幸せなお誕生日と花束3
しばらく踊られていないとおっしゃっていましたが、ギデオン様のリードはスムーズで、とても踊りやすいものでした。男性のリードが独りよがりだと、ついていく女性は大変ですのよ。
繋いだ右手と腰に回された手に導かれながら、くるくるとホールを踊ります。アディは楽しんでくれているかしら。そんな風にアディを気にしていないと、なんだか今日は足さばきを失敗しそうな気がいたします。三拍子のリズムは身体に叩き込まれておりますけれど、なぜかしら。駄目、考えないように。今は踊ることに集中いたしませんと、アディの見本にはなれませんわ。
「ダンス、お上手ですのね、ギデオン様」
違いますわ! なんだか嫌味っぽいですわこれでは! 駄目ですわ!
「ちっ、違いますの! そうではなくて!」
重ねて言い募った様子がおかしかったのか、ギデオン様がくつくつと咽喉を震わせるようにして笑います。違うんですの! 笑いを取りたいわけでもなかったんですの!
「いや、大丈夫だよ。そうだね、私は舞踏会には出ていなかったし、夜会もほとんど話し込んでばかりでダンスの輪には加わっていなかったから、あなたも私が踊っているのを初めて見たんだろう。練習などもしていなかったから、実は今緊張しているんだ」
「緊張? そんな風には見えませんわ。……あの、ギデオン様はとてもリードがお上手なので、わたくし、感心したのですわ。素晴らしいわって……」
「あなたをきちんとリードできているのならば、少し安心したよ」
きちんとと申しますか……ものすごくお上手ですわ。
わたくしは比較対象であったかつての婚約者を思って、かすかに瞼を伏せました。きちんと一人の女性として扱ってくださるだけで、どれほど違うのかと思い知らされたのですわ。気遣いを感じられるダンス、外交や社交の絡まないダンスが、どれほど安心できるのかなんて、わたくし知らなかったんですの。
話す内容だって、失敗しても問題ない。安心して身を任せて踊っていられる。それがどれほど嬉しいことかなんて。
「わたくしの知る中で、一番踊りやすい方ですわ」
「おや、これ以上のない褒め言葉だね。ありがとう、リディア」
優雅な弦楽器の音色に合わせて踊っていると、一組ではさみしいと思ったのか、何組かの上級使用人たちがダンスに参加しだしました。彼らは夫婦でこの場にいましたから、参加しやすかったのかも。
彼らも貴族ですから、ダンスもお手の物。互いに位置取りを変えながら、優雅に、華やかにアディの前で踊りますわ。
「うわぁ! 素敵!」
不意にアディの歓声が耳に入って、笑ってしまいました。ああ、可愛い。楽しんでいてくれるのね。
曲が代わり、ペアの交代を促されました。
わたくしは隣に位置どっていたウェゼリー卿と互いに礼をし合って手を合わせます。ギデオン様は侍女頭のミシェル。ミシェルはウェゼリー卿の奥様なので、交代前はウェゼリー卿と踊っていましたわ。ああ、むこうではポーラが家令のジョージと、ポーラの旦那様が侍女長のエイダと踊り出したわ。
あら、ダンスの相手が代わったことにアディが戸惑っていますわ。隣でハンナが説明をしていますわね。まぁ、あんなに首を振って……どうしたのかしら。
曲が終わると共に、ギデオン様がダンスではなく、エスコートの手を伸ばされました。そのままアディのところへ行くみたい。手を引かれるままアディの前にたどり着くと同時に、アディがわたくしのスカートに飛び込んでまいりました。
「やだ!」
「アディ、どうなさったの?」
「リディ、だめよ、お父様にして!」
「?」
わたくしのお姫様はどうしてしまったのかしら。身を屈めて、アディの頭を撫でます。
「どうなさったの、アディ。ギデオン様がなにか?」
「お父様にしてね、リディ! 他の人はだめよ!」
いやいやをするように、アディはわたくしの服に顔を擦り付けます。今日のドレスには宝石やビーズは縫いつけておりませんけれど、こんな風にするならば、まだまだドレスの仕立てには気を遣わなくてはだめですわね。万が一にもアディを傷つけてはいけないもの。
「……もしかして、ダンスの相手が途中で代わったことを言っておりますの?」
「お父様以外の人のところには行かないで! リディはここにいて!」
少し顔を青ざめさせて言い募るアディを、そっと抱きしめます。力の入ってしまった背中をゆっくり撫ぜながら、アディが安心できるように伝えます。
「わたくしは、ずっとアディの側におりましてよ。大丈夫です。組む相手が代わったから、びっくりしてしまいましたのね。大丈夫ですわ。ダンスというのは色々ルールがあって、さきほどはそのルールに従って一時相手が代わっただけですの。わたくしのパートナーがギデオン様なのは変わりませんし、わたくしがアディの母なのも変わりませんわ」
「……ほんと?」
「ええ。だって、今もアディのところへ連れてきてくださったのはギデオン様でしょう? わたくしとアディを繋ぐのは、いつだってギデオン様ですわ。アディと、ギデオン様と、わたくし。家族ですもの、側にいますわよ」
そう伝えると、ようやくアディは安心したようにうなずいてくださいました。ああよかった、不安を抱えたままで終わらなくて。でもまだちょっと眉毛がへにょんとなっておりますわね。
「せっかくですし、アディもやってみますか?」
「わたし、踊れないよ……」
「ふふ、大丈夫ですわ。ほら、こうやって手を繋いで回るだけでも楽しゅうございましょう?」
両手を繋いで、曲に合わせてくるくる回ってみますと、アディの愛らしい顔に再び笑顔が戻ります。
「ふふ……ふふ、あはは! 楽しいっ!」
「わたくしも楽しいですわ!」
くるくる、くるくる。目が回ってしまいそう。でも、それ以上に楽しいですわ。王宮でのダンスでこんなに笑ったことなどありません。ああ、楽しい! わたくし、この日のダンスのことを忘れません。それくらい楽しゅうございますわ!
その後、アディはギデオン様とも踊り、侍女たちや侍従たちなど、色々な人たちと踊りました。背の高いギデオン様なんて、途中からアディを抱えて回ったりしましたからね! もしかして屈むのがおつらかったのかしら。
ひとしきり踊った後、今度は家族三人で連れだって軽食の方へ向かいます。
夜会の軽食は、普段のお茶会よりもっと食事に重きを置いたメニューで、砂糖菓子や焼き菓子だけでなく、サンドウィッチ、スコーン、果物、鴨肉のパテが乗ったカナッペや、チーズ、一口サイズの様々なタルトやヴァーノン鱒のキッシュなど、量も種類も豊富で、目にもおいしいものが多いのですわ。王城で見られたような華やかさはなくとも、温かさや愛情に満ちた、素晴らしい品々です。
「うわぁ、どれから食べよう!」
「わたくしはこのキッシュと果物、そしてカナッペをいただきますわ」
目移りするように料理を何度も眺めるアディの隣で、わたくしはサーブを担当しているメイドに取り分けていただきたい品の指示をいたします。
通常の食事と違って夜会の軽食はカトラリーを使わずいただくので、毎回ちょっとだけ悪いことをしている心地になりましたが、今はなんだかそれが楽しいですわ。
「私はカナッペとチーズ、そしてキッシュを。ああ、アデラインの皿とナフキンは私が持とう」
「え、え、じゃあ、わたしもリディとお父様と同じのがいいな……あ、でも甘いのも……」
「アディ、好きなものを選んでよろしいのですわ。ほら、栗のタルトと焼き菓子、葡萄あたりが甘そうですわよ。見てくださいまし、砂糖菓子のかわいらしさを! 食べてしまうのが惜しい出来ではありませんこと? お腹は有限ですから、好きなものだけを選ぶとよろしいですわ」
「好きなものだけ? お野菜は?」
「今日は好きなものだけです」
好きなものだけというキーワードに目を輝かせて、アディが甘いものを選び始めます。もちろん、アディの大好きな紅茶のクッキーもありましてよ。
栗のタルトと紅茶のクッキー、そして葡萄とキッシュをお皿に乗せてもらって、アディは満足そうに息を吐きだしました。
「おいしそう!」
「よかったですわね。軽食は壁際に設えてある椅子に座っていただいてもよろしいですし、立ったままでもよろしいんですの。汚れた手はあちらのフィンガーボウルですすいだり、ギデオン様が持っていらっしゃるナフキンでぬぐったりいたしますわ」
「いつものごはんと違うのね」
「ええ」
ちょっとお行儀の悪いことをすると理解したのか、アディの可愛いお口がによによと緩んで、さらに可愛くなっております。
出会った頃は手づかみで食べるのも当然といった様子でしたけれど、もう食事はカトラリーを使って美しく食べるのが貴族の常識だと理解しておりますのね。なんて賢い子なんでしょう。
「ねぇ、リディはこれが好きなの?」
「え?」
家族で端に寄り、椅子に腰かけて軽食をつまもうとしたとき、アディがわたくしのお皿を覗いて言いました。これとは……お皿の上のものかしら。
「ああ、いつも夜会の時にはカナッペと果物をいただきますの。一番手が汚れづらいものですから」
「キッシュは?」
言われて、ちょうどつまもうとしていましたキッシュに目を落とします。わたくし、なぜキッシュを選んだのかしら。バターやチーズがたくさんで手が脂まみれになるというのに。
「……あの、わたくし、その」
ほうれん草と鱒が覗くキッシュに、戸惑います。選んだ理由。そう……ヴァーノン鱒が、見えたから。おいしそうに思えたのですわ。だから。
「好きなものが増えたかい?」
「ええ……そのようです」
ムニエルや前菜に仕立てられてなくとも、わたくし、ヴァーノン鱒を好んでいるみたいですわね。言われるまで気づきませんでした。
微笑むギデオン様と嬉しそうなアディに、わたくしもまた、嬉しくなって頷きました。
意外と夫婦で仕えている人は多いです。
領邸の家令であるジョージと侍女長のエイダは夫婦で、どちらも先代エインズワース夫人であったエリザベス王女の降嫁に合わせてやってきました。彼らは伯爵家夫婦。ただし領地なしの貴族です。
エインズワースの騎士団長をやっているウェゼリー卿の奥さんは、侍女頭のミシェル。ウェゼリー卿はエインズワース家門の子爵家当主です。ミシェルもまた、元エリザベス王女の侍女でした。
そして実は絵のうまいダグはジョージとエイダの子で、ギデオンとは幼馴染の間柄です。




