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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第3章 ノースライト地方と星の涙のレプリカ
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ハルム村

ハルム村に着いたのは、空の青が薄く暮れ始める頃だった。


岩場に囲まれた小さな集落だった。風を避けるように木造の家々が肩を寄せ合い、すぐそばの湖だけが、淡い夕光を受けて静かに揺れている。


湖面の端には薄い氷が張り、冷たい風が吹くたび、細かな光を返した。岸辺の葦は白く乾き、遠くの山影には雪が残っている。


この地にも、ルミナスの加護は確かにある。


けれど、シルヴィのように町全体を包み込む光ではない。遠くから薄く届いた膜のようなものだった。家々の軒先に小さな星の飾りはあるが、その輝きもどこか控えめで、村人たちの表情には、冬の厳しさを前にした静かな緊張が刻まれている。


レイは外套の襟元を押さえ、小さく息を吐いた。


「寒っ……これ、完全に氷のエリアだな」


白くなった息が、すぐに風にほどける。


ミラは隣で肩のマントを引き寄せながらも、平然としていた。灰色の毛織りマントの下で、革鎧が軽く軋む。


「ノースライトでは、まだ優しい方だよ」


「これで?」


「うん。今日は風が弱い」


レイは思わず湖の方を見た。


薄い霧が水面の上を流れ、遠くの湖岸を白くにじませている。夕方の光を抱いた水面は静かで、どこか底の見えない深さを感じさせた。


「……広いな」


「でしょ。天気がいい日は、向こう岸まで光って見えるよ」


ミラの調子はいつも通りだったが、視線は村の入口、湖畔、家々の隙間をさりげなく見ていた。


初めて来た場所を見る目ではない。


レイはその横顔を見る。


気づけばミラは、当然のように隣を歩いていた。


出会ってから、まだ数日しか経っていない。それなのに、この距離感は妙に自然だった。


けれど同時に、まだ何か見えないものがある。


そう感じる距離でもあった。


二人が向かったのは、湖畔に建つ一軒の家だった。


ミラが以前、この村を訪れたときに世話になった人物――アレクの家だという。


木の扉の前に立つと、ミラが遠慮なく叩いた。


すぐに中から重い足音が近づいてくる。


扉が開き、広い肩をした男が顔を出した。年は四十前後。日に焼けた顔に、湖の風で刻まれたような皺がある。


「おお……ミラか」


「久しぶり、アレク」


ミラの顔が、少しだけ明るくなる。


アレクも扉口で彼女を見て、それからレイへ視線を移した。


「そっちが連れか。ノースライトの寒さには弱そうだな」


「寒すぎますよ……」


レイが思わずそう漏らすと、アレクは低く笑い、扉を大きく開けた。


「中へ入れ。外で話してたら、先に耳が凍る」


家の中へ入ると、暖炉の火がはぜる音が、外の冷気を切り離していた。


木と煙の匂いがする室内で、奥から柔らかな声がした。


「ミラ?」


顔を出したのは、穏やかな表情の女性だった。


ミラの表情が、また少しやわらぐ。


「ハンナ、久しぶり」


「本当に久しぶりね。無事でよかった」


ハンナはそう言ってから、レイへ視線を向けた。


「そちらの子が、一緒に来た子?」


「うん。レイ」


「レイです。お世話になります」


レイが少し慌てて頭を下げると、ハンナは柔らかく笑った。


「そんなにかしこまらなくていいのよ。冷えたでしょう。すぐ温かいものを出すから、座っていて」


その声だけで、少し肩の力が抜けた。


家の中は、外とは別の世界のようだった。


壁には漁具や乾かした網が掛けられ、棚には香草の束と古びた木箱が並んでいる。窓の外では湖が静かに光り、薄い氷の上を風が白く撫でていた。


しばらくして、木のテーブルに湖で獲れた魚のグリルと、湯気の立つスープが並んだ。


ハンナが最後の皿を置く。


「はい、できたよ。遠慮しないで食べて」


レイはスープをひと口飲んだ。


魚の旨みと香草の香りが、冷えきった身体にゆっくり染みていく。


思わず声が漏れた。


「うまっ……」


ミラが小さく笑う。


「でしょ。ハンナの料理、冷えた日には本当にありがたいんだよ」


「それはよかった。まだあるから、しっかり食べてね」


ハンナはそう言って、空いた皿をそっと寄せた。


そのやり取りで、張り詰めていた空気が少しほどけた。


レイはもう一度スープを口に運ぶ。


温かい。


シルヴィの光とは違う。


神殿の静けさとも違う。


けれど、ここにも確かに、人が暮らす温度があった。


食後、暖炉の前に腰を下ろすと、ようやくレイの身体から力が抜けた。


外の寒さが嘘のように、火の熱がじんわりと指先に戻ってくる。


アレクは椅子に深く腰を下ろし、ミラを見る。


「それで、今回は何を追って来た」


問い方は短い。


だが、ミラがただ旅の途中で寄ったわけではないことを、最初から分かっているようだった。


ミラは肩をすくめる。


「ノースライトに、聖堂みたいなものが現れたって話を聞いた」


アレクの眉がわずかに動いた。


「……その話か」


「知ってるの?」


「漁に出た村の者が見たらしい。湖の北東、石の丘の向こうに、今までなかったはずの建物の影が見えたとな」


レイは思わず身を乗り出した。


「今までなかったはずの?」


「ああ。昔から漁に出ている連中が言うんだ。あそこにあんな石の柱はなかった、とな。霧が晴れた朝、湖の向こうに突然見えたらしい」


アレクは低く続ける。


「だが、近づいて確かめた者はいない。あの辺りは加護が薄い。獣も落ち着かん」


ルミナスの加護が薄い。


ガレンの小屋を出てから何度も聞いた言葉だった。


だが、ハルム村に着いてからは、その意味が少しだけ分かる。


ここでは光がある。


けれど、遠い。


人の暮らしを守るには足りていても、外の闇を完全に退けるほどではない。


レイは無意識に胸元へ触れかけ、途中で手を止めた。


「……行くなら、明るいうちにしろ」


アレクが低く言う。


「ノースライトの夜は、よそ者に優しくない」


「覚えておきます」


レイが答えると、アレクは小さく頷いた。


「それでいい。霧が出たら、湖岸でも方向を見失う」


ハンナが静かに湯を注ぎ足す。


「行くなら、今夜はちゃんと休んで。冷えた身体のまま歩くと、足元を取られるわ」


「はい。ありがとうございます」


火のそばに、明日の道が簡単ではないことだけが静かに残った。


そのあと、アレクとハンナが寝床の準備を始めると、レイは暖炉の前でミラに視線を向けた。


「そういえばさ、ミラ」


ミラは炎を見たまま、小さく返す。


「ん?」


「さっき、アレクさんが言ってたけど……何かを追って来たのか?」


ミラの肩が、ほんの少しだけ揺れた。


けれどすぐに、いつもの調子で火を見つめる。


「まあね。少しだけ」


「少しだけ?」


「古いものが好きって言ったでしょ」


レイは小さく頷いた。


「それだけじゃない気がした」


ミラはしばらく黙っていた。


火の中で薪が小さく崩れる。


やがて、少しだけ声を落とした。


「昔、師匠がこういう場所を追ってたんだ」


「師匠?」


「うん。ガイって言うの。古い遺跡や、星刻文明の痕跡を調べてた人」


星刻文明。


その言葉に、レイの意識がわずかに引っかかった。


シルヴィで聞いた古代の聖堂。


神殿の星の涙。


胸元に隠した青いペンダント。


まだうまく繋がらない。


けれど、その名には、どこか重みがある。


「その人は、今も?」


ミラは小さく首を横に振った。


「分からない。今は、いない」


短い答えだった。


それ以上は語らない。


けれど、その一言だけで十分だった。


ミラがただの好奇心だけでここにいるわけではないことは、分かった。


暖炉の火が、ぱちりと小さく弾ける。


「だから、明日は私も行く」


レイはミラを見た。


「……そっか」


「邪魔?」


「いや。助かるよ」


レイはそう言って、少しだけ笑った。


「一人で行くより、ずっと心強い」


ミラも小さく笑った。


その声は軽い。


けれど、火に照らされた横顔には、さっきと同じ静けさが残っていた。


信用しきれるほど、まだ何も知らない。


けれど、嘘ばかりを言っている相手にも見えなかった。


少なくとも、頭の奥の直感は警鐘を鳴らしていない。


レイは窓の外へ目を向ける。


湖は暗くなり始めていた。


霧の向こうに、まだ見えない丘がある。


巨大な石柱。


聖堂のような影。


そして、薄くなった加護の先にある何か。


明日、あそこへ行く。


その思いだけが、冷たい湖の夜に、小さく灯っていた。


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