかな感覚が浮かぶ。


逃げろ、ではない。


無理だ、でもない。


――行ける。


理由は分からない。


勝てると断言できるほど、確かな根拠があるわけでもない。


けれど、足は退かなかった。


レイは剣を握り直す。


刃先を下げず、異獣の赤い目をまっすぐ見た。


「大丈夫」


自分に言い聞かせるように、短く言う。


「倒せる」


ミラが一瞬、信じられないものを見るようにレイを見た。


「……本気で言ってる?」


「うん」


レイは目を逸らさなかった。


「行ける気がする」


ミラは小さく息を呑んだ。


ほんの一瞬、迷うように視線が揺れる。


けれど、レイは異獣から目を逸らさなかった。


怖くないわけじゃない。


手のひらには汗がにじんでいる。


心臓も、うるさいくらいに鳴っている。


それでも、胸の奥に落ちた感覚だけは揺らがなかった。


逃げる場面じゃない。


ここで剣を構えるのが、今の自分の役目だ。


そう思った瞬間、怖さの奥で、別の熱が灯る。


死ぬかもしれない。


それでも、こんな相手を前にして、自分はまだ前を向いている。


そのことが、不思議なくらいレイの足を強くした。


「……行ける」


レイは剣を構え直した。


声に出すと、本当にそう思えた。


ミラはその横顔を見て、奥歯を噛んだ。


まだ怖さは消えていない。


けれど、レイが一歩も退かないのを見ていると、不思議と呼吸が戻ってくる。


「……そっか」


声はまだ硬い。


でも、さっきより少しだけ前を向いていた。


「なら、私もやるしかないね」


ミラは肩を落とすように息を吐き、足を軽く開いた。


逃げるためではない。


踏み込むための構えだった。


「正面は任せた。私は足を止める」


「分かった」


レイは頷く。


その瞬間、マンティコアの赤い双眸がぎらりと揺れた。


黒い翼が大きく震え、巨体が石床を蹴る。


速い。


あの大きさからは考えられない速度で、マンティコアがレイへ迫った。


「レイ!」


ミラの声が飛ぶ。


レイは剣を上げようとした。


けれど間に合わない。


獅子の前肢が、黒い靄を引きずりながら振り下ろされる。


その瞬間、胸元の青い石が強く脈打った。


同時に、祭壇の結晶が呼応するように光を増す。


青白い光が空間に満ちた。


世界が、わずかに澄む。


音が遠のく。


空気の流れが、見えるような錯覚。


振り下ろされる爪の軌道が、ほんのわずかに遅れて見えた。


恐怖は消えない。


それでも、動ける。


その確信が、静かに落ちた。


レイは横へ跳んだ。


直後、石床が砕ける。


破片が頬をかすめ、冷たい痛みが走る。


だが、身体は止まらなかった。


レイは剣を握り直した。


「……行くぞ」


短く呟き、一歩踏み出す。


マンティコアの尾が振り下ろされる。


空気が裂けた。


その前に、レイの身体は横へ滑っていた。


直後、石床が砕ける。


破片が舞う。


レイはすでに踏み込んでいた。


剣を振る。


弾かれる。


硬い。


火花が散るだけだった。


「……硬い」


短く判断し、すぐに引く。


止まれば終わる。


「右、空いてる!」


ミラの声。


レイはそのまま流れに乗った。


考えて動くのではない。


動きの中で選ぶ。


位置をずらす。


潜り込む。


牙が頭上をかすめる。


そのまま一閃。


浅い。


だが、刃は入った。


マンティコアの意識がこちらへ向く。


咆哮。


黒い靄が噴き出す。


視界が潰れる。


その靄に触れた瞬間、胸の奥が重く沈むような感覚がした。


濁り。


レイは奥歯を噛んだ。


ここで止まったら、呑まれる。


踏み込み。


回避。


斬撃。


身体の奥で、青い石の脈動が次の動きを導いている。


力に頼りきるな。


ペンダントに引っ張られるのではなく、自分の足で踏み込む。


光は、その動きに重なるようについてきた。


「今!」


ミラの声。


レイはそれを合図ではなく、流れの補正として受け取った。


踏み込む。


胸元の青い石が、強く脈打つ。


その光が腕を伝い、握った鉄剣へ流れ込んだ。


刃の根元から、青白い線が走る。


先ほどよりも濃く。


先ほどよりも、まっすぐに。


黒い靄の中で、刃だけが澄んだ光を帯びた。


鱗が裂ける。


マンティコアの動きが一瞬止まった。


その瞬間。


レイの視界が、中心を捉える。


脈動している一点。


黒い靄の奥にある、違和感の核。


そこだ。


迷いはなかった。


これまでのすべての動きの延長。


森で転びながら覚えた足運びも、ガレンに叩き込まれた剣も、今ここで宿った光も、すべてがその一点へ向かっていく。


レイは一歩、深く踏み込んだ。


刃に宿った青白い光が、強く弾ける。


一閃。


光の線が、黒い靄を裂いた。


深く、確かに入った。


マンティコアが大きく揺れる。


咆哮が途切れる。


黒い靄が崩れ、巨体が音を立てて石床に倒れた。


しばらく、異獣は動かなかった。


やがて、鱗の隙間から黒い靄が滲み出す。


それは煙のように床を這い、青白い光に触れるたび、灰のようにほどけていった。


レイは剣を下ろしたまま、その光景を見つめる。


倒した。


けれど、ただ獣を倒したという感覚ではなかった。


何か、世界の傷からこぼれ落ちたものを斬った。


そんな気がした。


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