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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第3章 ノースライト地方と星の涙のレプリカ
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湖畔の丘と古代の聖堂

翌朝、レイとミラはハルム村を出た。


空は低く曇り、湖の上には薄い白い霧がかかっていた。村の家々から立ち上る煙は、冷たい風に押されるように横へ流れている。


ハンナが持たせてくれた包みを背嚢にしまい、レイは外套の前を合わせた。


アレクに教えられた場所は、ハルム村の北東にある小高い丘だった。


湖のほとりを左手に見ながら、二人は凍った土の道を進んでいく。水面はところどころ薄く凍り、風が渡るたび、割れた硝子のような光を返した。


シルヴィで感じたルミナスの加護は、ここにも確かに届いていた。けれど、その光は遠く、冷たい空気の底でかすかに揺れているだけだった。


「……やっぱり、空気が違うな」


レイは小さく呟いた。


ミラも周囲を見ながら頷く。


「村の近くでこれなら、丘の向こうはもっと薄いかもね」


その言葉の通り、丘へ近づくほど、光の加護は薄くなっていく。


道中、二人は何度か異獣に遭遇した。


黒ずんだ毛並みを持つ、狼に似た獣。


目を赤く濁らせた山犬。


岩陰から飛び出した、角の欠けた小型の獣。


どれも、最初から怪物として生まれたものには見えなかった。


本来なら、この土地の寒さや岩場に馴染んで生きていた獣なのだろう。けれど今は、動きが荒く、呼吸が乱れ、何かに追い立てられるように襲いかかってくる。


レイは迫る爪の軌道を見切り、半歩だけ外した。


頭の奥に、次の動きがかすかに浮かぶ。


右。


そう思った瞬間、異獣の体勢がわずかに崩れた。


レイが剣を入れるより早く、ミラが横から滑り込む。


二本の短剣が低く走り、異獣の視線を奪った。正面から受け止めるのではなく、爪を外し、回り込み、相手の足元を乱していく。


速い。


けれど、ただ速いだけではない。


止まらないことで、相手に狙いを定めさせない。


ミラの動きに合わせて、レイは一歩踏み込んだ。崩れた体勢へ剣を差し込み、異獣を地面へ倒す。


倒れた異獣の体から、黒い靄のようなものがわずかに滲んだ。


それはすぐに、冷たい風の中へ薄く散っていく。


ただの血の匂いとは違っていた。


レイは剣を下ろし、息を整える。


「……ここも異獣が多いな…」


倒れた異獣の体から滲んだ黒い靄は、もう風にほどけていた。


レイはそれを見つめながら、ふとガレンの声を思い出す。


森の濁り。


スターリットの森で、ガレンがそう呼んでいたものと、似ている気がした。


「……濁り、か」


思わず呟くと、ミラが短剣を払って、少しだけ目を細めた。


「濁り?」


「ガレンが、そう呼んでた。獣を変にする、良くない気配みたいなものを」


「へえ……そんなふうに言うのね」


ミラは倒れた異獣へ視線を落とした。


「濁り…良くない気配、か…」


二人は、無駄な戦いを避けながら進んだ。


避けられないものだけを退け、深追いはしない。ミラが足を使って異獣の動きを乱し、レイが見切った隙へ剣を入れる。何度か繰り返すうちに、二人の呼吸は少しずつ合っていった。


ミラの足運びは、レイにとって見ているだけでも勉強になった。


ガレンの剣は、立って、受けて、崩さずに進むためのものだった。


ミラの剣は、流れて、外して、相手を乱すためのものだった。


まるで違う。


けれど、その違いが面白い。


レイは戦いながら、少しずつ身体で覚えていった。


やがて、湖のほとりが遠ざかり、道は岩混じりの斜面へ変わった。


小高い丘の上に、石柱が見えた。


一本ではない。


欠けた柱。


斜めに傾いた柱。


半ば土に埋もれた柱。


それらが霧の中に並び、その奥に、建物の影が沈むように立っていた。


朽ちた聖堂のような姿。


雪と苔に覆われ、半ば岩山に呑まれるようにして建っている。


つい最近までそこになかったはずのもの。


だが目の前のそれは、まるでずっと昔からこの丘に眠っていたかのように、静かに佇んでいた。


レイは足を止めた。


「……あれか」


声が、思ったより小さくなる。


ミラも隣で目を細めた。


「アレクが言ってた石柱……本当にあるね」


風が吹いた。


崩れた入口の奥から、冷たい空気が流れ出してくる。外の風とは違う、古い石の奥に閉じ込められていたような冷たさだった。


レイの胸元で、青い石がわずかに熱を持った。


強く光るわけではない。


けれど、何かに触れたような反応だった。


「……中に、何かある」


レイが呟くと、ミラは二本の短剣に手をかけた。


「じゃあ、慎重に行こう」


レイも剣の柄を握り直した。


二人は、聖堂の開口部へ足を踏み入れた。


外観は、苔と岩に半ば呑まれていた。崩れかけた石柱。雪をかぶった階段。ところどころに絡みついた枯れ草。


けれど内部へ入ると、外の荒れた姿とは違う、奇妙な静けさが満ちていた。


石造りの壁には、風化した星形の紋様が刻まれている。その周囲を、細い溝が幾何学的に走っていた。


装飾のようにも見える。


けれど、ただの模様にしては整いすぎている。


レイは壁に目を向けた。


「これ……普通の聖堂って感じじゃないな」


「うん」


ミラは壁の刻印を見ながら、少しだけ目を細めた。


「こういう溝、ガイの手帳にも似たものがあった」


「ガイの?」


「星刻文明の遺跡にあるんだって。ここが本当にそうかは、まだ分からないけど」


断定はしない。


けれど、ミラの声にはいつもの軽さの奥に、確かな緊張があった。


奥へ進むほど、空気は重く冷たくなる。


中央の広間のさらに奥には、地下へ続く石段が口を開けていた。暗がりの奥から、水滴の落ちる音だけがやけに遠く響いてくる。


レイは息を呑んだ。


不安よりも先に、胸の奥が高鳴っている。


まだ知らないものが、この先にある。


そう思うだけで、足の裏が熱を帯びるようだった。


「……地下か」


「こういう場所は、下に何かあることが多い」


ミラは短剣を抜き、刃の向きを確かめるように軽く構えた。


「経験?」


「うん。あまり楽しくない方のね」


レイは小さく息を吐き、剣を構え直す。


胸元の青い石は、静かに熱を残していた。


理由は分からない。


ただ、この奥に何かがある。


その感覚だけが、足を前へ押していた。


「行こう」


二人は石段へ足を踏み入れた。


苔に覆われた階段は滑りやすく、レイのブーツが小さく軋む。


ミラが先に降りる。足取りは軽いが、視線は壁、天井、足元を細かく拾っていた。


やがて、階段の奥から淡い青白い光が滲み始める。


「この光……」


レイが思わず声を漏らすと、ミラがすぐに振り返った。


「静かに」


短い声だった。


その一言で、空気が一段引き締まる。


青白い光は、地下の奥から、呼吸するように淡く揺れていた。


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