距離感がつかめないのに、ギデオン様が距離を詰めてきます
「旦那様より、午後はあけてあるから一緒に過ごしたいとのご伝言を承りました」
戻ってきたレイラが、そんな非情な言伝を伝えてきます。そんな……午後までに気持ちを立て直さないといけませんわ!
「そ、そう……」
「お父様も一緒!」
無邪気に喜ぶアディの前で、ひどい表情は作れませんわ。気を引き締めて微笑みます。笑顔を作るのは得意なのです。もはや無心になれば笑顔は生まれます。王宮の教育の賜物ですわ!
「では、わたくしの寝室ではなく他の部屋にしましょう」
微笑みながらレイラに伝えます。結婚しているとはいえ、わたくしとギデオン様は寝室を共にしておりません。なので、見せたことのない自分の寝室に招き入れるのが、どうしても恥ずかしいです。
「それでは、第二応接室を準備しておきます。贈り物もそちらに準備させます」
「そうね、ギデオン様にも把握しておいていただいた方がよろしいでしょう」
仕えてくれている者たちからの贈り物ですが、ご一緒されるということならば、ギデオン様にも把握しておいていただいた方がよろしいですわね。ええ、ようやく頭が回ってまいりましたわ。この調子で失態を犯さないよう気をつけましょう。
「午前中は、一緒に図鑑や絵本を見ましょうね。絵本は、我が国以外のものもありましたのよ」
「あの見たことない文字はどこの国の言葉なの?」
「まあ、他国の言葉にも興味を持つなんて、アディは好奇心旺盛ですのね。素敵なことですわ! 昨日読んだ絵本はベルンドーク王国のものですの。ティレット王国の北方にある国ですのよ」
「べるんどーく……リディは読めるんだね。すごい!」
「アディにそう言っていただけることが、なにより嬉しゅうございますわ」
「うさぎの絵本……あ! 待ってうさぎさん! 昨日リディにもらったうさぎさん! どこ!?」
絵本の話をしておりますと、アディは昨日もらった贈り物を思い出した様子。寝台の枕元にマギーさんと一緒に置いてあった新しいぬいぐるみを見つけると、安心したように息をつきました。
「名前なんにしようかな……悩んじゃうね」
「ゆっくり決めましょう? そうそう、マギーさんをいったんお預かりしてもよろしいでしょうか? お洋服を作る約束をいたしましたものね」
「おそろいのね!」
アディがあれこれぬいぐるみの名前を考えている横で、マギーさんの採寸をいたします。だいぶ傷んでおりますけれど……綿を足しては駄目かしら。いえ、アディから言われるまで、このままでいましょう。大事な存在の形を変えてしまうのはいけないことですわ。
新しいうさぎの名前は、ロッテになりました。
◇
アディと絵本を教材にベルンドーク王国の言葉を勉強したり、マギーさんのお洋服の布を一緒に決めたりしながら、比較的のんびり午前中を過ごしました。ギデオン様より昼餐のお誘いを受け、アディと揃いの服に着替え──アディの誕生日の日にいただいたのは夜会用のドレスなので、今日は比較的締め付けの少ない服にいたしました。色違いではなく、デザイン違いのものですわ──ギデオン様の待つ食堂へ向かいます。
ご機嫌なアディと手をつなぎながら、けれどもわたくしは少しだけそわそわしております。だって、どんな顔をしてギデオン様とお会いしたらいいのか、まだ決めかねているのですもの!
いえ、普段通り取りすました表情を浮かべていればよいのは理解しているのですわ。ただ、どうしても恥ずかしさが抜けませんの。人前で涙を見せるなんてはしたないこと、もうずいぶん長いこといたしませんでしたのよ! それなのに、ああ、なんてこと!
思わず両手で顔を覆ってしまいたくなるような心持ちになり、けれどもそれではいけないとアディを見ます。アディの笑顔を守るため、わたくしがしっかりしなくては! だってわたくし、〝お母様〟ですもの。
ああ、でも昨夜は本当に怖かった。世の中の乳母や母親たちはどう乗り越えているのかしら。わたくしも、子を産めばどう対処していいのかわかるものなのかしら。いえ、ポーラやミシェルたち、子がある侍女も、どう対応していいかわかっていなかったわ。こういうものって、お医者様しかわからないものかしら。そうだわ、医学書を取り寄せていただきましょう! アディのために、わたくしも勉強しなくては!
そんな風に思考を巡らせておりましたら、あっという間に食堂へ到着してしまいました。あ、ギデオン様はまだいらっしゃいませんわ! よかった……。
「お父様、まだね」
「お仕事が押していらっしゃるのかしらね。さあ、先に席に着きましょう?」
ギデオン様の姿がないことに少し寂しそうなアディに、親子の仲の良さを感じますわ。よかったわ、手遅れにならなくて……。
「先に昼餐を始めてほしいとの連絡がございましたので、このまま前菜をお持ちいたします」
ギデオン様からの伝言をレイラが伝える横で、メイドたちが昼餐の準備を始めました。本来ならば食前酒が配られるところ、わたくしとアディはお揃いの果実水です。白葡萄かしら。
前菜は、燻製したヴァーノン鱒とクリームチーズ、秋野菜を重ねたもの。断面が美しくて、それを飾るように掛けられた、香草を混ぜたサワークリームのソースがおいしそうですわ。
「力を入れすぎずにそっと切るのですよ」
一口大に切って口に入れると、かすかに柑橘の香りがいたします。それをおいかけるように燻製の木の豊かな香りと、ソースに混ぜられた香草の香り。
「食べるの大変だけれど、わたしはこのお料理好きです」
「そうですね、わたくしも好ましいと思いますわ」
「リディは鱒が好きだもんね」
「ええ、アディと同じく」
こんな風に会話を楽しみながら食事するなんて、去年までのわたくしは思いもしませんでしたわ。社交は気を張りながら、また外交の会食の席では、会話の内容や言い回し、相手の好みなどを考えながらするものでしたので、食事を味わいながら会話を楽しむなんて贅沢、考えもしませんでしたもの。
「あ、このスープ、甘い!」
「栗でしょうか。アディは甘いスープはお好き?」
「甘いの好き。この前飲んだかぼちゃのスープも好き」
ポタージュスープは重いので、少量しか出てこないのがアディは少し不満のようですわ。そうですね、好きなものはたくさん食べたくなりますわね。
スープが終わり、魚料理が運ばれる頃、ギデオン様がやってきました。
「お父様!」
「やあ、遅くなってすまない。アデライン、もう体調は大丈夫だと聞いているが、その後変わりはないだろうか。朝、顔を見た時は問題ないようだったが」
「!」
今、なんておっしゃいまして?
「ギ、ギデオン様……」
「リディア、君も変わりないだろうか」
顔を見たと、おっしゃった? 朝? アディの……待って、アディはわたくしの寝台で寝ておりましたわ。どういうことですの!?
「わたし元気よ! もう、みんな朝からずっと体調はどうかって聞くの」
「昨夜ははしゃいでいたからね。熱など出さないか心配なのだよ」
父親から心配されたアディは、雪空の瞳を細めて嬉しそうに笑いました。可愛い……いえ、そうではなく。
「ギデオン様、その……」
「君たちが起きるまで待とうと思っていたけれど、今日は一緒に過ごしたくてね。仕事をまとめてやってしまうために先に部屋を出てしまった。すまないね、アデライン」
「お父様、一緒に寝てくださったの?」
「…………‼︎」
ぎょっとして、アディを見ます。そして、ギデオン様も。
「ああ、君たちが心配で。それと、リディアが離してくれなくてね」
「わっ、わたくし!?」
「ああ。君はあのまま寝てしまっただろう? 同意を得ないままで申し訳なかったが、服をつかまれたままではどうしようもなくてね」
「わたくしですのっ!?」
アディと同じ色の瞳でにこにこと笑いながら、ギデオン様が言葉を継ぎます。嘘でしょう? 嘘ですわよね? また冗談をおっしゃっていると言ってくださいまし!
「リディ、お父様と一緒にいたかったのね。わたしと同じね!」
「あ、あでぃ……その、わたくしは、ですわね」
やめてくださいまし、そんな、無邪気な笑顔を向けないでくださいませ! わたくし、そこはお揃いに同意はいたしかねますわ! わたくしとギデオン様は政略結婚、しかも白い結婚ですのよ! そんな、好きとか……ないです! ないですわ! 鱒の方が好きですわ!
「お、覚えて……いません、わ」
「おや、記憶力のいい君にしては珍しい」
「やめてくださいまし! 誰にでも、失敗はございましてよ!」
失敗、失敗ですわ! うっかり涙が出てしまっただけですの!
やめて! 掘り返さないでくださいませ!
その後の昼餐は、なにが出て、どんな味だったのか、一切覚えておりません……。
こんな失敗、わたくししたことなどありませんでしたのに!
◇
気が付いたら、応接間で昨日の贈り物の確認をしておりました。アディが包みを開けて、アリスとレイラが贈答品のリストと照らし合わせています。
「可愛い鳥さん! わ、なんだかいい香り!」
「こちらは王都邸のジョセフとケリーからです。異国の香木を削って小さな鳥の置物にしたようですね」
「ジョセフは器用で、昔はこういう木工品を作ってくれたよ」
贈り主をアリスが告げると、ギデオン様が補足されました。まさかの手作り品ですの?
手のひらに鎮座するころんとした小鳥は、かすかに芳香を放っております。肌を傷つけるような引っ掛かりはなく、つやっとしていますわね。
「わたし、この匂い好きよ」
「白檀だね。これは少し香りが軽いから、南方のペジャ島のものかな。リディア、君はどう思う?」
「リディはこの匂い好き?」
よく似た笑顔でアディとギデオン様が問いかけてまいります。甘くあたたかなその香りは不快ではありませんが……好きか嫌いかなんて考えたことないんですの! お時間をくださいまし!
「そ、そうですわね……ペジャの白檀は香りが重くなく、広く好まれる香りですわね」
「君はどういう香りが好き?」
やめて! 笑顔のまま畳みかけてこないでくださいまし!
リディアとアディが心配で、ギデオンが昨夜リディアの寝室で休んだことを、当のリディアとアディだけが知らない……。
知っている侍女sは内心にやにやしています。顔には出しませんが。
しかし自らバラしていくスタイルのギデオン。リディアは混乱している!




