春に向けて、王都へ戻ります
わたくしの頭痛が落ち着いた頃合いに、わたくしたちは皆の心づくしのクッションの山に埋もれるようにして王都へ向かいました。
エインズワースに来た時よりも速度を落として、頻繁に休憩を入れながら向かったのですけれど、アディが風景やその土地を楽しんでいたからよかったのかしら。
行先が王都邸なこともあり、わたくしとディオンは特にアディの体調や気持ちの変化を注視いたします。
アディが育った王都邸は、その……あまり最良の環境とは言えなかったものですから、あの家に近づくことでエルマや閉鎖的な環境を思い出して不安定になったら大変ですもの。
公爵家の人間として、王都邸に足を運ばないという選択肢はございません。アディが、これから公爵令嬢として過ごすためにも、不安な気持ちは幸せな思い出で上書きしてしまいませんと。
そしてディオンはわたくしの体調も同じように気にかけるものですから、なんだか忙しいですわね。わたくしはもう大丈夫ですのに。
過保護なディオンと侍女たちの手によって、わたくしとアディはとても快適な旅路を過ごしております。
「この煮込みスープ、おいしいわ!」
「こちらは蕪と……大麦かしら? ここら辺では蕪のスープが冬のごちそうだそうですわ」
「かぶ……お家で食べたスープとは違うのね」
「そうですわね、領邸ではポタージュにしたものが出ておりましたわね。ですが、通常はこのように雑穀と一緒に煮て、腹持ちがいいようにすると伺ったことがございますわ」
優しいミルク味のスープで身体をあたためながら、屋外で休憩を取ります。
風味が違うのは、ヤギのミルクを使っているのかしら? 普段のポタージュよりあっさりした口当たりですわ。
「お外で食べるごはんもおいしいわ」
「そうですわね。再びエインズワースに戻ったら、またピクニックでもいたしましょう。王都邸ではお庭でお茶会でしょうか」
「ふふ、楽しみだわ! それにね、ロッテは王都邸初めてでしょう? マギーと一緒に案内してあげないと!」
脇に座らせたぬいぐるみたちを楽しそうに見つめるアディに、頷きます。誕生日にお渡ししたうさぎのぬいぐるみは、アディの大事なマギーさんと一緒にこの道行にも連れてきておりましてよ。……もちろん、しまってはありますが、わたくしの子も。
スープであたたまったせいか、吐く息がことさら白く感じます。ですが、思ったよりも寒くはないかもしれませんわ。
頬を紅潮させて話すアディを見つめていますと、わたくしたちの会話を聞いていたディオンが口を開きました。
「むこうでもお茶会をするのかい? アデル、お父様も参加しても?」
「! ええ! お父様ももちろんお呼びします! あちらでのお茶会はお父様も初めてですものね!」
「議会が始まるまでに少し時間があるからね。その時にぜひ参加させてもらうよ。貴重なアデルのお茶会だからね」
「たくさんお呼びします! お父様と一緒なの、嬉しいもの」
アディの笑顔に、ディオンも相好を崩します。きっとわたくしも微笑んでいるわ。
本当に、天使の笑顔は幸せを引き寄せるのね。わたくしたちが幸せにしてあげたいと思っていますのに、逆に幸せを分けていただいているよう。
「リディ母様も、具合がよろしいようなら参加してくださる?」
「まあ、もうすっかり頭痛は大丈夫なのよ? 食欲だって戻ってきていますでしょう?」
「ディア、過信はいけないよ。完全に普段通りになるまでは、無理をして動いては駄目だ」
心配げに上目遣いになるアディに、わたくしは掌で包むようにして持っていた木製のスープカップを、アディから見やすいように掲げて見せました。
頭痛が治まると共に食欲が戻ってまいりましたが、いつものことなので気にしておりませんでしたの。ですが、アディにそれはわかりませんものね。言葉にしなくてはいけないところでしたわ。
「もう同じものを食べれますから、ぜひお茶会には呼んでくださいまし。ディオン、わたくし、アディのお茶会を楽しみにしておりますのよ? 禁じたりなさらないで」
「! ええ、絶対お呼びします! 準備ができたら招待状をすぐ書くわ!」
「……王都に着いたら再び医師に診てもらう。問題がなければ構わない」
渋面のディオンの隣で、アディが花のような笑顔を浮かべます。
ああ、春が訪れる前の楽しみができましたわね。
この笑顔が曇らないよう、精一杯頑張りますわ!
◇
途中で雪に降られるかしらと心配いたしましたが、エインズワースから離れるにつれ白い雪の名残からは遠ざかり、そういえばわたくしの知る冬の空気はこんなものだったかしらと思う始末です。
いやですわ、エインズワースの冬を知ったのは今年が初めてなのに、もう冬の基準がエインズワースになっているなんて……わたくし、思いもしませんでした。王都邸の向こうに聳える王宮を久しぶりに見た時なんて、なんだかちょっと懐かしいと思ってしまったくらいでしてよ。いえ、帰りたくもありませんけれど。
「お帰りなさいませ!」
馬車から中庭へ降り立つと、美しい彫刻が施された建物正面を背景にして、王都邸の上級使用人たちが一列に並んで出迎えてくれました。
ああ、ケリーやジョセフの姿があるわ。彼女たちの姿を見て、わたくしは隣に立つディオンをちらりと見やりました。
ディオンは大事そうにアディを抱っこしております。
もう淑女だからとアディは最初抱き上げられることに抵抗いたしましたが、王都邸の皆の前でアディが全力で大切にされている様を見せなくてはいけませんし、懇願するような形でディオンが馬車からのエスコートをしております。
「ただいま戻った」
あら、王都邸に戻ったせいかしら。ディオンの顔から笑顔が消え、冷徹な公爵様の顔になりましたわ。最近は可愛らしい笑顔ばかり見ていたものですから、この真剣な顔はちょっと懐かしいですわね。鋼色の髪と雪空の双眸も相まって、まるで冬の化身みたいですの。
行きに連れてきた王都邸で働いていたものだけでなく、今回は領邸からウェゼリー卿を始めとする護衛団や、ディオンの手足として働くダグ、わたくしの補佐としてポーラとミシェル、アディの侍女のマーサがついてきております。
春の議会で起こることを考えて、ディオンやわたくし、アディの身辺の守りを固めるための人選ですわ。大人数ですけれど、もとより王都邸の部屋は余っておりますし、なんの問題もございません。
「お部屋の準備はできております」
「ダグ!」
家令のジョセフの隣にダグがおりますわ。先ぶれとして馬を飛ばして先行していたダグの姿に、ディオンに抱えられたアディが笑顔になります。
絵の描き方を教えていただいてから、アディは特にダグに懐いております。まあ、ちょっとディオンが面白くなさそう。
「ディア、手を」
片手でアディを抱きなおすと、ディオンは空いた掌をわたくしへ伸ばしました。そうですわね、公爵夫人として舐められるわけにはいけませんもの。わたくしも尊重されているところを見せなければ。
ディオンの差し出した手に指先を添えて、そっと寄り添います。
ああ、帰ってきたのね。そして、これから始まるのだわ。
エインズワースとは違う乾いた空気に、わたくしは笑顔の奥で気を引き締めました。
罪を負うならば、夫と共に。一人にはいたしません。
だって、わたくしが始まりなのだもの。
「湯あみの支度はできております。落ち着かれましたら、居間へお茶を準備いたしますので」
中へ入り、身に着けていた防寒具をエミリーたちに預けていますと、ケリーから声をかけられました。
なんだか、本当に久しぶりですわ。髪の毛一筋たりとも崩れない、変わらぬその姿に、つい笑ってしまいそうです。
「ありがとう、ケリー。いただくわ。さあ、アディ。参りましょう?」
「はい! ケリー、久しぶり。元気にしていた?」
もこもこのケープを脱いで身軽になったアディは、ドレスの裾をひるがえすようにしてわたくしの隣に来ると、見慣れた侍女長の姿に顔をほころばせました。
変わらぬ愛らしい笑顔ですが、王都邸にいた頃と違って、話し方も所作も、公爵令嬢として美しく洗練されたものになっております。肌も髪も整えられていなかった頃とは違い、今のアディは輝くばかりに愛らしい令嬢ですわ。
「お嬢様……」
アディの笑顔にこみあげるものがあったのか、ケリーは目を潤ませて俯いてしまいました。ですが、さすが侍女長を務めるだけあって、すぐに表情を整えると、口の端に笑みを乗せて頷きました。
「ええ、王都邸一同、皆健勝にしております」
「よかった! そうだわ、ケリー、お誕生日の贈り物をありがとう! わたし、とても嬉しかったの」
「それは……本当によろしゅうございました。お嬢様が喜んでくださったことが、私共の喜びでございます」
王都邸にいた頃、アディは話すのが得意でなかったわ。発音もおぼつかず、貴族のアクセントもできなかった。
けれど、今のアディは違います。そこにいるのは筆頭公爵家の後継者である、エインズワースの姫君。浮かべる微笑みも、愛らしく純粋ではあるものの、貴族らしく整えられておりましてよ。
アディがどれだけ努力を重ねたのか。それを王都邸の皆に見せることができて、わたくしも嬉しいですわ。
「ディア、アデル、行こう」
「はい! 母様、行きましょう?」
ふふ、ディオンの愛称呼びに王都邸の皆が驚いているわ。そうね、アディも変わったけれど、ディオンだって変わりましたもの。
そして、きっとわたくしも。
アディと手を繋いで歩きながら、わたくしは満たされた気持ちを噛みしめておりました。
とうとう王都に戻ってきました。




