あなたに幸いを
「やあ、可愛い花が咲いているじゃないか」
「でしょう? わたしがお水をあげたのよ! でもね、一度間違えて抜いちゃったの!」
「えぇ? もう一度植えたのかい?」
「もう一度植えなおしたの。でも、枯れちゃうかと思ってドキドキしたわ」
「綺麗な花が咲いてよかったね、アデル」
わたくしが温室にたどり着いたのは、アディが大切に育てていた花の説明を、一所懸命にディオンにしているところでした。ふふ、あの時のアディの焦り具合はわたくしも焦ってしまったくらいでしたもの。ディオンへの説明にも熱が入りますわよね。
「あのね、このお花、お父様にあげるわ」
「え、摘んでしまうのかい?」
「ええ、特別よ!」
「わあ! アデルの特別な花をもらえるなんて、すごく嬉しいよ。どうだい? 似合う?」
白い寒白菊を幾本か鋏で摘み、アディはディオンに手渡します。自分の誕生日の時に花束をもらって嬉しかったからと、ディオンのための花を育て始めた時には本当にきゅんとしましたわ。アディ、なんて可愛い子なんでしょう! ディオンもとても嬉しそう。一本を胸元に差すと、他をダグに渡して食卓に飾らせています。
「お待たせしました。ディオン、処理もせずお花を胸元に差しては、早々に萎れてしまいますわ。ブートニアにするならば侍女に頼みましょう? マーサ、お願いできて?」
「ディア……」
アディの大事なお花が長く咲いていられるよう、手早く処理をしていただきます。ディオンの胸元から抜いた寒白菊をマーサに手渡すと、代わりのように花のなくなった胸元に抱き込まれました。
「きゃあ! なんなんですの!」
「だって、このドレス……」
そうでした!
自分の色のドレスをわたくしが身に着けているのを見たディオンは、ものすごく嬉しそうにわたくしをくるくる回しながら具合を確かめます。やめて! アディの前で、朝からなにをしているんですの!
「ああ、思った通りだ! 綺麗だね、ディア」
「目が回りますからやめてくださいまし!」
ぎゅっと抱きしめられて、つい文句が口を衝きます。我ながら可愛くないですわ……でも、アディの前は駄目ですの!
「いいね、こういうの。憧れていたんだ」
「そうですの……喜んでいただけたのなら、よかったですわ」
朝から喜びにあふれているディオン。特別な一日の始まりとしてはよろしいのではないかしら。
「リディ母様、きれいなドレスね! 似合ってるわ!」
「アディも赤いドレスがとても可愛らしくて似合っておりますわ」
白い毛皮の縁取りのある深紅のケープの下は、それより少し明るめの赤のドレス。白と金のレースやリボン、刺繍や飾り石でとても華やかでしてよ。
「あ! 髪飾りはお揃い!」
「ええ、お揃いですわ。赤くて可愛いでしょう?」
結った髪に飾られている赤い宝石に、アディが笑います。ええ、アディの胸元にあるブローチと同じ意匠ですのよ。銀飾りの可愛い模様を指でたどって、アディの頬が上気します。こちらも喜んでいただけてよかったわ。これはミシェルが差配してくれたの。わたくしはドレスの色味が控えめな分、ルビーの色が差し色になって華やかね。
「ああ、嬉しいなぁ……」
感慨深いため息をこぼすディオンですが、まだこちらは始まりでしかありませんわよ。さあさあ、まずは朝食をいただきましょう!
◇
白い丸パンとサラダ、卵料理と果物の軽い朝食を取り、ディオンをお茶に誘います。この後応接間で贈り物を渡して、その後広間でお祝いです。夕方には切り上げてディオンは明日のために備えなければなりませんから、あまり時間はございませんわ。
「温室では駄目なのかい?」
「だーめーなーのー! お父様、こっち!」
おかしそうに笑いをかみ殺しながら、ディオンが問います。ええ、駄目ですわ。って、なんだかバレていそうですけれど……もう、大人なんですから素直に騙されてくださいまし!
「お父様! 早く!」
「アデル、走ってはいけないよ」
自宅の廊下と言えども、走るものではございませんわ。ですが、赤いドレスの裾をひるがえしてはしゃぐアディは本当に可愛いです。
「座って! 早く!」
「はは、大はしゃぎだね、アデル。そんなにお茶が待ち遠しいのかい?」
「違うわ! あ、違くないわ! 違うけれど、違くないの! ねえ、早くお父様座って!」
楽し気な親子の様子に、わたくしは言うことはございません。アディも、ディオンも、楽しいのならば素晴らしいことですもの。
長掛のソファに座ったディオンの横に、アディが寄り添います。わたくしは二人の姿が見えるよう、対面の椅子を選びましたが……。
「ディア、こっち」
「なんでですの。三人が一つのソファに座る必要はございませんわ」
「ディアは私の隣だろう?」
アディとは反対側の座面を指して、ディオンが微笑みます。絶対! わかっててやってらっしゃいますわね!
「嫌です」
「アデル、お母様を呼んできてもらえる?」
「はぁい!」
アディを使うなんて卑怯ですわ! もう、なんでそんなにくっつきたがるんですの! 暖炉の火も入って、特に寒くはございませんわよ!
「リディ母様、こっち!」
「えぇえ……三人で座っては、狭いですわよ……」
「だって、くっついた方があったかいよ?」
「そういう意図ではないと思いましてよ……」
わたくしたちのやりとりに、扉の脇に立っていたダグが吹き出しました。ちょっと! そこは職務に忠実に、見て見ぬふりをするのが正しくてよ!
アディにお願いされてはわたくしに否やはございません。しぶしぶディオンの右手側に腰かけると、すっと腰に手が回ります。もう! 本当にこの方は……!
「あのね、あのねお父様! 目を閉じてね! ぎゅーって!」
「閉じればいいのかい?」
「見ちゃだめよ? ちょっともだめよ?」
アディは物理的にディオンの瞼に手をやり、無理やり閉じさせようといたします。アディ、お父様の目が痛くなってしまうわ……。
「これじゃ何も見えないけれど、アデルも動けないんじゃないか?」
「あっ、じゃあ手を離すけれど、目は開けちゃだめよ? だめだからね?」
必死に言い含めて、アディが手を離します。さすがに薄目すら開けることなく、ディオンは瞼を閉じたままじっと待っておりますわね。そうよ、愛娘のお願いを聞かなかったりしたら、後がひどいですわよ?
「お父様、手を出して! 前に、てのひらは上!」
もう完全になにかを渡される格好にさせられたことに、ディオンも限度だったのか、肩を震わせて笑っております。アディはバレていることに気付いていないのが救いですけれど。
震えるディオンの掌に、アディは綺麗に包装した絵を置きます。ダグが額装したので、アディの腕には少し重そう。手を貸そうとしたら、さっとアディの絵の先生であるダグが支えてくれていました。何度も一緒に絵を描いていたせいか、アディはダグによく懐いております。
「リディ母様も!」
「わたくしは後にいたします。アディからにいたしましょう?」
自分の絵の上に置けとアディがねだりますが、わたくしは首を振りました。重ねてしまっては開けづらいですもの。わたくしの贈り物は後にいたしますわ。
「もういいかい?」
「いーいーよー! 目をあけてお父様!」
アディの号令に合わせ、ディオンの瞼が開きます。手のひらの贈り物を見て、その瞳が幸せそうに和むのを見て、わたくしはとても嬉しくなりました。
「せーっの! お父様、お誕生日おめでとう!」
アディの声に、祝いの声が重なります。わたくしももちろん声をそろえさせていただきましたわ。
「誕生日の贈り物? アデルからはなんだろう?」
ワクワクした様子で、ディオンが両手に載せられた贈り物を一旦膝に置き、かけられた青いリボンをほどきました。少し大きめの絵本ほどの包みを丁寧に開けると、そこにはアディの手による家族の姿が。
「あのねっ、これわたしが描いたの! お父様とー、リディ母様とー、わたしとー」
順に指を指していきますが、ねえアディ、人数が多いですわ……。
「こっちがね、弟。こっちがね、妹」
「アディ!?」
アディの細い指が、アディの横にいる小さな影を指していきます。
「いませんわよ!?」
「え、だってできるよ? わたし弟と妹がほしいもの」
お人形じゃないので、突然できたりしませんわよ!?
それに、わたくし……子どもは、いえ、その……産まなければならないのでしょうけれど、その、ええと、待って、違うんです!
「ダグ!?」
「えっ、まさかの僕に向いた!」
この絵の構図を知っていたのは、アディの他にはダグしかおりません。変なことをアディに吹き込みましたわね!?
「僕はなにも口出ししておりません! 絵の描き方だけです! 神に誓って!」
「…………アデルは、きょうだいが欲しいの?」
さっきまで喜びにあふれていたのに、一瞬にして色をなくしたディオンの声がダグの否定に重なりました。
「え……」
「私たちにはアデルがいるよ。でも、アデルはきょうだいが欲しい?」
「う、うん……。あのね、夢で見たの。わたしの両手にね、いたのよ?」
「人はね、簡単には産まれないんだ。でも、君が受け入れるというなら、お父様もお母様も神様に相談してみる。こればっかりは、誰にもわからないものだからね」
「お父様、絵、嫌だった……?」
しょんぼりとしたアディの頭を一つ撫でて、ディオンは膝の上の絵に指を這わせました。
「そんなことないよ。お父様はとても嬉しい。こんな未来がね、すごくすごく欲しかったんだ。でも、お父様はちょっと怖がりだから、アデルのくれた幸せな未来を見るのが不安だったんだよ」
「お父様、怖いの?」
「ああ。恥ずかしいね」
「恥ずかしくないよ? わたしが手を握っててあげる。リディ母様もよ? そしたらこわくなんてないわ!」
絵をなぞるディオンの手を、アディが握り締めます。わたくしも、反対側の手に自分の手を重ねます。
アディを産んで亡くなってしまった奥様。ディオンの心には、彼女を失った悲しみがまだ残っているのですね。
「この手を離したくないなぁ……」
「え、じゃあ握っててあげるわ! あ、でもお父様手が使えなくなっちゃう! お菓子はわたしが食べさせてあげるから、安心してね」
「はは、お菓子しか食べれないね、それじゃあ」
アディとディオンの会話を聞きながら、わたくしは強い力で握り返されるその手を、握り続けることしかできませんでした。
「それで、ディアはなにをくれるのかな?」
湿っぽくなってしまった空気を振り払うように、明るい声音でディオンが贈り物の催促を口にしました。さっとミシェルが贈り物の箱をわたくしの手元に手渡してきたので、そのままそっとそれをディオンの膝の上に置きます。
「あの……わたくしは、こちらを」
「両手がふさがっているから開けられないね。アデル、ディア、代わりに開けてもらえるかな?」
「はぁい! 任せてお父様!」
薄紅のリボンをアディがさっと引くと、あとは箱を開けるだけなのでこちらはわたくしがいたします。
箱の中には刺繍したハンカチーフと、あの夏の日の思い出を閉じ込めた小さなタペストリー。
「わぁ! すっごくきれい!」
「ヴァーノン湖だね。ああ、あの日の舟かな? ほら、きっとこれは私とアデルだね」
「ええーっ! すごい! 小さなわたしとお父様がいる! えー、いいなぁ! すてきなの!」
「ディアが刺繍をしたの? ……大切にするね、アデルの絵も、ディアの絵も。ハンカチーフも早速使いたいな。ああ、でも使うのはもったいないかな……」
「刺繍は、いくらでもいたしますわ。使っていただきたくて作ったのですもの。……使ってくださいまし」
気恥ずかしくて、でも褒められて嬉しくて、自分でも感情を持て余してしまいますわ。
「毎年、これからずっと、贈ります。だから、きちんと使ってくださいましね」
「毎年かぁ……それは、嬉しい未来の約束だね。うん……きっとだよ? 楽しみにしてる」
自分の子どもを持つことが怖いリディアと、出産が怖いギデオン。お互いのトラウマですね。




