↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第2章 祝福の町シルヴィと聖地アストラリス神殿
13/60

星の涙の祭壇

リアの背中が広場の向こうへ離れていく。


栗色の髪が朝の光を受けて揺れ、白い衣の裾が水盤の反射を淡く拾っていた。


レイは手の中のルミナスの花を見下ろす。


青い花弁の奥に、淡い金の光がひそんでいる。


指先に残る温もりは、まだ消えていなかった。


「……行くか」


小さく呟いて、神殿の奥へ足を向けた。


白い回廊は、外の広場よりもさらに静かだった。


高い柱が左右に並び、その一本一本に星と花を組み合わせた紋様が刻まれている。朝の光は柱の間から斜めに差し込み、磨かれた石床の上に細い光の帯を作っていた。


人の声はある。


参拝者の足音も、巫女たちの衣擦れも、遠くで響く祈りの声も。


けれど、それらは不思議と大きくならない。


神殿そのものが、音の角をやわらかく受け止めているようだった。


回廊の奥には、神殿護衛隊の姿があった。


白を基調とした胸当てに、淡い金の紋章。


彼らは参拝者の流れを妨げることなく、柱のそばや回廊の端に静かに立っている。


剣は抜かれていない。


だが、視線は広場全体をゆっくりと見渡していた。


星の涙が安置されている場所。


そう思えば、警備があるのは当然だった。


けれど彼らは、祭壇のそばに立っているわけではない。


遠くから、この祈りの空間そのものを守っている。


その距離が、かえって神殿の静けさを壊さずにいた。


花を手にしたまま、回廊を進む。


やがて白い柱の列が途切れ、視界がふっと開けた。


そこには、中庭があった。


神殿の内側に抱かれるように造られた、静かな庭。


白い石畳の中央には細長い水盤があり、その水面に朝の光が細かく散っている。水の縁には青い花が植えられ、風が通るたび、花弁が小さく揺れた。


水盤の向こう。


中庭を挟んだ先に、祭壇があった。


白い石で組まれた高い台。


その上に、ひときわ大きな結晶が浮かんでいる。


――星の涙。


思わず、足が止まった。


遠くから見ても分かった。


あれは、ただの宝石ではない。


透明なはずなのに、内側に淡い青と金の光を宿している。光は強く放たれているわけではなく、結晶の奥でゆっくりと呼吸するように満ちていた。


周囲の空気まで、少し違って感じる。


澄んでいる。


けれど、冷たいわけではない。


水に手を入れる直前のような静けさと、春の陽だまりに触れたときのような温もりが、同じ場所にある。


参拝者たちは、中庭の手前で静かに祈っていた。


祭壇までは、水盤と花の植えられた中庭が隔てている。


それでも、星の涙は隠されることなく、水と花の向こうに静かに佇んでいた。


ゆっくりと息を吸う。


手の中のルミナスの花が、ほんの少し温かくなった気がした。


一歩、前へ出る。


石床を踏む音が、小さく響いた。


その瞬間。


水盤の水面が、かすかに揺れた。


風はなかった。


けれど、水の上に散っていた朝の光が、ひとすじだけ形を変える。


星の涙の奥で、淡い青と金の光が瞬いた。


次の瞬間。


光は、中庭を渡っていた。


水盤に散った朝の反射をすべるように越え、青い花の縁を照らし、白い石畳に細い光の筋を残して――まっすぐ、レイの胸元へ届く。


身体が動かなかった。


目をそらすこともできなかった。


一瞬だった。


けれどその一瞬の中に、水のきらめきも、花の影も、白い石の光も、すべて焼きついた。


服の下に隠れた青いペンダントが、布越しに淡く温もりを帯びる。


強い熱ではなかった。


痛みでもない。


ただ、遠くから届いた誰かの手が、そっと触れたような感覚だった。


息を止める。


手の中のルミナスの花が、かすかに光を返す。


青い花弁の奥にひそんでいた金の色が、星の涙から届いた光と、ほんの一瞬だけ重なった。


そのとき。


意識の奥で、声ではない響きが広がった。


――おかえり。


言葉だったのか。


音だったのか。


それとも、ただそう感じただけなのか。


分からなかった。


けれど確かに、レイはそう受け取った。


おかえり。


ここへ来たのは初めてのはずだった。


アストラリス神殿も、星の涙も、昨日まで遠い名前でしかなかった。


それなのに、その響きは不思議なくらい深く残った。


知らない場所なのに、どこか懐かしい。


初めて見たはずの光なのに、ずっと前から自分を待っていたような気がする。


喉が、小さく震えた。


「……」


何か言おうとして、言葉にならなかった。


ペンダントの温もりが、ゆっくりと広がっていく。


その奥で、何かが目を覚ますような感覚があった。


記憶ではない。


知識でもない。


ただ、頭の奥に細い光の筋が通ったような、静かな変化。


ルミナスの花を握りしめすぎないよう、そっと指の力を緩めた。


水盤の上に散っていた光は、もう元の朝の反射へ戻っている。


白い石。


青い花。


浅い水のきらめき。


そして、中庭の向こうに佇む星の涙。


すべては何事もなかったかのように静かだった。


しばらくして、ようやく周囲を見ることができた。


参拝者たちは、変わらず中庭の手前で祈っている。


遠くの護衛隊も、柱のそばで姿勢を崩していない。


誰も、今の光に驚いている様子はなかった。


(……見えて、なかったのか?)


遅れて、疑問が浮かぶ。


星の涙から届いた光。


耳ではなく、意識の奥で感じた「おかえり」という響き。


何一つ分からない。


けれど、見間違いだったとは思えなかった。


水と花と白い石の上を、一瞬で渡ってきた光。


その輝きは、まだまぶたの裏に残っていた。


服の上から胸元へ手を当てる。


ペンダントは、もう強く光ってはいない。


けれど、そこにある重みだけが、さっきまでとは少し違って感じられた。


ただ母から、大事にしなさいと言われて渡された。


エテルナへいざなわれた、あの瞬間。


危ない場面でも、何度か自分を守ってくれた。


そして今、星の涙から届いた光は、このペンダントに触れた。


ここまで重なれば、もうただの飾りとは思えない。


服越しにペンダントの形を確かめる。


分からないことばかりなのに、胸の奥が少しだけ熱くなる。


やっぱり、このペンダントは特別なんだ。


そう思うと、不安より先に、目を離せない何かを見つけたような高揚が残った。


それに、あの光が触れてからだった。


さっきまで、ゆらゆらと揺れて輪郭を結ばなかった感覚が、少しだけ澄んでいる。


何かが増えたわけではない。


けれど、自分の中のどこかが、ひとつ開いたような気がした。


目に映る景色は同じだった。


白い石も、水盤も、青い花も、祈る人々の姿も変わらない。


けれど、その奥にある空気の色のようなものが、前よりもはっきり分かる。


この場所は穏やかだ。


あの光は、自分を傷つけるものではなかった。


理由を説明できるわけではない。


それでも、そう感じたことだけは、さっきよりもずっと確かなものとして頭に残っていた。


顔を上げると、中庭の向こうで星の涙は静かに浮かんでいた。


淡い青と金の光を内側に抱きながら、何も語らない。


けれど、拒まれている感じはしなかった。


むしろ、奥へ進む道の入口だけを、そっと示されたような気がした。


手の中のルミナスの花を胸の前に持ち、静かに頭を下げる。


それが正しい作法なのかは分からない。


けれど今は、そうしたかった。


頭を上げると、朝の光が中庭に満ちていた。


水盤が白く輝き、青い花が風に揺れている。


その向こうで、星の涙は変わらず静かに佇んでいた。


しばらくその場に立ち尽くしたあと、ゆっくりと回廊へ戻った。


手の中のルミナスの花は、まだほんのりと温かかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。