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エテルナ ―星の涙と帰る光―  作者: Takeko
第2章 祝福の町シルヴィと聖地アストラリス神殿
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シルヴィへの道

一日目の旅は、思っていたよりも穏やかだった。


街道はよく整えられていて、迷うような分かれ道も少ない。途中、何度か馬車に追い抜かれた。荷台には布や穀物、木箱が積まれ、車輪の音が白い道の上をゆっくり遠ざかっていく。


昼過ぎには、道端に立つ祈り柱の前を通り過ぎた。


白い石でできた細い柱には、星と花の紋様が刻まれている。根元には青い花が一輪、そっと供えられていた。


祈り柱の前を通る人々は、ほとんどが軽く頭を下げていく。


レイも少し迷ってから、それに倣った。


何に祈っているのかは、まだよく分からない。


けれど、この道を行く人たちがそうしているのなら、そうした方がいい気がした。


顔を上げると、春の風が花弁をかすかに揺らしていた。青い色の奥に、淡い光が宿ったように見える。


しばらくそれを見つめてから、また歩き出した。


夕暮れが近づく頃、街道沿いの小さな宿場にたどり着いた。


木造の宿が数軒と、馬を休ませるための小屋。水場。簡単な露店。


大きな町ではないが、旅人たちにとっては十分な場所だった。


宿の前では、行商人たちが荷を下ろしている。少し離れた場所では、旅装の男たちが焚き火を囲み、その日の道のりを語り合っていた。


鍋の煮える匂いが漂い、馬のいななきが夜の静けさにゆるやかに溶けていく。


宿に部屋を取り、夕食のために広間へ下りた。


木の椀に入った野菜の煮込みと、少し硬いパン。


特別な料理ではなかったが、歩き続けた身体には十分すぎるほど温かかった。


「若いの、一人旅か?」


隣に座った旅人が声をかけてきた。


「あ、はい。シルヴィまで」


「参拝か?」


「……まあ、そんな感じです」


自分でも少し曖昧な答えだと思った。


神殿を見たい。


ルミナスの聖地を知りたい。


それは確かだ。


けれど、本当はもっと別の理由がある気もする。


旅人はそれ以上深く聞かず、ただ頷いた。


「初めてなら、朝の神殿を見るといい。光が綺麗だ」


「朝の神殿……」


「白い石がな、まるで光を吸ってるみたいに見えるんだ」


その言葉が、レイの中に残った。


朝の神殿。


まだ見ぬその景色を想像しながら、温かな煮込みを口に運ぶ。


夜。


宿の外へ出ると、空には星が澄んでいた。


スターリットの森で見た星よりも、どこか穏やかで、静かに見守っているような光だった。


(……悪くないな、この旅)


そう思いながら外套に身をくるみ、宿の寝台に横になる。


一日歩いた足は重い。


けれど、胸の奥だけは妙に軽かった。


二日目。


朝露の残る街道を、レイは再び歩き出した。


この日は、昨日よりも巡礼者らしい人々の姿が増えていた。


白い布を肩にかけた老人。花籠を持った親子。旅装のまま、胸元で小さな祈りを結ぶ女性。


道端には、祈り柱がいくつか立っていた。


白い石の表面には、長い年月で角が丸くなった彫刻が刻まれている。


星の形。


花の形。


そして、水の流れのような細い線。


その前を通る人々は、足を止め、静かに頭を下げてから進んでいく。


昨日よりも自然に、同じように頭を下げることができた。


街道の風はやわらかかった。


森を出た直後に感じた緊張は、少しずつほどけている。


けれど、ガレンの言葉は時折ふっとよみがえった。


――ルミナスの聖地だが、影も潜む。


こんなに穏やかな道に、本当に影なんてあるのだろうか。


そう思いかけて、首を振る。


ガレンがわざわざ言ったのだ。


ただの脅しではないはずだ。


日が高くなる頃、遠くにセレスティアル山が昨日よりも大きく見えた。


山の稜線は青く、その中腹にはまだ白い建物は見えない。


それでも、近づいている。


その実感が、歩幅を少しだけ早くした。


昼を少し過ぎたころだった。


街道の先で、人の流れが不自然に遅くなっていた。


荷馬車が一台、道端に止まっている。その周囲で、旅人や商人たちが足を止め、低い声で何かを話していた。


近づいた瞬間、思わず息を呑む。


道の脇に、壊れた馬車の残骸があった。


片輪は外れ、荷台の板は爪で裂かれたように割れている。積まれていた木箱がいくつか転がり、中身の布や袋が土の上に散らばっていた。


白い石で整えられた街道の端だけが、そこだけ荒れていた。


誰かがすでに片づけた後なのだろう。


血の匂いはほとんどない。


それでも、割れた板に残る深い傷跡が、ここで何かが起きたことをはっきりと語っていた。


「……異獣か」


近くにいた商人が、苦い声で呟いた。


「この辺りじゃ、前はほとんど出なかったんだがな」


別の旅人が、壊れた荷台を見ながら声を落とす。


「ここは、ルミナス様の加護が届く道だろう」


「ああ。だから余計に気味が悪いんだ」


商人は、裂かれた板の傷跡から目を離さなかった。


「森の奥が乱れてきてるって話だ。加護が届いているはずの街道でも、最近はたまに出るらしい」


「……それじゃ、シルヴィへ向かう道も安全とは言えないな」


壊れた荷台を見つめる。


異獣の姿はない。


けれど、裂かれた木の痕と、土に乱れた足跡が残っている。


普通の獣のものとは少し違っていた。


森で見た異獣の気配が、かすかに頭をよぎる。


(……街道にも、出るのか)


ルミナスの加護が届く道。


ガレンは、そう教えてくれた。


だから異獣の気配は薄く、旅人たちは祈り柱に花を供えながら、この道を歩いている。


それでも今、目の前には壊れた馬車がある。


白い石で整えられた道の端に、裂かれた木片が散っている。


その光景だけで、言葉にできない不安が胸の奥へ沈んでいった。


人々が暮らす場所のすぐそばまで、何かが滲んできている。


そんなふうに思えた。


無意識に、剣の柄へ手を近づける。


抜きはしない。


けれど、指先にはその重みが欲しかった。


商人たちは互いに声をかけ合い、できるだけ集まって進むことにしたらしい。


「若いの、一人か?」


昨日とは別の商人が、レイへ声をかけた。


「あ、はい」


「しばらく一緒に歩け。人数が多い方がいい」


「……ありがとうございます」


小さく頭を下げた。


街道は穏やかだった。


けれど、その穏やかさの下に、確かに小さなひびが入っている。


そう感じながら、再び歩き出した。


二日目の夕方、次の宿場に着いた。


一日目よりも人が多かった。


宿の前には馬車が並び、広場には巡礼者たちが腰を下ろしている。誰かが竪琴を爪弾き、細い音色が夕焼けの空へ溶けていった。


けれど、その日の宿場には、昨日よりも少しだけ落ち着かない空気があった。


広間で夕食を取っていると、近くの商人たちが低い声で話していた。


「昼の残骸、見たか」


「ああ。ひどかったな」


「昔は、あの辺りで異獣なんて聞かなかった。出るとしても、森の奥か、道を外れた場所だ」


「最近は違う。街道でもたまに出る。加護が届いているはずの道でも、こうなる」


「荷を運ぶ側には、たまったもんじゃないな」


黙って聞いていた。


木の椀の中で、煮込みの湯気がゆっくりと揺れている。


異獣。


森の乱れ。


加護の届くはずの街道。


その言葉が、胸の奥に残った。


宿場には灯りがあり、人々は食事を取り、誰かは竪琴を鳴らし、子どもは花籠を抱えたまま眠っている。


日常は、まだそこにある。


けれど、その端に、見えない染みのようなものが少しずつ広がっている。


そんなふうに思えた。


「明日の夕方には、シルヴィが見えるでしょう」


近くで、誰かがそう言った。


その言葉に、胸が小さく跳ねる。


いよいよだ。


けれど今度は、期待だけではなかった。


あの白い神殿へ行けば、何かが分かるかもしれない。


そう思う気持ちが、昨日より少しだけ強くなっていた。


夕食を終えると、早めに寝台へ入った。


けれど、なかなか眠れなかった。


目を閉じるたび、まだ見ぬ町と神殿の姿が浮かぶ。


白い石。


青い花。


朝の光。


それから、昼に見た馬車の残骸。


裂かれた木。


土に残る歪んだ足跡。


商人たちの低い声。


胸元の奥で、ペンダントの重みを感じる。


石は静かだった。


けれど、その奥に何かが眠っているような気がした。


(シルヴィまで、あと少しだ)


小さく息を吐いて、ようやく目を閉じた。


三日目の夕暮れ前。


空はよく晴れていた。


街道は少しずつ上り坂になり、周囲の景色も変わり始める。畑の間に白い石垣が増え、道端の祈り柱も、昨日までより丁寧に手入れされていた。


供えられた花は新しく、青い花弁が陽を受けて淡く光っている。


風に乗って、どこかから鐘の音が聞こえた。


遠い。


けれど、確かに澄んだ音だった。


足を止め、顔を上げる。


ゆるやかな丘の向こう。


そこに、町が見えた。


石造りの家々が、なだらかな斜面に沿って並んでいる。屋根の間から立ちのぼる煙が、夕暮れ前の空に薄く溶けていた。


そして、その奥。


セレスティアル山の中腹に、白い神殿が静かに佇んでいた。


夕陽を受けて淡く輝くその姿は、遠くから見ても現実感が薄かった。


まるで、空に近い場所に置かれた祈りの形のようだった。


「……あれが」


息を忘れる。


アストラリス神殿。


言葉としては知っていた。


でも、実際に目にすると、胸の奥が思っていたよりも強く揺れた。


服の下で、ペンダントがほんの少し温かくなった気がする。


怖いわけではない。


けれど、ただの期待とも違う。


何かに近づいている。


そんな感覚があった。


丘を下り、さらに半刻ほど歩くころには、陽は西へ傾きはじめていた。


夕暮れの光が、町の屋根を淡く染めている。


その光の中を抜けるようにして、シルヴィの入口へたどり着いた。


――シルヴィ。


祝福の町と呼ばれるその場所は、近くで見るとさらに柔らかな空気をまとっていた。


一歩、また一歩と進むにつれ、街道で感じた穏やかさが、さらに澄んでいく。


風は柔らかく、音は角が取れたように静かに響いた。


町に入ると、石畳が靴音を軽く返した。


市場では、果物を並べる露店の声が飛び交っている。焼きたてのパンの香りが通りを満たし、巡礼者や行商人が行き交っていた。


にぎやかなのに、騒がしくない。


人が多いのに、不思議と息苦しくない。


子どもたちが笑いながら通りを駆けていく。その後ろを、荷車がゆっくりと進む。


窓辺には青い花が飾られ、夕暮れの光を受けて淡く揺れていた。


(……ここ、やっぱり違うな)


理由はうまく言葉にできなかった。


けれど確かに、町全体が何かに包まれている。


そんな感覚があった。


その日は、すでに神殿へ向かうには遅かった。


宿を探して歩き回ったが、考えることは皆同じらしく、どこも参拝客でいっぱいだった。


「すまないね、今日は参拝客が多くてな」


三軒目の宿でそう言われ、思わず空を見上げた。


空はすでに群青に染まり、星がひとつ、またひとつと灯りはじめていた。


(……参ったな)


少し歩き回った末、ようやく一軒、空き部屋を見つけた。


簡素な部屋だった。


小さな寝台。


木の机。


窓辺に置かれた古い花瓶。


けれど、今はそれで十分だった。


荷を下ろし、剣を壁に立てかける。


窓を開けると、シルヴィの夜風が部屋に入ってきた。


通りには灯りがともりはじめている。白い石畳に橙色の光が滲み、人々の声が遠くでやわらかく混ざり合っていた。


その奥に、山の中腹の神殿が見える。


夜の中でも、白い影だけが静かに浮かんでいるようだった。


明日、あそこへ行く。


そう思うと、胸の奥が落ち着かない。


けれど不思議と、不安だけではなかった。


ベッドに腰を下ろした。


何が分かるのかは、分からない。


何も分からないかもしれない。


それでも、ここまで来た。


森を出て、街道を歩き、二つの夜を越えて、この町へたどり着いた。


それだけで、少しだけ自分が前へ進めたような気がした。


横になり、窓の外の灯りをしばらく眺める。


やがて、まぶたが重くなった。


シルヴィの夜は、驚くほど穏やかだった。


町のざわめきも、遠くの鐘の余韻も、風に揺れる花の気配も、すべてが静かに混ざり合っていく。


その夜、レイは久しぶりに深く眠った。


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