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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第3章 ノースライト地方と星の涙のレプリカ
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東の街道を進む

東の街道は、シルヴィの丘陵地をゆるやかに抜けていた。


朝の光は柔らかく、小川の水面に細かなきらめきを散らしている。麻や小麦の畑が風に揺れ、遠くでは荷馬車の車輪が乾いた音を立てていた。


レイは土の道を踏みしめながら歩いた。


腰には、手入れを終えた鉄剣。背嚢には旅の道具。ポーチの奥には、布に包んだ小さな花。


シルヴィの白い町並みは、もう背後に遠ざかっている。


振り返れば、セレスティアル山の中腹に、アストラリス神殿の白い輪郭がかすかに浮かんでいた。朝の光を受けたその姿は、水面に映る月のように静かだった。


道の先へ視線を戻しかけたとき、丘陵の向こうに深い緑が見えた。


淡い霞の奥。


スターリットの森だ。


あの森で、ガレンに拾われた。


剣を握らされ、転び、怒鳴られ、それでも何度も立ち上がった。


――剣だけ振るな。足を動かせ。


低い声が、ふいに耳の奥でよみがえる。


「……元気にしてるかな」


小さく呟いて、レイはまた前を向いた。


街道は、まずシルヴィから東へ続いている。


そこからセレスティアル山を左手に見ながら、北へ回り込む道を取る。


ノースライト地方へ。


光の薄い土地へ。


湖の向こうに、あるはずのない影が見えたという場所へ。


日が傾き始めた頃だった。


街道脇の茂みが、不自然に揺れた。


次の瞬間、六つの影が一斉に飛び出す。


レイの足が止まる。


囲まれている。


ボロ布の装い。鈍く光る刃物。値踏みするような視線。


「おい、坊主。荷物置いていきな」


低い声がした。


逃げ道は、ほとんどない。


(……盗賊か)


喉の奥がわずかに乾く。


それでも、剣を抜く手は震えなかった。


――抜いたなら、迷うな。


ガレンの声が、頭の奥で響く。


鉄剣を抜いた瞬間、服の下に隠した青い石がかすかに反応した。


熱というより、空気が一枚薄く張るような感覚。


最初の男が短剣を振り下ろす。


その軌道が、ほんの少しだけ遅れて見えた。


身体が先に動く。


かわす。


弾く。


距離を取る。


一撃目はしのいだ。


だが、それだけではなかった。


刃の向き。


踏み込む足。


肩の沈み。


次にどこから攻撃が来るのかが、前よりもはっきり分かる。


頭の奥に浮かぶ違和感が、今はそのまま動きへつながっていた。


(あれ? ……なんか、動きやすい)


驚きが、ほんの少しだけ遅れて来る。


ためらうより先に、足が出る。


考えるより先に、身体がずれる。


迫る刃を半歩で外し、返す剣で相手の手元を弾く。


青白い光が、ほんの一瞬、腕の周りに薄くにじんだ。


それは盾というほど確かなものではない。


けれど、横からかすめた短剣の衝撃を、薄い膜のように受け流した。


「っ……!」


息を呑む。


できた。


何をしたのか、はっきりとは分からない。


それでも、今の動きは偶然だけではない。


昨日、アストラリス神殿の祭壇で星の涙の光に触れたときから、何かが少し開いた。


そんな感覚がある。


けれど、光に身体が置いていかれない。


踏み込みも、止まり方も、次の一歩も。


森で何度も転ばされながら、身体に叩き込まれた動きだった。


――剣だけ振るな。足を動かせ。


ガレンの低い声が、ふいに胸の奥で重なる。


(ちゃんと鍛えてきて、よかった)


ほんの少しだけ、口元が緩みそうになる。


今なら分かる。


光が反応してくれても、身体がついてこなければ意味がない。


この一歩は、あの小屋の裏で、泥だらけになりながら覚えたものだ。


(この感じ……いいかも)


胸の奥が、かすかに弾む。


けれど、浸っている暇はない。


数が多い。


左右から迫る影。背後の気配。足元の砂利。刃の光。


意識が細かく裂かれていく。


(くそ……!)


その瞬間、風を裂く音がした。


ひとつの影が、横から滑り込む。


鋭い一閃。


盗賊の一人が体勢を崩し、地面に転がった。


「右!」


短い声。


レイは反射で動いた。


振り返りざまに、迫る刃を弾く。視界の端では、別の盗賊が膝をついていた。


速い。


正確だ。


無駄がない。


横合いから走った斬撃に、盗賊の視線が流れる。


そのわずかな隙に、レイは息を整えた。


足元の砂利を踏みしめ、崩れた相手の体勢に合わせて一歩入る。


剣を振るというより、流れの中へ刃を差し込むように。


浅い。


けれど、確実に届いた。


盗賊の動きが鈍り、そこへ次の刃が重なる。


レイが開いた隙へ、横合いの刃が滑り込む。


その一撃で崩れた体勢へ、レイが踏み込む。


即席の連携なのに、不思議と噛み合っていた。


やがて盗賊たちは顔を見合わせ、じりじりと後退する。


次の瞬間、茂みへ散るように逃げていった。


静寂が戻った。


レイは肩で息をしながら、剣を下ろす。


「……助かった」


声をかけると、隣に立つ相手が軽く笑った。


革鎧に、旅慣れた身のこなし。焦茶色の髪を後ろで束ね、落ち着いた目で逃げた盗賊の方を見ている。


年は近い。


けれど、場数が違う。


それだけはすぐに分かった。


彼女は剣を収めながら、ちらりとレイを見る。


鋭い目だったが、敵意はない。


頭の奥をかすかな感覚がよぎり、少なくとも今ここで刃を向けてくる相手ではないと思えた。


「いい動きしてたよ。ちょっと危なっかしかったけど」


軽い調子だった。


けれど、その目はよく見ている。


レイは苦笑した。


「そっちは……かなり慣れてるな」


「まあね。こういうの、初めてじゃないし」


肩をすくめる仕草が自然だった。


「私はミラ。あんたは?」


「レイだ。よろしく」


短いやり取り。


それだけで、張りつめていた空気が少しだけほどけた。


ミラは逃げた盗賊たちの方を一度だけ見てから、街道の先へ視線を向ける。


「で? レイは一人旅?」


「ん……ああ。一人旅の途中」


「どこに向かってるの?」


レイは少しだけ迷った。


助けられたとはいえ、出会ったばかりの相手に何でも話すべきではない。


けれど、ミラの視線に嫌な濁りはない。


それに、さっきから彼女は周囲を警戒しながらも、こちらの荷や懐には目をやっていなかった。


盗賊とは違う。


そう思えた。


「ノースライト地方」


その名を聞いて、ミラが小さく頷いた。


「ノースライトか~」


「知ってるのか?」


「少しね」


レイは短く頷いた。


「ハルム村に向かってる」


「ハルム村か。なら、行ったことあるよ」


「本当?」


「うん。寒いけど、人は悪くない」


ミラは街道の先へ視線を向けた。


「案内、してあげようか?」


あまりにも自然な提案だった。


レイは一瞬だけ考える。


すぐに信用しすぎるのは危ない。


ガレンなら、そう言うかもしれない。


けれど、一人で進むより、道を知る相手がいる方がいい。


そして何より、さっきから頭の奥の感覚は静かなままだった。


「……じゃあ、頼む」


「決まり」


ミラは軽く笑い、街道の先へ歩き出した。


しばらく進んだあと、ふと横目でこちらを見る。


「それにしてもさ」


「ん?」


「さっきの動き。普通じゃないよね」


レイは少しだけ肩をすくめた。


「まあ……ちょっとした、癖みたいなもんかな」


「癖であれなら、だいぶ面白いね」


ごまかすように笑っても、ミラはそれ以上追及しなかった。


ただ、少しだけ興味深そうに頷く。


その視線は、敵を見るものではない。


けれど、ただの好奇心だけでもなかった。


何かを見極めようとしている目だった。


数日後。


東へ進んでいた街道は、セレスティアル山を左手に見ながら、ゆるやかに北へ回り込み始めていた。


道の表情も、少しずつ変わっていく。


大地はなだらかな丘陵から、荒れた岩肌へ。柔らかかった草の色は薄れ、代わりに針葉樹の濃い緑が目立ち始める。


その道中、二人は何度か異獣に遭遇した。


街道沿いの林から飛び出してきた、濁った目の獣。


岩場の陰で身を潜めていた、爪の長い獣。


どれも数は多くなかったが、普通の獣とは明らかに違っていた。毛並みは荒れ、呼吸は不規則で、何かに追い立てられるように襲いかかってくる。


レイは最初こそ動きの読みにくさに戸惑った。


けれど、ミラの戦い方は、ガレンから教わったものとはまるで違っていた。


正面から受け止めない。


二本の短剣を低く構え、足を止めず、相手の爪を紙一重で外しながら横へ回る。踏み込みは軽く、退く動きも速い。獣が追おうと向きを変えた瞬間には、もう別の角度から刃が入っていた。


倒すというより、かき回す。


勢いを乱し、視線を奪い、足場を崩す。


その間に、レイは頭の奥に浮かぶ予感のようなものを頼りに、敵の攻撃の軌道を見切っていく。


爪が来る。


肩が沈む。


次は右。


見えた瞬間、半歩だけ外し、ミラが作った隙へ剣を差し込む。


ミラが獣の懐を裂いて離れる。


レイが踏み込み、崩れた体勢を逃さず叩く。


何度か剣を合わせるうち、言葉にしなくても分かる間が増えていった。


ミラの足運びは、見ているだけでも勉強になった。


速いだけではない。


止まらないことで、相手に狙いを定めさせないのだ。


ガレンの剣が、立って、受けて、崩さずに進むためのものだとしたら、ミラの剣は、流れて、外して、相手を乱すためのものだった。


レイはその違いを、戦いながら少しずつ身体で覚えていく。


頭の奥に浮かぶ直感も、ミラへ向けて警鐘を鳴らすことはなかった。


むしろ、隣にいることで見えるものが増えていく。


そんな感覚があった。


吹き抜ける風は鋭くなり、吐いた息が白くほどけた。


空気が違う。


肌で分かる変化だった。


ミラが肩のマントを引き寄せ、小さく息を吐く。


「……やっぱり、こっちは冷えるね」


声は軽い。


けれど、周囲を確かめる視線は油断していなかった。


レイも外套の前を合わせる。毛皮の裏地がなければ、風はもっと深く体温を奪っていただろう。


「買っておいてよかったな……外套も手袋も」


「寒い土地をなめると、だいたい後悔するよ」


ミラはそう言って笑う。


その歩き方は相変わらず軽い。足場の悪い道でも、無駄がない。周囲への視線もさりげない。


旅慣れている。


それだけではなく、戦い慣れてもいる。


ただ目的地へ向かっているのではなく、道の途中に落ちている小さな違和感まで拾おうとしている。


その夜、二人は街道脇の岩陰で火を起こした。


風は冷たかったが、岩が吹きつける寒さを少しだけ遮ってくれる。小さな焚き火の上で湯が揺れ、乾いた薪がぱちりと音を立てた。


ミラは火のそばに座り、革手袋を外して指先を温めている。


「ハルム村ってさ」


しばらく火を見ていたミラが、ふと口を開いた。


「湖のそばにあるだけの、小さな村なんだよね。悪いところじゃないけど、旅人がわざわざ目指すような場所でもない」


「そうなのか?」


「うん。だから気になってた。レイは、なんでハルム村に行くの?」


「シルヴィで聞いたんだ」


レイは素直に答えた。


「ノースライトの湖の北東に、大きな石柱が見えたって」


「石柱?」


「一本じゃないらしい。霧の向こうに、何本も立ってたって。その奥に、聖堂みたいな建物の影も見えたって話だった」


ミラの目が、焚き火の向こうで少しだけ細くなる。


「……その噂なら、私も聞いたよ」


「ミラも?」


「うん。湖の北東に、あるはずのないものが見えたって」


風が、火の先を小さく揺らした。


「だからハルム村なんだ」


「湖の近くの村なら、何か聞けるかもしれないと思って」


レイはそう言って、火へ薪を一本足した。


火の粉が、夜の空気に小さく舞う。


「正直、気になるんだ。急に現れた石柱とか、聖堂みたいな建物とか……そんなの、何もないわけないだろ」


少しだけ声が弾んでいた。


自分でも分かるくらいに。


ミラはその横顔を見て、ふっと笑った。


「分かるよ。私も興味あるし」


ミラは火に視線を戻した。


「古い石柱。聖堂みたいな影。そういう話は、放っておけない」


「ミラも、そういうの好きなのか?」


「まあね。古いものは嫌いじゃないよ」


軽い言い方だった。


けれど、その声の奥には、ただの好奇心だけではない静けさがあった。


焚き火の向こうで、夜の風が細く鳴っている。


ハルム村。


湖の北東。


石柱群と、聖堂のような影。


まだ遠いはずのそれが、火の揺らぎの向こうで、少しだけ近づいた気がした。


翌朝からも、二人は北へ回り込む道を進んだ。


岩場には雪が残り、足元の感触も硬く変わっていく。


誰かと並んで歩く道は、これまでの一人旅とは少し違っていた。


同じ方向へ向かう相手が隣にいる。


ただそれだけで、道の見え方が少し変わる。


ルミナスの加護は、確かにこの地にも届いている。


だが、その光はシルヴィで感じたものより、どこか遠い。薄い膜の向こう側から届くような、頼りなさがあった。


それでも、レイの足取りは自然と前へ向いていた。


冷たい風の向こうに、まだ見ぬ湖と、石柱群と、聖堂のような影がある。


本当にそんなものがあるのか。


あるなら、どうして急に現れたのか。


考えるほど、足の奥が少し熱を帯びる。


「……早く見てみたいな」


思わずこぼすと、ミラが横で小さく笑った。


「そういうところ、分かりやすいね」


「え、そうか?」


「うん。でも、嫌いじゃないよ」


そう言って、ミラは前を向いた。


冷たい風の中、二人はセレスティアル山を左手に見ながら、北へ回り込む道を進んでいった。


ノースライト地方。


荒々しい岩肌と、薄い光の膜に包まれた寒冷の地。


その奥で、まだ見ぬ古代の聖堂が、静かに待っている。


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