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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第2章 祝福の町シルヴィと聖地アストラリス神殿
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その夜

神殿を出たとき、空はまだ高かった。


朝の白さは少しやわらぎ、昼を過ぎた光がシルヴィの石畳に淡く広がっている。


レイは神殿前の広場で、しばらく足を止めていた。


手の中には、リアから受け取ったルミナスの花がある。


青い花弁の奥に、淡い金の光。


祭壇で見た光が、まだ頭の奥にちらついていた。


――おかえり。


耳で聞いたわけではない。


けれど、その響きだけは、なかなか消えてくれなかった。


「……ほんと、何だったんだろうな」


小さく呟いても、答えは返ってこない。


それでも、気持ちは沈まなかった。


分からないことが増えた。


けれど、それは嫌なことではない。


むしろ、まだ知らない扉の前に立ったような気がしていた。


花をそっと握り直し、神殿を振り返る。


中庭の奥に見えた星の涙は、もうここからは見えない。


それでも、あの光はまだ自分の中に残っている。


そんな気がした。


神殿を離れたあと、レイはシルヴィの町を少し歩いた。


細い水路に沿って白い石の道が続き、窓辺には青い花が飾られている。市場では果物や焼き菓子を売る声が響き、巡礼者たちは神殿で受け取った花を大切そうに抱えていた。


どこも穏やかだった。


けれど、ただ静かなだけではない。


祈りと暮らしが、同じ水の流れの上に重なっているような町だった。


露店で小さなパンを買い、通りの端で食べる。


焼きたての香りが、歩き疲れた身体にじんわりと染みた。


星の涙。


ペンダント。


おかえり。


どれも、まだ一つにはつながらない。


けれど、分からないからこそ、気になって仕方がなかった。


「……あー、もう。分かんない! もういいや!」


片手で髪をくしゃりとかき回し、勢いよく立ち上がる。


「宿に戻って飯にしよう。考えてたら腹減った!」


そう言って歩き出すと、頭の中で絡まっていたものが少しだけほどけた気がした。


レイは宿へ戻り、広間で夕食を取った。


木の皿には、炙った肉と焼き野菜が盛られていた。湯気の立つスープと、少し硬いパンも添えられている。


肉は厚くはなかったが、香ばしく焼かれていて、噛むとじゅわっと脂が広がった。


「……うま」


思わず声が漏れる。


歩き回ったあとだったせいか、素朴な食事でもやけにうまかった。


食事を終えるころには、窓の外の空がゆっくりと茜色に染まり始めていた。


レイは部屋へ戻った。


窓の外では、シルヴィの町に灯りがともり始めている。白い壁に橙色の光が滲み、水路の上には細い月が揺れていた。


剣を壁に立てかけ、背負い袋を下ろしてから、机の上にルミナスの花をそっと置く。


青い花弁は、朝と変わらず瑞々しい。


昼の陽を受け、町を歩き、手の中にずっとあったはずなのに、萎れる気配はなかった。


「……不思議な花だな」


呟いて、椅子に腰を下ろす。


リアの声が思い出された。


――神殿、どうかゆっくり見ていってください。


――きっと……何か感じられると思います。


本当に、何かを感じた。


思っていたより、ずっと大きなものを。


机の上の花を見つめる。


これは、リアから受け取った花だ。


朝の広場で、少し丁寧に、けれどやわらかく差し出された一輪。


そう思うと、手放したくなかった。


「……このまま、枯れないでいてくれたらいいのにな」


思わず、そんな言葉がこぼれた。


今日見た光を思い出させる花。


リアの声や、朝の広場の光まで、一緒に残っているような気がした。


そんな願いが、静かに広がっていく。


ゆっくりと指を伸ばし、花弁に触れる少し手前で指先を止める。


術の形も、祈りの言葉も知らない。


ただ、思った。


――守りたい。


その瞬間。


指先に、淡い光が灯った。


「……え?」


声が漏れる。


光は強くはなかった。


月明かりよりも淡く、けれど確かにそこにある。


指先からこぼれた光が、薄い膜のようにルミナスの花を包んでいく。


青い花弁が、内側からそっと照らされた。


淡い金の色が、花の奥で静かに息づく。


「……なにこれ?」


もう一度、小さく声が漏れた。


また、何かが起きている。


けれど今度は、星の涙から届いた光ではない。


自分の指先からこぼれた光が、花を包んでいる。


そう気づいた瞬間、胸の奥が一気に熱くなった。


目が離せない。


手を離しても、その輝きは消えなかった。


淡い光は、花を閉じ込めるのではなく、やわらかく包んでいた。


傷つけないように。


変わってしまわないように。


このままの姿でいられるように。


レイの「守りたい」という思いが、そのまま薄い膜になって花を守っているようだった。


「……なんかすごい?」


小さく、そう呟く。


自分のことなのに、まだ信じきれない。


けれど、確かに起きている。


もう一度、自分の指先を見る。


さっきまで、そこから光がこぼれていた。


自分の中から出た光が、ルミナスの花を包んでいた。


「俺……こんなことできるんだ」


声にした瞬間、胸の奥が一気に熱くなった。


思わず、口元がゆるむ。


「いや、これ……すごくないか?」


誰に聞かせるでもなく呟いた声が、自分でも少し弾んでいた。


浮かれるな。


まず確かめろ。


調子に乗るな。


ガレンがそばにいたら、きっとそう言われていた。


そんな低い声まで、頭の中に浮かんでくる。


でも今、この部屋にはレイしかいない。


誰も止めない。


誰も小言を言わない。


そう思った瞬間、抑えていたものが一気にこみ上げた。


「やったー!」


思ったより声が大きくなって、慌てて口を押さえる。


けれど、口元の笑みまでは隠しきれなかった。


花を傷つけないよう、そっと手に取る。


淡い光を宿したルミナスの花は、指先の中でほのかに温かい。


どうにも座っていられなかった。


花を手にしたまま、狭い部屋の中を少し歩く。


机のそばから寝台の前へ。


それから、また机の前へ戻りかけて、結局そのまま窓辺へ向かう。


胸の奥で、光がまだ跳ねているようだった。


すごい。


剣を振るのとは違う。


ガレンに教えられた動きをなぞるのとも違う。


ただ「守りたい」と思っただけで、光が形になった。


まるで、魔法みたいだ。


そんなことを思った瞬間、また口元がゆるむ。


手の中のルミナスの花を見下ろす。


小さな光は、まだ消えていなかった。


「……やばいな、これ」


小さく笑う。


うれしさを隠しきれないまま、窓を開けた。


シルヴィの夜風が、部屋に流れ込んでくる。


白い石畳には橙色の灯りが滲み、水路には細い月が揺れていた。


窓辺に立ち、手の中の花をもう一度見下ろす。


そのときだった。


通りの端に、ひとつの影が見えた。


灯りの届きにくい路地の入口。


黒いフードを深く被った人物が、ゆっくりと歩いている。


ただの旅人に見えた。


シルヴィには巡礼者も旅人も多い。


珍しい姿ではない。


それなのに、目を離せなかった。


頭の奥に、かすかな違和感がよぎる。


あれは、少し違う。


理由は分からない。


歩き方か。


周囲を見渡す仕草か。


それとも、灯りの中にいるはずなのに、影だけが濃く見えるせいか。


はっきりとは言えない。


けれど、穏やかな町の空気の中で、その人物の周りだけがわずかに沈んで見えた。


黒いフードの人物が、ふと立ち止まる。


顔は見えない。


けれど、こちらを見たような気がした。


息をひそめ、窓辺でじっと目を凝らす。


次の瞬間、人物は何事もなかったかのように路地の奥へ消えていった。


夜の通りには、また穏やかなざわめきが戻る。


白い石畳。


橙色の灯り。


水路に揺れる月。


どれもさっきまでと同じだった。


それでも、頭にはあの影の輪郭が残っていた。


――光が強い場所ほど、濃い影もできる。


小屋を出る前、ガレンがそう言っていた。


(……今の、何だ?)


ただの旅人だったのかもしれない。


でも、そう片づけるには、違和感が薄れない。


神殿であの光に触れてから、頭の奥に残っていた澄んだ感覚。


それが今、かすかに引っかかっていた。


ゆっくりと窓を閉めた。


夜風が遮られ、部屋の中が少し静かになる。


手の中のルミナスの花が、淡く光っている。


その光は、さっきよりも静かで、やわらかかった。


夜の影を見たあとだからこそ、その小さな輝きが妙に心強く感じられる。


花を机の上へそっと戻してから、剣の位置を確かめ、寝台に腰を下ろす。


星の涙も、ペンダントも、夜の影も。


答えはまだどこにもなかった。


それでも、目をそらしたいとは思わなかった。


何かが始まっている。


自分は、その入口に立っている。


そう思うと、胸の奥がまた小さく高鳴った。


ここで何も見なかったふりをするのは、違う。


そんな気がした。


机の上の花をもう一度見ると、青い花弁の奥で淡い金の光が静かに揺れていた。


リアの声や、朝の広場の光が、そこにまだ残っているような気がした。


「……大事にしないとな」


小さく呟いて、花を傷つけないよう、机の中央へそっと置き直した。


灯りを落とす。


部屋は夜の青に沈んだ。


窓の外では、遠くの鐘がひとつ鳴る。


その余韻が消えるころ、横になった。


目を閉じても、まぶたの裏にはまだ、星の涙から届いた光が残っている。


水と花と白い石の上を、一瞬で渡ってきた光。


そして、意識の奥で響いた言葉。


――おかえり。


その意味は、まだ分からない。


けれど、机の上のルミナスの花は、夜の中で静かに光り続けていた。


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