それは、憧れの
今日は2話更新です。
2話目はおまけ的な感じですが。
「まずは国内だな。長期間旅行に行くためには準備が色々必要だから、来年の春以降か……」
「えーっ! それじゃ先過ぎるわ、お父様!」
「冬は道行が厳しいし、無理だよ、アデライン」
「ですが、春は社交期ですし、王都に行かなければならないのではないでしょうか。ギデオン様も会議に参加なさるでしょう? 公爵家として、王家主催の舞踏会には参加しなければなりませんし……」
アディとギデオン様と旅行の予定について話しておりますと、時期の話になりました。
春の始め。王宮では各貴族家の当主が参加する貴族院会議と、王宮に出仕している高官たちの議会が行われます。基本的に男性だけで行われるこの会議ですが、両陛下が臨席されることもあり、わたくしも第一王子殿下の名代として何度か……いいえ、最近はずっと参加させていただいておりました。
それと共に、夜は大舞踏会が催されます。社交期の華とされるこの期間は、貴族は王都に滞在しなければなりません。病床についているなどの例外はあっても、わたくしがフィリップ殿下の名代として参加していたように、必ず代理の者が会議に参加することになっております。
「それについては夜にでも相談に乗ってもらいたいんだが、いいかな?」
「え、ええ……。わたくしでお役に立てることならば、尽力いたします」
「そんなに構えなくてもいいよ。君は無理しがちだから」
「そんなこと、ありませんわ……」
労わられることには慣れておりません。すごく恥ずかしい反面、なんだか……その、嬉しゅうございますね。
「まぁ、社交期はさすがに外さざるを得ないけれど、議会と大舞踏会が終わり次第、旅行に行かないか」
「ですが、わたくしエインズワース家に嫁いでから初めての社交期ですわ。公爵家としておざなりにするわけには……」
王宮にいたときに人脈は色々と繋いでおりましたが、王子妃という未来ありきのものもございましたから、改めてまた顔出ししないといけませんわ。公爵令嬢としての社交と、第一王子の婚約者としての社交と、公爵夫人としての社交は、すべて別物ですもの。
「今回は最低限でいいよ。私の身体がまだ回復しきっていないから、静養のためにエインズワース家は早めにおいとまするということで」
「承知いたしました。社交といいますと、アディもそろそろお茶会に参加させますか?」
貴族令嬢の正式な社交参加は成人を迎えてからとなりますが、その前、だいたい五歳から十歳の間には事前準備として、親戚や親の友人など、気心の知れた間柄によるお茶会を始めます。友人や婚約者、側近の候補などを見極める時期ですわね。アディは筆頭公爵家の嫡子ですから、もう始めていてもおかしくはない年齢なのですが……。
「今回は家門の子女たちと顔を合わせるくらいにしようか」
「お茶会?」
「ええ、マギーさんたちのお茶会ではなく、今度はアディと同じくらいの子たちを招いてお茶会をいたしましょうか。大丈夫、マギーさんたちのお茶会と同じですわ」
これまでわたくしとの遊びの延長として学んできましたけれど、おもてなしする側としても、招かれる側としても、アディの作法に問題はありませんでした。
「リディもいる?」
「もちろん、わたくしもおりますわ。ですが、わたくしはお招きした方のお母様たちをおもてなししなければなりませんから、いらしてくださったご令嬢たちのお相手は、アディにお任せすることになります。どうでしょう? いけそうですか?」
「……ちょっとこわいけど、がんばってみる」
「困ったときはわたくしがおりますからね。それに、アディはもう完璧にお茶会をこなせますわ。マギーさんたちをおもてなししましたでしょう? 手順もなにもかも同じですから、怖いことなどなにもございませんのよ。あとは会話を楽しむだけですわ」
この会話のやり取りが難しいのですけれど、幼少期のお茶会の会話はさほど難しくはありません。経験を積んでいけばなんとでもなります。
「やってみるね!」
「それならば、アデラインはリディアへの呼び名を正さねばならないね」
「呼び名?」
「そう、人前でリディアのことを愛称で呼んで許されるのは親きょうだいや友人、そして配偶者くらいだ。アデラインは〝娘〟だからね、〝リディ〟ではなく、〝お母様〟と呼ばなくては駄目だよ」
ギデオン様から放たれたそれは、ひどく真っ当な指摘でした。
わたくしは義母、アディは義娘。二人の間で愛称で呼び合うのは問題なくても、他者の前でアディがわたくしを愛称で呼んでは、「義母として認めていない」と思われても仕方がないことです。
頭ではわかっております。ギデオン様の指摘は正しいもの。今の呼び名ではアディが恥をかきますし、わたくしが見くびられる原因ともなります。ですが。
「リディって呼んじゃ、だめなの? ごめんなさい……わたし、今まで」
「わたくしは初めて愛称で呼んでいただけましたから、嬉しゅうございましたわ。第一、リディと呼んで欲しいと申しましたのはわたくしの方。アディ、申し訳ございません」
しゅんとしてしまったアディに、わたくしは慌てて謝りました。あの時は良かれと思って申し出ましたけれど、あの時点でわたくしはきちんと未来のことまで考えねばならなかったのですわ。
「あの、恥ずかしながらわたくし愛称で呼ばれたことがなくて……憧れていたんですの。だからアディに呼んでいただけて、本当に、本当に嬉しかったのです。呼んでくださってありがとうございます、アディ。そして、混乱させてしまって本当に申し訳ございませんわ」
わたくしの感情を優先させた結果、アディを傷つけたり困らせたりするなんて。こんなことならば、あの子の名前を借りたりするんじゃなかった。
これは、わたくしの、失策です。わたくしは、いつも肝心な時に間違える。
「こらこらこら、二人で反省会を始めてはいけないよ。君たちが愛称で呼び合うことはなにも悪いことではないんだ。家族になるために必要な段階だったのだからね。だからこれは、貴族として人前では呼び名を正そうという話だ。二人の間で呼び合うのは、家族だけの秘密にしたらいい」
「ひみつ?」
「そう。内緒ごとというのは、重いと抱えているのは大変になるが、軽い秘密なら特別な約束になるだろう? 今までの愛称は、アデラインとリディアだけの特別な秘密にしよう」
重く凝りかけたわたくしの気持ちを、ギデオン様はなんてことないように掬い上げてくださいました。
秘密。アディとわたくしの。内緒の、特別な呼び名。
「わぁ! それってとっても素敵! ありがとうお父様!」
一瞬で笑顔になり、アディがギデオン様に飛びつきます。そして笑顔のまま、わたくしを見て嬉しそうに言いました。
「わたし、他ではリディのことを、〝母様〟って呼ぶわ! そして、お家では〝リディ母様〟って呼びたい! 〝リディ〟はわたしが考えた愛称じゃないから、混ぜっこして新しく考えてみたの!」
「あ、でぃ……」
ぎゅっと、胸が絞られるような心地がしました。
初めての、わたくしだけの、愛称。
わたくしが決めたものではない、わたくしに差し出された愛称。
「じゃあ、私もリディアのことを愛称で呼ぼうかな。アデラインだけ愛称呼びをしているのはさみしいなと思っていたんだ。〝ディア〟と呼んでも?」
アディを抱きしめ、ギデオン様も微笑みながらわたくしの方をご覧になりました。
「お父様! わたしにもつけて!」
「アデラインなら……アデルかな」
「アディと似てるからアデルがいいわ!」
ぎゅっと、咽喉が締め付けられます。いやだわ、二人にお礼を言いたいのに、声がでない。どうしましょう。
「リディ!?」
「ディア?」
「ふっ、ふたっ、ぇ……っく、ふたっ、あっ、ありが……」
言いたいのに。きちんと、嬉しいって。憧れのものをわたくしに与えてくれてありがとうって。
あの夜から、わたくしの涙腺はおかしくなってしまったようです。恥ずかしい。もう成人したというのに、子どもではないのに、こんな。
たまらず顔を覆ってしまったわたくしの背に、暖かな掌が触れました。大きな手と、小さな手。そのままそっと抱き寄せられて、たまらず嗚咽がこぼれてしまう。
「だいじょうぶよ、リディ母様。痛くないよ」
「わたっ、わたくし……ごめ、ごめん……な、さい」
「大丈夫だよ、泣くことは恥ずかしいことじゃない。これも、家族の秘密だ」
そんな風に優しくおっしゃるから。
わたくしはもう堪えることなんてできなくなってしまったのでした。
家族。
アークベリー家の皆様は、貴族らしい家族でした。お養父様と一番上のお義兄様は外交で不在、二番目のお義兄様とお養母様は領地にいらっしゃって、社交期間にしか会えませんでした。もちろん家族揃って食事を取ることも稀で。
お義兄様たちが結婚なされる頃には、もうわたくしは王宮と王都邸を行き来していて、家族というより、正しく親戚といったような関係性しか築けなかったのですわ。
ですので、わたくしは家族というものがわかりません。幼い頃、物語で読んで憧れた存在でしかなかったそれは、いつだってわたくしの手が届くところにはなかったのですから。
フィリップ殿下の婚約者として王宮に上がるようになった時、わたくしはこの方がわたくしの家族になる人だと、嬉しく思ったのです。
初めの頃のフィリップ殿下はお優しかった。この方とならば、わたくしも幸せになれるのだと思って、お妃教育も頑張ったのです。
ですが、年を経るごとにだんだんとフィリップ殿下との距離は開いていき……結果、わたくしの婚約は駄目になりました。
家族とは、手に入らぬもの。
愛とは、わたくしと縁遠いもの。
そう思って人生を諦めていたわたくしに贈られた、アディという存在。
愛情を注いだ分、返される愛。
わたくしは初めて、誰かにとっての大切な存在というものになれたのです。
アディのお母様の代わりではありますけれど、それでもわたくしの能力ではなく、存在が必要とされることは、胸が震えるほどわたくしを満たしてくれました。
「ありがとう……ございます、アディ、ギデオン様」
しゃくりあげる咽喉がようやく落ち着いて、二人に感謝の言葉を伝えることができました。
すると、ギデオン様があのいたずらっぽい表情を浮かべてわたくしを覗き込むのです。
「私だけ〝ギデオン様〟なのはさみしいな」
「! そうね、リディ母様、お父様にも愛称をつけてみて!」
そんな!
「ぎ、ギデオン様は……ギデオン様では、いけませんか」
「いけませんね」
そんな!
楽しそうなギデオン様を、つい睨んでしまいます。この方、楽しんでおられるわ!
「あ……の、ちょっと、待ってくださいまし」
「うん、待つよ。でも、早めにほしいな」
ニコニコ顔のギデオン様の横で、アディがワクワクといった様子を隠そうといたしません。
愛称! アディの時はすんなり出てきましたのに、突然問われると困惑しかありませんわ!
ギデオン……ギデオンの愛称は。ギディ、ギド、デオ、ディオン……ギディはアディとお揃いで可愛らしいけれど、幼すぎるかしら。ならばギドかデオかディオン……。
「ディオン、様」
「様はいらないよ。夫婦だからね」
「…………っ、待って! 待ってくださいまし!」
「うん、待つよ。でも、様はいらないから、そのまま呼んで?」
先ほどとは別の意味で泣きたくなってまいりました。
だってなんだかとても恥ずかしいですわ!




