挿話:滞っていた流れが動き始める
向き合ってみると、リディアはひどく不器用な性質のようだった。
ギデオンも生来不器用だ。真面目にやることしかできない、融通の利かない性格は自覚していたが、リディアもまた、私的な部分はひどく不器用だった。
(似た者同士ということかな)
十五も年上なのに何を言っているのかと思うが、そう思ってみると、ひどくリディアへの親近感が湧いた。
甘え方がわからないのは、ギデオンもリディアも同様だ。だが、年上なりにギデオンの方がうまく動けることもある。人慣れしない子猫がちらちらと様子を窺うように甘えて見せる様は、とてつもなく庇護欲を掻き立てる。
どこまで許されるか、境界線を探るようなその甘え方はひどくもどかしかったが、無理強いはしない。揶揄うように距離を詰める己もまた、境界線を探っているのだ。
こと家族に限って、ギデオンは間違いばかり犯していたけれど、「間違った」だけで終わらせるわけにはいかない。家族を大切にできなかったからといって、これから先もないがしろにしたままにすることこそ間違っている。
まず、親としてアデラインときちんと向き合った。
アデラインが健やかに育つためにできることはたくさんあるはずだ。寄り添い、愛情を注ぎ、なにより我が子と共に過ごす時間を作ること。今までできなかったからこそ、取り戻すためにはもっとたくさん動かなければいけない。
アデラインが笑顔でいることが、今のギデオンにとっての幸せだった。恥ずかしながら、ようやく親になれた心持ちだった。亡き妻にはいくら謝っても謝りきれない。命と引き換えにこんな可愛い娘を遺してくれたのに、たった一人の父親があんな体たらくでは、落ち着いて眠れなかっただろうと思う。
そんなアデラインとの交流は、リディアにどれだけ助けてもらったかわからない。彼女がいなければ、ギデオンはアデラインからの愛情を得られていたかどうかは怪しい。子どもと向き合うのは初めてだったギデオンは、リディアの導きあってどうにか父親になれたのだ。
それと同時に、リディアに振り向いてもらえるよう努力を始めた。
公式な妻としての存在としてしか求められていないと思い込んでいる彼女に愛情を届けるために、幾度も挑む。いい大人がみっともないとは自覚しているが、家族をないがしろにして壊しかけたのはギデオン自身だ。大切にするために全力を尽くすのは当然なことだと言えよう。
リディアは愛情に恵まれずに育ってきた。自分が愛される存在だと理解してもらうためには、愛情を口に、行動に出して、彼女に届けるべきだ。
幸いなことに彼女に懐いているアデラインが味方してくれている。アデラインに対しての最大の協力者がリディアだとしたら、リディアに対しての一番強力な味方がアデラインだった。
最初の結婚相手は幼い頃からほぼ家族として付き合ってきた幼馴染だっただけあって、ギデオンは女性を口説いたことはない。婚約者としての交流も、男女の付き合いというよりも家族の交流に近かった。
だからなにが正解かなどはわかってはいなかったが、彼女が嫌がらないラインを見極めつつ、リディアの興味を自分にも向けてもらえるよう、手を変え品を変え行動してみた。曖昧な愛情表現は流されると理解した今は、直截な言葉を選ぶようにしている。
そしてようやく手ごたえを感じ始めた今、リディアはギデオンの腕の中に飛び込んできた。
精一杯大切にしよう。誰にも渡さない。彼女は、ギデオンだけの妻だ。
リディアへ感じる庇護欲は、アデラインへのものと似ていて、けれどもどこか違っていた。どちらも家族であるけれど、いつか手放す日が来るアデラインへの欲と、いつまでも腕の中におさめておけるリディアへの欲は違う。
アデラインは自分の足で立つ力を付けねばならない。甘やかしつつも、立ち上がる力を育ませる必要がある。
だが、すでに自分の力で立つことのできるリディアは。誰かに寄りかかるという選択肢を持たなかった彼女への甘やかしは、アデラインとは違うものだ。甘えることを覚えても、彼女は周囲に寄りかかり続けることを良しとはしないだろう。その彼女が甘える唯一に、ギデオンはなりたくなった。
独占欲と言うその感情が自分の内にあることに、ギデオンはようやく気付いた。
◇
「旦那様、こちらを」
リディアと公私ともに夫婦になってからしばらくしたある日のことだった。手紙を手にしたダグが、しかつめらしい物言いでそれらを差し出してくる。
専属侍従であり、幼馴染でもあるダグがギデオンを旦那様扱いするのは、公的な場所でのみだ。私的空間である執務室で冗談めかしてではなくそれを口にするのは、その手にある書簡たちが問題を孕んでいるということだろう。
「……そろそろこちらも動かねばならないということか」
三通の手紙はアークベリー公爵と宰相であるシーク侯爵の紋章が押してあった。ただ、最後の一通は封蝋のみで押印はなく、また主人に渡すために検閲されたのか、ひとつだけ開封されていた。
その中身を確認したギデオンは、ダグの渋面に納得がいく。
ギデオンやリディアの去った王宮はかなり追い詰められているらしい。回らない公務を無理やり回すことでボロが出てきただけでなく、側室腹の第二王子の婚約解消に伴い、あの無能な従兄がエインズワース公爵夫人となったリディアを召し上げようと企んでいるという。
よくて王子妃、悪くて国王の公妾だ。それを避けるためにアークベリー公爵がギデオンへ嫁がせたというのに、あの無能王は本当に余計なことしか考えない。
(ようやく笑って、泣いてくれるようになったのに、本当に余計なことを……)
淑女の微笑みではなく、少女らしい笑顔をたまに垣間見せるようになった妻を思う。
家族の前でだけ堰が溢れるように涙をこぼすようになった妻の、震える細い肩を思う。
あの涙を、笑顔を、失うわけにはいかない。彼女は、ギデオンの妻だ。誰かに渡すわけがない。
「社交期より少し早めに王都邸に戻る」
「奥様たちはいかがされますか」
今までのギデオンならば、その問いかけに置いていくと即答しただろう。だが、相手はリディアだ。すぐに勘づいて追いかけてきたり、援護の手を打ったりするはずだ。私的な部分では不器用でも、公的な面の彼女は聡明であり、とても有能なのだから。
「リディアには相談する。できたらこちらにいて欲しいが、彼女はただ守られることを良しとしない人だ。打てる手はすべて打とう」
守られるだけの相手なら、あんな風になってはいない。彼女は王城で孤軍奮闘し続けた歴戦の戦士だ。この情報を耳にしたならきっと、彼女の守りたいもののために動きたがるに違いない。
「どんな形でも、彼女を王宮には戻さない。エインズワースを挙げて捩じ伏せるぞ」
リディアを守りたいのはギデオンだけではない。借りられる力はたくさんある。
傍らに控えるダグにリディアへの伝言を頼んでいると、リディアの秘書を務める侍女レイラが、妻からの先触れを持って執務室へやってきた。お互いが相談事を持ち込むという状況に、多分それは同じ内容だと推測する。ギデオンが王都に情報網を残しているように、王宮で王族の補佐をしていたリディアもまた、彼女独自の情報網を持っているのだろう。
「お迎えの準備をいたします」
ダグがリディアを迎えるために下がると、レイラもまた承諾を伝えるためにリディアの元へと戻っていった。
しばしの間ひとりきりになったギデオンは、舌打ちをすると執務椅子の背にもたれかかる。多分自分は今、ものすごく怒っている。いら立っている顔をリディアに見せるわけにはいかない。気持ちを落ち着けなければ。
(ディアも、アデルも王宮には渡さない。もうあの王は玉座に据えるべきではない。努力もしない無能な王を支えるならば、身体が弱かろうが傷があろうが出自が微妙であろうが、国のために努力をする者を)
他者から簒奪者と呼ばれようが、ギデオンはあの従兄に対し、これ以上なにかを差し出すつもりはなかった。情報元である手紙の主たちも、また同じことを考えているだろう。
(アークベリー家以外の公爵家……フィーガシュー、セントレス、バークレーの三家を抱き込むとすると、やはり王妃陛下の助力は避けられない。かの女傑を動かすには、やはり第三王子を王座につけるべきか)
血を流さず譲位を行うためには、王位継承権を持つ五家の力が必要だ。だが、あの王子は本当に身体が弱い。公務も兄である第一王子に頼り切りだったくらいだ。
それでも第三王子を玉座に据えるなら、バークレーとフィーガシューは賛同するはずだ。あとは王家と離れる意思を強くしたセントレス。だが、王家と縁を結ぶのを良しとしないセントレスならば、あの暗君を引き下ろすことに異は唱えない可能性が高い。
(あの暗君にまとわりついて甘い汁を吸っている奴らは全員痛い目を見せる。自分たちが楽をするためにディアを使おうと考えたことを後悔させる)
幾分物騒な考えを巡らせていると、厨房へお茶の準備を伝えてきたダグが戻る。ギデオンの顔があまり見せられるものではなかったのだろう。気心の知れた乳兄弟は、無言でとんとんと自分の眉間を叩いて見せた。
「お昼前なのでお茶菓子はなしにしましたよ。奥様はもう少ししたらいらっしゃると思います」
執務机に肘をつき、渋面をごまかすように組んだ指に額を押し当てるギデオンをよそに、ダグは淡々と伝達事項だけ寄こす。こういうところは、本当によくできた侍従だとギデオンは思った。
◇
リディアが持ち込んだ相談は、ギデオンが予測したものと同じく、王家の動向についてだった。
形のいい眉を少し顰めて、リディアは声を落とす。
「ディオンに頼るのもはずかしゅうございますけれど……なにぶん、家のことが関わってまいりますし、このお話をお断りすることは、わたくし一人では難しゅうございます」
愛称で呼ぶことを決めたあの日から幾度となく練習を繰り返して、リディアはギデオンのことを敬称なしで呼べるようになっていた。萎れた様子を見せる最愛の妻に、ギデオンはそっと寄り添う。
「ちょうどよかった。この件について、私の方にも同様の知らせが来ていてね。ああ、ディアがそんな表情をする必要なんてないよ。断る以外に返答はない。それでなくとも、従弟の妻を召し上げようなんていう外道、許してはいけないからね」
ギデオンの言葉に、リディアの細い指先から力が抜けた。手にしていた、少しだけ皺が寄った書簡をそっと机の上で滑らせる。
「王妃陛下からです。かの方も、助力を必要としていると」
承諾を得て封書を開くと、そこには王とそのまわりの腰巾着共が恥知らずな提案をしていること。王妃やアークベリー公爵が頑なに断っているが、このままでは強硬手段に出る可能性も否めないこと。可能性としては第二王子妃として求められる可能性の方がやや強いことが記してあった。
それと共に、リディアが王家に戻ることを望んでいないのならば、第三王子を立太子させるために尽力してほしいことも。
「王妃陛下は下の王子を推すと?」
「……フィリップ殿下は、その……離宮におりますから、他に選択肢はないのだと」
幾分言いづらそうにリディアが答える。王位継承の話である。たしかに軽々しく行えるものではない。
「選択肢としてはいくつかある。一番有効なのはランドルフ殿下が戴冠されることだが、お身体のこともある。在位のことを考えたら、一旦中継ぎの王を置き、ランドルフ殿下の成婚後、お子がお生まれになることを優先させ、それまで養生を続けてもらう方が現実的だろう」
兄王子の分の負担まで抱えた第三王子は、最近では寝付くことも多くなった。あの状態で玉座に据えるのは負担が大きすぎる。第三王子の婚約者の生家であるバークレー家は、それでも双方の仲が円満であること、また二人の間の子の王位継承権が優先されるなら賛同すると言っているらしい。
「中継ぎ……スティーヴン殿下か、もしくは……ディオンですわね」
「王妃陛下はスティーヴン殿下が王となられることは望んでいないから、私を中継ぎにしたくて君に手紙を送ってきたのだろう。だが、私としては国王にフィリップ殿下を推したいと思う」
ギデオンの言に、リディアが意表を突かれたといった様子で瞬いた。年相応の少女らしさが表に出て可愛いと思ったギデオンは、思わずその頬を撫でる。触れると少し色づくのが可愛らしいとギデオンは思う。
「表向きには、フィリップ殿下もスティーヴン殿下も罪はない。静養のために離宮で過ごされているフィリップ殿下と、母親が王宮から退いたスティーヴン殿下では、後ろ盾の関係でスティーヴン殿下に勝ち目はなかろう。私とアークベリー公爵が後見すれば、フィリップ殿下が王となることも難しくはない」
「ですが……フィリップ殿下は」
「錯乱はおさまっているようだ。ただ、王宮に戻るとは言わないため、静養を続けているらしい」
第一王子の様子は王妃の手紙には記されていなかった。それは、宰相からの情報である。
「王妃陛下は、本音では君に戻ってほしいようだ。だが、妻としても公爵夫人としても、君を王宮へは戻さない。一度戻してしまえば、皆、君に頼り切りになる。私は君を手放す気は毛頭ない」
「っ!」
先ほどの比でなく、一気にリディアの顔が紅潮した。
満足げに微笑みながら、ギデオンは告げる。
「君の居場所はここだ。私と、アデルの間。王宮ではない」
「でも……その代わりにディオンに負担がいくのでは。わたくし、またあなたが疲労困憊しているのを見たくはございません」
「補佐はするが、同時に教育も行うさ。ジョナス王のように、まわりに頼り切りを当たり前にしてはいけない。王たるもの、国を庇護し、守る者でなければ」
それに、と、ギデオンは続けた。
「また王宮に詰めて、アデルと君を置き去りになんてしない。私が第一とするのは、君たちだ。もう間違えない」
「エインズワース領と領民も大事にしてください」
「それは領主としての第一だね。ギデオン・エインズワースとしての第一ではない」
ひた、と、リディアの空色の瞳がギデオンを見つめている。ギデオンが持つ、凍えそうな色ではない。暖かな、春の色だ。
「私は長い間間違え続けてきた。だが、君が来て、間違いに気づかせてくれた。アデルも領民たちも、ふがいない私を許してくれた。フィリップ殿下も間違えた。大事にすべき者を手放した。だが、そこで終わりにしてはいけないと思う。彼もまた、やり直す道を与えられていいのではないかと」
「……スティーヴン殿下と争いが起こらないでしょうか」
「それがね」
憂うリディアに、ギデオンは懐から手紙を出す。先ほど受け取ったものの一通、あの紋章のない無記名の書簡だ。
「本人のたっての希望だ。彼は王位を、国の混乱を望まない。セントレス家との婚約解消は、彼とセントレス家の総意だ」
スティーヴン・ヴィア・アーチデイルは、両親に似ず、真っ当な考え方をする少年だった。
彼は母が起こした異母兄の悲劇の責任を取りたいと願う反面、その戻る場所を自分が埋めることを良しとしなかった。仕事の補佐は最大限行う。だが、代わりに王にはならない。それでは、母や父、祖父の思惑通りになってしまうからだ。
少年らしい潔癖さで、第二王子は嘆いていた。孤独な王子に、元婚約者は未だ寄り添っているらしい。
「スティーヴン殿下……よかった、マリエル様とは仲がよかったですから、解消したとカタリナ様から伺って、心配していたのです」
アデラインの誕生会の夜、涙を流すことができたリディアは、あれからよく泣くようになった。だがそれもギデオンの前でだけだということが、とても嬉しい。
手紙を握り締めたままぽろぽろと涙をこぼすリディアを抱き寄せ、ギデオンは口を開いた。
「セントレス家には確認を取るが、スティーヴン殿下の手紙だと、殿下は王籍を離れてしばらくした後、セントレス家に身を寄せるようだ。表向きは後見を離れるものの、セントレス家は殿下を見放したりはいないと思う」
「ええ、ええ、そうでしょう。よかった。わたくしのせいでこれ以上誰も壊れてほしくはないのです」
相変わらず自責の強い妻に、たまらず抱きしめる腕に力がこもる。なんでも自分のせいだと思い、努力し続けた彼女の過去が悲しく、またそんな気持ちから早く解き放ちたいと願う。
「君は救いこそすれ、壊したりしていないよ、ディア。まわりに訊いてごらん? 誰もが君に助けられたというはずだ。私やアデルを筆頭にね」
冗談めかして言うと、ようやくリディアが笑った。身体の力が抜け、ギデオンにそっと寄りかかる。
「ディオン、わたくし──勇気を出してみようと思うのです。応援していただけますか?」
「君を犠牲にすることでなければ、全力で応援しよう。だが、夫として君が身を挺することは断固拒否させてもらう」
「まあ! 優しいんですのね」
そこに込められた、どろりとした重さをわかっていないリディアは、軽やかな声を立てて笑った。
「フィリップ殿下にお手紙を書いてみます。助力を願うならば、本人を立ち上がらせないまま行うわけにはまいりませんもの」
いい加減王宮は大掃除が必要ですね。
間違いは正せる。面倒だからと間違ったままにしておく方が、傷は深くなるかと。
しかしほのぼの要員のアディが不在だと、ちょっとお話がシリアス気味になりますね。




